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三国志天の記  作者: 沖家室
4章 天に尽くす者・侵す者【諸葛亮・曹丕列伝】
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第186話 漢中攻防戦(中編)

 劉備軍の張飛と馬超と言えば、天下に名の知れたビッグネームである。

 当然、彼らが率いるとなれば、大部隊が付随していると考えるのが自然だ。


 しかし、それが劉備軍の参謀である法正の狙いであった。


 実際のところ張飛と馬超が率いるのは陽動部隊であり、武都の後方をうかがう動きを見せ、呉蘭・雷銅の軍を支援しつつ漢中に駐屯する敵将夏侯淵を釣り出す役割を担っていた。

 法正の目算では、武都にいる曹洪軍は前後から挟撃されることを恐れ、呉蘭・雷銅軍に対して積極的に攻撃をかけることができず、意識を張飛・馬超軍に向けて結果的に武都に釘付けになるはずであった。

 そして、夏侯淵は南鄭城を出て武都救援に出張ってくるはずであった。


 その目算は半ばは当たり、半ばは外れた。

 曹洪軍の参軍として従軍していた曹休が張飛・馬超軍が陽動部隊であることを見抜き、これを無視して呉蘭・雷銅軍を攻撃するよう進言したからだ。

 曹洪はその進言を容れ、呉蘭軍を攻撃してこれを敗走させた。

 呉蘭は氐族の勢力圏を通って敗走中、魏軍に味方する氐族によって敗死した。

 武都をうかがう劉備軍の作戦は失敗に終わった。


 だが、一方で夏侯淵は南鄭城を出て陽平関に軍を進め、張飛・馬超軍の後方をうかがう姿勢を見せた。

 劉備軍の最前線拠点となった関城に圧力をかけ、劉備本軍の侵攻に備えるとともに関城を策源とする張飛・馬超軍をけん制したのだ。


「時が参りましたぞ!漢中を奪うのはこの時をおいてありません!」


 夏侯淵前進の情報を得た法正は、すぐ劉備に出陣を進言した。

 武都方面に向けた軍はすべて漢中攻略のための陽動であり、本当の目的である夏侯淵の釣り出しに成功したためだ。


「よし、ただちに出陣する。南道を通り、陽平関の後方に回り込むのだ!」


 準備万端の劉備軍はいったん南東に進路を取り、陽平関を大きく迂回し、夏侯淵らに気づかれぬよう漢中へと侵入することに成功した。

 劉備軍は陽平関から10キロメートルほど南東にある定軍山に入り、ここに陣取った。

 さらに軍を進め、陽平関を西から攻撃する手はずを整えた。


 漢中盆地の西端を押さえ、劉備軍に対して入口を閉ざしたつもりの夏侯淵にとって、これは予想外の事態だった。

 いつの間にか後方に敵の主力部隊が回り込み、南鄭城を含む漢中のすべてが脅かされている。

 さらに、夏侯淵自身は有力な劉備軍により陽平関に押し込められた形になってしまったのだ。


「仕方あるまい。この陽平関は難攻不落の地。守りを固めておれば、いずれ魏王閣下が援軍を寄こしてくれよう。それまで耐え抜くのだ。」


 夏侯淵は陽平関の守りを固め、劉備軍と対峙する方針を固めた。

 騎兵の機動力を活かした攻撃的な用兵が持ち味の夏侯淵としては不本意ではあるが、彼に任された軍勢は数万に及び、十分に劉備軍と対決することは可能であった。


 こうなると、今度は劉備の方が困ってしまった。

 さすがに曹操すら苦戦した堅固な陽平関を正面から攻め落とすことは、彼我の勢力を考えれば難しい。


「関城に使者を送れ。陽平関の裏手へ軍を進ませるのだ!」


 このまま対峙を続けていても、決着はつかない。

 そう悟った劉備は、再び新たな別働軍の組織を思いついた。

 武都方面に展開する張飛・馬超軍の後方支援として関城にはまとまった戦力が残置されている。

 そのうちの一部を北から回り込ませ、陽平関の裏に進撃させようというのだ。


 劉備からの指令を受けた護軍の呉壱は陳式率いる軍を送り出し、陽平関の北西に向かって進ませた。

 これがそのまま陽平関まで進むと、いよいよ陽平関の夏侯淵は孤立することになる。

 この動きを察知した夏侯淵は、副将格の徐晃率いる一軍を陳式軍の通り道である馬鳴閣道の守備に当てることにし、進発させた。

 徐晃は陳式軍の進軍を難なく防ぐことに成功したが、このルートを再度攻撃されることを警戒し、徐晃軍は馬鳴閣道に釘付けの形となった。


「かかったぞ。敵は後方に気を取られ、兵を減らした。今こそ雌雄を決しようぞ」


 そう言って劉備が次にとった行動は、陽平関からの総撤退であった。

 再び定軍山へと戻り、漢中盆地ににらみを効かせる姿勢を示したのだ。

 劉備軍は定軍山一帯に陣を展開し、有利な地勢を占めた。


 劉備軍が撤退していったのを見て、夏侯淵はすぐさま追撃を決定した。

 攻撃的な夏侯淵は劉備が兵を退いた理由について深く追求することはせず、むしろ漢中から劉備軍を追い出す好機ととらえた。

 陽平関から出撃する夏侯淵軍は夏侯淵自らが率い、前年に巴郡から漢中に撤収していた張郃が率いる軍も随伴していた。

 ただ、体調が思わしくない郭淮は陽平関に残らざるを得ず、馬鳴閣道に展開する徐晃の軍もこの作戦から外すしかない。

 このため、定軍山を西から北にかけて包囲する姿勢を示した夏侯淵軍は、その本来保持している戦力から見て3,4割近く落とした兵力となっていた。

 一方で、劉備軍は成都の諸葛亮が送り出した増援部隊が到着し、兵力をいくらか増強することに成功していた。


 戦う前から戦力を減らしているとは言え、夏侯淵軍と劉備軍の戦力には大きな違いはなく、むしろ夏侯淵軍の方が兵力はなお多かった。

 決して予断を許さない状況ではあるが、ここまで持ち込めば劉備としてはかなり自軍の勝機を感じ取っていた。


「敵は中央に夏侯妙才(妙才は夏侯淵の字)、左翼に張儁乂(儁乂は張郃の字)、右翼に杜子緒(子緒は杜襲の字)の軍旗が見えます。」


 定軍山の高地に拠る劉備軍からは夏侯淵軍の様子がよく見えた。

 夏侯淵軍の布陣を遠望した法正が、劉備にその陣立てを報告する。

 夏侯淵の諸軍は整然としており、付け入る隙はなさそうであった。


「敵の右翼は杜子緒と申したな?」


「はい。かの者は駙馬都尉、督漢中軍事として軍の監察を担っていると聞いております。」


 法正の報告に対し、劉備は右翼の将が杜襲であることを再度確認した。

 法正は杜襲が漢中に駐留する魏軍のなかで主要な地位を占めていることを述べ、「杜」の軍旗が彼のものであることを強調した。


「では、敵は右翼が泣きどころと言えような。わしが知る限り、杜子緒は大兵を率いた経験が乏しい。右翼に攻撃をしかければ、敵の動揺を誘うことができよう。幸い、風が敵陣に向かって吹いておる。火攻めをしかけようぞ。」


 劉備は杜襲の右翼を狙いどころと見て、火攻めを指示した。

 高所から射かけられた火矢に加え、おびただしい松明が敵右翼の至るところに投げ込まれ、たちまち魏軍右翼は大混乱に陥った。

 劉備の読み通り、杜襲は県長として兵を率いた経験はあれど、このような戦場で指揮官として兵を率いた経験は乏しかった。

 懸命に軍を立て直そうと努めたが、その混乱は容易に収まらなかった。


 この状況に、魏軍中央にいる夏侯淵は自ら兵を率いて消火に駆けつけた。

 火の手が容易に収まらなかったためだが、中軍が右翼側に動いたことで、相対的に左翼が手薄となった。


「よし、敵の左翼に攻撃を開始せよ。」


 劉備は敵左翼の張郃軍が孤立しかかったとみて、自軍右翼に山を下って攻撃をかけるよう指示した。

 高所からの攻撃は勢いが違う。

 さしもの勇将張郃も一気に苦戦を強いられることになった。

 たまらず中軍の夏侯淵に対して援軍要請の使いが飛んだ。


 夏侯淵は難しい判断を迫られることになった。

 右翼に起きた火の手はまだまだ衰えず、消火の手を緩めることはできない。

 かと言って、張郃を見捨てることもできない。


 夏侯淵が下した決断は、自分の指揮下にある兵を分け、一部を張郃のもとへ派遣することであった。

 つまり、両方を救う手立てを選ぼうとした。

 だが、それは「二兎を追う者は一兎をも得ず」となり得る選択でもあった。


「見よ。右翼と左翼に兵を分け、敵の中央は手薄となった。左翼に兵を分けたため、夏侯妙才の周囲には兵が少ない。黄忠に出撃せよと伝えよ!」


 左右に振り回され、夏侯淵の周囲を固める兵が大きく減ったことを劉備は見逃さなかった。

 しかも、夏侯淵の兵は消火に気を取られて浮足立っている。

 満を持して黄忠が率いる部隊に攻撃の命令が下った。


 火にまかれ、援軍を送り出して数も減らしていた夏侯淵軍は、新手の黄忠軍の突撃にもろくも崩れた。

 夏侯淵は自ら得物をとり、陣頭に立って兵を鼓舞したが、疲れのたまった兵たちはバタバタと倒れた。


「夏侯妙才、討ち取った!」


 黄忠軍から高らかに上がった声により、戦闘は終わりを告げた。

 夏侯淵は無念の戦死を遂げ、その軍は総崩れとなって南鄭城や陽平関に向かって逃げだした。


「これで漢中は我が手に入ったも同然だ。」


 夏侯淵を討ち取ったことを知ると、劉備は狂喜した。

 魏軍の漢中における総責任者であった夏侯淵が死んだことで、魏の防衛体制は崩壊したようなものだ。

 劉備は軍を分けて南鄭や陽平関に向かわせ、それらを「接収」して漢中を占領しようと試みた。

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