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三国志天の記  作者: 沖家室
序章 天をくつがえす者【張角伝】
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第8話 官軍、反撃す

「悲観せずともよい、とはどういうことですかな?」


 急に割り込んできた趙忠(ちょうちゅう)に対し、蹇碩(けんせき)がオウム返しのように聞く。

 張譲(ちょうじょう)の耳には、その声がなんとも緊張感のない間の抜けたものに聞こえた。

 おそらく蹇碩の頭の中は自分が将軍になれるかどうかでいっぱいであり、それ以外の思考は停止しているに違いない、とは張譲の直感である。


「なに、大将軍を出鎮(しゅっちん)させぬよう、陛下に進言すればよいのです。古来はともかく、大将軍は洛陽から出ぬというのがならい。わたくしたちが言葉を尽くして説明申し上げれば、陛下も必ずお聞き届けになりましょう。」


 なるほど、と張譲は思った。

 出鎮とは、将軍が軍や府を伴って首都圏の外へ駐屯することを言う。

 霊帝が何進に率いさせようとしている「洛陽内外の兵馬」と言えば中央の正規軍のことだが、それを何進に率いさせるということは、彼に反乱鎮圧の総指揮を取らせるということだと張譲は認識していた。

 精鋭部隊を従え、反乱鎮圧に成功などされてしまえば、何進の権勢はいよいよ手がつけられなくなる。


 だが、あくまで何進に首都防衛をさせるだけなら、功績を立てる機会はほとんどないであろう。

 前漢王朝の時代にまで遡るならばともかく、近年の後漢王朝では大将軍が洛陽の外へ「出鎮」したケースは見当たらないのだから、前例をたてに霊帝を説得することは難しくあるまい。


「では、代わりの将軍が必要ですな。その任、それがしに担う覚悟があり申すぞ!」


 蹇碩が、我が意を得たりとばかりに勢いづく。

 やれやれ、と思った張譲だが、視線を趙忠の方へ送った。

 趙忠にしても、ライバルである蹇碩が武功を立てて出世することは望ましくない。

 何か策があるはずで、まずはお手並み拝見という底意地の悪さなのだった。


「蹇常侍。我ら宦官は陛下の身の回りをお守りすることが、勤めでございます。」


 柔らかい口調ながら、びしりといった感じで趙忠が言い切った。

 趙忠に言われるまでもないことだが、本来宦官は内向きの用事を務める役人である。

 軍を率いて出撃するなどといった任務は、専門の武官に任せるべきなのだ。

 当たり前のことを言われ、途端に蹇碩はしぼんだようにおとなしくなる。

 それを見た張譲は、ひそかに留飲を下げた。


「では、誰を討伐の任に当てればよいとお考えか?」


 みるみる元気を失った蹇碩にかわり、張譲が趙忠の考えを聞いた。

「外戚」も「宦官」も使わないとあれば、いったい誰を討伐軍の司令官にするつもりなのか。

 元々張譲は自分の息のかかった武官を将軍に据え、討伐軍を率いさせる心づもりであった。

 もし趙忠も同じ考えで、すでに意中の人物がいるのであれば「調整」しなければならない。

 いまの後漢王朝は皇帝の命令と言いながら、結局は有力な宦官が動かしている。

 将軍の任命とて、利害調整の対象となるのだ。


「党人どもが戻って来るのです。やつらに賊どもを討たせましょう。」


「何ですと!?せっかく排除したあやつらが復職するのも腹立たしいのに、さらに軍を率いさせよと?それは我々が負けを認めたようなものでござる。」


 蹇碩が気色ばむのも無理はない。

「党錮の禁」でようやく党人と呼ばれる高級役人たちを一掃したのに、趙忠はその復活を許そうと言うのだ。

 何進が大将軍になるだけでも大変なのに、さらに敵を増やそうとはどういうことなのか。


「今回、陛下に禁を解くよう申し出たのは、皇甫嵩(こうほすう)呂強(りょきょう)の2人でございました。呂強については、すでに手を打ちました。皇甫嵩についても、毛を吹いて疵を求めれば、何か落ち度は見つかりましょう。いずれ、どこぞへ左遷すればよろしいでしょう。」


 ううむ、と心中でうなったのは張譲である。

 相変わらず趙忠の手並みは鮮やかだ。

 呂強は小黄門(しょうこうもん)という皇帝の身近で連絡役となる官職についている宦官で、張譲らにとっていわば「身内」に当たる。

 思わぬ身内の裏切りに張譲も憤り、手を打とうと考えてはいたが、趙忠に先を越された感じだった。

 呂強は趙忠らによって追い詰められ、すでに自害したという。


 ただ、このままやられてばかりなのは面白くない。

 張譲は趙忠のプランに穴がないか、つついてみることにした。

 何しろ、党人たちに将軍位を与え、功績を上げさせるのは不安要素もある。


「しかし、党人を将軍にするというのは、いかがなものかな?わしは我らの息のかかった者を将軍に据え、党人どもをその下につけるのが良いと思うが?」


「いや、党人どもに討伐軍を率いさせはするが、将軍にしなければ良いのです。」


「どういうことじゃ!?」


「中郎将というものがありますよ・・・!」


 含み笑いをしながら趙忠が提示して見せたのは、復帰させた党人を絶大な権限を持つ将軍ではなく、一段下の中郎将に任命する案であった。

 中郎将ならば「開府」も「斧鉞」も関係なく、よって大きな力を持ちようがない。

 ただ、中郎将とは宮中を守る武官であり、本来は討伐軍を率いる立場にない。

 だから、今回新しく遠征部隊を率いる中郎将を創設すれば良いと趙忠は考えたのだった。


「陛下も党人どもを起用することに不安がございましょう。将軍ではなく、中郎将に任命することを進言いたせば、きっと叡慮にかないましょう。」


(中郎将に討伐軍を率いさせるとは・・・なかなか知恵が回るものよ。待てよ・・・目障りな皇甫嵩もついでにお払い箱にできるやもしれんぞ。あやつも中郎将に任じて軍を率いさせればよい。もし賊に負けることがあれば、それをとがめて罰すればよい。)


 中郎将が討伐軍の主将を務めるということは、指揮する軍は寄せ集めになる可能性が高い。

 局地的に負けることもあるだろう。

 いまいましい皇甫嵩を討伐軍の将とし、失態を犯せば解任して左遷することができる。

 成功すればしたで、また別の理由をもうけて失脚させればよいのである。


「では、わしからも提案じゃ。党人だけでなく、皇甫嵩も中郎将に任じられるよう陛下に申し上げよう。口出しするからには、自身も存分に働いてもらわねばのう。」


「さようですな、実によいお考えかと。皇甫嵩は弓馬に優れておると聞き及んでおります。ならば、どんな兵を率いてでも十分な戦果を挙げられましょうな。」


 趙忠がニヤリと笑いながら張譲の提案に応じた。

 張譲の提案の意味に瞬時に気づいた様子である。


「それに、その中郎将どもが陛下の意にかなう働きをするか、しっかりと監督せねばなるまい。その役目は陛下の信頼厚い者にしかつとまらぬ。それは我ら宦官しかあるまい。のう、蹇常侍。」


「さようですな。陛下の安寧を守ることこそわれらの勤め、でしたな。」


「では、そのように。討伐に失敗すれば厳しく罰し、陛下の身を脅かすほどの戦功を立てそうとあれば・・・」


「ふふふ・・・すべては陛下のため、じゃ。」


 こうして宦官たちの密談の結果、黄巾軍討伐のため新たな中郎将が設けられることになり、盧植(ろしょく)が北中郎将、朱儁(しゅしゅん)が右中郎将、皇甫嵩(こうほすう)が左中郎将にそれぞれ任じられた。


 このうち、張角がいる北の冀州へ派遣されたのは盧植であった。

 盧植軍には北軍五校(屯騎校尉、越騎校尉、歩兵校尉、長水校尉、射声校尉)の兵が付属されたほか、護烏丸(ごうがん)中郎将宗員(そういん)の兵、さらには特に勅命によって集められた諸郡の兵も加わった。

 なお、北軍とは宮中を守る部隊のことであり、つまり盧植軍には皇帝の親衛隊がつけられたことを示していた。

 また、護烏丸中郎将は騎馬を得意とする北方の異民族・烏丸に対する折衝や防衛を担当する武官職であり、その配下には後漢王朝の支配に服した烏丸兵が含まれ、強力な騎兵部隊を構成していた。

 いずれも強力な部隊であり、諸郡から集められた軍も正規軍であることから、明らかにこちらが官軍の主力であった。


 ちなみに、元々「護烏丸()()()」という官職はなく、本来は「護烏丸()()」が正式な職制となる。

 党人である盧植に信用が置けないため、同格の中郎将をわざわざ新設して副将格に置き、牽制(けんせい)させようとしたのだ。


 一方、朱儁と皇甫嵩の軍にも北軍五校の兵の一部と三河(河南、河内、河東)の騎兵が配属され、総勢四万人と称していたが、その大部分は募兵によって集めたいわば義勇軍であった。

 当然ながらその装備と練度は盧植軍に比べて大きく劣り、寄せ集めの観がいかんともしがたかった。

 黄巾賊の本軍がいない豫洲方面へ向かう軍だから、というのが朱儁や皇甫嵩に与えられた軍の貧弱さの理由であったが、もちろん皇甫嵩への宦官たちの悪意があったことは言うまでもない。


 とにもかくにも、こうして官軍の反撃体制は一応ととのった。

 184年4月のことであった。

「十常侍」という通称もあるように、この時期有力な宦官は他に幾人もいます。

ただ、あまりたくさん出しても話がとっ散らかるだけなので、張譲・蹇碩・趙忠の3人に代表させて話を構成しました。


また、本文中でも書いてますが、「護烏丸中郎将」については正式な官制には見えず、謎な官職です。

正式な職名は「護烏丸校尉」のはずなのですから。


異民族を統制するために置かれた官職は他にもいくつかありますが、「中郎将」の名称が与えられたのは匈奴を担当する「護匈奴中郎将(使匈奴中郎将)」でした。


史書に誤った職名が書かれた可能性もありますが、筆者は党人である盧植の指揮権を制限するために「護烏丸校尉」を「護烏丸中郎将」に昇格させ、配属させたという風に解釈してみました。

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