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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第145話 孫権軍、江夏へ向かう

「いやあ、腕が鳴りますな!」


 長江を遡る孫権軍の大船団は、まさしく威容と形容するにふさわしい堂々たる姿を周囲に見せつけていた。

 それを満足そうに眺めている船上の魯粛に対し、嬉し気な野太い声をかけてきた者がいる。

 振り返った魯粛は、親しい顔を目に留めて破顔した。


「なんだ、子明じゃないか。」


 孫権軍の先鋒を務める呂蒙、字を子明という者の姿がそこにあった。

 彼は豫州汝南郡の出身であるが、同郡の代表的名家である袁家には仕えず、まだ十代の若さで姉の夫を頼って揚州へと移住した人物である。

 というより、彼の生家は名士層に属するような家系ではなく、袁家に仕えてもうだつが上がらないと考えてのことであった。


 腕っぷしが強く人並み優れた度胸を持つ呂蒙は十代半ばから頭角を現し、勇猛な孫策は彼を可愛がって近衛兵の部隊長の地位を与えた。

 彼は戦場においては泣く子も黙る猛将であったが、平素は人懐っこい明るい性格の男で、誰彼となく話しかけては意気投合するのが常であった。

 気難しい名士の張昭も彼には心を開いていて、数年して呂蒙の姉婿が亡くなると、その後任に呂蒙を推した。

 呂蒙の朗らかな性格は部下にも向けられ、おおいにその信頼を得た。

 ただ、呂蒙は滅多に怒ることはなかったが、自分を馬鹿にした男を斬り殺した過去があり、それをよく知る兵たちはまだ若い呂蒙を決して軽んじることはしなかった。

 呂蒙隊は底抜けに明るいものの軍規は厳正で、兵数こそ少ないが戦場ではよく目立つ存在であった。


 孫策の後を継いだ孫権は、自軍に兵の少ない部隊がやたらと多く統制が取りづらくなっていることを憂いて軍の再編成を考え、働きの見込めない小部隊は解体して大きな部隊に統合することにした。

 呂蒙の部隊もその対象になりかけたが、孫権による閲兵にあたって呂蒙は自費をはたいて兵たちの装備を整え、意気に感じた部下たちは日ごろの訓練の成果を見せつけた。

 呂蒙隊の整然とした様子は孫権の称賛を浴び、呂蒙は孫権の信頼を勝ち得て兵を増員され、以後は幾多の戦いで先鋒を務めることとなった。


 魯粛と呂蒙が親しくなったのは、例によって人懐っこい呂蒙が魯粛に話しかけてきたことがきっかけだった。

 魯粛は覚えていなかったのだが、彼が孫策と初めて会ったとき護衛兵のなかに若き呂蒙もいたらしい。

 堂々とした論陣を張る魯粛に呂蒙は敬意を持ったらしく、魯粛が孫権に仕え始めて間もなく呂蒙は魯粛に声をかけてきたのだった。


 魯粛も昔から色々な人と交友を結んできた社交的な男であり、2人はすぐに意気投合した。

 ただ、魯粛の方が6歳上ということもあり、どちらかと言えば先輩後輩のような間柄である。

 呂蒙が戦場での手柄話や部隊内での笑い話を延々としゃべり、それを魯粛が楽しんで聞いているということが多い。


「もうすぐ江夏郡へ入るな。君が今春に大活躍したところだ。」


 魯粛は呂蒙の肩を叩きながら、にこやかに語りかけた。

 今春、すなわち208年春に孫権軍は長年苦戦を強いられてきた江夏の黄祖をついに敗死させ、孫権は亡き父孫堅の仇を討った。

 この戦いで先鋒を務めた呂蒙は、黄祖軍の都督であった陳就の水軍を破り、陳就を討ち取った。

 これを聞いた黄祖は城を捨てて身一つで逃げようとしたが、孫権軍の騎兵に追いつかれて敗死したのである。

 黄祖逃亡のきっかけをつくった呂蒙は武功第一とされ、孫権から褒美として数千万銭の銭を与えられ、横野中郎将という立派な武官職も授かった。

 孫権軍は江夏郡を占拠したものの実効支配を続けることができずに間もなく撤退したため、総大将格であった周瑜すら目立った褒賞にあずからなかったくらいであり、褒美の下賜はそれだけ孫権が呂蒙の働きを認めたからであった。


「そうですな。でも、その時戦った荊州のやつらと今度は手を組んで、曹操と戦うってのがよくわからねぇ。どっちも血祭りにあげちまえばいいんじゃないんですか?」


 魯粛はこの気持ちのいい「後輩」を気に入っていたが、唯一不満があるとすれば何でも腕っぷしで解決しようとするこの傾向であった。

 呂蒙は雄大な戦略などにはたいした興味を示さず、その関心のほとんどは自分の部隊に向けられ、他はせいぜい味方が勝つかどうかくらいにしか気にならない様子なのだ。


「むやみに敵を増やすのは良くないのだよ。それより、強大な曹操に対抗するためには、荊州の両劉氏は貴重な同盟勢力になる。お互いに手を組まなければ曹操にひねり潰されるのを待つだけだからな。」


「ふうん。まあ、難しいことは子敬どのにお任せしますぜ。俺は先頭きって突っ込んでいくだけでさ。」


「今日も阿蒙は阿蒙のままだな。」


 魯粛は苦笑した。


 呂蒙はまさしく典型的な武人であり、魯粛は彼の正直さを愛しながらも、時に「阿蒙」と呼んでからかっていた。

「阿」とは「~ちゃん」といった意味で、直訳すれば「蒙ちゃん」と言う意味になる。


 ただ、「蒙」という文字には「暗い」という意味がある。

 魯粛は呂蒙の思考が直線的で奥行きがないことをもったいなく思い、暗にその改善を促していたのだ。

 今のままでは単なる勇猛な部隊長で終わってしまう、と魯粛は呂蒙のために心配していたのだった。

 ただ、言われている呂蒙自身は武一辺倒の自分をむしろ誇りに思っているらしく、魯粛の意図を知ってか知らずかまったく意に介す様子もなかった。


「へい。曹軍の名のある将の首をとって見せますぜ!ああ、腕が鳴るなあ!!」


 呂蒙は右腕を振り回しながら、船にしつらえられた巨大な楼閣に向かって行く。

 ここ周瑜の旗艦ではこれから軍議が行われることになっているのである。


(あの様子では、軍議の内容もろくに頭に入っていかないだろうなぁ。素直な男だから、興味を持って学べば、兵法もすんなりと身につくかもしれぬのに。実に惜しいことだ。)


 呂蒙の大きな背中を見つめながら、魯粛は小さくため息をついた。


「ため息などつかれて、どうされましたかな?軍議で何か心配事でも生じましたか!?」


 そんな魯粛に声をかけてきたのは、この船団の総大将である周瑜だ。

 あわてて拝礼しながら、魯粛は周瑜に何も心配事などないと告げた。


「そうですか。間もなく諸将がみな集まります。どうぞ中へ。」


「これは失礼しました。わざわざ総大将に声をかけていただくとは・・・申し訳ございません。」


 普段はもっとくだけた態度で接するふたりだが、さすがに公式の場ではそうはいかない。

 魯粛は周瑜に対する礼をおろそかにはしなかった。


 間もなく、楼閣内で軍議がはじまった。

 それなりの広さがあるはずだが、主だった将が十数人も入ると、なかなかの熱気である。


「わざわざこの船にまでご足労いただき、感謝いたす。上流を探らせていた部下から報告が入ったので、今後の作戦について話させていただく。」


 周瑜は諸将の顔をひとりひとり見渡しながら、会議の開催を告げた。


「我が軍はこのまま江夏郡へ入り、まず夏口で劉玄徳どのらと合流する。」


 これは当初の予定通りの行動である。

 諸将に異論はないようだ。


「夏口で協議を行い、玄徳どのらには夏口を出て沔水の上流を押さえてもらうよう要請する。我が軍は、長江をさかのぼり、南郡に入って州陵の辺りで曹軍を待ち受ける。」


 周瑜の作戦は曹操軍の侵攻ルートを2つに絞り込み、なるべく上流で迎え撃つというものであった。

 まず、襄陽から漢水を下っていくと沔水という川に合流し、やがて夏口に至ることになる。

 このルートで襄陽からの軍勢が南下してくることを想定し、劉備や劉琦ら江夏郡の軍勢にこのルートを押さえてもらう。

 次に、江陵から長江を下って来る曹操の本軍に対し、南郡と江夏郡の境付近まで自分たち孫権軍が押し出し、これを迎え撃つ。


 戦場予定地はいずれも湿地が広がっているため機動がしづらいという共通点があり、戦いの主役はおのずと軍船になる。

 つまり、曹操軍は頼みとする陸上の大軍は移動が制限されるためにほとんど役に立たず、半減した荊州水軍のみで孫権や劉琦・劉備の水軍に対抗しなければならなくなる。


「あいや、待たれよ。それでは劉琦らが裏切った場合、我らは退路を絶たれることになりますぞ。ここは夏口で曹軍を迎え撃ち、我らはその東方で控えるというのは?」


 諸将のなかから、異論があがった。

 周瑜の作戦では大胆なことについ先日まで敵地であった江夏郡の諸県を背にすることになる。

 確かに劉琦らが裏切った場合、周瑜以下孫権軍は敵地で孤立してしまう。

 それならば劉琦・劉備軍には江夏郡の各城で籠城させ、孫権軍はその後方支援に徹する方がリスクは少ないと言うのだ。


「いや、それでは曹軍の合流を許してしまう。また、敵の陸兵がやすやすと江夏に入ることができてしまう。戦うことなく江夏郡へ深く侵入を許せば、両劉氏の軍のなかに寝返る者があらわれかねない。上流で敵を迎え撃ち、敵が深く江夏郡へ侵入できないように持久すれば、やがて曹軍は兵を返さざるを得なくなるであろう。」


 周瑜は自説の根拠と別の作戦をとった場合のリスクを説明するが、なかなか反対意見はやまない。

 このままでは議論は平行線である。


「程公は歴戦の名将であられる。いかにお考えでしょうか?」


 周瑜は最初からじっと目を閉じて座っている老将へ水を向けた。

 一見居眠りをしているように見える彼だが、眠っていないことは時折自分のあごひげをしごいている動作から明らかだ。

 意見を求められると、程普は静かに一言だけ発した。


「諾。」


「・・・それはつまり、我が策を良しとお考えということでよろしいでしょうか?」


 周瑜が重ねて問うと、程普は大きくうなずいた。


 それで決まりだった。

 程普は孫堅の時から仕える宿老であり、軍中では「程公」と呼ばれて重んじられる存在だ。

 その程普が総大将の周瑜の作戦に賛意を示した結果、もはや反対意見を述べる者がいなくなったのである。


(公瑾どのはいつの間に程公を手なずけたのか?あれほど程公は公瑾どのを目の敵にし、ろくに口も聞こうとしなかったのに。)


 会議に出席していた魯粛は、キツネにつままれたような顔で成り行きを見ていた。

 程普は孫堅時代からの軍の重鎮であり、ここ数年だけを見ても揚州内陸部の山越と呼ばれる異民族の平定に功績があり、周瑜と同格どころかそれ以上の存在であった。

 当然、彼は周瑜が対曹操戦の総司令官となったことを面白く思っておらず、柴桑を出てからというもの周瑜と顔を合わせてもほとんど会話すらしなかった。

 周瑜の作戦に対して反対の急先鋒になってもおかしくない人物であるが、あっさりと周瑜についたのである。


 実は、周瑜は程普ら宿老たちが不満を感じていることを敏感に感じ取り、自分から下手に出てコミュニケーションを取るようにし、自分の作戦案についても積極的な意見を求めていたのである。

 言わば根回しをきちんとしていた結果であり、最初は周瑜のことを生意気な小僧扱いしていた程普たちも、同じ孫家を守るという目的のためには一致協力すべきだという周瑜の主張の正しさを受け入れたのであった。


 こうして孫権軍は軍の結束を強めながら進軍を続け、無事に江夏へ入ったのであった。

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