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三国志天の記  作者: 沖家室
4章 天に尽くす者・侵す者【諸葛亮・曹丕列伝】
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第191話 曹丕、魏諷を誅す

曹仁が苦戦し、于禁が敗れ、徐晃が何とか勝った、荊州の対関羽戦。

その行方は曹操が中原への帰還を早めると決めるほどの影響を持った。

徐晃がようやく関羽軍を漢水の北岸から一掃し、曹仁が籠る樊城を解放したことで、ようやく最悪の状況を脱したものの、関羽は漢水南岸に軍をとどめ、襄陽城はなおその包囲下にあった。


この一連の出来事に関与できなかった曹丕は、さらに不満を募らせていた。

彼が任されていたのは鄴城の守りと魏王朝の朝廷の留守を預かること。

ようやく王太子と認められた身である彼にとって、魏王曹操の代理として鄴の朝廷を差配することは重要な役割ではあったのだが、それだけでは不満だったのだ。


曹丕が不満に思っていたのは、彼に任された任務が重要であっても歴史書に残るような大事ではないことだった。

本音を言えば、軍を率いて戦ってみたい。

特に国難と言うべき関羽軍の侵攻に対し、大将としてこれを撃退し、自分の名声をさらに高めたい。

それが為せない現状に、不満を募らせていたのだ。


ただ、曹操が曹丕を起用しなかったのには理由がある。

曹丕には将として別働軍を率いた経験がない。

従軍経験はあるが、それは曹操率いる大軍の一員としてのもので、将として軍を統率したわけではないのだ。

そのような人物をいきなり国難に関わる重要な戦場に将として送り込むわけにはいかない。

当たり前と言えば当たり前のことである。


しかし、曹丕はそのことには思い当たらず、自分が軍を率いることができないことを憤っている。

自分が軍を率いて負けるとは欠片も思っておらず、これでは曹操の判断が正しいと言うしかないであろう。

ただ、こうして曹丕に軍事の経験を積ませなかった結果、後年に悪影響を及ぼすことになるのではあったが。


さて、そうして鬱々とした日々を送っていた曹丕も、この時期軍事ではないが史書に記述されるような出来事に直面することになった。

それは「魏諷の乱」と呼ばれる、鄴を揺るがす大事件であった。


「はて・・・長楽衛尉の陳禕が!?何の用か?」


「それが・・・社稷に関わる大事であるとかで。殿下に直接申し上げたいと言い張っております。」


「わかった。余が自ら聞こう。連れてまいれ。」


魏諷の乱は、長楽衛尉の陳禕という男が、ひそかに曹丕に謁見を求めてきたところから大きく動くことになった。

長楽衛尉は長楽宮という皇太后が住む宮殿の警備隊長のことだ。

通常はその程度の官職の者が魏王の太子である曹丕に謁見することなどほとんどない。

それがわざわざ謁見を求めてきたということは、かなり切迫した何かがあるに違いない。


「陳禕か。何があった。申してみよ。」


曹丕は陳禕を引見すると、早速本題に入ろうとした。

だが、陳禕は緊張している様子だったが、はっきりとした口調で要望を口にした。


「まずは・・・わたしの命と身分を保証していただきたく存じます。お願いできませぬか?」


陳禕は自身の身の安全が保証されることを求めた。

曹丕に会って直接伝えるというのは、そのことを確実にしてもらうために望んだのだろう。


「良かろう。そなたの身の安全は保証しよう。さあ、話してくれ。」


「わかりました。実は・・・魏子京が謀反を企てております。」


魏諷、字は子京。

豫州沛国出身で、鄴を中心に中原では名の知られた男である。

若いころから才知あふれ、周囲から将来を嘱望された魏諷は魏の都となった鄴へ移り住み、ここでも高い評価を得た。

名声を聞きつけた重臣の鍾繇がその才を活用しようとして推挙し、魏諷は西曹掾に任じられた。

西曹掾とは丞相府などの属官で、府の官吏の人事を司る官職である。

いきなり人事課長に抜擢されたようなものだが、魏諷はこれを大過なく務め、ますますその名声を高めた。

それによってより多くの名士や魏王朝の高官と交友を深めたが、一方で派手な交際が目立つ魏諷に対して否定的な評価を下す者も少なくなかった。

魏諷は優れた人物ではあったが、優れた人格を持っていたとは言えず、謙譲の美徳とは無縁だった。

彼が紡ぐ美麗な言辞の陰には野心と虚栄心が隠れており、そのことを感じ取った者は魏諷を危険な扇動者とみなし、やがては乱を成す者だと危険視した。


魏諷が危険人物であるという評価は、現実のものとなった。

プライドの高い彼は、自身の現状に満足していなかった。

自らを宰相の器であると考える魏諷は、西曹掾というエリートコースではあるが宰相とは程遠い官職に不満だった。


曹操が漢中を失い、荊州で押され、鄴や許の兵力も多くが出払ってしまった状況を、魏諷は自身の野望が実現する好機ととらえた。

魏諷は魏王朝の基礎が揺らいだと感じ、内では漢王朝の復興を掲げ、外では劉備と手を結ぶと公言すれば、たちまち鄴を含む中原を支配できると踏んだ。

うまく行けば魏諷が漢王朝の朝廷を主宰でき、文字通り宰相として君臨できるはずであった。


魏諷はまず、自らの熱狂的シンパに己の野心を打ち明け、賛同を得た。

しかしながら、彼らはいずれもまだ大した官職に就いていない若者でしかなく、そのような者たちだけでは何もできない。


さすがに魏諷もそれがわかっており、声をかけたのが長楽衛尉の陳禕であった。

先にも紹介したように長楽衛尉は宮殿の警備隊長なので、当然ながら警備兵を部下として従えている。

しかも宮中の警備兵だから、陳禕のような者を味方に引き込めば宮城の制圧ができるのだ。

魏諷は言葉を尽くして陳禕を口説き、成功後の厚遇を約束して味方につけた。


だが、陳禕は冷静になると、恐ろしくなったらしい。

魏諷の雄弁は目の前で聞いているうちは心地よかったが、具体性がない。

魏諷シンパの若者たちに至っては、何の助けにもならない。

結局は武力を持つ自分がすべて手がけねばならないのだ。

宮殿の警備隊長でしかない自分に、鄴城のすべてを制圧して新政権をつくるという荒業ができるか。

それができると思うほど、陳禕は向こう見ずではなかった。

結果、曹丕に反乱計画を打ち明け、自分の身を守るという挙に出たのだった。


「許せん!魏諷をとらえ、連れて来い。余が自ら取り調べる!!」


陳禕の告発を受けて激怒した曹丕は、魏諷の逮捕と連行を命じた。

反乱がこの鄴で企てられていたというのは、恐ろしい話だ。

ここで下手を打てば、せっかく手に入れた太子の地位を失いかねない。

曹丕の怒りと危機感は相当なものであった。


魏諷の反乱は未然に食い止められた。

陳禕の告発により、首謀者の魏諷が何もできないうちに捕らえられ、曹丕のもとに連行されたからだ。

カリスマを失った反乱者たちは何もできず、その後次々になす術なく捕らえられていった。


「なぜ乱を成したのか?」


引き立てられてきた魏諷に対し、曹丕はその問いかけから始めた。

目の前の魏諷は、いつもの自信たっぷりな様子とは違い、ひどく怯えているようだ。


「乱など・・・成してはおりません・・・!」


魏諷は、自分を首謀者とする反乱計画を否定した。

陳禕の告発を自分を陥れる陰謀だというわけだ。


「では、そなたは自分が無実だと言うのだな。」


「はい。侫人の偽言に惑わされ、無辜の者を殺してはなりません。この諷は生かしておけば、社稷の役に立つ者です。」


最初は生きた心地もしない様子の魏諷だったが、次第に落ち着きを取り戻し、自己擁護の弁論を展開し始めた。

問答無用で処刑されることはないと感じ、論陣を張る意味を見出したのだ。


「社稷、と申したな。それはどの社稷のことだ?」


「それは・・・もちろん、漢の社稷でございます。」


「では、魏の社稷には役立たぬのだな。」


「・・・臣は漢の民として生まれ、漢の臣として仕えてまいりました。」


「今のお前は魏の臣ではないか。それなのに漢の臣を名乗り、漢の社稷の役に立つと言う。そのような者が、何の役に立つというのか。もういい、お前の考えはわかった。結局、お前の言は欺瞞に満ちている。そのような者を生かす理由は何もない!」


つまるところ、魏諷の論理は自分勝手だ。

魏王に仕えてその官職に就いておきながら、漢の臣を標榜して乱を起こそうとする。

曹丕は魏諷の本質を見極めたと思い、処刑を決めた。


魏諷はなおも自己弁護を続けようとしたが、引っ立てられて曹丕の前から姿を消し、やがて市場において処刑されてさらされたとの報告が曹丕のところに届いた。

魏諷の与党もみな処刑され、それは重臣の子や親類も容赦されなかった。

曹丕は鄴城に起こりかけた危機の対処に成功し、曹操や臣下の評価を勝ち取った。

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