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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第159話 潼関の戦い(中編)

 徐晃が黄河西岸の左馮翊に橋頭保の確保に成功したことで、曹操は馬超との戦いに大きな進展を感じたようだ。

 難攻不落の潼関への正面攻撃にまったく期待感を持っていなかっただけに、自軍にとって有利な状況が到来したと喜んだのだ。


「船を準備せよ。河水を渡り、河東郡へ向かうのだ!」


 211年閏8月、曹操は全軍に指令を下し、陣を払って黄河の北の河東郡へ移る準備を進めさせた。

 もちろん曹操の意図は北方への退避ではなく、そこから馬超軍の側面・背後に回り込む作戦である。

 これが決まれば、馬超軍は潼関に押し込められるか、それを嫌って後退するか、はたまた平原に恵まれた渭水盆地での決戦を選ぶしかなくなる。

 いずれにしても、烏合の衆に過ぎない馬超軍に大きな混乱が生じるのは確実であり、曹操軍の勝利は固いと思われた。


 曹操はほぼ全軍を動員し、黄河の渡河を開始した。

 曹操軍は弘農郡湖県の県城を中心に兵力を展開させていたが、ここを守る最低限の兵だけを残し、用意させた船で続々と北岸に渡るのである。

 馬超軍が10万と称する大軍である以上、今持てる戦力の大部分でもって馬超軍の側面や後方に起動しなければ勝てないと曹操が判断した結果であった。


 だが、先鋒の軍が渡河を開始したころ、不幸にも曹操軍の動きは潼関にいる馬超に知られてしまった。

 馬超は瞬時に曹操の意図を洞察し、ただちに軍を率いて曹操軍のもとへと向かった。

 十分な質・量の偵察兵でもって敵軍の情報収集を行って的確に重要情報を入手したり、戦機と見るや迷いなく出撃を決断したりと馬超は若年ながら優れた指揮官の素質を見せていた。

 それは曹操にとっては何よりの不幸であった。


 自ら騎兵を率いて出撃した馬超は、曹操軍の先鋒部隊が河を渡り、次いで曹操のいる中軍が渡河しようと乗船をはじめたタイミングで曹操軍へ接近した。

 それは馬超にとっては理想的なタイミングであり、曹操にとっては最も都合の悪いタイミングであった。


「くそ、馬孟起の動きがこれほど急だとは・・・。あの若造を少し侮っていたようだ・・・。」


 曹操はほぞをかんだが、今さらどうにもならない。

 馬超の騎兵の後ろには当然歩兵もついてきているはずであり、刻々と敵戦力は増強されるはずなのだ。

 実際、急に出撃したにしては馬超の兵は多く、総勢1万を数える大軍であった。

 馬超は進軍速度を重視し、すぐに動かせる自分の子飼いの兵のみを動員し、素早く出撃したのだ。

 これは馬超の戦術眼と決断力が凡庸でないことをよく示しているとともに、潼関に籠る馬超軍がやはり寄せ集めに過ぎないことを示唆していた。


「俺自ら殿軍を務める。すでに船に乗った者の渡河を急がせよ!」


 曹操はそう勇ましく周囲に告げたが、何のことはない。

 元々最後の方に渡河する予定であったため、周囲が手薄な状態で馬超の襲撃を受けた結果であった。


 曹操は虎士と名付けた屈強の親衛部隊百余名とその指揮官である許褚に守られており、身の安全は十分に図れていると考えていた。

 だが、その余裕は馬超軍の投射攻撃によってたちまち打ち砕かれた。

 馬超は曹操軍を補足すると、まず矢の雨を浴びせかけた。

 どれほど屈強で、どれほど精巧なよろいに守られていても、数百数千の絶え間ない矢の攻撃を受け続けていれば被害は一方的に拡大していく。


「閣下、兵はもはや河水を渡りました。我らも今すぐ渡るべきです!!」


「しかし・・・」


 たまりかねた許褚がそう声をかけ、曹操に乗船を促した。

 先に渡河した兵が使った船はまだ戻ってきておらず、曹操とごく一部の者が乗れるだけの船数艘しか残されていない。

 馬超軍の攻撃を食い止めるために戦っている兵はまだいるうえに、現在曹操を守っている虎士たち全員が乗ることも不可能であった。


「閣下の身に何かあれば、この戦は負けとなってしまいます。さあ、早く今のうちに!」


 許褚は強引に曹操の腕を取ると、引きずるように船へと連れて行った。

 許褚は左手に曹操の馬から外した鞍を持っており、それを盾のようにして曹操の身体を覆うという怪力ぶりを見せつけた。

 一時は死を覚悟した曹操であったが、許褚の頼もしさに落ち着きを取り戻し、その進言に素直に従って船へと乗り込んだ。


 ただ、ここでさらなる苦難が曹操を襲った。

 極限状態に置かれると、どんな勇士も生への執着が沸き起こるものだ。

 虎士たちは船を目にすると、我も我もと船に乗り込もうとした。

 こうなると、誰が制止しようとしても彼らには届かない。


「どけ。どけっ!!」


 恐れない敵はいないとされる許褚の怒声も、まったく効果がない。

 許褚はやむなく船によじ登ろうとする味方の兵を斬って回り、船頭には早く船を出すよう怒鳴った。


「ぐわ・・・!」


 そんな矢先、またも曹操や許褚を不幸が襲った。

 櫂を漕ぎ始めていた船頭がくぐもった声をあげたかと思うと、そのまま倒れてしまったのだ。

 彼の喉元には深々と矢が突き刺さっており、どうやら即死したようだ。


「やむをえぬ。」


 許褚は素早く櫂のもとへ移動し、右手で櫂を漕ぎ始めた。

 驚くべきことに、左手には盾代わりの鞍を持ったままであり、その状態で常人では両手でこぐ櫂を操りはじめたのだから、彼の膂力はやはり人並外れている。

 許褚はしばらくこの状態で操船し、矢の届かないところまで来ると、両手を使って全力で櫂を漕いで対岸へと向かった。

 周辺の船は曹操軍が根こそぎ押さえたはずだが、いつ馬超軍が船を手に入れて追ってこないとも限らない。

 曹操にとっては、対岸の自軍に合流するまで生きた心地がしない時間が続いたのであった。


 曹操の命を直接的に救ったのは間違いなく許褚であったが、もうひとり大きな貢献を果たしたのが典軍校尉の丁斐であった。

 彼は皇帝直属軍の軍馬を管轄する役目を担い、今回の遠征においても軍馬の管理の責任者として従軍していた。

 馬超軍の急襲で味方が苦戦している状況を見て取ると、独断で管轄する牛馬を敵軍に向けて放った。


 突如戦場にあふれ出た牛馬を見て、馬超軍の兵たちの足が止まった。

 ほとんどが涼州出身者で構成されている馬超軍は、牛馬に関する執着がひときわ強い。

 遊牧民である羌族の血を濃くひいていたり、羌族と日常的に関りが深い者たちにとって、牛馬の価値は中原の民の比ではないのである。

 馬超軍の兵たちは目の前の牛馬に関心を移し、曹操への追及の手を緩めてしまったのだ。


 こうして命拾いをした曹操は、許褚と丁斐への信任を一層厚くしたが、その褒賞をする間も惜しんで北に向かった。

 言うまでもなく、当初の作戦通り渡河を実施し、蒲阪津から左馮翊に上陸するためである。

 馬超がすぐさま渡河中の曹操軍に攻撃をかけてきたことを考えれば、一刻でも時間を無駄にすることは避けたかった。


 河東郡に渡ることに成功した曹操は、打って変わって順調に再度の渡河の準備を進めた。

 対岸にはすでに徐晃が確保・整備を行っていた蒲阪津があり、河東郡は曹操軍がしっかりと確保できていたため、今度は敵の妨害を受ける恐れはなかった。

 曹操は徐晃に迎えられて蒲阪津に入り、麾下の兵馬も滞りなく渡河を終えた。


 曹操はさらに南下を企て、黄河にそって南北に車を並べて即席の甬道(両側を壁で囲まれた道)をつくらせ、進撃路及び補給路を確保しようとした。

 曹操軍は左馮翊の支配を回復しつつ南下し、潼関にいる馬超の背後に回り込もうとしたのだ。

 この曹操軍の動きを見た馬超軍の梁興は自軍だけでは到底かなわないと判断したらしく、南の渭水目指して去って行った。

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