第17話 孫堅、宛城一番乗り
朱儁は宛城南西に張った本陣に主だった諸将を集め、作戦会議を行った。
集ったのは荊州刺史の徐璆、南陽太守の秦頡、佐軍司馬の孫堅、同じく司馬の張超、幽州軍の指揮官である程普などである。
集まった諸将は城の南西隅の一角を中心に攻撃をかけるものと思い、その部署割りのための軍議と考えていたが、朱儁の思惑が違うことはまもなく明らかになった。
「誰か、わしとともに決死隊となるものはいないか?」
開口一番、朱儁が発した問いかけに、幾人かの将は一瞬互いに顔を見合わせた。
いきなり命をくれと言われたようなもので、そのような反応も無理はない。
だが・・・。
「わたしが参りましょう!」
ほとんど即答に近いタイミングで、力強い声を放ったのは孫堅である。
彼は元々勇気の塊のような男だ。
それに、朱儁が示した覚悟に感激屋の彼は早くも感じ入っていた。
どういう攻めをするつもりかは知らないが、朱儁は自ら危地へ飛び込むつもりのようなのだ。
抜擢してくれた恩に報いるのはこの時とばかり、ちっとも迷わず声を上げたのだ。
「孫司馬が行かれるなら、わたしも参ります。」
続いて参陣を表明したのは幽州軍を率いる程普であった。
彼は先に行われた陽翟における会戦で孫堅とともに肩を並べて先陣を務め、孫堅の戦いぶりを目の当たりにしていた。
孫堅の勇気や決断力には驚嘆させられ、孫堅軍の勇猛さからは孫堅の統率力の高さを見せつけられていた。
程普はひとりの武人として孫堅に惚れ込み、またともに戦いたいと願っていたのだ。
その機会が来たと小躍りし、参戦を申し出たわけだった。
孫堅と程普が声を上げると、他の諸将もこぞって手を挙げた。
彼らとて臆病な人物では決してなかった。
当初こそ寄せ集めの軍として発足したかもしれないが、数ヶ月を経て朱儁を中心にその軍はまとまりを持ち始めていた。
「・・・有難い。みなの勇気、この朱儁には身に余る光栄じゃ。しかし、決死の兵は5千もあれば十分。孫君と程君にお願いするとしよう。他の諸将は、この本陣で敵の目を存分に引きつけてもらいたい。」
「敵の目を引きつける・・・?はて・・・では決死隊はどこへ向かわれるので!?」
ここ数日陣中では大きな土山が2箇所で盛り上げられ、いずれは城壁の高さに届かせようとさらなる増強が図られていた。
この山から城内を見渡しながら攻撃をかけるものと誰もが思っていたのに、朱儁は決死隊を率いて別の場所に向かうようなのだ。
「城の北東だ。夜陰に乗じて城壁を越え、一気に城内へ攻め込む。」
「つまり、この本陣や土山はおとり・・・」
「うむ。過去に実際に使われた策でな。声東撃西と言う。」
そう言って朱儁が諸将に説明を始めたのは、前漢第6代景帝の治世に起こった昌邑の戦いである。
このとき、中華は天下を二分するほどの大乱に見舞われていた。
乱が起った原因は景帝が推し進めた中央集権策にあり、何かと理由をつけて領地を削減される皇族が相次いだことに反発し、呉王や楚王といった東方や南方の皇族たちが乱を起こしたもので、これは史上「呉楚七国の乱」として知られている。
呉(長江下流域)や楚(長江中流域)、斉(山東半島を含む黄河下流域)といった諸王が一斉に蜂起したことで、長安(現在の陝西省西安)を都とする前漢はその支配地域の半ばを一挙に失う大打撃を受けた。
反乱の首謀者である呉王は楚王とともに進軍を開始し、景帝の弟である梁王が守る睢陽城(現在の河南省商丘市)を包囲した。
この反乱を治めるべく起用されたのが周亜夫という人物で、「太尉」として官軍を率いて東方へと向かった。
後漢王朝では名誉職の色彩が濃い太尉だが、この時代では軍総司令官の官職として機能していた。
周亜夫はまっすぐ梁王の救援に向かうことはせず、洛陽や滎陽(現在の河南省鄭州市)といった中継基地をしっかりと確保した後、昌邑(現在の山東省濰坊市)に入った。
昌邑は趙(現在の山西省)や斉、梁をつないだ三角形の中心付近に位置する戦略的要衝であり、周亜夫は趙や斉といった呉楚の反乱軍に加担する可能性がある地域を牽制しつつ、梁を包囲する反乱軍に圧力をかけたのだった。
景帝や梁王には周亜夫の行動は消極的にしか見えず、度々梁への救援が命じられたが、周亜夫はこれを拒否して昌邑から動こうとしなかった。
ただ、周亜夫は遊んでいたわけではなく、昌邑の守りを固めながら別動隊を派遣して反乱軍の補給路を断つ作戦を進めていたのだった。
70万を超えるという反乱軍とまともにぶつかっては勝てるかどうかわからないと見て、敵の弱みをつく戦略を実行したのである。
その効果はてきめんで、まもなく反乱軍は飢えはじめ、梁の包囲どころではなくなった。
呉王ら反乱軍首脳はまだ守りが手薄と思われた昌邑へターゲットを変えて転進してきたが、すでに周亜夫が守りを固めていたために正面突破は困難となっていた。
このとき、反乱軍がとった策が朱儁が今回採用しようとしている「声東撃西」である。
反乱軍は昌邑城の東南から攻める姿勢を盛んに見せつけ、実際は西北にひそかに主力を移し、攻撃した。
実際に攻めたい箇所とは真逆の方向に敵の意識や戦力を集中させ、手薄になった箇所を一気に攻め破る作戦である。
ただ、この作戦は意外に世に知られていない。
なぜなら、この策は守る周亜夫に見破られ、ただでさえ戦意が落ちていた反乱軍は戦車部隊を中心とする官軍の精鋭にこなごなに撃破され、結局この戦闘が契機となって反乱は急速に終息していった。
言わば失敗に終わった作戦であり、有効な策ではないと注目を浴びなかったのだ。
朱儁はこれを逆手に取り、必勝の策として活用することに決めた。
本家本元のときとは違い、現状は仕掛ける側が官軍であり、守る側が反乱軍である。
これまでの戦いを見る限り敵側に知将タイプの指揮官はいそうになく、野戦に敗れて総大将まで失った敵の士気は低下傾向にあるはずで、指揮系統も万全ではないはずだった。
これらの条件を考えるに、今回は「声東撃西」が成功する可能性が高いと踏んだのだ。
もちろん、朱儁の見立てが外れて失敗に終わる可能性もゼロではない。
「おもしろい。では、その先陣はぜひわたしに申しつけてください。」
孫堅が目を輝かせながら身を乗り出した。
彼も知将タイプというよりも猛将タイプの武将であり、このような作戦を考えるのは得意ではない。
同郷の先輩が披露した作戦に素直に感嘆し、ぜひその一翼を担いたいとの想いがあふれていた。
「おう、さすがは孫君だ。今回の作戦の成否は貴君の働きにかかっている。よろしく頼むぞ!」
破顔した朱儁が応じたことで、孫堅の先陣は簡単に決まった。
孫堅軍1千を先陣とし、朱儁直属の1千、程普率いる3千の計5千の陣容である。
朱儁は夜の闇が落ちるのを待って5千の決死隊を率い、ひそかに城の東北へと向かった。
将兵たちには声を出すのを禁じ、身に着ける鎧なども革のものにするなど発する音を最小限にする工夫をこらしたこともあり、その移動には通常よりも時間を要したものの、無事に妨害を受けることなく目的地へとたどり着いた。
夜目に黒々とした城壁が見える場所まで達すると、孫堅はかねての手はずどおり数十人の身軽な兵を城壁に向けて前進させた。
彼らは手に手に鉤縄を持ち、城壁の下に達すると上へと投げ上げた。
いくつかの鉤が城壁上へと達し、たちまちするすると兵が登っていく。
縄を登っていく兵が発するかすかな物音や息遣い以外、周囲は静寂に包まれている。
やがて、幾人もの兵が城壁上へと達し、縄や縄梯子を垂らした。
城壁上にはまったく人影がなく、その作業を妨害する者はいない。
「いくぞ!」
孫堅は短く声を発すると、城壁へ向かって駆け出し、垂れている縄のひとつをつかんだ。
そのままためらうことなく上へ上へと登っていく。
大将が真っ先に飛び出したとなれば、他の将兵も続かざるをえない。
孫堅軍の将兵は我も我もと先を争い、縄をつかんで登り始めた。
そうこうするうちに孫堅は城壁を登りきると、休む間もなく兵をまとめて城内へと降りる階段に向かった。
そのころになってようやく敵兵が姿を見せたが、数も少ないうえに不意を突かれて混乱するばかりだ。
孫堅は容易く彼らを打ち破ると、ついに城門を解放した。
ギィーと大きな音がして城門が開き、孫堅軍の兵が外へ向かって松明の火を振り、友軍を招き入れた。
こうなると、戦いの帰趨は決まった。
朱儁軍5千は一挙に城の東北隅を占拠し、そのまま城内に攻め入った。
朱儁の読み通り黄巾軍は朱儁軍の攻撃に備えて城の西南へと集結しており、他の箇所は手薄であった。
黄巾軍は突然降って湧いたような官軍に恐れ戸惑い、実数よりも多く誤認して逃げ出した。
もはや戦いらしい戦いにもならず、たちまち城の大半が朱儁軍の手に落ちた。
黄巾軍の手に残されたのは、城の西南の内城壁がめぐらされて小城のように独立している一角だけだった。




