第80話 荀彧、舌先で敵軍を去らす
「文若どのはいまやこの兗州を鎮める存在じゃ。そのような御方が何も自ら死地へ飛び込まれる必要はありますまい。何としても行かれてはなりませんぞ。」
甄城で合流を果たした荀彧と夏侯惇であったが、一難去ってまた一難、またも困った事態が起きてしまった。
袁術が任命した豫州刺史の郭貢という男が数万と称する大軍を引き連れ、甄城の周辺に至ったのである。
これに対し、荀彧は単身で郭貢のもとへおもむき、兵を退くよう協議してくると言い出した。
ちょっとその辺へ視察にでも行ってくるような口調で言ったものだから、周囲の者は驚き反対した。
特に夏侯惇はとつとつと言葉をつむぎ、荀彧の決心を何とか思いとどまらせようとしていた。
「大丈夫です。彼がここまで進んで来たのは、単なる様子見でしょう。毅然とした態度で撤兵を要求すれば、きっと受け入れて退いていくはずです。」
「しかし、郭貢の動きは呂布や張邈らと示し合わせてのものにしか思えぬ。行けば殺されよう。もし文若どのを死なせたら、わしは孟徳に顔向けができぬ。」
夏侯惇は心底荀彧の身を案じてくれているようだ。
彼は人並み優れた才こそ持っていないかもしれないが、情が厚く誠実な人柄である。
戦陣にまで書物を持ち込んで勉学に励むほど真面目であり、日ごろから賢者や勇者を尊ぶために韓浩や典韋といった優れた人材がその幕下に加わっている。
曹操の信頼厚く、自然にその政権内において重きをなすようになっているが、謙虚な性格のために非常に座りのいい副官である。
荀彧は元から好意を持っていたが、その情に触れてなお一層夏侯惇へ好感を持った。
ただ、荀彧は自分の意見を曲げるつもりはなかった。
「もし郭貢が張邈や呂布と通じていれば、間髪をいれずこの城に攻めかかっているはずです。ところが、実際は城を遠巻きにしたまま動きません。これは我々の出方をうかがっているのです。もし我々が早まって彼を敵とみなして頑なに門を閉ざせば、郭貢は態度を硬化させて張邈らに加担するに違いありません。ここはわたしが軍使となり、言葉を尽くして彼を退かせてみせます。」
荀彧は自信たっぷりの顔で言い切った。
郭貢が張邈や呂布と連携しているということは、すなわち袁術が張邈や呂布と連携しているということになる。
しかし、よくよく考えてみればその可能性は非常に低い。
なぜなら、呂布は袁術に嫌われて南陽郡を早々に追い払われており、両者の仲は険悪である。
また、張邈は若いころから袁紹とは親友の間柄であったが、袁術とはほとんど接点がない。
彼らが共同作戦をとるほど密なやり取りが日ごろからあったとは思えない。
「君がそこまで言うなら・・・わかった、もう止めはすまい。ただ・・・もし危険を感じたらすぐに逃げて参られよ。門は開けておくゆえに。」
ついに夏侯惇も折れた。
それでも心配は尽きないらしく、荀彧が出たあとも門は開いたままにしておくと言う。
いざとなったらすぐに逃げ込めるようにとの配慮である。
いつ攻め寄せてくるかもしれぬ軍が間近にいる状況では危険極まりない行動であるが、これも夏侯惇の誠実さのあらわれであろう。
「かたじけない。では、行ってまいります。」
荀彧は涼やかな笑顔を見せると、そのまま馬に乗って城外へと向かった。
身に寸鉄も帯びず、供もわずかに数人のみである。
そこだけを見れば、とても戦時とは思えない恰好であった。
このような荀彧には味方もとまどったが、突如迎えることになった郭貢も驚きを隠せなかった。
毒気を抜かれ、ボケッとした顔で荀彧との会見が始まってしまったのである。
「将軍、いかなる用件でわざわざこちらまでおいでになりましたか。」
「いや、その・・・兗州が乱れて大変と聞きつけてな、これを安んじたいと思って参ったのだ。」
開口一番で荀彧に来意を問いただされ、郭貢は思ってもいないことを口走った。
あわよくば兗州の地をかすめ取ってやろうとやって来たのだが、兗州の治安を回復する手助けをするためなどと言ってしまったのである。
それを聞いた荀彧はフッと相好を崩し、笑声を放った。
「それはそれは、お心遣い感謝いたします。しかしながら、兗州が乱れていると申しましても、ごく一部の者が騒いでいるにすぎません。我が主の曹使君も間もなく帰ってまいりますし、わざわざ将軍の手をお借りするまでもございませぬ。実は・・・先日冀州からも同じような申し出がありましてな。丁重にお断りいたしました。袁本初さまと同じく、将軍からもお心遣いのみいただいておきましょう。」
「冀州からも!?」
「ええ。袁本初さまからは曹孟徳は我が竹馬の友。何かあれば援助は惜しまぬ、とこのようなありがたいお言葉をいただきました。もっとも、袁本初さまの手をわずらわすような困りごとはございませんので、先ほども申し上げたとおり丁重にお断りさせていただきました。袁本初さまからは、何かあればいつでも頼ってくるがよい、協力は惜しまぬと改めてありがたいお言葉をいただいております。」
「・・・」
郭貢は完全に黙り込んでしまった。
荀彧の話によれば、冀州の袁紹が援軍を申し出たがこれを断ったという。
これはふたつの事実を示唆している。
ひとつは、曹操軍には今回の反乱を自分たちだけで解決するだけの力があるということ。
もうひとつは、袁紹軍が曹操軍のバックについているということ。
もし郭貢が甄城を攻めれば、強力な曹操軍だけでなく袁紹軍も相手にしなければならなくなるということであった。
だが、荀彧の言葉は大ウソである。
荀彧は呂布らの動きを知ってすぐに徐州にいる曹操に向けて1ダースではきかないくらいの使者を走らせたが、現時点では曹操軍の主力がいつ帰還するかわかっていない。
袁紹から使者など来ておらず、本当に援けてくれるのかまったく不明である。
兗州の大部分はすでに背くか、日和見を決め込んでいる。
曹操勢力が圧倒的に劣勢なのである。
荀彧は郭貢の肚が座っていないとみて、はったりをかましたのだ。
開き直るしかない状況だったとも言えるが、堂々とした荀彧の立ち居振る舞いは郭貢を惑わすに足るものであった。
「そ、そうか。ならば良かった。わたしも兵を退くといたそう。もし何か困りごとがあれば、言って参られよ。」
荀彧に言いくるめられた形で、郭貢は撤退を明言してしまった。
彼とて不安要素がないわけではない。
主と仰ぐ袁術は先年に曹操軍に大敗北し、命からがら揚州に逃げ込んだところである。
とても中原に兵を送る余裕はなく、郭貢は豫州で孤立しかけているのが実状であった。
そんなときに曹操だけでなく袁紹まで敵に回してしまったら、豫州すら守れなくなると後ろ向きの考えにとらわれたのである。
こうして、荀彧は舌先三寸で数万の大軍を去らすことに成功した。
甄城にはせいぜい2,3千程度の兵力しかいなかったことを考えれば、大きな成果であった。
郭貢の脅威が去ると、荀彧は兗州内における曹操勢力の挽回に乗り出すことにした。
曹操が帰還するまでにある程度の地域はしっかりと確保しておきたい。
そのカギとなるのは曹操が最初に本拠とし、夏侯惇を太守とした東郡である。
東郡は北流する黄河が東西に分断している。
このうち濮陽を中心とする西岸は敵の手に落ちた。
しかし、東岸には敵の手はまだ十分に及んでいないはずだった。
荀彧はこの作戦を行うにあたり、地元出身者を頼ることにした。
白羽の矢を立てたのは東郡東阿県出身の程立である。
彼は郷里が黄巾軍に襲われたとき、的確な情報分析と勇気によってこれを撃退するのに功があった。
荀彧はその才能と胆気を知って彼を曹操に推挙したところ、曹操も程立の才能を認めて空位となっていた寿張県の県令を代行させることにした。
荀彧が程立に相談すると、彼は早速東阿に向かうと即答した。
実は呂布軍の手は黄河の東岸にも伸びようとしており、ギリギリのタイミングであった。
程立は東阿に向かう途中で范県に立ち寄り、家族を人質にとられて動揺する県令を説得し、間もなくやって来た呂布の将をだまし討ちにした。
さらに東阿にほど近い倉亭津という黄河の渡し場に騎兵の一隊を送り、ここを封鎖して呂布の謀将である陳宮が率いる軍の上陸を防いだ。
こうして甄・范・東阿の三城と黄河東岸の地域が曹操勢力にとどまり、ひとまず反乱の拡大にブレーキがかかった。
だが、呂布・張邈軍を圧倒できる戦力は荀彧や夏侯惇の手元にはなく、あとは曹操の帰還を待つしかなかった。