第154話 周瑜、密計を案じる
劉備との会談を終えた魯粛は、その後南郡太守として江陵に駐留する周瑜に会いに行った。
荊州の一部を劉備に貸し与えることはあらかじめ周瑜と相談ずみであったが、新たに劉備と孫権の妹が結婚することになった経緯について直接説明するためである。
もちろん、すでに周瑜のもとへは孫権から連絡が入っているだろうが、今後のことを協議するためにも魯粛は江陵へ足をのばすことにしたのだった。
「劉琦の死は小さくない打撃と思われたが・・・これで当面はこの荊州が揺らぐことはなさそうですね。ただ、まったく安心とまではいかないでしょうが。」
魯粛から婚姻のことについて詳報を得た周瑜は、そう言って一定の評価を下したが、同時に不安も吐露した。
孫権陣営と劉備陣営の関係が強まったことに対し、どんな不安があると言うのだろうか。
魯粛は疑問をぶつけた。
「何か不安がおありで!?」
「劉玄徳という男、人当たりは柔らかく、才もある。味方にすると頼もしい男だが、黙って人の下に甘んじ続ける者とは思われない。子敬どのはそう思われませんか?」
「確かに、曹孟徳に牙をむいた男ですからな。しかし・・・今の彼は我らの助力がなければ立ち行きません。それがわからないほど血の巡りの悪い男とも思えませんが・・・。」
「それはそうでしょう。すぐにどうということはないでしょうが、いずれ我らから離れる動きを見せるでしょう。わたしは今のうちに手を打っておくべきだと思うのですが。」
「どのような手を打たれるのでしょう?」
「劉玄徳は花嫁を迎えに行くために自ら出向くと言っていたとのこと。ならば、そこで何ヶ月も接待漬けにしてしまえばいい。そして、その間に彼の陣営を調略して切り崩す。」
「それは・・・うまくいくでしょうか。」
「成算はあります。劉玄徳の弱みは頼れる親族や腹心と呼べる者が少なく、新参者が多いこと。それはすなわち、劉玄徳がいなくなればまとまりが失われかねないということです。あえてその状況をこちらでつくり、動揺させ、切り崩しやすくする。わたしが見るところ、劉玄徳は戦場を生き抜いてきた男だけに華美贅沢の味を知らない。婚礼の祝いにかこつけて連日の宴会などで骨抜きにし、数ヶ月逗留させ続ければ、新参の者たちは劉玄徳に幻滅するだろう。そこを衝いて誘いをかければこちらによしみを通じてくる者が必ずあらわれるだろうし、そのまま工作を続けて劉玄徳の勢力を解体・吸収してしまえばいい。」
周瑜が語ったのは、現在日の出の勢いにある劉備陣営が寄り合い所帯にすぎないという弱点であり、そこを衝いて劉備陣営を切り崩す策であった。
確かに劉備は赤壁後に急激に勢力を拡大した結果、荊州の人士を多数傘下に入れることになった。
彼らは朝廷を壟断する曹操への反感を持ち、自分と同じ考えを標榜する旗頭として劉備を選んだ者が多い。
劉備は長坂で曹操軍に大敗したが、頼ってきた民を見捨てずに同行させた結果としての敗北であり、かえって名声を高めるというプラス要素が大きかった。
劉備が荊南四郡を1年足らずで征服しえたのは、これらのプラス要素が大きかったのだ。
だが、もし劉備が支えるに足らない人物であることを露呈すればどうなるか。
わずかな期間で獲得した荊州人士の信望は地に落ちることだろう。
周瑜の策はその点をねらい、劉備を婚礼の祝いに事寄せて接待漬けにし、荊南四郡を見捨てたと感じるほど長居させ、そうしてガタガタにした劉備勢力を美味しくいただこうという狡猾なものなのだ。
劉備陣営に対して直接武力を振りかざせば孫権に対して反発が起きるだろうが、この策ならばそうした気遣いはない。
目につくのは劉備の「だらしなさ」であり、それを意図的に引き起こした孫権に非難は向かないはずだ。
接待攻勢には莫大な費用を要するであろうが、もし劉備勢力をそっくり吸収することができれば、取るに足らない「経費」となることだろう。
「ううむ、なるほど・・・。」
魯粛は周瑜の策を聞き、うなったまま黙り込んでしまった。
これは魯粛が推進してきた劉備との和親策を骨抜きにする策だ。
ただ、魯粛がこの策に単純に反対か、と言われれば事はそう単純ではない。
あくまで魯粛が最優先するのは孫権の利益である。
その視点で見たとき、曹操に対抗して孫権勢力を維持し、荊州方面での発展のために劉備と親交を深め、より上位の立場に孫権が立てるよう推進していくのがベストな選択だと魯粛は考えている。
しかし、周瑜が披露した劉備勢力を吸収する策が成功するなら、自分の戦略に固執する必要もないと魯粛は思ったのだ。
「良き策と存じます。」
魯粛ははっきりとした声で周瑜に告げた。
周瑜の策は狡猾ではあるが、表向きは両者の親睦が前面に押し出されるため、性急に結果を求めることさえしなければ両勢力の親善が深まることはあってもひびが入ることはないだろう。
魯粛は周瑜の策をローリスクハイリターンの良策と感じたのである。
「子敬どのがそう言ってくだされば心強い。早速我が君に使者を立て、裁可を仰ぐとしよう。」
周瑜は安心したような笑みを見せた。
秀麗な面差しの彼が安心したような笑顔を見せると、男である魯粛にとってもハッとするような魅力があった。
「願わくばその使者の任、この子敬にお任せいただきたい。わたしは無二の劉玄徳どのびいきとして内外に知られております。公瑾どのだけでなく、わたしが劉玄徳どのを心からもてなすことを提言すれば、まさかその裏にこのような策謀が秘められているとは思われぬでしょう。そこをおおいに利用するのです。」
「確かに、子敬どの以上の適任者はいない。お言葉に甘えて良いでしょうか?」
「お任せください。」
周瑜の密計に価値を認めた魯粛は、その片棒担ぎを自ら名乗り出た。
孫権勢力内の親劉備派筆頭と見られている魯粛である。
その彼が孫権の義弟となる劉備のために盛大なもてなしを主張すれば、従来の言動と何ら矛盾しないどころかこれほど説得力のある提唱者はいないと言っていいいくらいだ。
もし劉備勢力の切り崩しがうまくいかなかった場合は魯粛が推進してきた従来の戦略に立ち返ればよく、その場合に交渉窓口としての魯粛に対する劉備陣営の印象は良くなることはあっても悪くなりようがない。
考えれば考えるほど、魯粛が周瑜の策にからむ意義は大きかった。
魯粛は揚州に戻ると、孫権と二人きりで面会して周瑜の策を伝えた。
周瑜の策を聞いた孫権は膝を打って同意を示し、自分だけでなく麾下の者たちも巻き込んで連日連夜劉備を歓迎の宴に招いたり狩りを共にしたりする方針を示した。
表向きは孫権が劉備との親善を内外に大々的にアピールする様子を見せ、その実は少しでも長く劉備を荊州から遠ざけるのが狙いである。
孫権が全面的に同意したことで、大がかりな周瑜の策は実現に向かって動き出した。
両勢力間で何度も使者や贈り物の贈答が行われ、婚礼の準備は着々と進んだ。
その間、孫権側からは熱心に劉備の揚州行きを勧める手紙が届けられた。
「高名な劉玄徳どのと一度お会いしたい」とか「妹の夫になる人に会いたい」とか「天下に我々の友誼のほどを見せつけたい」といった理由で孫権は熱心に劉備を招いたのである。
元々劉備から言い出したことであるし、劉備側に異存はなかった。
劉備は明確に揚州行きを宣言し、ついにその日がやってきた。