第7話 張角、決起する
「馬元義が・・・?」
張角は言葉を呑んだ。
視線が虚空に漂う。
あまりにも痛すぎる損失だった。
洛陽に潜入していた1千人以上の「同志」たちの悲運な死はもちろん痛い。
だが、張角にとってそれ以上にこたえたのが、片腕とたのむ馬元義の死だった。
思えば、近年太平道がとってきた拡大・武装路線を強力に推進してきたのは馬元義である。
彼のおかげで、張角が心のなかにしまい込むだけだった、後漢王朝の天への挑戦が具現化しつつあった。
それが馬元義の死によって危機を迎えようとしている。
太平道は旗振り役を失い、それでいてまもなく起こる後漢王朝との軍事衝突に備えなければならないのだ。
いまの太平道には、馬元義がデザインした戦略を修正・発展させていくだけの戦略家もいなければ、馬元義の死をこれ幸いと取って代わるだけの野心家もいない。
慎重な性格の次弟・張宝からは大胆な発想は望めないし、情熱的だが緻密さにかける末弟の張梁には兄をしのごうとする気持ちはまったくない。
つまり、いまや後漢王朝と一触即発状態にある太平道の首領として、張角の両肩にはずしりと重い責任がのしかかってきていた。
具体的な戦略を練ることが苦手な張角にとって、心の折れそうな展開である。
(元義を欠いて、何ができるか。・・・いや、もはやそのようなことを言っておるときではない。このままでは座して死を待つのみ。決起するほかない!!)
わずかな迷いのあと、張角は腹を据えた。
焦点の合っていなかった目に、再び力強さが宿っていく。
馬元義がいようといまいと、後漢王朝との対決が間近に迫っていることに変わりはない。
そしてそれを望んだのは張角自身なのだ。
「夜を日に継いで、各地の方へ使いを出せ。ただちに決起せよと伝えるのじゃ。役所や城の門に「甲子」の文字を書き示し、我らの起義を広く天下へ知らしめよ!決起に参加する者は黄巾を巻き、黄天にもご覧いただくのだ!!」
張角の力強い言葉を受け、周囲が慌ただしく動き出す。
8つの州にまたがる太平道の組織には3月5日に一斉蜂起するよう伝えられていたが、それを1ヶ月近く繰り上げることになるのだ。
全部で数十箇所にのぼる「方」へそれらを伝えるとなると、一瞬にしてハチの巣をつついたような騒ぎになるのも無理はない。
「よいか、我らも起つ!まずはこの広宗城を落とす!!」
184年2月、張角率いる太平道は後漢王朝に対して反旗をひるがえした。
彼らは張角の指示に従って黄色い頭巾を巻き、連帯を示した。
当初予定していた一斉蜂起とはいかなかったが、各地で起こった黄色い集団には太平道の信者だけでなく後漢王朝の統治に不満を持つ民が加わり、勢いを増した。
何しろ、黄巾を頭に巻きさえすれば、反乱軍の一員になれるのだ。
一体感を求めた張角のアイデアが、思いがけず良い方向につながっていた。
ただ、敵側からもこの黄巾はわかりやすい目印となり、朝廷側は彼ら太平道が中核となる反乱軍を「黄巾賊(黄色い頭巾を巻いた悪者)」と呼ぶことになる。
本作でもこの呼び名に乗っかり、以後張角らの集団を「黄巾軍」と呼ぶことにしよう。
さて、黄巾軍の出だしは順調だった。
広宗城は瞬時に陥落し、張角は捕らえた官吏を殺してこれを天に祀った。
いわゆる生贄に捧げる、というやつである。
勢いに乗った黄巾軍は周辺の官府を焼き討ちし、村々を脅かして人や物資を出させた。
むろん、黄巾軍を歓迎して自発的に協力を申し出る村落も少なからずあった。
黄巾軍の行手に当たった郡や県の役人たちは先を争って逃げ出し、逃げ遅れた皇族の甘陵王と安平王は捕らえられて広宗へ連行された。
2人の王が捕らえられたことに仰天し、常山王と下邳王は国を捨てて逃げた。
次いで戦果を上げたのは荊州の南陽郡であった。
2月25日、この方面の黄巾軍渠帥の張曼成が、南陽太守褚貢を攻め殺し、南陽郡を占拠した。
すでに広宗をはじめとして冀州は黄巾軍が席巻していたから、荊州北部も黄巾軍の手に落ちたことで洛陽盆地の外の北東から南東にかけての広い地域が黄巾軍の勢力下に置かれたことになる。
また、幽州・青州・徐州・兗州・豫州などでも黄巾軍が蜂起し、各地の郡や県を襲撃しはじめた。
黄巾軍以外の反乱軍も兵を挙げ、華北(黄河を中心とする中国北部)は混乱のるつぼと化した。
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ところは変わって洛陽城の奥深く。
宮城のこれまた深部において、3人の「男」が額を寄せ合うようにしていた。
「なぜ河南尹を大将軍にする必要がござろう?もしそれがしに斧鉞をいただければ、賊などたちどころに討ち果たしてご覧にいれましょうぞ!」
さっきから勇ましい言葉をはいているのは、筋骨たくましく髪黒く、まだまだ少壮の力強さをみなぎらせた宦官であった。
霊帝の信任厚く、中常侍の要職にある蹇碩である。
眉が雄々しくはね、宦官と言うより武官と言った方がピッタリくる風貌をしている。
実際、若いころから暇を見つけては武芸に励み、本職の武人顔負けの武技を身につけているというのが蹇碩の自慢であった。
ただ、武に偏りすぎているためか、根が単純でやや知力に乏しい印象を受ける。
「仕方あるまい。八関に都尉を配し、何進を大将軍として洛陽内外の兵馬を率いさせよ、とは陛下の強い御意思じゃ。それだけではないぞ、党錮の禁を解き、党人どもを復職させよとも申されておる。」
「鷲」を思わせるような眼光鋭く、最も年かさの宦官がピシャリと言い放つ。
馬元義ら反乱分子の摘発に大きな功績を上げた張譲だ。
髪はそのほとんどが白くなり、折れそうなほどやせ細ってはいるが、蹇碩などよりはるかに威圧感がある。
彼らが話題にしているのは、黄巾軍蜂起の一報を受け、霊帝が発した「命令」についてだった。
冀州などで起こった反乱軍の勢いが強く、つい先日は都の洛陽においてもあわやという反乱未遂があり、怯え切った霊帝は珍しく政治に口を出していた。
洛陽やその周辺の守りを固めるため、何皇后の異母兄で現在は河南尹という首都やその周辺の行政長官の職にある何進という人物を軍総司令官である大将軍に任命するというものだ。
また、洛陽盆地を固めるために置かれた函谷関など8つの関所の守りを強化し、守備隊長である都尉を何進の指揮下に入れることも示されていた。
なお、関所と言うが、その規模は大きく、実際のところは城と変わらない。
さらに、十数年前に発令された「党錮の禁」を解除し、官職から追放したインテリ豪族層を朝廷に復帰させるという、宦官にとっては受け入れがたい内容も含まれていた。
(ふんっ!わしとて、何進が大将軍になるなど、おもしろうないわい。じゃが、蹇碩が将軍になるのも、とんでもないことじゃ。何としても止めねばならん!)
今日も張譲の心の中では毒が渦巻いている。
何進が軍の最高位に就任するのも嫌だが、ライバルのひとりである蹇碩が出世するのも嫌なのである。
蹇碩が欲しがっている「斧鉞」とは、皇帝から将軍に与えられるまさかりのことで、これを与えられた者は軍内部での裁量権を持ち、いちいち皇帝にお伺いを立てなくても作戦の実施や処刑などの処罰が可能となる。
つまり、蹇碩は自分を将軍にしてくれれば、黄巾軍などあっという間に鎮圧できると言っているのだ。
後漢王朝の将軍は臨時職であり、普段は置かれていない。
その絶大な権力が危険視され、常設の武官職はより権限の小さい「中郎将」や「校尉」などに限定されているのだ。
それはなぜか。
答えは将軍に許された「開府」と「斧鉞」にある。
「斧鉞」については先に述べたように、将軍が自分の指揮下の軍を自由にできる権限をいう。
遠征先でいちいち遠くの皇帝の意思を聞いていたら、勝てる戦も勝てなくなる恐れがある。
そう考えれば将軍に独裁的な権限が与えられるのは当然だが、一方で将軍と兵が親分と子分の関係のようになってしまう危険性もある。
「開府」とは、「府」と呼ばれる専用の役所を持てる権限のことだ。
これは何も将軍だけに認められた権限ではなく、例えば三公も開府が認められており、彼らの役所は「三府」と通称されていた。
宰相や軍司令官ともなれば抱えるべきスタッフの数も多くなるのは当然だが、大きな軍事力を持つ将軍ともなると意味合いが少し変わってくる。
大勢の「子分」を従えているうえに独自の役所まで持っているとなると、その気になれば簡単に独立した政府をつくることが可能になるのだ。
(それにしても、皇后の兄というだけで大将軍だと!?つい先年まで豚殺しを生業にしていた男が!!)
張譲の「静かなる毒はき」は止まらない。
大将軍となれば、「上公」といって三公の上に位置するものとされていた。
つまり、宰相の上の大宰相と言うべき立場だ。
このため、後漢王朝において大将軍には皇帝のファミリーである「外戚」が任じられることが慣例となっており、何進もその例にならったものと言える。
軍と巨大な行政府を握るのだから、その権勢は張譲ら宦官にとっても重大な脅威だ。
そもそも、「大宰相」と化して手に負えなくなった外戚の大将軍を排除するため、皇帝の新たなファミリーとして重宝されたのが宦官なのだから、彼らは互いに対立関係になる宿命と言えた。
それにも増して張譲にとって腹立たしいのが、何進が世に出るきっかけをつくったのが自分自身であることだった。
父親を早くに亡くして没落しかけ、豚の屠殺業という「副業」で細々と財産を保っていた何家の美貌の娘に目をつけ、後宮入りさせたのは張譲であった。
それがいまや大輪の花を咲かせて皇后まで登りつめ、おかげで霊帝の張譲に対する信任はいっそう厚いものとなった。
だが、皇后のおまけのように拾われた、つい数年前まで豚殺しを手仕事としていた兄とかいう男が、ついに張譲らの強力なライバルとなって立ちはだかることになったのだ。
少々身勝手ではあるが、張譲は飼い犬に手を嚙まれたような思いを持ったのだった。
「張常侍、蹇常侍。そう悲観することもございませんよ。」
不意に横合いから、やや甲高いが優しげな声が割って入った。
それまで静かに2人の様子を見守っていた肥満体の宦官であった。
声だけでなく、その丸い顔にも常に笑顔がたたえられ、周囲に優しげな印象を与える。
彼こそ、霊帝が「我が母」と称した大長秋の趙忠である。
前にも紹介したとおり、大長秋とは宦官の最高位の官職だ。
ただ、趙忠は張譲や蹇碩より位が高くなっても、その慇懃な物言いに少しも変化は見られない。
しかし、付き合いの長い張譲は、途端に緊張の色を強めた。
張譲は知っていた。
糸のように細く外からはなかなか見えぬ目の奥が、刃のように鋭く光っていることを。
常にその頭脳が間断なく回転し続け、尋常ならざる智謀を生み出すことを。
趙忠が発言を始めたということは、何か容易ならぬ策謀が生まれたことを意味していたのだった。
張角が決起し、ついに「黄巾の乱」が勃発しました。
対応を迫られた後漢王朝を実質的に動かす者として、今話では3人の宦官が登場となりました。
一番年かさの張譲は以前に一度登場していますが、「鷲」をイメージさせるような冷徹で眼光鋭い厳父タイプ。
年齢的には真ん中になる趙忠は、一見温和な慈母のような存在ながら智謀に優れる黒幕タイプ。
最も年下の蹇碩はよく言えば素直、悪く言えば単純で、謀略よりも武力で物事の解決を図る「脳筋」キャラ。
以上のように3人のキャラクターを設定しております。