第169話 魯粛、荊州返還を約束させる
「なに、劉玄徳どのが劉季玉と戦端を開いたと?」
陸口にいた魯粛は、楽進率いる曹操軍の撤退を喜ぶ間もなく、西での異変を聞いた。
呂岱率いる孫権軍に続いて戻ってくると思われていた劉備軍が戻ってこないどころか、劉璋領を攻撃し始めたと言うのだ。
(あるいは、と考えてはいたが、やはりそれが目的であったか。)
魯粛は劉備が大軍を連れて益州入りしたことを知った時から、劉備陣営が益州に野心を抱いていることを薄々気づいていた。
そうでなければ、たかが援軍派遣に君主自ら2万を超える兵を率いて行く道理がない。
劉備自身は有能な指揮官であり、それに加えて劉備軍には彼以外に万余の軍を預けられる武将が少ない。
だが、そもそも援軍にこれほどの大軍を送り込む必要性もないのだ。
こうなると、魯粛としては劉備軍との友好関係は保ちつつ、いかに主君である孫権の利益を確保できるかが重要となる。
具体的には、劉備が益州を手に入れることになれば、現在劉備が領している荊州はその全部、少なくとも一部を返還してもらわなければならない。
劉備は赤壁の戦い前には拠るべき地もなく逃げ惑う存在に過ぎず、同盟と言いつつも実質は孫権に従属して命脈を保った。
周瑜率いる孫権軍が赤壁で曹操軍を破った後、孫権や周瑜の承認のもとで荊南4郡への侵攻を開始し、周瑜が曹仁率いる曹操軍と激闘を繰り返している間に誰の邪魔も受けずにこれらの地域を首尾よく攻略した。
確かにその征服行動は劉備軍独自によるものだが、陰に陽に行われた孫権の援助がなければとても成功し得ないものだった。
だからこそ、劉備が勝手に「戦線離脱」して益州を攻め取ったなら、孫権の援助と黙認によって領土化した荊州の現劉備領は孫権に引き渡されるべき、というのが孫権の言い分だった。
そして、その言い分については、本音では反対であろうが劉備も認めていた。
孫権陣営の荊州総責任者である魯粛としては、この「荊州劉備領の返還」を実現していかねばならない。
(まずは劉玄徳どのに抗議の書簡を送るとともに、公安へ行き、今後の対応を協議せねばなるまい。)
魯粛はすぐさま準備を整えると、南郡の長江南岸に劉備が本拠として整備した公安城に向かった。
劉備側の交渉責任者として出迎えたのは、諸葛亮であった。
「孔明どの。お久しゅうございますな。」
「お久しぶりでございます。」
「青泥での関雲長どのの働き、実にお見事でございました。おかげさまをもって、曹軍を去らせることができました。」
「痛み入ります。」
魯粛と諸葛亮は旧知の仲である。
関係は悪くなく、友と言っていいくらいの良好な関係性を築いてきた。
だが、魯粛がわざわざ公安にまで出向いてきたのは、単なる表敬訪問ではない。
魯粛はひとあたりの挨拶をすませると、抗議の声をあげはじめた。
「さて・・・劉将軍におかれましては、益州でおおいにご活躍の様子ですな。なんでも、劉季玉の軍と戦い、優勢であるとか。」
「おっしゃる通りでございます。しかし、益州は富強で知られた地。わたしももうすぐ援軍を率いて益州入りする予定でおります。」
「それは実に結構。ですが、劉将軍の動きは、我が主孫権との友誼をまったく無視したもの。事前に何の連絡もなく、当方はまさしく寝耳に水の出来事でございました。いったい、劉将軍に我らとの友好を続けるつもりがありや、なしや!?」
「もちろん、我が主劉備は孫将軍との友好を大事に考えております。元々、益州入りは、劉季玉からの支援要請に応じてのもの。今回その劉季玉と戦うことになったことについて、事前に相談できなかったことは当方の落ち度ではありますが、盟約を破るつもりは毛頭ございません。」
「元々、益州は周公瑾が生前に侵攻しようと戦備を進めていた地。その際、劉将軍は同族を攻める出兵には賛成できぬ、と反対なさっていた。それがどうです、いまや劉季玉を攻めているのは同族のはずの劉将軍ではありませんか。これでは二枚舌と言われても仕方ありますまい。」
「我らがわざわざ他領へ出向き、何の恨みもない張魯と戦ったのに、劉季玉は曹軍との戦いに援軍を出し惜しみしました。また、荊州に還ろうとした我が軍をはばみ、我が主劉備を暗殺しようとする謀までめぐらせていたため、やむなく兵を挙げたのです。」
魯粛は自分たち孫権軍が先に目をつけていた土地への侵攻を反対しておきながら、巧みに益州入りを果たし、ついに野心をあらわにしたとして劉備を非難した。
それに対し、諸葛亮は劉備が掲げる大義名分を繰り返すにとどまった。
命をねらわれたから攻撃する、正当防衛なのだという論理だ。
「劉将軍の命をねらった2人の将はすでに斬られたと聞く。劉将軍はいったい何を望んで軍を進めておられるのか?劉季玉の首を所望しておられるのか?」
「劉季玉の罪を明らかにせねば、張魯軍との戦いに命を張った将兵や軍資を差し出した民が納得しません。」
「では、劉季玉を殺すか、降伏させるまで戦いをやめるつもりはないということですな。劉季玉を討った後、彼が領している益州はどうなさるおつもりか?」
「我が主劉備に心を寄せる益州の民は日に日に増えていると聞き及んでおります。彼らが強く望むとなれば、我が主が彼らを守ってやらねばなりません。」
「しかしながら、以前に我らの益州攻略に反対しておきながら、後になって自分たちのものにしてしまうとは、道理が通りません。どうしても益州を領したいというなら、我らに対して何らかの配慮をしていただきたい。」
はっきり言って、劉備側が主張している理屈は、かなり自分たちにとって虫のいい理屈にすぎない。
孫権軍に守られて勢力を拡大しておきながら、ある程度の勢力を回復すると勝手な軍事行動を繰り返し、荊州の領土に加えて益州をも支配しようと企てているのだ。
これを野放しにすれば、いずれ孫権と肩を並べる力をつけ、同盟を反故にするかもしれない。
そうなれば、長江流域を支配していくことで孫権を曹操と対抗していく勢力に押し上げるという魯粛の戦略は破綻してしまう。
「それは・・・わたしの一存でお答えできることではございません。主に使者を立て、判断を仰いだうえで回答いたしましょう。」
「それはそうでしょう。すでに劉将軍のもとへはわたしから使者を立て、申し入れをしております。益州を得たならば、荊州の支配地を当方にお返しいただきたい、と。ぜひあなたからもご主君に対し、お口添えをしていただきたい。すべては両国の盟約を守るためです。」
「・・・わかりました。ただし、益州を得ぬ前に荊州の地を返すことになれば、我らが拠るべき地がなくなります。益州を得たら荊州の領土をお返しするよう、我が君に進言いたします。」
諸葛亮としては、そう言うしかない。
親劉備派として知られ、孫権陣営内で劉備に魂を売ったとまで陰口をたたかれている魯粛がここまで言うのだ。
もし劉備陣営がこの荊州返還を拒否などすれば、孫権との同盟は破綻するだろう。
そうなれば、劉備勢力の周囲は敵ばかりとなり、滅亡は避けられない。
そうならないためにも、ここは将来的に荊州の領土を返すことを約束し、友好関係の継続に努めるのが得策である。
益州を得るまでという条件をつけたのは、魯粛に語った理由のほかにそれを可能な限り先延ばしにすることで現状を乗り切るという思惑があった。
また、どの程度の領土委譲で収めることができるかは今後の交渉次第であり、その押し引きをどうするか劉備と打ち合わせることで、自軍が受けるダメージを少しでも減らそうという意図もあった。
「重畳、重畳。これで盟約は守られました。ともに手を取り、曹孟徳を討ちましょうぞ!」
魯粛はそう言って、やや大げさに喜んでみせた。
彼とて諸葛亮の胸のうちはだいたい想像がつく。
わかっていながら、当面の危機が回避されたことを喜んでみせたのだ。
劉備との同盟の重要性を誰よりも理解しているのは魯粛自身であり、大げさに見えるその喜びようもあながちウソではなかった。
こうして、孫権と劉備の間に生じかけた亀裂はひとまず修復された。
ただ、荊州返還の具体的な時期や内容をめぐり、今後も少なからず揉め事の種は残ることになったのだった。