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三国志天の記  作者: 沖家室
序章 天をくつがえす者【張角伝】
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第18話 南陽、平定さる

「降参なんて、おろか者のすることですぜ!あっしは絶対に反対しやす!!」


 朱儁(しゅしゅん)軍による宛城(えんじょう)総攻撃から一夜が明け、わずかに制圧を免れた小城内において、宛城黄巾軍の幹部たちによって今後の方針について激論が交わされていた。

 そのなかで、強硬に徹底抗戦を主張していたのは、孫夏(そんか)という男であった。

 洛陽蜂起に失敗して処刑された馬元義(ばげんぎ)の右腕であった、あの孫夏である。


 孫夏は馬元義の命を受けて南陽郡(なんようぐん)へ出向いていたため、危ういところで洛陽の大量処刑に巻き込まれずにすんだ。

 ただし、主を失って宙ぶらりんの存在となってしまった孫夏には行くところがなく、そのまま南陽の黄巾軍に参加して今日にまで至っていた。


(今日もいつも通りか。こんな時だってぇのに、つまらん感情で動きやがって!!)


 孫夏の心中に諦めと憤り、寂しさといった複雑な感情が去来する。


 孫夏は一応幹部のひとりとして遇されてはいるが、その立場はどちらかと言えば「客将(きゃくしょう)」に近く、これまで発言権は皆無であった。

 それはこの場でも変わらない。

 孫夏がどれだけ声を張り上げても、居並ぶ幹部たちには響く様子がなかった。

 (さと)い孫夏は、彼らの心の所在について何となく気づいていた。

 彼らは孫夏に対してというよりも、今は亡き馬元義への反感に突き動かされているのだ。


 生前の馬元義は事実上のナンバーツーという地位をフルに活用し、強力なリーダーシップを発揮して各地の「方」へ独自の命令を出すことが珍しくなかったが、そのやり方はひそかな反感も買っていた。

 本来は各地の「(ほう)」を()べる渠帥(きょすい)たちと馬元義は同格のはずであり、組織のナンバーワンである張角の意向も聞かずに馬元義が戦略を立てて進んでいくことはおかしいと思われていたのだ。

 組織が巨大化するに従って生まれたひずみが、そんなところに現れ始めていたのだった。


 その後、馬元義が殺され、その与党も多くが処刑されたことで教団内のパワーバランスは大きく変わり、孫夏ら馬元義派の肩身はすっかり狭くなった。

 それとともに表出したのが、どす黒い反感である。

 孫夏の言葉は妥当かどうか判断されるというより、馬元義の腹心であった者への反感によって却下されることが当たり前となったのだ。


「そこまで言うなら、今の窮状を脱する方策がおありなのかな?ぜひ存念を聞いてみたいものだが。」


(そら、来た・・・!)


 耳に届くねちっこい口調に、孫夏は心中で舌打ちをした。

 わざわざ顔を向けなくても、声の主が城内の首領格である韓忠(かんちゅう)であると知れる。

 張曼成・趙弘と立て続けに指導者を失った南陽黄巾軍において、推されて渠帥となった人物である。

 そのいちいち持って回ったような物言いは黄巾軍の大部分を占める非知識人層の人々にはかえって重々しく見えるらしく、今のところ周囲の信頼は厚い。


(ただの小才子(こざいし)じゃねぇか!)


 孫夏の見るところ、大して博識というわけでもなく、ただ世をすねた書生くずれでしかない。

 太平道が掲げる理念を実現しようとする志もなければ、確固とした展望もない。

 現に降伏論を説いてはいるが、劣勢に陥ったから自分の命を長らえたいがための降伏にしか見えない。


「いったん戦いを始めたからには、戦い続けるしかねぇ!あっしらと朝廷はお互い違う天を大事に思ってる。今さら朝廷に頭を下げ、官軍のクツをなめたって許されるはずがねぇんだ。」


「いやいや、そうではあるまい。減ったとは言っても、我らはまだ10万からの人数がいる。これと戦うとなれば、敵軍も大いに傷つくだろう。さっさと頭を垂れ、和を請えば、敵とて犠牲を恐れて受け入れるはずだ。交渉次第では、信仰も保ち続けることができよう。」


「10万もいれば、まだまだ戦える!まだまだ力があるってのに戦わなけりゃ、師や()のおかしらに顔向けができねぇ!!見たところ、敵の朱儁軍はあっしらの半分どころかそのまた半分もいねぇじゃねぇか。そんな相手に降参しろってのか。」


「一口に10万というが、そのなかでも戦える者は半分に満たん。朱儁軍と数はそう大きく変わらんのだ。しかも、敵は豫州(よしゅう)から連勝続き、こっちは城の大部分をとられて意気消沈している。今のまま戦っても、いたずらに死者を増やすばかりだ。」


「その通りだ!このまま戦いを続ければ、巻き込まれた女子供や老人たちが大勢死ぬ。城壁を破られた時点で、もう勝負はついてしまったのだ・・・!」


「だいたい、渠帥がおっしゃることにいちいち反発するそなたの物言いが気に食わぬ。そんなに戦いたければ、そなたらだけで戦えばよい!」


 韓忠以外の者たちまで一斉に降伏論を唱えるに至って、議論の趨勢は明らかとなった。

 孫夏がどんなに頑張って人を集めたとしても、その動員力は数千にしかならない。

 大勢が降伏に傾いた以上、いかんともしがたかった。

 ただちに軍使の選定が始まり、降伏の意思表示がされることとなった。


 ……………………………………………………………


「それ見たことか!だから言っただろ、たとえ官軍のクツをなめたって許されるはずがねぇって。」


 数日後、軍議の席において勝ち誇ったように声をあげたのは孫夏である。

 城内から官軍へ向けて行われた降伏の申し入れは、にべもなく拒絶されたのだ。


 いや、実際のところ荊州刺史(けいしゅうしし)徐璆(じょきゅう)南陽太守(なんようたいしゅ)秦頡(しんけつ)司馬(しば)張超(ちょうちょう)といった官軍の諸将は黄巾軍の降伏を受け入れてはどうかとの意見であった。

 秦頡などは降伏を受け入れると見せかけて、黄巾軍の主だった指導者を処刑するという物騒な考えを温めていたのだが、主将である朱儁はきっぱりと拒絶した。


「現在、天下で乱をなすのは黄巾賊だけだ。ここで降伏を受け入れなどしたら、善を勧めて悪をくじくことができなくなる。いまは殊勝にしている賊もいざとなれば許されると考え、有利なときは戦い、不利になればさっさと降伏すればいいと増長するに違いない。敵をつけ上がらせないためにも、降伏を受け入れてはならん!」


 堂々と正論を展開する朱儁に言い返せる者などなく、諸将は朱儁の指示に従って黄巾軍が籠る小城を四方からひしひしと取り囲み、攻撃を加えたのだった。


 よもや拒絶されるとは思ってもいなかった韓忠らは色を失い、孫夏に向かって言い返す者とていない。

 とは言え、現状を打破するよい策などあるはずもなく、軍議は戦闘継続の意思確認と防衛体制の再点検を行うことだけを決めて終了した。


 こうして、宛城の戦いは転機を迎えつつも戦闘自体は継続された。

 官軍はかさにかかって攻め立てたが、必死の防戦を続ける黄巾軍に撃退され、残った小城を制圧することはできなかった。


 だが、朱儁は凡将ではない。

 いまや城内を見すかせる高さまで積みあがった土山の上に登り、黄巾軍の様子をじっくり観察した結果、攻撃方針を修正した。

 すなわち、わざと包囲を解き、城内の黄巾軍が城外へ出られる道を空けたのだ。


 これにはもちろん意図があり、黄巾軍とその将である韓忠を誘い出す作戦であった。

 一度降伏を申し出てきたくらいだから城内の士気は決して高くなく、周囲を完全に包囲されて追い詰められた結果の必死の防戦であることを朱儁は見破っていた。

 また、韓忠ら黄巾軍の指導者への信頼感も損なわれているに違いない。

 ここであえて包囲を解けば、信頼を取り戻そうと韓忠は一か八かの出撃を行ってくるだろうし、生きる希望を感じ取った城兵のなかには逃げ出す者も出てくるだろう。


 黄巾軍の降伏を拒否して早期の終戦には至らなかったが、この辺りの見極めはさすがである。

 そしてその後の戦闘は朱儁の思惑通りに進んだ。


 官軍が包囲を解くと、さっそく韓忠は自ら軍を率いて出撃してきた。

 しかし、出撃路があるということは脱出路もあるということだ。

 黄巾軍からは脱出者が続出し、残った兵の士気も低かった。

 黄巾軍はあっけなく崩壊し、追撃戦で数万が倒れた。

 韓忠は追い詰められたあげくに降伏したが、秦頡によって斬られた。


 この様子を孫夏は宛城内で見ていた。

 孫夏は城の奪還と防衛体制の再構築を主張して韓忠らの出撃をとめたのだが、彼らは今度は孫夏のことを臆病者呼ばわりして無謀な出撃を強行していた。

 その結果が目の前の惨状であった。


 孫夏は黙々と防備の強化を行いつつ、落ち延びて来た敗兵を収容した。

 相次ぐ敗戦を見て残った黄巾軍からの孫夏に対する評価はおおいに上がっており、韓忠が死んだ後の渠帥に孫夏が推挙されることになった。


(いまさらか・・・。)


 あれほど作戦会議において発言力のなさに苦しんでいたのに、いまや孫夏の意思は誰の反対もなく通っていく。

 もはや城の防備を固める以外の選択肢がないからだったが、決して良いことばかりではない。

 兵力は半減し、士気も激減している。

 懸命に諸所の手当てをしても、孫夏には一向に手ごたえが感じられなかった。

 はっきり言って、守り通せる自信が湧かない。


(いいさ、こうなったら馬のおかしらにあの世で恥ずかしくないよう、大暴れしてやるさ。)


 やがて、朱儁による最後の総攻撃が開始された。

 孫夏は必死に抵抗したが、守備兵力の不足はどうしようもなく、ついに城壁が破られた。

 こうなるとなまじ城の規模が大きいだけに、宛城を守り抜くことは難しい。


 孫夏は城を捨て、北へと走った。

 一連の戦闘でまた1万以上の黄巾兵が倒れた。

 西鄂県の精山という山で、孫夏の命運は尽きた。

 孫夏は壮絶な戦死をとげ、配下の黄巾軍はあるいは討たれ、あるいは逃走して散り散りとなった。

 こうして、南陽郡もまた朱儁率いる官軍によって平定された。

孫夏と韓忠はどちらも実在の人物ですが、今作では筆者によりおおいに脚色いたしました。


孫夏は馬元義の腹心であり、べらんめえ口調の男というキャラ設定をしておりました。

彼は南陽黄巾軍の最後の司令官となるわけですが、よそから流れてきて序列が微妙な位置にあるとの設定も今回新たにもうけました。


一方、孫夏のひとつ前の司令官である韓忠は孫夏と対照的にインテリくずれとしました。

パッと見に何だか賢そうな人物という描写にし、粗野な孫夏より人望が集まるという設定です。


豫洲、南陽が平定され、黄巾の乱も佳境に入りつつあります。

次話はいよいよ冀州戦線のクライマックスに舞台が移ります。

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