第66話 李傕、死す
(洛陽へ帰りたい・・・。)
餓狼のすみかのようになった長安を脱出し、どうにか弘農郡へ向かった献帝が一心に願うのはそのことだけである。
数年前に董卓軍によって徹底的に焼き払われた洛陽に行ってもかつての生活を取り戻せるあてはなかったが、まだ少年に過ぎない献帝にとって洛陽はかけがえのない故郷であった。
李傕がもったいぶって腐った肉を捧げてくるような暮らしよりはまだまし、と献帝は必死に前を向こうとしているのだ。
(真の忠臣は、もうおらぬのか・・・?)
李傕と郭汜を仲裁した張済も信用が置けなかった。
現在、献帝の一行は張済が駐屯する弘農郡の陝県へと向かっているのだが、彼は李傕らのかわりに献帝を手中に収め、利用するつもりであることが明らかだった。
献帝に付き従ってくれる臣下にはまだ忠義の心が期待できたが、彼らは献帝を李傕らの魔の手から守るだけの武力を持っていない。
「華陰へ参りましょう。」
献帝の苦悩を察した太尉の楊彪が意見を具申した。
弘農郡の最西部に位置する華陰県には董卓の残党のひとりである段煨が駐屯している。
楊彪も張済は信用できないとみていた。
張済も李傕や郭汜らと同様に過酷な支配を行っており、それは「統治」というより「収奪」であった。
その点、同じ董卓の旧将でありながら段煨は略奪を行わず農業を振興するなど穏健な支配者である。
楊彪はその段煨に頼るべき人物を見出したのだ。
「彪がそう申すのなら・・・。」
献帝は楊彪の献策を容れた。
張済が今ひとつ信用できない以上、他に選択肢はなかった。
段煨は快く献帝を受け入れ、衣食や車馬を献上した。
しかし、これが新たな騒乱を生んだ。
このとき献帝一行の護衛として董承や楊定、楊奉といった連中が従っていた。
董承は献帝の後援勢力であった董皇太后一族の生き残りであり、献帝の妃の父でもある。
つまり献帝が頼りにする親族であったが、気が短くあまり賢明な人物ではない。
楊定や楊奉はかつて李傕に従っていたが、今は離反して献帝につき従っている。
ともに涼州出身であるが、楊定は呂布や李粛などとともに元々王允政権の一員であり、楊奉は白波賊の頭目であった過去を持ち、李傕らとの親交は薄かった。
彼らはどちらかといえば献帝への忠義というよりも権勢を振るう李傕や郭汜らに嫉妬し、献帝に接近した連中である。
にわかに段煨が頼りにされるのを見て嫉妬に駆られ、これを排斥しようとした。
特に楊定は元から段煨と仲が悪く、段煨が背こうとしているとあれこれ申し立て、ついには自分の軍勢を率いて段煨の陣営を襲撃した。
献帝にしてみれば、愚にもつかぬ味方同士の小競り合いである。
段煨への信任をアピールし、楊定らをなだめもしたが、血の気の多い楊定らはまったく収まらない。
このトラブルを聞いた李傕と郭汜は手を打って喜んだ。
仲間割れしている今ならば、献帝をもう一度取り戻すことができる。
李傕らは「段煨を助ける」と呼号し、軍を華陰県へ向けた。
彼らにとって自分たちに明確な敵意を向けたことのない段煨は敵ではなく、自分たちのもとから逃げ出した楊定らこそ討つべき敵であった。
楊定は郭汜らと戦ったがあっけなく敗れ、そのまま軍も何もかも捨てて荊州方面へ逃走した。
残った董承や楊奉らは献帝を「護衛」しつつ、いまや危険となった華陰県を出て東へ向かった。
献帝は段煨を信任していたが、董承らにとって段煨との共闘など思いもよらぬことだった。
だが、このタイミングで張済が寝返った。
彼は本拠地の陝県で献帝を擁立するつもりであったのにあてが外れ、献帝は華陰県から動こうとしない。
それならばと李傕らと手を結び、邪魔な董承らを討ちにかかったのだ。
弘農郡の東澗というところで決戦が行われ、董承や楊奉の軍はさんざんに敗れた。
この紛争に巻き込まれるかたちで献帝に従っていた高官や衛兵たちにも多数の犠牲者が出た。
足手まといとなる女性や物資、財宝などを捨て、献帝一行は曹陽亭というところまで逃げた。
勝った李傕らの軍は残された「戦利品」を残らず略奪した。
追い詰められた董承らは外から援軍を求めることにした。
黄河の北岸に広がる河東郡は強大な白波賊が広大な地域を実効支配している。
董承は献帝に迫って詔を出させ、彼らを招いて李傕らに対抗することにした。
至尊の地位にあるはずの天子が反乱軍に助力を乞うたのであり、まさに世も末であった。
董承らの求めに応じて白波賊や南匈奴の軍勢が来援し、一度は李傕軍を奇襲して破ることに成功したが、やって来た数千の軍勢では万を超える李傕らの軍を圧倒することはできなかった。
再び行われた戦いで董承らは大敗し、ついに献帝は白波賊が用意した舟をつかって黄河を渡り、河東郡に逃げ込んだ。
しかしながら、ここに至って献帝はようやく安寧を得ることができた。
李傕らには十分な舟の用意がなく、補給の難もあって黄河を越えての進軍ができなかったからだ。
その後、献帝は河内郡の太守である張楊の援助を受け、196年7月に洛陽へと帰還を果たすことになる。
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李傕と郭汜が献帝を取り逃がしてから2年あまりが過ぎた。
(俺もこれまでか・・・。)
城外に林立する敵の旌旗に目をやり、李傕は嘆息した。
彼が立てこもる池陽の黄白城は謁者僕射の裴茂率いる官軍の重囲を受け、まさに風前の灯の状態にあった。
さすがの李傕も、もはや巫女の神託を求める気を失っていた。
掌中の珠であった献帝に去られた李傕は、急速にその求心力を失った。
洛陽への帰還を果たした献帝は李傕や郭汜、張済らの官職を剥奪し、李傕らは名実ともに地方軍閥に転落した。
ここで段煨のように支配地域の内政にいそしんで勢力基盤を固めれば良かったのだが、あいにくと李傕たちにはそのような発想はない。
相変わらず武を振りかざし、収奪を繰り返した。
数年来の戦乱の影響も相まって、長安を中心とする関中盆地は「人影が消えた」と言われるほど荒廃することになってしまった。
こうなると、李傕らも無事にはすまない。
いくら強力な軍を持っていても、それを維持するための物資がなければいけないわけで、次第に窮地に陥ることになった。
張済は本拠地の陝県周辺を食い尽くし、より豊かな土地を求めて南下し、南陽郡を攻めた。
しかし穣県というところを攻めているときにあえなく戦死し、残された軍勢は甥の張繡に受け継がれた。
張繡は単独で勢力を維持し続けることの不利を悟って荊州牧の劉表と手を結び、謀臣の賈詡の力を借りて南陽郡を実効支配するようになった。
郭汜はもっと悲惨だった。
すでに李傕との争いのときに勢力は衰えはじめており、ついにはその手勢は数百にまで減ってしまった。
李傕と和解後の郭汜は事実上従属する存在となっていたが、やがて長安周辺で勢力を維持することが難しくなり、美陽侯として与えられた領地である右扶風の美陽へ逃げ、そこから涼州へ落ち延びようとした。
だが、郭汜の将来に見切りをつけた部下の伍習という男が裏切り、郭汜は殺されてしまった。
張済も郭汜も、その死は奇しくも同じ197年のことであった。
こうして李傕の与党というべき勢力はほとんどが滅びたり、遠方へ逃れたりして李傕の周りからいなくなってしまった。
そして、わずかに池陽周辺を維持する小勢力に転落した李傕のみが残された。
当然ながら李傕だけが運命から逃れられるはずもない。
李傕討伐の詔を受けた裴茂が段煨など司隸西部の諸勢力を糾合し、いよいよ李傕を攻めて来たのであった。
「さて、逝くか。」
李傕はつぶやき、腰に佩いた剣を抜き放った。
董卓の死後、献帝を追撃するなかで戦場で拾った名剣である。
すらりとした刀身は陽光を受けてまばゆくきらめき、柄には宝石が散りばめられている。
同じく黄金や宝石で飾り立てられた鞘もあわせ、天下にふたつとない宝剣であった。
おそらくこのような乱世に見舞われなければ、宮中の奥深くに秘蔵されて李傕のような者の目に触れることはなかったに違いない。
李傕は宝剣をしばらく眺めた。
絶大な権勢もいまや潰え、李傕の手に残ったのはこの剣だけである。
泡沫の夢のようだった日々を証するものは、もはやこれだけのように李傕は感じた。
やがてフッと息を吐き、李傕は刃を己の首筋に当てた。
次の瞬間、鍛え抜かれた彼の剣技はあやまたず自らの首を切り裂いた。
噴き上がる血潮を残し、李傕の命はこの世を離れた。
李傕の死により、黄白城は間もなく落ちた。
李傕の三族は皆殺しにされた。
李傕の死により、董卓が築いたその政権は完全に崩壊した。
董卓は辺境の軍人から身を起こし、当初その望みは世の乱れに乗じて半独立勢力をつくり上げることであった。
ところが、思わぬ幸運で武力を背景に首都洛陽を制圧し、政権の奪取にまで成功してしまった。
董卓は名士層との協調を打ち出して安定政権をつくろうと試みたが、異質な董卓に対して反発する名士が多く出た。
それにより董卓政権は洛陽を失い、長安への遷都を余儀なくされた。
董卓は名士との協調という政権安定の策は持っていたが、新しい時代を切り開く政策は持ち合わせていなかった。
結局、彼は王朝の破壊者であり新秩序の創造者ではなかった。
ましてや彼の後継者たらんとした李傕らは主の遺産を食いつぶすだけの存在でしかない。
董卓とその与党によって中央政府の求心力は完全に失われ、世は群雄割拠に向かっていく。
新時代の創造者は彼らではなく、その群雄のなかにいるのであった。
今話にて『2章 天を壊す者【董卓伝】』が終了となります。
すでに霊帝の晩年には統治能力の喪失を露呈しつつあった後漢王朝ですが、何進と宦官の共倒れやその後に政権を握った董卓への大反乱が起こったことで完全に力を失ってしまいました。
都も洛陽、次いで長安が戦乱によって壊滅し、朝廷は名ばかりの存在となってしまいます。
このような状況下で各地には群雄たちが割拠しはじめ、その勢力争いへと突入していきます。
群雄たちには様々なブレーンがつき、漢王朝を復興するのか、それとも新しい体制を創っていくのか、あるいは地方での自立を目指すのか思惑が錯綜することになります。
次章では、対照的な考えを持つブレーンふたりについて取り上げるつもりです。




