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三国志天の記  作者: 沖家室
序章 天をくつがえす者【張角伝】
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第5話 馬元義、暗躍する

「お呼びでしょうか。」


「おう、唐周(とうしゅう)か。そんなにかしこまらなくていい。楽にしろ。」


 馬元義(ばげんぎ)の呼び出しに応じ、間もなく姿を現したのは小柄で細面の男だった。

 全体的に貧相な印象を受けるのは、のばそうとしても薄くしか生えないヒゲのせいではないだろう。

 馬元義や孫夏(そんか)に比べると、生真面目な印象は受けるものの腹の据わり方に何かしら弱さを感じさせるたたずまいなのである。


 ただ、馬元義にとって唐周は昔から貴重な部下である。

 商人時代からその実直さを買って仕事を任せてきたし、何より馬元義を太平道に引き込んだのは唐周だ。

 唐周が先に張角の教えに触れて弟子入りし、太平道を馬元義に紹介したのだ。

 現在は各地を忙しく飛び回る馬元義にかわり、洛陽の太平道の拠点を統括する任を与えられていた。


「後宮の宦官どもとうまくつながりは持てたか?」


「はい。中常侍の封諝(ほうふう)徐奉(じょほう)といった面々とはつながりを持つことができました。」


「弱いな。」


 馬元義はかねてから唐周に後宮の宦官と接触し、これを手なずけるよう密命を与えていた。

 それに応えて唐周は運動を重ね、その成果が2人の中常侍と親密になれたことであった。

 中常侍と言えば宦官でもトップクラスの実力者であり、そのうちの2人への工作がうまくいったのだから、いつもどこか自信なさげな唐周としては胸を張れる成果のつもりだった。

 だが、馬元義の反応は芳しくない。


「封諝は、中常侍でもどちらかと言えば董太后(とうたいごう)に近い奴だろう?たぶん後宮内での力も知れている。もっと皇帝に近い実力者をねらえ。」


 董太后とは、現在の皇帝である霊帝(れいてい)の生母だ。

 後宮内で一定の勢力は持っているが、成長して皇后や妃を持つようになった霊帝への影響力は衰えていると聞く。

 現在は霊帝の皇后である何氏(かし)と鋭く対立し、皇帝はむしろ寵愛する何皇后(かこうごう)の側に立っているらしい。

 そのような状況であれば、董太后側である封諝らの力はたかが知れている。


「はぁ。・・・と言いますと?」


 感情を押し殺したような声で唐周が聞き返す。

 手柄を全然褒めてもらえず、内心ムッとした様子である。


「・・・張譲(ちょうじょう)。」


「いや、それは・・・。」


「張譲だ。そうだな、二旬(20日間)以内に頼む。」


「・・・わかりました。」


 張譲は封諝や徐奉と同じ中常侍だが、その権勢は比ではない。

 何しろ、先に名前の挙がった蹇碩(けんせき)趙忠(ちょうちゅう)といった面々とともに、現在の後漢王朝の主である霊帝が最も信頼する人物のひとりである。

「張常侍(張譲)は我が父、趙常侍(趙忠)は我が母」とは霊帝自身の言だ。

 養子の張奉(ちょうほう)という者の妻は何皇后のの妹であり、張譲は皇后とも強いつながりを持っていた。

 と言うより、元々何皇后の後宮入りを後押ししたのが張譲だ。

 皇帝や皇后に対して絶大な影響力を持っているのは間違いない。


 つまり、馬元義は宦官の親玉のような人物を口説き落として味方にしろと命じたのだ。

 封諝らに食い込むだけでもけっこうな時間と金を費やしたのに、相手が張譲ともなるとそれがどれくらいになるか見当もつかない。

 唐周が息を呑んだのも無理はない。


 ただ、馬元義の考えは違う。

 張譲はとにかく金に汚いという評判の人物だ。

 大金を積めば、つながりを持つことはそう難しくない。


 もちろん、馬元義が求めるのはその先だ。

 それも、十分に狙い目があると馬元義は踏んでいた。


 宦官がいくら勢力を持っていると言っても、所詮は皇帝次第だ。

 皇帝が替われば、今のような権勢を保ち続けられる保証はない。

 太平道に恩を売っておくことも悪くないと思わせれば、こちらのものだ。

 あとはうまくこちらに引きずり込み、抜き差しならぬ立場に追い込んでしまえばいい。


 その辺りの最後の仕上げは自分がやろうと馬元義は考えていた。

 唐周に期待するのは、今の封諝らとの間に築いているような関係を張譲との間にも築くことである。

 決起に向けて馬元義にはやることが山積しており、任せられることは部下に任せなければとてもやってられないのだ。


 不承不承といった様子だが、今まで一度も馬元義の命令に背いたことのない唐周は今回も承諾した。

 ただ、馬元義の胸の内を知らない唐周は、なぜそんな大物と接触したがるのか疑問を抑えることができないようだ。


「あのう・・・よろしいでしょうか。」


「何だ?」


「張譲に渡りをつけて、何をなさるおつもりで?」


「実はな、このところ冀州や兗州の刺史や太守たちが俺たち太平道の取り締まりを行おうとひそかに動いているらしいんだ。」


「えっ・・・!」


師君(しくん)(大賢良師張角のこと)もそのことを憂慮(ゆうりょ)され、先日広宗(こうそう)において弟君や大方(だいほう)である俺に意見を求められた。俺は洛陽行きを願い出て、そしてここへ来たというわけさ。」


(ほう)」という組織が太平道における支部組織であることは前に述べた。

「大方」とはその中でも規模の大きい支部のことを指し、この場合馬元義はその支部のリーダーである自分のことを指して大方と言っている。

 教団内部では馬元義のような大方の「渠帥」を、正式名称ではなく「大方」と呼ぶ方がむしろ一般的になりつつあった。


 さて、教団が直面する厳しい状況を聞かされた唐周は、にわかに緊張しはじめた様子である。


「では・・・張譲らを通じて帝に赦免(しゃめん)(免罪)を願い出られると?」


「いや、違う。」


 馬元義は短く言葉を切り、唐周を見つめた。

 唐周の面上には不審の色が浮かんでいる。

 実直さが取り柄のこの男からは、馬元義が考えたような過激な計画は出てくることはないであろう。


「・・・宮城の門を開かせる。」


「それはどういう・・・?」


「兵を挙げ、宮城を占拠し、皇帝の身柄を押さえるということさ。常に側に仕え、皇帝の信頼が厚い男なら、宮城の門を開かせることも容易い。」


「そ、そんな大それたこと、ご再考ください!師君は、師君はこのことをご存じなのですか!?」


「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。師君の、いや天公将軍のお言葉だ。師君は将軍を名乗られ、漢朝の天を武でもって倒すことを決意されたんだ。ほれ、この戦に参戦するものはこれを着けよとの仰せだ。」


 馬元義がうやうやしく懐から取り出して見せたのは、黄色い布だ。

 黄天をともに戴く同志を示す証として、頭巾にこの黄色い布を使うようにというのが張角の命令だった。

 教団の一体感を強めるためだが、こういう発想力については張角の右に出る者はいない。

 張角よりはるかに知恵や実務処理能力に長けた馬元義も、張角のカリスマ性には深く尊敬の念を持っていた。


「そんな・・・。」


「考えてもみろ。この洛陽には百万を超えるという人間がひしめいている。なのに、城内の兵と言えば1万足らずだ。周辺からかき集めてもせいぜい2,3万といったところだろう。皇帝を押さえ、民を扇動すれば洛陽は簡単に俺たちの手に落ちる。すでに俺たちはこうして城内にいるし、あとは宮城の門1枚だけなんだ。」


 馬元義の言う通り、後漢の都・洛陽は人口百万以上を抱え、この時代では世界最大規模の巨大都市である。

 皇帝が住まう宮城や行政府を囲む城壁も周囲15kmに及び、その高さは10m前後、幅は20m以上という堅固さであった。

 これほどの巨大な城ともなると門の数も当然多く、東西に各3つ、南に4つ、北に2つの計12の門が設けられていた。


 それでも、この「都内」と言うべき城壁内のほとんどは宮城や役所が占め、朝廷の高官など一部の有力者が邸宅を構えるほかは居住スペースは驚くほど少ない。

 辛うじて城内の西に位置する「金市」の辺りに富裕な大商人が屋敷を持っている程度で、その巨大な人口のほとんどを構成する庶民は城外に住まいを求め、雑然とした「下町」を形成していた。

 後の唐王朝の時代の長安城のような碁盤目状の整然とした都市区画などはなく、この時代の洛陽はおよそ計画的な都市とは言い難かった。


 ただ、都市の発展は必ずしも計画性とは無縁である。

 洛陽の繫栄は後の長安に勝るとも劣らず、活発な商業活動によって中華の首都にふさわしい活況を呈していた。

 経済発展に銅銭(五銖銭(ごしゅせん))の供給が追い付かず、人々は絹や布を貨幣のかわりに利用し、活発な商取引を行った。

 洛陽は商業都市としての性格が強く、純然たる農民は人口の1割程度である。

 ましてや、皇帝や政府関係者はそれよりさらに少ない人数しか存在していない。

 いくら皇帝や支配層がふんぞり返っていても、洛陽経済の主役は商工業者であった。


 この中華一の経済都市に対し、太平道の最高幹部である馬元義はすでに深く食い込んでいた。

 有力な大商人のひとりとして本拠を城内の金市周辺に構えた屋敷に置き、城外の複数の市場にも店舗に見せかけた拠点を設け、総勢1千人以上の仲間を潜り込ませている。

 後漢王朝の失政は洛陽とて無縁ではなく、彼らを使って扇動すれば不満を持つ民を一気に数万単位で味方につけることも可能と思われた。


 一方で、これも馬元義の言う通り、洛陽に駐留する軍事力は驚くほど少ない。

 総兵力は1万前後しかなく、しかもその多くは宮城の警備に割かれている。

 宮城の門さえ開くことができれば、成功の可能性は十分にあるのだった。


「とにかく、張譲に渡りをつけ、宮城の門を開かせるように仕向けるんだ。これから忙しくなるぞ。すぐにかかれ。」


「・・・はい。」


 緊張しきって青ざめた顔の唐周に対し、言い渡すように再度命令を伝えると、馬元義は手を振った。

 もう下がってよいとの合図だ。

 一気に疲れたといった様子で、唐周は足取り重く部屋を出ていく。

 ほとんど入れ替わるようなタイミングで孫夏が入って来る。


「おかしら、唐周はずいぶんと青い顔をしてましたぜ。」


「孫夏か。お前、また人の話を盗み聞きしていたな。相変わらず癖の悪い奴だ。まぁ、ちょうどいい。お前を呼びにやろうと思ってたんだ。」


「城内や城外で民を煽る役目ですかい?」


「察しがいいな。こういうのはお前みたいな勢いのいい奴が適任なんだ。銭も絹も武器も、景気よくばらまけ。いいな、三旬(30日間)でなるべくたくさんだ。で、それが終わったら、また別の任務をやる。」


「別の任務って何ですかね?」


「まったく気が早い奴だな。・・・荊州に行って、新しく信者となった連中を鄴へ引っ張って行くんだ。揚州へはもう別の奴を向かわせてある。2つの州から冀州へ数万人を移動できれば、天公将軍が挙兵するとき、大いに助けになるだろうよ。」


「なるほど、そりゃあいい。手っ取り早くばらまき終わって、すぐに南陽へ向かいやすぜ!」


「おいおい、ただばらまくだけじゃなくって、ちゃんと決起に参加させるんだぞ!?」


「わかってまさ!!」


 こうして、洛陽入りした馬元義は手際よく約1ヶ月後に迫ったXデーに向かって準備を進めていた。

 だが、その大胆な計画は、結局のところ彼の思い通りにはいかなかった。

 思いもよらぬ人物が、その遂行に待ったをかけたからだった。

思いのほか馬元義の洛陽での活動の回が長引きましたが、次回でラストとなります。


今回登場した唐周は実在の人物ですが、「張角の弟子」ということ以外史実では記載がありません。


となると創作の余地がおおいにあるわけで、勝手に馬元義の古くからの手下で馬元義を太平道に引き込んだ張本人という役回りを引き受けてもらいました。

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