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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第173話 呉下の阿蒙にあらず

 奪取間もない皖城に着いた魯粛は、すぐさま新たにこの城の主となった呂蒙の出迎えを受けた。

 威儀を正して将兵が出迎えの列をつくっているさまは、魯粛をいたく感動させるものであった。

 しわぶきひとつしない眼前の状況が、呂蒙の指揮の厳粛さを物語っていた。

 聞けば、呂蒙は略奪行為を厳しく禁じ、違反した者を容赦なく斬刑に処すほどだと言う。

 曹操がかつて本拠としていた豫州に隣接する盧江郡は守りにくい土地であるが、これならば大丈夫であろうと魯粛は強く思った。


「ようこそいらっしゃいました。」


 魯粛の姿を認めると、呂蒙は拝礼した。

 その挙措は、かつての呂蒙とは別人かと思うほど洗練されたものだった。


「これはこれは。丁寧なあいさつ、痛み入る。」


 魯粛は答礼しつつ、さりげなく周囲に視線をおくった。

 呂蒙の左右には幕僚や配下の将が何人も居並んでいる。


「おい、お前たち。席をはずせ。」


 魯粛の意図を察して、呂蒙はそれら配下たちに声をかけた。

 きびきびとした動きで配下たちは室外へと去っていった。


「ふふ。阿蒙よ、ずいぶんと察しが良くなったものだな。」


「恐れ入ります。」


 魯粛がからかうと、呂蒙は少し照れたような顔をしてみせた。

「阿蒙」とは「蒙ちゃん」というくらいの意味の呼び名である。

 2人になると気分が楽になったのか、呂蒙の立ち居振る舞いにかつての雰囲気が少しばかり漂うようになった。

「粗野」と陰口をたたく者もいたほど、呂蒙と言えば豪放磊落なイメージが強かったのだ。


「それで・・・君が手に入れた有能な軍師は誰なのだ?先ほど居並んでいた中にいたのか?」


 2人きりになったのを幸い、魯粛は無遠慮に呂蒙へ質問した。

 数年ぶりに会った呂蒙の激変ぶりに、ただただ驚かされていた魯粛であったが、その後にあるひとつの考えが浮かんでいた。

 それは呂蒙が兵法などの学を身につけて驚きの変貌を遂げたのではなく、誰か有能なブレーンを得た結果ではないかということだ。

 そのブレーンの発想を呂蒙が自分の発案のように披露しているのではないか、と魯粛は疑ったのである。


「そんな者はおりませんよ。」


 魯粛の言う意味がすぐわかったらしく、呂蒙はニヤリと笑った。

 恐らく、他の者からも同様の疑いをかけられたことがあるのだろう。


「では、荊州の今後について、そなたはどう考える?」


 魯粛も人が悪い。

 ブレーンなどいないと言い張るならば、呂蒙をテストしてやろう。

 そう考えて、あえて自分が担当する荊州の今後について、呂蒙の考えを問うたのだった。


「軍を出し、ただちに荊南4郡を攻め取るべきです。劉玄徳は我らを侮っており、おとなしく荊南を引き渡すとは思えません。今ならば関雲長が寡兵で荊南を守っており、簡単に攻め取ることができるでしょう。」


「それはずいぶんと威勢がいいな。しかし、そのすきに曹孟徳が攻めて来たらどうする?我らと劉玄徳が仲違いをすれば、曹孟徳にとってこれほどの朗報はあるまい。喜び勇んで揚州に攻め寄せて来るのではないか?」


 このことこそ、魯粛が想定する最悪のケースである。

 呂蒙の主張に沿うと、孫権は二方面作戦を強いられる可能性があるのだ。

 孫権が劉備軍をたちまち圧倒して益州から揚州までの長江沿岸をすべて実効支配するだけの力があれば問題ないのだが、現時点ではそれは難しい。

 結局のところ、巨大勢力となった曹操に対して劉備と共闘するのが現状では最善の戦略なのである。


「いや、そうはなりますまい。曹孟徳がかねてから漢中に執心しているのは周知の事実。漢中を得れば、次に目を向けるのは東ではなく南となりましょう。劉玄徳が益州を得てから日も浅く、曹孟徳が蜀を得たいと思うなら今が絶好の機会です。我らと劉玄徳が争い始めたとして、曹孟徳は濡須や江水の守りに苦労する揚州ではなく、益州に兵馬を向けるのは明白です。」


「なるほど、一理ある。では、そなたならば荊南をどう攻める?」


 魯粛は呂蒙の返答にうなずいてみせ、今度は具体的な荊州侵攻作戦についても問いかけた。

 魯粛とて劉備軍と開戦となった場合の方策については考えてはいるのだが、呂蒙のそれがどれほどのものなのか試してみようと思ったのだ。


「2,3万の兵でもってまず長沙を押さえ、次いで湘水を遡って桂陽・零陵を攻め取ります。」


「ほう。公安の関雲長と雌雄を決しないのか。それはなぜだ?」


 呂蒙は劉備が荊南支配の要として築城し、関羽も拠点としている公安城を攻めず、南進して長沙・桂陽・零陵の3郡を攻め取ると言う。

 関羽との決戦ではなく、3郡の確保を優先すると言ったようなものだった。


「関雲長の兵は少なく、おそらくは公安の城攻めを行うことになります。関雲長は士卒を大事に扱う将であると聞き及んでおり、公安城を抜くことは難事と言えましょう。長引けば益州から援軍がやって来て、何も得るところがありません。関雲長に対しては1万ほどの兵をあててその東進を防ぎつつ、南下して3郡を先に手に入れるべきです。」


(実に的確な判断だ。わたしも同じことを考えていた。公安の攻めにくさは阿蒙が言う通りだ。また、荊南4郡のうち、北西に位置する武陵郡は公安や益州に最も近く、劉玄徳の援軍が届きやすい。一方、長沙・桂陽・零陵の3郡は支援が届きにくく、まずこの3郡を攻め取るのが最も理にかなっている。)


 魯粛は呂蒙がとうとうと述べ立てた作戦案に、何の異論も見いだせなかった。

 そして、たとえ誰かのアイデアをもとにしていたとしても、呂蒙がこの案をしっかりと自分自身で検討しつくしている様子は理解できた。

 だからこそ、魯粛が次に呂蒙に聞いたのは、その案の細部についての質問であった。


「湘水を遡って攻めるとのことだが、湘水にこだわるのはなぜか?」


「湘水が3郡を貫く大河だからです。湘水を使えば、素早く3郡に兵を送り込めます。」


 湘水は零陵郡に端を発し、いったん東流して桂陽郡に入り、そこから南流して長沙郡に至ったあと、洞庭湖に注ぐ河川である。

 洞庭湖の水はやがて長江に注ぐことになり、その合流点は周瑜が最期を迎えた巴丘という土地であり、魯粛が駐屯する陸口のすぐ上流にあたる。

 長江ほどではないが、湘水も多数の軍船を浮かべるに足る大河であり、かなり上流まで水運を活用することが可能だ。


 呂蒙の戦略は洞庭湖を策源として優勢な孫権軍の水軍を活用して素早く侵攻することに重きが置かれており、優れた作戦案である。

 孫権軍がスムーズに侵攻できるのに比べ、関羽は前面の押さえの軍を突破しない限り3郡の救援に向かうことは難しい。

 関羽の兵が少ない以上、事実上彼だけで救援するのは不可能に近い。


「ああ、大したものだ。君がこれほどまでの成長を遂げているとは思わなかった。もはや呉下の阿蒙にあらず、だな。」


「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし、です。三日どころか、数年お目にかかっていなかったのですから、わたしが変わっていても何の不思議なことはありませんよ。」


 数年前に呉郡で戦いに明け暮れているとき、呂蒙は武勇のみに重きを置き、学問や教養については何も気にかけることはなかった。

 それが主君の孫権から学問を勧められ、その孫権が忙しい合間をぬって勉学に励んでいる様子を見て発奮し、魯粛が舌を巻くほどの見識を身につけたのだ。

 それを魯粛は「もう呉にいた頃の武勇一辺倒の呂蒙ではなく、武将として大きく成長したのだなあ」と慨嘆し、それを聞いた呂蒙は「人間は3日会わないだけでも、目をひくほどの変化を遂げるもの。ましてや、数年会っていなければ大きく変わっていて当然だ」と誇らしげに胸を張ったのだ。


「おそらく、劉玄徳どのはのらりくらりと荊州の返還を拒み続けるだろう。残念ながら、出兵のときは近い。もし出兵となったら、君が軍を率いて荊南を攻めよ。わたしが関雲長への押さえとなろう。」


 魯粛は呂蒙の肩をポンポンと叩きながら、しみじみとそう言った。

 ここまで具体的な作戦案を考えている呂蒙なら、きっとうまくやるはずだ。

 魯粛が呂蒙を見直し、絶大な信頼を寄せた瞬間であった。

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