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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第152話 魯粛、荊州貸与を進言す

 苦戦の末に江陵城を落とした周瑜であったが、その顔に安堵の色は少なく、むしろ苦悩と焦燥に満ちていた。

 その理由はある男の躍進にあった。


(我が軍は1年かけてようやく江陵を得た。だが、とてもすぐに襄陽まで奪うだけの余力はない。それなのにどうだ!劉玄徳は我らが苦戦する間にぬくぬくと荊南四郡の攻略にいそしみ、その領土をはなはだしく広げている。つい昨年まで素寒貧同然だったあの男がだ!!)


 そう、周瑜の悩みの種は味方である劉備である。

 周瑜が江陵で激闘を繰り返している間に、劉備は長江の南に広がる長沙・武陵・桂陽・零陵を順調に経略し、大きくその勢力圏を広げていた。

 現在荊州において最も広い地を実効支配するようになったのは劉備なのだ。


 元々これらの四郡の太守は曹操によって新たに任命されていたが、赤壁で敗退した後は中央から切り離され、脆弱な勢力基盤しか持っていなかった。

 実戦力が数千人規模でしかない劉備でも対抗できる存在であった。

 周瑜や魯粛は江陵攻撃時に南からの圧力がかかることを嫌い、劉備を重石として使うつもりであったが、予想以上に劉備軍は戦上手ぶりを発揮して次々に四郡を征服してしまったのだ。

 もっとも、進軍する劉備軍に抵抗せず降伏した者も多かったことから、劉備に対する荊州人の支持がある程度大きかったことは考えられる。

 十万余の民とともに逃げるという劉備の決断は、長期的に見て奏功したと言えるだろう。


(これでは劉玄徳の勢力拡大を助けるために、我が軍が江陵で戦っていたようなものではないか!)


 南方への牽制として劉備を使っていたつもりなのに、現実は周瑜が強力な曹仁軍を拘束している間に劉備が荊南を手に入れる形になっている。

 周瑜にとって、赤壁で自ら血を流して曹操軍に勝利したのに対して、現状はあまりに報われていないと感じられた。


「閣下、そう悲観するものではありません。」


 周瑜の苦悩の理由を察し、そう声をかけたのは魯粛である。


 傍らで周瑜を助けてきた魯粛にとっても、現状は不本意であった。

 劉琦・劉備をうまく使い、孫権が事実上の荊州の主となる戦略を構想していたのに、劉備が漁夫の利を得る形になってしまったのだから。


 ただ、魯粛は思い描いた戦略が機能しなかったことに不満は感じたものの、周瑜のように焦りまでは感じなかった。

 劉備は劉備で泣き所はある。

 そこを衝いて、うまくコントロールしていくことは可能だと考えていたのだ。


「子敬どの。何か妙案をお持ちなのか?」


「ええ。我が主孫仲謀が劉玄徳に命じて荊南四郡を攻め取らせた、と天下に喧伝するのです。実際、荊南四郡に進軍したのは劉玄徳どのの軍だけではありません。我が軍の一部も含まれています。」


 実は、江陵攻略を行うに当たり、周瑜率いる孫権軍と劉備軍との間で兵力の融通を行っていた。

 これは劉備の方からの申し出で実現したもので、孫権軍から2千人を劉備軍に貸与するかわりに、張飛率いる劉備の兵1千を一時的に周瑜指揮下に移す、というものだった。

 お互いに裏切らないための人質のようなものであり、このやり取りがあったために両軍は互いの背中を相手に預けることができた。

 魯粛はこの事実を利用し、孫権が劉備に荊南四郡を攻めさせ、その兵力不足を補うために孫権軍の一部をつけて支援させた、という風に持って行こうと言うのだ。


「うまくいくだろうか。」


「劉玄徳どのは荊南四郡を支配下に置きましたが、独力で維持するには力がまったく足りません。結局、我らと共闘するしか道はないのです。荊南四郡は我が主孫権が劉玄徳どのに貸与している、そういう形を貫くべきです。」


「うむ・・・だが、子敬どの。江夏の劉琦の存在を忘れていないか?両劉が結べば、我らはこの南郡の地で孤立する。」


「劉琦は・・・重病です。それも明日をも知れぬ、死病だとのことです。」


「それは本当ですか!?」


 魯粛がつかんだ重大情報に、周瑜は驚きを隠し切れない。

 劉琦はまだ春秋に富む年齢であり、それが死に瀕しているとはにわかに信じがたい。


「ええ。程公からの情報ですから確かです。以前から病がちではありましたが、このところはまったく公の場に姿を見せぬそうです。程公が奥向きの者に接触を試みたところ、どうやら床から起き上がれぬほどの重病であるとか。もはやその死は遠い先ではありますまい。」


 程公とは、孫権軍の重鎮である程普のことだ。

 彼は赤壁の戦い後は江夏郡に駐屯し、劉備軍が抜けた後の江夏郡の守備と周瑜軍の後方支援を担当していた。

 もちろんそれは表向きの理由で、実際には劉琦らの監視の任務が付帯していたことは言うまでもない。

 彼は立場上劉琦と会う機会がしばしばあったのだが、このところはまったく面会できなくなり、どうやら劉琦が病床に臥したままであることをつかんだのだ。


「となると・・・話は変わってきますな。劉琦が死ねば、劉玄徳は我が主に反発しようとしても、担ぐ者がいなくなる。」


 劉琦は亡き劉表の遺児であり、その後を継ぐ形で荊州刺史となっている。

 実際には劉備が劉琦を荊州刺史に任じるよう朝廷に上奏しただけの僭称にすぎないが、劉琦の支配する江夏郡はもちろん、同盟関係にある孫権軍や劉備軍が実効支配する荊州の各地でも一定の支持を得ることができている。

 もし劉備が彼を名目上の盟主に祭り上げることができれば、孫権軍は荊州支配の名分がなくなってピンチに陥りかねない。


 しかし、劉琦が死ぬとなれば、劉備は担ぐべき旗印を失う。

 劉備も孫権同様に何の正当性もない「よそ者」に過ぎなくなり、むしろ亡父の孫堅が長沙太守を務めていた孫権よりもさらに縁遠い存在に成り果ててしまう。

 孫権の敵と結ぼうとしても、荊州内におけるそれは劉備が長年アンチテーゼとして反発してきた曹操しか選択肢はなく、そうすれば劉備は自己の勢力内での求心力を失いかねない。

 そのような状況で孫権と対決できるはずがなかった。


「閣下、わたしが陣を離れることをお許しください。我が君に拝謁し、江陵攻略が成ったことを報告するとともに、わたしの策を言上したいと思います。おそらく我が君も閣下と同じく劉玄徳どのの躍進について不安に感じておられましょう。」


「わかりました。もし劉琦が死ねば、すぐさま我が軍がその兵や地を併せることもお伝えくだされ。」


「承知いたしました。」


 こうして魯粛は南郡を発ち、揚州へと向かった。

 途中、江夏郡では劉琦への面会を求めたが、予想した通り面会はかなわなかった。

 魯粛は劉琦が瀕死の床にあることを確信しつつ、合肥方面で曹操軍と対峙中の孫権のもとへと向かった。

 荊州方面の情勢について案じていた孫権はすぐに魯粛を引見した。


「そうか、江陵を得たか。昨年からの周瑜の功績は大である。余は南郡太守と偏将軍の印綬をもって彼の功績に報いるとしよう。」


 このところ揚州において曹操軍に押されていた孫権は、荊州方面での成果を聞いて愁眉を開いた。

 ただ、満面の笑みとはいかない様子である。


「我が君におかれましては、何やら心配事があるご様子。それについて、わたしが妙策を持って参りました。お人払いを。」


 魯粛は予想通り孫権に危惧するところがあると見抜き、妙案を提示するからと人払いを願った。

 そして望み通り二人きりとなると、口を開いた。


「劉琦は間もなく死にます。劉備は荊州牧か荊州刺史を名乗って自立を図るかもしれません。」


「何だと!?」


 孫権はうめいた。

 やはり劉備の動向がかなり気になっていたらしい。


「荊南四郡を手に入れ、さらには余に盾突こうと言うのか!!左将軍・豫州牧などと名乗っておるが、あやつは曹軍から逃げ惑い、ようやく江夏に流れ着いただけの者ではないか。今あるのも余が援軍を出し、曹軍を破ったからだ。それを・・・それを・・・!」


「まあ、お気を鎮めてください。例え彼が荊州牧を名乗ったとしても、曹孟徳が認めるはずがありません。もし我が軍と敵対すれば、それこそ身の破滅です。」


 興奮しだした孫権に対し、魯粛は冷静に落ち着かせる。

 信頼する魯粛が落ち着き払っているのを見て、孫権も冷静になって次の言葉を待つ。


「もし劉玄徳どのが荊州牧や荊州刺史になりたいと申して来たら、これを認めてやるのです。」


「それでは奴の言いなりではないか。」


「いいえ、そうではありません。我が君から朝廷に上奏することで、我が君が彼を荊州牧にするのです。あくまで荊州は我らが力で曹孟徳から奪い返したもの、劉玄徳どのの支配地は我らが貸し与えているという形をとります。劉玄徳どのは我らと敵対できない以上、受け入れるしかありません。」


「荊州牧の虚位を与え、劉玄徳を余の下風に立たせる、か。そうなればしめたものだが・・・うまくいくか?」


「そのあたりの交渉を、ぜひわたしにやらせていただきたい。このことは周公瑾どのとも打ち合わせずみです。劉琦が死んだと聞けば、公瑾どのはすぐに江夏を接収する心づもりでおります。」


「・・・わかった。そなたに任せよう。ただ・・・それだけでは不安だ。もう一つ劉玄徳をこちらにつなぎとめる工夫をしたい。妹を劉玄徳に嫁がせようと思う。どうであろう?」


「ご英断と存じます。」


 孫権が持ち出してきたのは、政略結婚である。

 妹を劉備に嫁がせることで、孫権は義兄の立場となる。

 そうなれば、より孫権が上位での関係を構築しやすい。

 劉備と孫権の妹では親子かそれ以上の年の差があるが、そんなことは勢力の浮沈をかけた戦略においては些細なことと孫権は割り切った。


 間もなく、江夏の程普から劉琦の死を知らせる使者が来た。

 魯粛は孫権に呼び出され、そのことを知った。


「粛、そなた公安へ向かえ。」


 魯粛は孫権の命を受けて荊州へと向かった。

 まずは江夏の程普と面会し、孫権から程普が江夏太守に任じられたことを伝えた。

 程普はすでに行動を起こし、事実上江夏太守として振舞っていたので現状の追認の形であったが、ここに江夏郡は孫権勢力に無血占領されたことになった。


 江夏を出た魯粛は長江をさかのぼり、劉備がよる公安城へ向かった。

 ここは劉備が新たに築いた城市で、元は油江口と呼ばれた地にあった。

 南郡太守となった周瑜から劉備は南郡のうち長江南岸地域の支配を委ねられており、公安はその拠点であった。

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