第6話 馬元義、死す
「張常侍、お目覚めくださいませ。訪客にございます。」
「うるさいっ!気持ちよく寝ているところを起こす奴があるか!!」
心地よい睡眠をさまたげられた張譲は、ためらいがちに声をかけてきた宦官を怒鳴りつけた。
その声は不機嫌そのものであり、牀(ベッド)から起き上がる気配もない。
まあ、無理もない。
誰でも熟睡しているところを無理やり起こされては、不機嫌になろうというものだ。
「しかし・・・」
「まだ言うか!!だいたい、こんな夜更けにやってくるなど、ろくな奴ではあるまい。あるいは妖怪の類かもしれぬ。どこの誰だか知らんが、追い返せ!!」
「それが・・・陛下の御命に関わることで参ったと申すのです。」
「・・・馬鹿者!!なぜ、それを早く言わん!!」
老境にさしかかった張譲だが、思いのほか機敏な動きで牀から起き上がる。
皇帝あっての張譲である。
その皇帝の危機とあれば、とても無関心ではいられない。
「で、誰なのだ。物騒な話を持って参ったのは。」
「近頃出入りを始めた、唐周とかいう商人でございます。」
「おう、その者の名には覚えがある。いきなり大層な貢物を持って参った冀州の商人じゃな。・・・よし、会おう。」
やがてガチガチに緊張した様子の唐周が案内されてやって来た。
明らかに身体が震え、挨拶の口上も声が裏返り、かすれて何を言っているのか聞き取りにくい。
あまりの緊張ぶりに、皇帝ではなくお前の命の方に危険があるのではないのか、などと張譲は心の中で毒づく。
「それで、陛下の命に関わる大事とは何なのだ?」
「・・・はい。この洛陽で・・・挙兵しようと・・・する企みが・・・。」
口の中が乾ききっているのか、唐周の言葉はなかなか出てこない。
張譲がやっとのことで聞き出すと、馬元義の恐ろしい計画が浮き彫りとなった。
「何と・・・!」
さすがの張譲も言葉が出ない。
だが、徐々に事態を認識するにつれ、張譲の頭の中で警報音のようなものが鳴り響いた。
そして、何かに脳をつかまれたかのように、張譲はバタバタと動きはじめる。
「こうしてはおれぬ、陛下を叩き起こし・・・いや、張譲が御目通りを願っていると申し上げよ。これ、誰か紙に筆、硯を持て!!」
すぐに近くに控えていた宦官が皇帝の寝室に向かってすっ飛んでいく。
紙などが持って来られ、詔勅(皇帝の命令書)の起草が始まる。
「あのう・・・せめて私めの命はお助けいただきたく・・・」
「わかった、わかった。沙汰は後日じゃ。」
にわかに慌ただしくなった室内で放置されていた唐周は、控えめに命乞いをはじめたが、もはや誰もまともに相手にする余裕がない。
適当な返事を与えられて、そのまま追い出されてしまう。
やがて張譲は書きあげられた詔勅の文面に急いで目を通し、内容を確認すると皇帝の寝室へと向かった。
「張常侍、何事じゃ。まだ夜は明けておらぬではないか。朕(皇帝の一人称)はまだ眠い。」
「一大事でございます。この洛陽にて凶事を成そうとしている者があることがわかりました。」
「一大事?」
「はっ、陛下の御命にも関わることでございます。勝手ながら詔勅のご用意をいたしました。御目通しを!!」
「・・・それは明朝ではだめなのか。」
霊帝は何度もあくびをし、いかにも眠そうである。
さっさと話を切り上げて、もうひと眠りしたいという思いが全身にあらわれていた。
この様子では、お気に入りの張譲だからこそ会ってくれたが、他の者ではそのまま放っておかれたかもしれない。
自分の命に関わることなのに悠長な、と張譲は心中で毒づくが、さすがに表には出さない。
とにかく、皇帝の命令がなければ何事も進まないのだ。
張譲は長年の経験から、こういう場合に手っ取り早くすませるやり方を心得ていた。
「陛下、事は急を要します。なに、この詔勅に玉璽(皇帝の印章)を捺していただければ結構でございます。あとはこの張譲にお任せを!」
「うむ、そうか。よきに計らえ。」
霊帝は億劫そうに玉璽にたっぷりと朱肉をつけると、用意された詔勅を見ることもせず、そのまま捺した。
それが終わると、大あくびをしながら立ち上がり、牀へ向かって歩いていく。
その後ろ姿に向かって頭を下げる張譲の顔には、安堵の表情が浮かんでいた。
皇帝が内容を確認していようがいまいが、詔勅は詔勅である。
玉璽が捺された時点で、張譲が勝手に作らせた文書はそのまま皇帝の命令となるのだ。
それをくつがえすことは、何人たりともできない。
「綸言汗のごとし(天子が言った言葉は、汗がひっこまないのと同様になかったことにはできないという意味)」というやつである。
霊帝を見送った張譲は、自室へ戻ると声を張り上げた。
「詔勅はいただいたぞ。早速、三公(宰相)や司隷校尉に下せ!鉤盾令の周斌に三府の属を率いさせ、乱をなす賊どもをひっ捕らえるのじゃ!!賊どもは黄巾を持っておるとのこと。よいか、黄巾を持つ者をすべて捕らえよ!」
張譲が伝えた詔勅の内容に一見不審な点はない。
三公とは宰相のことであり、司隷校尉とは首都圏の軍隊を指揮する軍司令官のことだ。
このような大事件の取り締まりのために宰相や軍司令官に皇帝の命令が下されることは、当然としか言いようがない。
問題は、その伝達に宦官である張譲が深く関わっていること、いやむしろ張譲がすべての絵を描いていることだ。
ちなみに、実際の取り締まりを命じられた周斌という人物が張譲の息のかかった者であることは言うまでもない。
彼は鉤盾令という宮中や洛陽近郊にある皇帝の庭園や池を管轄する官職にありながら、なぜか宰相の役所の属官(三府の属)を率い、取り締まりに当たることを命じられていた。
建前だけは取り繕いながら、張譲の思うがままに後始末をしようという意図が透けて見える詔勅なのだ。
とは言え、張譲が周囲の宦官たちに命令を下すその姿には断固たるものがあり、雷に打たれたかのようにみな慌てて使いへと走っていく。
その様子を泰然と見送りながら、張譲は内心冷や汗をかいていた。
(危うく、賊の首領に祭り上げられるところであったわ。張角やら馬元義やら申す賊ども、断じて許さぬ。八つ裂きにしても飽き足らぬ奴らじゃ!まぁ、でも、わしが望むままに陛下の詔勅は得たし、こたびもわしの身は安泰というものじゃ・・・。)
何とか首がつながったことに安堵し、張譲は大きく息をはいた。
宮廷では、ちょっとしたことをきっかけに多くの血が流れる。
張譲が後宮に入ってからも、ほんのわずかな油断をつかれて何人が非業の死を遂げたことか。
それを目の当たりにして、張譲はこれまで慎重に身を処してきた。
どうやら、今回も無事に生き残ることができそうだ。
夜空は、ようやく白みかけていた。
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「ドーン!」という衝撃と、「バリバリッ!!」という音で、馬元義ははね起きた。
枕元に立て掛けてあった剣を引き寄せ、腰に佩くと着替えもそこそこに部屋を出た。
そのまま隣家へと続く裏口へと向かう。
(計画が洩れたか。)
尋常ではない音がした時点で、馬元義は官兵が踏み込んできたことを察していた。
大胆な計画を立てるが、馬元義には細心な一面がある。
音の原因を確かめに行くことも、屋敷内にいるはずの唐周をはじめとする手下を待つこともしなかった。
そのようなことに時間を「空費」している間に、手遅れになる可能性がある。
それならば、とあらかじめ用意した脱出ルートを使って逃走を試みたのだった。
馬元義が拠点としている屋敷の隣は空き家になっている。
だが、実際は馬元義が買い上げ、脱出ルート兼秘密の倉庫として使っていた。
広大な隣家には物を置く場所がたっぷりあり、夜に裏口を使って出入りすれば人目につかない。
そして、いざとなればここを通って外に出れば、安全に逃げられるという寸法だった。
馬元義は隣家の建物内に入ると衣服を着替え、砂金のつまった皮袋を懐にねじ込んだ。
このまま城外へ逃れ出るためには、城門の門衛を買収しなければならない。
地獄の沙汰も何とやら、である。
(孫夏がいれば・・・。)
唯一の心残りは、馬元義の腹心である孫夏が、洛陽の民の扇動に目処がついたと言って数日前に南陽郡へ向けて発ったことだった。
屋敷に踏み込まれた以上、城外の拠点も手入れの対象になっていると考えねばならない。
孫夏ならば、独自の判断で城外にいる1千人以上の仲間を素早く逃がすことだろう。
その場合、馬元義は一刻も早く洛陽を出て冀州へ戻る算段だけを考えればよい。
だが、いま城外にいる者たちにそこまでの判断ができるかどうか。
何とか城外へ逃れ出て、馬元義自らが指導しなければなるまい。
手早く用意を整えると、馬元義は隣家の裏口の戸をわずかに開け、するりと身を滑り込ませた。
音を立てないよう、細心の注意を払う。
大柄な身体が実に滑らかに動く。
だが・・・。
「動くな!」
隣家を出たとたん、馬元義は十数本の戟に囲まれた。
戟とは、槍の先の方に別の刃がついたような長い歩兵用の武器のことである。
突き刺したり、薙ぎ払ったり、馬上の敵の衣服や鎧をひっかけたりして使える、使い勝手のいい武器だ。
馬元義が持つ剣などとはリーチが違いすぎ、しかも数が多いともなればどうしようもない。
なすすべなく馬元義は縄で縛りあげられ、そのまま衛兵たちの詰所へと引き立てられていった。
(誰が裏切ったのか・・・?)
秘密の脱出路の出口にまで張り込まれていたことで、さすがに馬元義も身内の、しかも幹部クラスに裏切り者が出たことに気づいた。
それが唐周であるとまでは気づかなかったが、ここまで情報が洩れていることを思うと、城外の各拠点も無事にはすむまい。
馬元義の心に、暗然としたものが広がっていった。
そこからの展開は急であった。
城内の屋敷だけでなく、城外の各拠点も急襲され、1千以上の太平道のメンバーとされる役人や衛兵、民が次々に捕らえられた。
文字通りの一網打尽であり、もちろんその多くが裏切った唐周が語った詳細な情報に基づく摘発であった。
ただ、関与が疑わしい者や何の関わりもないのにどさくさ紛れに拘束された不幸な者も少なくなかった。
翌日、馬元義は市場に引き出され、大勢の民衆が見守るなかで処刑された。
捕まった他の「メンバー」たちの運命も同様だった。
唯一助命されたのは、反乱の情報を事前に通報した「功労者」の唐周だけであった。
だが、太平道のメンバーの中には危うく手入れを逃れた者もおり、その数は一人や二人ではなかった。
危うく洛陽盆地を逃れ出た彼らは北へ走り、冀州の張角のもとへと急行した。
まさかの部下の裏切りで、馬元義さんが退場となりました。
馬元義の計画は潰えましたが、「黄巾の乱」はここからが本番となります。
次回から本格的な戦乱が始まります。