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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第81話 曹操、帰還す

 194年秋、荀彧(じゅんいく)たちが待ちに待った曹操(そうそう)がついに兗州(えんしゅう)へ帰還した。

 出迎えた荀彧らに対し、曹操は笑顔を見せ、次のようにのたまった。


呂布(りょふ)は兗州を得たとほざいておるそうだが、戦を知らん男じゃ。俺であれば東平国(とうへいこく)に本拠を定め、亢父(こうほ)泰山(たいざん)からの道を遮断して北の安全を確保したうえで険しい地勢を利用して東から来る敵を迎え撃っただろう。ところが、あやつはどうだ。徐州から戻って来る我が軍を迎え撃つこともせず、濮陽(ぼくよう)などに兵をとどめておる。奴ははっきり言って無能よ、底が知れたわ!!」


 途中で遠征を中止し、留守中に本拠地を乗っ取られたにしてはずいぶんと上機嫌である。

 呂布のことを散々にこき下ろし、余裕を見せつけている。


(これでいい。将軍が意気消沈していては士気にかかわる。やはりこの曹孟徳(そうもうとく)という男は、将の器を備えている。)


 荀彧は曹操の勇ましい演説に耳を傾けながら、安堵の息をついていた。

 こういう時に狼狽した様子を周囲に見せるようでは、とても乱世を生き抜いていくことはできない。

 急激に求心力を失っている曹操だが、さらに加速度的に離反していくことはないだろう。


 実際のところ、曹操を取り巻く情勢は彼のいかにも楽観的な言葉とは裏腹に厳しいものがある。


 曹操は呂布の無能をあげつらっていたが、実際のところ呂布陣営では曹操が指摘した戦略をとろうとしていた節がある。

 恐らく陳宮(ちんきゅう)あたりが呂布に入れ知恵しているのだろう。

 実際、陳宮は水軍を率いて倉亭津(そうていしん)に上陸しようとしており、彼の戦術眼は非凡なものがあると見ねばならない。


 黄河東岸への呂布軍の侵攻を食い止めたのは他ならぬ荀彧であり、程立(ていりゅう)である。

 荀彧は自分の功績を誇ることはしなかったが、かわりに程立のことはおおいに称賛した。

 特に程立が若いころから泰山の上で両腕を広げて太陽を掲げる夢を度々見ていたことを紹介し、彼が天子を補佐する名臣の器であると激賞していた。

 この話を聞いた曹操は程立をより重用することを決め、夢にちなんで名を程昱(ていいく)に改めさせた。

 この改名によってか程昱の曹操のもとで立身出世を重ね、魏の名臣として後世に名を残すことになるのである。


 曹操や荀彧にとって喫緊の課題は今後の立ち回りである。

 当然ながら呂布や彼に与する勢力との対決をどうするかということになる。


 現状は曹操軍主力が戻ってきたことで兗州は再び動揺が広がっている。

 呂布や張邈(ちょうばく)が直接押さえる黄河西岸はともかく、それ以外の地域は中立と言えば聞こえはいいが、日和見を決め込んでいるのだ。

 日和見の諸将たちは今のところ積極的に曹操と事を構えるつもりはないが、もし曹操軍によって自分たちに危険が及んだり、曹操の軍事行動がつまずけば、忠実な呂布の与党のような顔をして攻撃してくるはずだ。

 曹操にとって失敗のできない軍事行動が前途に待ち受けているのである。


「将軍。呂布や張邈と雌雄を決せねばなりません。」


 荀彧は決断を促すようにまっすぐ曹操に向かって言葉を投げかけた。

 当たり前のことだが、このまま呂布や張邈らを放置しておくことはできない。

 気のせいか「張邈」という人名にピクリと曹操のまぶたが反応したように見えたが、その表情は冷静であった。


「わかっている。兗州牧として乱を成す者を許してなどおけぬ。しばし兵を休めたのち、濮陽へ向かう。」


 濮陽は呂布が現在駐屯している場所である。

 濮陽を攻めるということは、曹操が呂布に決戦を挑むと宣言したことを意味した。


 荀彧もそれしかあるまい、と考えていた。

 数年来の天候不順に加え、2年続けての徐州侵攻も重なって今年は主食の麦が不作となっている。

 にらみ合いを続けていれば今以上に物資が欠乏していくことは明らかであり、早めに呂布と戦って何らかの軍事的成果を挙げておく必要がある。

 無駄に時間を浪費すれば、そのうち戦争どころではなくなってしまうかもしれないのだ。


 曹操の号令一下、曹操軍はわずか数日の休息ののちに西へと動きはじめ、黄河を渡って濮陽へと迫った。

 一応長期の攻囲戦もにらみ、到着後まもなく曹操軍は堅固な陣を築きはじめた。


(ほう・・・呂布は出てきたか。数ではこちらの方が有利だが、敵を圧倒するほどでもない。戦っても勝てるという見込みはないだろう。だが、長期戦となれば、我らの方が不利だ。もし何の成果もなく退けば、曹操軍は負けたと喧伝されてしまう。)


 荀彧の眼は濮陽城から出撃してきた敵軍を遠目にとらえた。

「帥」の字が染め抜かれた旗がひるがえる呂布の本陣がくっきりと見え、周囲を呂布子飼いの幷州騎兵(へいしゅうきへい)1千あまりが固めているのも見えた。

 何と言っても呂布の強みは彼自身の武力と強力な軽騎兵部隊にあり、その投射能力といざという時に発揮される突撃力は中原ではなかなかお目にかかれないものである。

 攻撃性の高い呂布の出撃は予想の範囲内ではあったが、兵数で不利な彼が出撃してきたことはやはり驚きではあった。


 だが、こうなると曹操軍としても立ち回りが難しい。

 曹操軍の方が数は多いと言っても、数ヶ月に及んだ遠征の果てに今回の戦いを迎えており、優位とは言い難い。

 この状況を打開するためには戦術的に何らかの手をうつ必要があるが、戦略家としては非凡な荀彧もこれといった妙案は出てこない。

 曹操からも具体的な指示はなく、彼もまたどう対処すべきか決めかねているようであった。

 とりあえずできあがった陣地から軍を前進させ、呂布軍との会戦をみすえて布陣を行うだけであった。


 そんななか、戦闘が呂布軍の攻撃により始まった。

 突然喚声が聞こえたかと思うと、黒々とした一団がいきなり凄まじい勢いで突っ込んできたのである。


「敵襲、敵襲!」


「呂布だ、呂布が先頭きって突っ込んできた!!」


 たちまち曹操軍の陣地は騒然となった。

 中原の戦闘ではふつう歩兵同士が進んでいき、遠矢を浴びせかけたあとに白兵戦へ移っていくことが多い。

 騎兵はここぞという勝利を決定づける場面か、撤退の時間を稼ぐときなどに投入されるものである。


 ところが、呂布の戦いはまるで違った。

 いきなり主将の呂布が幷州騎兵の先頭に立って曹操軍に向かって突撃してきたのだ。

 騎兵の接近に慌てた青州兵(せいしゅうへい)は混乱し、見苦しく崩れた。

 元々盗賊団のような集団であった彼らは勢いに乗っているときは強いが、少しでも劣勢に立たされると存外にもろい。

 彼らの敗走は止まらず、追ってきた呂布軍は曹操の本陣に肉薄した。


 混乱を極めた戦場では、思いもつかないことがしばしば起きる。

 このときもまさにそれで、曹操の本陣は見る間に火と煙に包まれた。

 逃げ惑う青州兵が目くらましに火をつけたのか、それとも猛追してきた呂布軍の火矢によるものか。


 いずれにしても、曹操は陣内にとどまることが不可能となり、煙をついて馬で脱出を図ったが、驚いて棒立ちになった馬に振り落とされた。

 幸いにも大きなケガはなかったが、地面に手をついた際に左の掌に軽いやけどを負った。


 近くにいた司馬(しば)楼異(ろうい)という者が駆けつけ、曹操を馬の上に押し上げて後方の陣地へ向かって逃げたために助かったが、実に危ういところであった。

 中央が崩れた曹操軍は他の部隊も呂布軍の鋭鋒を避けて後退し、築かれた陣地に入った。


 緒戦は小競り合い程度でしかなかったが、曹操軍の敗北である。

 青州兵を中心に曹操軍全体に動揺が広がったが、曹操は屈しなかった。

 すでにとりかかっていた攻城兵器の製作を中止するどころか、その速度を早めさせて不退転の決意を明らかにした。

 彼は普段通りに振舞い、各陣を回って将兵を激励した。

 敗北のきっかけをつくった青州兵はどんな処罰を受けるかとビクビクしていたが、曹操は彼らを罪に問うことはせず、次の戦いでは力を発揮するよう鼓舞した。

 兵たちは発奮し、曹操の指揮に従って何度も濮陽城へ向かっていった。


 しかし、両軍ともに相手を圧倒する力に欠けている事実は一向に変わらなかった。

 両軍の対峙は、いつしか百日を超えようとしていた。

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