表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
177/192

第176話 益陽の戦い

 泉陵城を無血開城させ、零陵郡を「だまし取った」呂蒙は、部将の孫規に数千の兵を預けて零陵・桂陽方面の抑えとして残し、自らは1万数千の兵を引き連れて北上を開始した。

 目的地はもちろん、魯粛が苦戦を強いられている長沙郡の益陽県である。


 ちょうどその頃、にらみ合いが続いていた益陽では動きがあった。

 関羽軍のうち一部が移動を開始し、資水の上流へと向かったのだ。

 その動きはすぐさま対岸の益陽城に籠る魯粛にも知れることとなった。


「関雲長の軍が西へ動き出しただと?数はどれほどだ?」


「数千はいるかと思われます。また、数多の軍旗のなかに「帥」の旗が含まれておりました。」


「ふうむ・・・。敵の意図は不明だが、対応を考えねばなるまい。急ぎ諸将を招集せよ。」


 見張りからの報告を受けた魯粛は、すぐさま軍議の開催を決めた。

 益陽城は北を資水に接し、西と南を山地に接している。

 これら三方は天然の堀や城壁に守られているようなもので、唯一開けた東側の防衛を重点的に強化する形となっている。

 魯粛軍は兵数こそ関羽軍に大きく劣るが、水軍戦力では優勢を保っており、渡河作戦を行いにくい状況を作り出すことで関羽軍と膠着状態に持ち込んでいる。

 にもかかわらず、関羽軍が動き出したということは、何らかの対応を協議しなければならない。


「すでにご存じのこととは思うが、関雲長の軍数千が西へ向かって動き出した。その中には「帥」の旗も確認されており、関雲長自らが指揮をとっていると思われる。」


「おそらく敵は、この益陽を落とすことが難しいとにらみ、関雲長自ら精鋭を率いて零陵へ向かったのでありましょう。」


 魯粛が告げた関羽の動きに対し、多くの将が推測したのは零陵郡への援軍として進軍を開始したのではないかとのことであった。

 益陽より先に進むためには山がちな地形を進むしかなく、大軍で行動すればたちまち補給に困り、最悪の場合は軍全体が崩壊してしまう。

 関羽率いる数千の精鋭だけなら、何とか零陵にたどり着くことができるだろうとの見立てである。


「それはわたしも考えた。もし関雲長が零陵に向かうのならば、我らにとっては好都合。水軍でもって進軍を妨害し、おおいに疲弊させるとしよう。零陵には呂子明が万余の兵とともにいる。関雲長が疲れ切った数千を率いて行ったとて、我が軍の優位は動くまい。ただ・・・おそらく関雲長の意図は零陵行きではあるまい。」


「と言いますと?」


「あの数千の軍は上流から資水を渡り、この益陽城の西に進出することをねらっているのではないか。おそらくは夜間にひそかに渡河することを考えているのではないか。」


 魯粛は関羽の意図について私見を述べた。

 勇猛な武人として名高い関羽であるが、老練な指揮官であることを忘れてはいけない。

 彼がリスクの大きい賭けをするならば、益陽攻めの方に狙いを絞る可能性が高い。

 益陽さえ奪うことができれば、零陵に展開する呂蒙の軍など勝手に立ち枯れてしまうのである。


 そういう視点に立って今回の敵軍の移動をとらえると、零陵へ向かうと見せかけて益陽城の西に進出するための軍事行動が見えてくる。

 益陽城の西は山が立ちはだかっているが、その上流にはわずかばかりの平地が広がっている。

 関羽はそこに目をつけ、軍を上陸させて益陽の西方を脅かし、数の優位を活かそうとしているのだろう。


「では、我が軍もそれに備えねばなりません。城から同程度の兵を出撃させ、渡河に備えるべきでありましょう。」


「兵は出す。だが、敵と同じ程度の兵数を出せば、かえって城は危うくなるかもしれん。」


「それはなぜでしょうか。」


「そもそも、西へ向かっている敵の中に「帥」の旗があると言うのがいぶかしい。これではあえて我らに注目してくれと言っているようなものだ。おそらく、敵の意図は西に我が軍の耳目を引きつけ、兵を割かせ、その後に手薄となった東に大軍を進めるというものであろう。敵が西へ5千を割いても、なお2万以上が残る。だが、我らが城から5千の兵を西へ向かわせてしまえば、東に備える兵は5千に満たなくなってしまう。だから、西へは多くの兵を割けぬのだ。」


「・・・」


 魯粛の読みに対し、諸将は黙りこくってしまった。

 関羽がその作戦を実行するつもりかどうかはわからないが、益陽城を奪い取る公算が高い作戦であるのは間違いない。

 実行されれば、数が少ない魯粛軍は振り回され、戦線を間延びさせられ、手薄な箇所を突破されかねない。

 その対処をどうすべきか、忙しく考えをめぐらし始めたのである。


「何も難しいことはねぇ。俺に5百の兵を預けてくれれば、それでいい。益陽の西の守りはこの甘寧が引き受けますぜ!」


 場の沈黙を破ったのは、豪放な武人の声だった。

 諸将が向けた視線の先には、相変わらず派手な出で立ちの老将の姿があった。

 先年も皖城攻めで先陣を務めて大功を立てた甘寧が、今回も危険な任務を申し出たのだった。


「甘将軍が行ってくださるなら、安心だ。しかし、5百はさすがに少ない。選りすぐりの1千をおつけすることにしましょう。」


 魯粛は甘寧の申し出に安堵した。

 関羽が城の東側に主力を向けてくる可能性が高い以上、西側に大きな兵力は割けない。

 胆力・経験に秀でた良将に少数で防衛してもらうしかないと魯粛は考えていたのだが、配下の将を見渡しても甘寧以上の適任者はいない。

 その甘寧が自ら名乗り出てくれたことに魯粛は素直に感謝した。

 感謝のしるしとして、甘寧を決して捨て石としないことを示すため、申し出の数の倍を割くことにしたのだった。

 甘寧は別にそんなに要らないと言いたげな顔をしてみせたが、魯粛の好意を断ることはしなかった。


「甘将軍にはいつも苦労をかけますな。益陽を守り通したあかつきには、甘将軍の戦功が第一であったと上奏いたしましょう。」


 そう言って魯粛は甘寧にさらに謝意を示したが、その心中には甘寧という外様の勇将に対する憐憫も含まれていた。

 甘寧は益州で生まれ、当初は益州牧の劉焉に仕えたが、その子の劉璋と対立して孫家の宿敵と言うべき劉表のもとへ身を寄せた。

 劉表以上に孫家の宿敵であった黄祖の配下となった甘寧は孫家との戦いで活躍し、孫軍のなかには親兄弟や親類を甘寧らによって討たれた者も多い。

 その後、黄祖とも関係をこじらせて孫権に仕えるようになった甘寧に対しては、周囲から冷たい視線や猜疑の眼が常に向けられている。

 親の仇と憎む者もいれば、これまでのようにいつ孫権を裏切るかもしれないと疑う者も多いのだ。


 そういった中で甘寧は生きづらさを感じているに違いなく、かといって養うべき部下のことを考えれば他所に移ることもできず、常に最前線に立って武功と忠誠をあらわし続けるしかない。

 老いてますます盛んに見える猛将甘寧に、同じく徐州出身のよそ者である魯粛は客将の悲哀を感じてしまうのだった。


「頼みますぜ!」


 そう爽やかに言って出撃していった甘寧は、西進する関羽軍を視界に収めるべく資水南岸に沿って進み、渡河をはばむ姿勢を見せつけた。


「甘」と大書された軍旗は、対岸の関羽軍にもよく見えた。

 当初、関羽軍は「夜襲をかける」とか「一気に押し渡る」といった勇壮な話で盛り上がっていたが、水戦に長け、奇襲や夜襲にも慣れた甘寧が相手とわかると、自重の動きが広がった。

 陣地を構築して甘寧軍の奇襲に備え、再びにらみ合う恰好となったのだ。


 当然ながら、関羽がひそかに狙っていた益陽城東側での渡河作戦も中止となった。

 結果的に1千数百の甘寧軍によって関羽軍右翼の5千が拘束され、9千の魯粛本軍に対して関羽軍2万5千での渡河がうまくいくか不透明となったためだ。

 さらに零陵が呂蒙軍によって征服され、呂蒙が1万以上の援軍を連れて益陽に向かっているとの情報が入ったことで、なおさら関羽は進軍をためらう結果となった。


 こうして、荊南4郡のうち長沙・零陵・桂陽の3郡を孫権軍が奪取した状態で戦況は膠着しはじめた。

 ただ、それは作戦目標をほぼ達成した孫権軍に対し、どうにか戦線を維持しているに過ぎない劉備軍にとっては望まない停滞であった。

 さらに、そこへもたらされた西方からの報告は、劉備軍の継戦意欲を著しく削ぐものとなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ