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三国志天の記  作者: 沖家室
4章 天に尽くす者・侵す者【諸葛亮・曹丕列伝】
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第190話 襄樊攻防戦(後編)

 自信をもって送り出した于禁軍の壊滅を受け、曹操はショックを隠し切れなかった。

 敗北したことももちろんショックだが、一気に危うくなった樊城の救援のための軍をどうにかしなければならない。

 樊城を放っておけば荊州は完全に曹操の手から離れて行きかねないし、最も信頼する将軍である曹仁を失うことはそれ以上に痛い。


「・・・徐晃よ、頼むぞ。」


 曹操はそう祈るしかなかった。

 于禁が敗北した今、彼が頼みとするのは南陽郡に展開する徐晃の軍勢であった。

 先に于禁の軍に救援を命じた後、曹操はその後方支援と南陽郡の安定化のため、手元にある切り札と言うべき徐晃を宛城へと送り出していた。


 他に切るべきカードがなかったとも言える。

 いまだ長安にいる曹操の手元には先ごろまで漢中で戦っていた兵がいるにはいた。

 しかし、長い者では2年以上戦い続けてきた彼らに、すぐに荊州方面へ転進せよとの命令を下すのは酷なことであった。

 それにあまり兵を引き抜きすぎると、今度は三輔や中原で暴動や反乱が起きた際に対処ができなくなるのだ。


 だが、後方支援を命じたことでわかるように、徐晃麾下の軍勢の質には不安があった。

 曹操は手元の兵をなるべく使わない方針を固めたが、それは徐晃が率いる軍に新兵が多く混じることを意味した。

 何とかかき集めて恰好だけをつけた軍勢なので、とてもすぐに戦闘には投入できる代物ではない。


 だが、そうも言ってられなくなった。


 送り込んだ于禁軍が壊滅した以上、さしあたって使える軍は徐晃のそれしかない。

 曹操は徐晃に指令を送り、樊城の救援を命じた。

 救援とは言うが、関羽の精鋭と戦うことは無謀であり、せいぜい樊城を攻囲する関羽軍の背後から牽制できれば御の字であった。

 援軍さえ見えれば、粘り強い曹仁ならば樊城を守り通してくれるだろう。

 そうした希望的観測に頼らざるを得ないほど、曹操は追い詰められていたと言える。


 曹操はなお不安が消えず、揚州へ使者を出して張遼の軍を荊州へ呼び寄せることにした。

 対孫権戦がいつ起きるかもわからない揚州から張遼を引き抜くのは不安があったが、もう背に腹は代えられない。

 揚州戦線は夏侯惇や楽進、李典らの頑張りに期待するしかなかった。


 指令を受けた徐晃はただちに南下を開始した。

 樊城の北10キロメートルくらいのところには高地が広がっている。

 その高地から陽陵陂という坂を下っていくと、漢水沿いに築かれた樊城に至る。

 の徐晃は219年8月のうちにこの陽陵陂にまで軍を進めた。

 于禁が敗れてまだ1ヶ月も経たない早業であった。

 徐晃軍は陽陵陂にまで進出したが、樊城までの道はなお多くがあふれた水の下に沈んでおり、それ以上の進軍は困難であった。


 ただ、徐晃はさしあたっての目的は達成した。

 陽陵陂に陣取った徐晃軍の姿は樊城からも確認でき、城内の士気は回復した。

 援軍があることさえわかれば、曹仁ならばさらに城をもちこたえることが可能なはずだった。


 しかし、それから1ヶ月がすぎて水が引いても、徐晃は停滞を余儀なくされた。

 自軍の戦力に不安を感じていたためだ。

 南陽郡において急ピッチで訓練を行ってきたが、実戦経験のない兵を正面から敵陣に進ませるのは無謀であった。


 事態が動き出したのは10月に入ってからだ。

 ようやく洛陽まで帰還した曹操は、朱霊・徐商・呂建らの武将とその麾下の軍勢を抽出し、徐晃への援軍とした。

 彼らはようやく漢中での疲れの癒えた将兵であり、当然ながらその練度は実戦に投入できるレベルにある。

 これに勢いを得て、徐晃はようやく軍事行動に出る自信を持った。


 朱霊らの援軍が到着するのを待たず、徐晃は進軍を開始した。

 陽陵陂から6キロメートルほどのところに、于禁が本営を置いていた偃城がある。

 于禁軍の降伏とともにこれも関羽軍のものとなり、関羽はここに守備兵を置いていた。

 徐晃がねらったのはこの偃城を回復し、朱霊らの到着を待って関羽軍を逆包囲することだった。


 およそ1万の徐晃軍は偃城の近くまで進むと、塹壕を掘り始めた。

 通常の軍事行動ではありえないことだが、この時は周囲の状況がこの動きにつながった。

 偃城から樊城に至る地域を浸していた水は引いたものの、全面的にぬかるみが広がってまともに進むこともできないのだ。

 徐晃は塹壕を掘ってその内部を固め、進軍路を確保しようとしたのだった。


 徐晃軍が偃城を迂回して南方に塹壕を掘り進めのを見て、偃城を守っていた関羽軍の守備兵はやがて夜陰にまぎれて退却してしまった。

 守備兵力は徐晃軍よりはるかに少なく、ゆっくりと真綿で首を締めるように展開する徐晃軍に恐怖して撤退に及んだのだ。

 樊城との間をつなぐ道がぬかるんでろくに機能せず、援軍がやって来そうにないことも守備兵の戦意を失わせた。

 徐晃はほぼ無血で偃城の奪還に成功し、朱霊らと合流する前に関羽軍と戦ううえでの前線基地を手に入れた。


 その後、朱霊らが加わると徐晃軍の規模は2万を超えた。

 関羽軍は約3万なので、数では樊城の曹仁の兵を入れてもまだ及ばないが、挟撃できることを考えれば一気に魏軍が優勢を取り戻した観があった。


 慎重な将ならば、この時点で樊城の囲みを解いただろう。

 しかし強気な関羽は包囲を継続した。

 関羽が撤退しないと見極めた徐晃は、次の策を練り始めた。

 関羽軍の包囲陣を破り、樊城城外から駆逐する。

 樊城の危機を完全に払うには、徐晃がそれを成すしか道はなかった。

 徐晃は道をつくり、陣をつくっては前進する方法で慎重に軍を前進させ、樊城を取り囲む関羽軍に迫った。

 両軍の距離はついには数百メートルにまで縮まり、関羽も兵の多くを反転させて徐晃軍と対峙する構えをとった。


 関羽軍の陣地は遠目にも堅固に見えた。

 関羽は樊城を包囲すると決めたときから、この状況を想定して陣地構築を進めていたに違いない。

 漢水が流れる南側以外、三日月のように三方向を取り囲み、そのすべてが二重につくられている陣地はちょっとやそっとでは突破できないようだった。

 これらの陣地の東端と西端には砦がつくられ、それぞれ囲頭屯と四冢屯と名づけられていた。

 関羽が本陣を構える中央からの援軍が届きにくい箇所に砦を設けることで、防衛力を高めている形だ。


 徐晃はこの2つの砦に目をつけた。

 いかに関羽軍の方が数が多いと言っても、長大な包囲陣にまんべんなく兵を配置することはできない。

 砦にある程度の兵を籠めているということは、援軍をすぐに送ることが想定されていないということだ。

 そこへ優勢な自軍をぶつければ、包囲陣を破ることができるはずだ。


 徐晃はそう考え、東の囲頭屯を攻めると言い出した。

 そして先鋒部隊を部署し、攻撃の手はずを整えた。

 そのうえで全軍を少しずつ前進させ、関羽の陣に向かって進ませた。

 両軍の距離は近いところでは数メートルに縮まり、ついに戦闘が始まった。


 徐晃が用意した先鋒部隊は予定通り囲頭屯に向かって進み、攻撃を行おうとした。

 だが、関羽軍もその意図に気づいていたと見え、右翼に兵を集めてこれを迎え撃った。

 先鋒部隊の進軍はたちまち鈍り、囲頭屯の周囲の戦況は膠着状態に陥った。


「今だ!我に続け!!」


 徐晃にとって、囲頭屯周辺での戦況は織り込みずみだった。

 むしろ囲頭屯へ送り込んだ軍勢は陽動部隊であった。

 徐晃の本命は反対側の四冢屯であり、徐晃は自ら精鋭を率いて自軍の後方を回り込み、四冢屯へと向かった。

 四冢屯ではすでに戦闘が始まっており、そこへ新たに精鋭をもってなる徐晃軍の主力が加わったのだ。

 たちまち四冢屯付近での戦況は徐晃軍有利に傾き、四冢屯の内部に徐晃の兵が侵入する事態となった。


 四冢屯が陥落すれば、徐晃軍と樊城内の曹仁軍の連絡線が開通し、関羽軍の包囲陣はその用をなさなくなってしまう。

 危機感を抱いた関羽は歩兵と騎兵合わせて5千を率い、四冢屯へと向かった。

 だが、この機動は遅きに失した。

 徐晃が戦力を結集して攻撃した結果、関羽が到着するころには四冢屯の陥落は決定的になっていた。

 関羽が引き連れた5千では四冢屯の奪還はもはや不可能であり、逆に敗兵の敗走に巻き込まれるしまつだった。


「このまま敵の包囲陣を押し破れ!!」


 徐晃は四冢屯を確保すると、休む間もなく近くの関羽軍の包囲陣へと攻撃をかけた。

 点のほころびを線と面に広げ、ついには全体を崩壊させるのがねらいだ。

 樊城の曹仁もさすがに戦機を見るのに敏で、内側から攻撃をしかけた。


 こうなると、関羽がどれほど奮戦しても大勢は決してしまった。

 関羽が築いた包囲陣はズタズタになり、やむなく関羽は漢水を渡って南岸へと退いた。

 こうして樊城の包囲と漢水北岸で関羽軍が占領していた地域は解放されたが、関羽はなお粘って襄陽城の包囲は続けた。

 今度は漢水を挟んで両軍がにらみ合う情勢となった。


 この状況を打開する決定打は互いに見出せそうになく、それは他の方法に委ねられた。

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