第175話 呂蒙、たばかる
今でこそ荊州の半ばくらいと益州の過半を制した劉備であるが、天下の印象としては曹操との戦いに敗れ続け、ついに故郷や中原を追われて南方に逃げ延びたというものだ。
だが、劉備が無能なのかと言えば、そうではない。
むしろ彼の戦術家や指揮官としての能力は高く、特に守勢に回ったときの粘り強さに関しては数多の群雄が散った今となっては右に出る者がいないのではないかと思うくらいだ。
彼が地盤をことごとく失って南方に逃げてきたのは、国力・才能ともに劉備を上回る曹操というライバルが存在したためだ。
そんな劉備だからこそ、荊州に侵攻してきた孫権軍の脅威について、ただちに正確に理解した。
理解しただけでなく、すぐさま集めうる兵をかき集め、荊州への援軍派遣に着手した。
益州内の治安維持や漢中の張魯などに備える最低限の兵力を残し、5万と称する大軍を編成して自ら援軍として荊州へ向かったのだ。
この思い切った軍事行動は劉備が備える戦術眼を如実に示すものであり、実際彼が有力な援軍を出さない限り関羽率いる荊州駐留の劉備軍が孫権軍に有効な反撃を行うことは不可能であった。
何はともあれ劉備は公安城に入り、にわかに南郡周辺は軍事的緊張を増した。
劉備と孫権という両勢力のトップが同じ作戦戦域で顔を突き合わせる形になったためだ。
公安に入った劉備は戦況を素早く把握すると、ただちに鄱陽湖周辺で魯粛軍とにらみ合いを続けている関羽に対して援軍とともに指令を与えた。
援軍と劉備からの指令を受け取った関羽は、鄱陽湖の西岸を南下して長沙方面へと進軍を開始した。
「なに、益州からの援軍を受け、関雲長が南下し始めたと?」
関羽軍の動きは、たちまち対岸の魯粛のもとへ伝わった。
増援を受けた関羽軍は倍かそれ以上の兵力にふくれ上がっており、呂蒙軍が深く荊南へ侵攻中であることを考えれば、長沙は再びあっさりと劉備軍の手に落ちる可能性が高かった。
「こうしてはおれぬ。我が軍はただちに南下する!」
「しかし・・・この巴丘の守りはどうなさいます!?公安に劉玄徳が自ら入ったとも聞こえてきておりますぞ!」
「それは陸口にいる我が君にお願いしよう。関雲長の軍を食い止められるのは我が軍しかいないのだ。ありったけの船をかき集め、湘水を遡って長沙へ向かう。急げ!!」
魯粛は巴丘で握っていた1万の兵をまとめ、集めた船に飛び乗って湘水を南下しはじめた。
だが、関羽軍は湘水ではなく西の資水を遡って行軍しているはずである。
魯粛は資水の支流との合流点に到達すると、そのまま資水を遡る形で西進した。
魯粛が目指したのは資水沿岸の益陽県である。
ここで資水は大きく二手に分かれ、ひとつは今魯粛が通っている東流して湘水に注ぐ支流、もうひとつは関羽がたどっているであろう鄱陽湖の西岸に注ぐ支流だ。
また、益陽から上流の地域では資水は山地をぬって流れており、上流方面へ軍を進める場合には益陽が重要な拠点となる。
つまり、魯粛にしても関羽にしても資水を遡るとなれば必ず益陽を通らねばならず、さらにはここを先に押さえた方が相手をより有利な態勢で迎えることができるのだった。
益陽を目指した競争の勝者は魯粛であった。
魯粛軍が益陽に到達したとき、関羽軍もまた益陽に迫ってはいたが、なお1日か2日の猶予はあった。
魯粛は益陽城が無事であったことに胸を撫で下ろしつつ、すぐさま関羽軍迎撃の準備を進めた。
益陽は資水の南岸に築かれた城市であり、西側から南側にかけて山を背負う地形となっている。
唯一開けた東側が泣きどころであるが、そんなことは百も承知と城の守りは東からの攻撃を想定して構築されている。
魯粛はそれをさらに強化し、北側の資水に対しては軍船を並べて関羽軍の到着を待った。
一方、わずか数日の差で益陽を取り損ねた関羽は、やむなく資水の北岸に陣を構えた。
関羽軍は陸兵こそ魯粛軍の3倍近い数を誇ったが、水軍戦力は明らかに劣勢であり、渡河作戦を実施するには不安があった。
かと言って魯粛軍を無視して狭い山間の道を進むことは危険が大きく、結局関羽は益陽周辺で資水を挟んで魯粛とのにらみ合いを再び演じることになってしまった。
呂蒙が零陵へ兵を進めたのは、まさにこの直前であった。
零陵郡の主城である泉陵城を包囲した呂蒙であったが、間もなくこの情報に接することになったのだった。
「ぬうう・・・!あと一押しで零陵も奪れるというのに!!」
呂蒙の表情は、まさしく苦渋であった。
益陽からだけでなく、陸口の孫権からも使者がやって来て、劣勢で関羽と対峙している魯粛の救援を行うよう指令が伝えられた。
関羽軍3万に対して魯粛軍は1万しかいないのだから、救援の必要性は呂蒙にはすぐ理解できた。
益陽が落ちれば長沙郡は劉備軍に奪還され、呂蒙軍は桂陽・零陵両軍で孤立することになってしまう。
ただ、救援軍として必要な万単位の軍を引き抜けば、零陵攻めの兵力が不足することもまた明白であった。
「すぐに鄧玄之どのを呼んでくれ!」
窮地に陥った呂蒙は、軍中にいる南陽郡出身の鄧玄之という人物を呼んだ。
「お呼びでしょうか。」
やがて呂蒙の前に鄧玄之が参上した。
切羽詰まった呂蒙は、すぐ本題に入った。
「あなたは零陵太守の郝子太と古くからの友人であると聞いた。間違いないでしょうか!?」
「はい。同じ荊州出身ということもあり、今でも親しくしております。」
「それはありがたい。その関係を見込んで、頼みがあるのです。実は・・・」
呂蒙の申し出に鄧玄之は驚き、少々渋っているようだったが、やがて点頭した。
彼は使者のしるしである節を持ち、車に乗って郝普が籠る泉陵城へと向かった。
「久しい、久しいなぁ。まさかこんな時にここで再会できようとは・・・!」
太守と使者としての体面を終え、人払いをした後で郝普は鄧玄之の手を取り、再会を喜んだ。
このところずっと戦場の空気に取り巻かれていた郝普にとって、友人との面会は心休まるひとときだった。
郝普は忠誠心厚く優れた指揮を見せて籠城戦に臨んでいたが、かなり神経をすり減らしていたのだ。
「今日は使者として来たが、この任を引き受けたのは友人である君を助けたいためなのだ。」
郝普の出迎えに対し、鄧玄之も笑顔を見せつつそう言った。
「どういう事だ?」
「君の命は危うい。君はやがて援軍がやって来ると考えているのだろうが、それはかなわぬことだ。劉玄徳は漢中で夏侯妙才の軍と戦い、しかも包囲されていると聞く。また、関雲長は南郡で我が軍にはばまれて一歩も動けない。君や桂陽太守の樊本にしても、酃を救おうとして敗れたばかりではないか。樊本はすでに降伏し、残るは君だけだ。援軍も来ないのに、どうやって忠義を貫こうとするのか。命を長らえ、わたしとともに生きようではないか!」
鄧玄之は熱い口調で郝普を説得にかかった。
彼が呂蒙に期待された役割とは、まさしくこれであった。
一刻も早く益陽を救援に行きたい呂蒙は、郝普を降伏させるためその友人である鄧玄之を派遣し、ウソも交えて説得させたのだ。
実際には劉備は荊州入りしているし、関羽軍が零陵へ来援する可能性も十分にあった。
郝普がそれを知らないのを幸い、さっさと降伏に持ち込んで益陽へ向かおうと画策したのだった。
「・・・」
熱く語る鄧玄之に対し、郝普はじっと視線を向けていた。
一見落ち着いて見えるが、友に迷いが生じ始めていることは、いつにない瞬きの多さから鄧玄之にも察することができた。
やがて、ふうっと大きく息を吐くと、郝普は覚悟を決めたらしく言葉を絞り出した。
「・・・よくわかった。援軍が来ぬならばしかたがない・・・降伏しよう。」
「おお、よくぞ決断してくれた。賢明な判断だ!!」
郝普が降伏の意思を示すと、鄧玄之は心から喜んだ様子を見せた。
そして、肩を抱えるようにしてともに城外へ出て、孫権軍の主将である呂蒙を出迎えた。
知らせを受けて城に向かってきた呂蒙はすこぶる上機嫌であった。
「鄧玄之どの、お手柄でしたな。これで益陽へ援軍に向かうことができます。」
「益陽へ援軍!?どういうことだ?」
郝普は不審な眼を友に向けた。
益陽と言えば、長沙郡の地名である。
そこへ呂蒙は援軍に行くとはどういうことなのか。
「知れたこと。益陽では味方の魯都督が関雲長の軍に苦戦しておる。その援軍に出向くのよ。ここが早く片付いてよかったわ・・・!」
「何だと!?そ、それでは・・・?」
「そうよ。関雲長はここを救うために益陽まで来ておる。それに劉玄徳も公安へ入った。このままでは我らが援軍に行けぬゆえ、鄧玄之どのに一芝居打ってもらったのだ。」
「そんな・・・では、わたしは何のために・・・何のために城を開いたのだ!!」
「ははは!!これほどうまく策が当たるとはな。」
予想外の短期間で零陵攻略が成りそうという安堵感からか、呂蒙は喜びを爆発させ、手をたたいて哄笑した。
そのけたたましさは、郝普にとっては自身に向けられた嘲笑のように感じられた。
「わたしは騙されたのか・・・!何と愚かなことをしてしまったのだ!!」
郝普は膝から崩れ落ち、床をたたきながら嘆いた。
その声は悲痛に満ちており、やがて涙声となった。
呂蒙や友として信頼していた鄧玄之に騙され、むずむざ預かった零陵郡を失ってしまったのだ。
悔やんでも悔やみきれない痛恨事であった。
郝普は能力もあり、忠誠心の厚い男であったが、その信頼と名声はこの件で大きく傷つくこととなった。
彼は降伏の条件として劉備のもとへ帰参することが認められていたが、零陵郡を守り通せなかったことは陰に陽に批判を受け、一転して居心地は悪くなった。
その後、郝普は仕方なく孫権軍に身を投じることになり、やがて孫権に内通の疑いをかけられて自殺に追い込まれることになる。
彼の余生は、志操堅固で能力のある人物であっても、必ずしも恵まれた人生を送れるわけではないことをあらわす、悲しい事例の一つとなった。