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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第79話 荀彧、見破る

 曹操(そうそう)軍の徐州(じょしゅう)での悪行は、まもなく兗州(えんしゅう)にまで聞こえてきた。

 甄城(しんじょう)で留守を預かる荀彧は、やっぱりという想いともう少しどうにかならなかったのかという想いにとらわれ、複雑な心境であった。

 今回の遠征ルートが補給に苦しむ結果をもたらすことは予想できたために、もっと強く反対意見をぶつけるべきだったとの後悔もある。


 だが、それよりも危惧されるのは兗州内部での曹操に対する支持の低下である。


 元々正式な朝廷の任官によらない曹操の地盤は弱く、悪評がもろに勢力基盤の弱体化につながりかねない。

 実際、すでに辺譲(へんじょう)という天下に名の知れた名士が曹操を批判しているとの知らせが入っており、それが拡大する恐れがあった。


(主が帰還するまでに州内が騒がしくなるかもしれぬ。一度陳留(ちんりゅう)孟卓(もうたく)どのや濮陽(ぼくよう)元譲(げんじょう)どのとも相談する必要があるな。)


 留守を任された以上、ただ城を守っていればいいというものではない。

 兗州全体にも目を配る必要があるというのが荀彧の認識である。

 同じように後を託された陳留太守の張邈(ちょうばく)、東郡太守の夏侯惇(かこうとん)とともに協力して兗州の安全を守り抜かねばならないと考えていた。


「荀司馬。陳留の張孟卓さまよりの使者として劉翊(りゅうよく)さまがお見えです。」


 張邈からの使者がやって来たのはそんな折であった。

 荀彧は使者を送る手間が省けたと思ったが、使者の劉翊が告げた内容は思いもよらぬことだった。


「呂将軍が徐州攻めの援軍として参られます。すみやかに兵糧の補給をお願いしたい。」


 呂将軍とは、王允(おういん)とともに主君であった董卓(とうたく)を討った呂布(りょふ)のことだ。

 彼は王允政権下で奮武将軍(ふんぶしょうぐん)に任命されており、李傕や郭汜に敗れて長安から逃げ出した後もその将軍位を称し続けている。


(なぜ今頃呂布がこの兗州にあらわれたのか。わからぬ話だ。)


 荀彧は劉翊の話を聞くなり不審に思った。

 長安を逃げ出した呂布は南陽郡(なんようぐん)に逃れて袁術(えんじゅつ)を頼ったが断られ、一時期袁紹(えんしょう)のもとへいたらしい。

 しかし、そこも居づらくなったのか間もなく去り、現在は河内太守(かだいたいしゅ)張楊(ちょうよう)のもとへ身を寄せているとの情報は伝わっていた。

 その呂布が曹操の援軍として徐州へ向かおうしていると言う。


(ありえない。)


 それがとっさに浮かんだ荀彧の考えであった。

 そもそも、呂布は援軍を出すほど曹操との交友があったわけではない。

 おそらくふたりは会ったことすらないのではないか。

 むしろ彼らはこれまで敵同士だったと言っていい。

 反董卓連合軍の将のひとりであった曹操に対し、呂布は迎え撃つ董卓軍のなかにいたのである。


(呂布のねらいは徐州ではなく、この兗州ではないか。援軍のために道を借りると言いながら、その実は味方の顔をして兗州内部に入り込み、にわかにこれを奪ってしまおうとの考えであろう。)


 荀彧はあくまで冷静であった。

 日ごろから行っている情報分析にもとづき、呂布のねらいを看破したのである。

 万が一呂布に兗州乗っ取りの野望がなかったとしても、用心しておくに越したことはない。


(こうなると、張邈もくさい。彼も心変わりしていると見るほかあるまい。だが、他にも暗躍している者がいそうだな。)


 呂布の不可解な行動を兗州乗っ取りのためと判断すれば、積極的に呂布を招き入れようとする張邈は親友の曹操を裏切ったと考えるしかない。

 ただ、張邈はさっぱりした性格で知られる人物であり、陰謀をめぐらすタイプではない。

 必ず張邈をたきつけた者が背後にいるはずだった。


 この荀彧の推測は当たっていた。

 呂布を兗州の新しい支配者にしようと最初に動いたのは陳宮(ちんきゅう)であり、渋る張邈を最終的に説得したのは張邈の弟の張超(ちょうちょう)であった。

 陳宮は曹操を兗州牧に推戴するためにも暗躍した人物であり、まさしく陰謀家と言える男だ。

 彼はその功によって曹操から厚遇されているはずなのだが、どうやら満足のいくものではなかったらしい。

 また、張超は昔から曹操のことを嫌っており、曹操を引きずりおろせる計画と聞いて一二もなく賛成したのであった。


「わたしは主よりこの城の守りを託されました。いかなる者の兵も領内を通すことはできません。また、兵糧を渡すこともできません。」


 荀彧ははっきりと劉翊に告げた。

 即答と言ってよかった。

 たちまち劉翊は気色ばみ、荀彧に詰め寄った。


「これは曹使君に後事を託された、張孟卓様たっての頼みですぞ。それでも断ると申されるのか!?」


「たとえ孟卓どのの頼みであっても、お受けすることはできません。」


 荀彧の答えはにべもない。

 彼の主は曹操であり、いくらその親友であろうと張邈は主ではない。

 その言に従う必要はないという荀彧の態度は、劉翊にとって取り付く島もないものであった。


 荀彧は劉翊を早々に追っ払うと、すぐに防衛の準備をはじめた。

 いつ呂布や張邈の兵が襲ってくるかわかったものではない。

 用心はしておくに越したことはないのだ。


 ただ、徐州遠征のために甄城の兵力はずいぶんと減っているし、数百以上の幷州騎兵を抱える呂布や陳留郡を支配する張邈を相手にするにはあまりにも劣勢であった。

 周辺の城が寝返らないという保障はないし、甄城内部にだって内通者が出るかもしれない。

 どこかから援軍に来てもらわねば、持ちこたえることは難しい。


(もはや頼るべきは濮陽の元譲どのだけだな。)


 誰が味方で誰が敵になるかまったくわからない状況となったいま、確実に信頼がおけるのは曹操の従兄弟で誰よりも信頼の厚い夏侯惇しかいない。

 荀彧は濮陽へ急使を走らせ、軍をともなって甄城に来援してくれるよう頼んだ。

 ここ甄城には曹操の家族がおり、失うわけにはいかなかった。


 ところが、そうこうするうちにも兗州の情勢は急速に悪化していた。

 呂布と張邈の武力を見て多くの将が離反しはじめた。

 これには「陰謀家」陳宮の扇動もおおいに効いていた。

 荀彧をだまして甄城を奪い取ることには失敗したが、それ以外はおおむね策が成功している状況であった。

 絶対に投降しないだろうとみられていた夏侯惇が守る濮陽へは、すでに呂布本人が率いる軍が向かっていた。


 このような情勢は夏侯惇も承知していたが、彼は自ら速度の速い軽装備の兵を連れて甄城に向かうことにした。

 事実上濮陽を放棄し、さらには敵中を突破する勢いで80キロメートル以上を進むのだ。

 並の決断ではなく、曹操や荀彧が見込んだだけの男ではあった。


 ただ、やはりその道中は無事ではすまなかった。


 濮陽を発ってまもなく、夏侯惇は呂布軍と遭遇した。

 軽装備の夏侯惇軍は不利のはずだったが、夏侯惇はかまわず突撃を命じた。

 逆に遭遇戦になると思っていなかった呂布軍の方が混乱がはなはだしく、短時間の戦闘で夏侯惇は呂布軍を追い散らした。


 しかし、新たに呂布軍に加わった陳宮は夏侯惇自ら出撃していることで濮陽が手薄になっていると見抜き、呂布に献策して濮陽を攻撃させた。

 案の定、夏侯惇がいない濮陽はあっさりと落ち、夏侯惇軍の補給部隊とその物資をそっくり手に入れた。

 次いで陳宮は呂布に献策してひとりの将を降伏すると偽って夏侯惇の軍にもぐりこませ、陣内に濮陽落城の情報を流布させた。

 本拠を失ったことで夏侯惇軍では動揺する兵が出現し、ついに彼らは夏侯惇を人質にとって身代金を要求した。

 夏侯惇を救出しようとした兵たちが反乱兵を取り囲むが、指揮官を押さえられてしまっては手が出せない。

 内部に動揺が走っただけでなく総大将がいきなり捕虜になってしまったのだから、軍崩壊の大ピンチである。


 だが、この危機を夏侯惇が直接登用した部下の韓浩(かんこう)が救った。

 彼は「将軍をとらえておいて、命があると思うな!」と反乱兵にタンカを切り、夏侯惇に向かっては「法を守るためには仕方がないことです。お覚悟を。」と言い、夏侯惇にかまわず反乱兵を制圧せよと命令を下した。

 こうなると数で劣る反乱兵はひとたまりもなく、さらに幸いなことに夏侯惇も無事生還することができた。


 こうして軍の再掌握に成功した夏侯惇は呂布に奪われた濮陽を捨て、甄城へと向かった。

 甄城で荀彧と合流すると早速その日のうちに兵を動かし、城内で不穏な動きを見せていた者たち数十人を摘発、これを一気に処刑して動揺が続いていた甄城を安定させることに成功した。


 こうして曹操の家族のいる甄城の確保は成ったが、兗州の多くは呂布に寝返ったり去就がはっきりしない状態に陥っていた。

 それに加え、間もなく南から新たな脅威が迫ろうとしていた。

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