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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第144話 諸葛亮、孫権を挑発す

 いよいよ諸葛亮が孫権に謁見する日がやって来た。

 魯粛は案内役として先を歩き、諸葛亮を謁見の場へと導いた。


(実によく似た兄弟だ。どちらも臣下としての振る舞いを心得ている。)


 柴桑に到着してからというもの、魯粛は孫権らの会議の趨勢を見守りながら、諸葛亮の様子についても気にかけていた。

 周囲の者は諸葛亮が実兄で孫権に仕える諸葛瑾と一向に連絡を取ろうとしないことをいぶかり、実は不仲なのではないかと噂していたが、魯粛はこの兄弟の振る舞いを称賛していた。

 諸葛亮は劉備の使者としてやって来ているのであり、孫権への目通りすら実現していない状況では当然ながらその任務はまだ果たされていない。

 2人はそのことをわきまえ、私的な交流を行わなかったのである。

 使者の往来すら行われておらず、まるで阿吽の呼吸のように兄弟は沈黙を保ったのであった。


 ただ、魯粛はこのよく似ていると思った兄弟が、実は大きく違う一面も持ち合わせていることに間もなく気づいた。

 孫権との面会において、諸葛亮が過激と思える発言を行ったからだった。

 ひととおりの挨拶を済ませると、諸葛亮は孫権に対して次のように語りかけた。


「現在、天下はおおいに乱れており、そのなかで孫将軍は兵でもって江東を領有し、我が主劉玄徳も漢水の南の諸勢をまとめ、曹操と争っております。曹操はここ数年中原においていくつもの大難に遭ってきましたが、それらを排除して中原を平定し、遂には荊州に攻め入ってこれを破り、その威は四海を震わせております。このような状況ではいかな英雄と言えどその武を用いる機会に恵まれず、そのため我が主は城を捨てて敗走するに至りました・・・。」


 天下の現状を端的に説明して見せると、諸葛亮はいったん言葉を切ってじっと孫権の様子をうかがった。

 孫権は小さくうなずき、先を促す様子を見せた。

 だが、ここからの諸葛亮の発言は過激そのものであった。


「ことここに至っては、孫将軍も己の実力を見つめ直して身の振り方を考えねばなりません。もし将軍が率いる呉越の軍勢の総力を挙げて曹操に対抗できると思うのなら、早々に絶交するべきでしょう。もし対抗できないのなら、どうしてすぐに武装解除し、曹操に対して臣下の礼をとらないのでしょうか!! わたしが見るところ、今の将軍はうわべは服従するように見せて、内心では時間稼ぎの計略を考えておられるようです。事が切迫しているのに決断せずに日を過ごすようなら、禍いは遠からずやって来ましょうぞ!」


 自身は主戦論であるにも関わらず、臣下の少なくない者たちの主張する降伏論を圧倒できず、決断を先延ばしにしてきた孫権を痛烈に批判し、戦う気がないならさっさと曹操に降伏せよとまくし立てたのである。

 下手に出て同盟締結を乞うか、身内が孫権に仕えている事実から情にからめて同盟の話を持ちだしてくるだろうと予想していた孫権主従は呆気にとられ、やがてむすっとした表情になった。

 張りつめた緊張感に、魯粛まで身を刺される思いだった。


「それならば、劉玄徳どのはなぜ曹操に降伏しようとしなかったのだ?勝ち目がないと見たから、城を捨てたのだろう!?」


 明らかに機嫌を損ねた様子の孫権は、挑むような口調で諸葛亮に聞いた。

 返答次第ではこの場から諸葛亮を叩き出しかねない剣幕である。


「昔、田横は斉の国の一介の壮士に過ぎませんでしたが、義を貫いたために敗死しても辱めを受けることはありませんでした。ましてや我が主劉玄徳は皇族の末裔であり、その才能は広く天下に知れ渡っていて、多くの人士がこれを慕い、その様子はまるで水が低きに流れてやがて海に至るようなものです。もし不幸にも我が主の志が遂げられない事があるならば、それは天命というものです。どうして最後まで天命に従うことをせず、途中で人の下につくようなことができるでしょうか!」


 諸葛亮の言説では、彼の主である劉備は高貴な家柄で才能に満ちあふれており、かつて義士として知られた田横以上に義に篤い人物となる。

 そのような劉備を慕う者は天下に満ちあふれており、曹操に降伏するなどとんでもない。

 もし劉備の志が果たされなかったとしても、それは天命という人にはどうにもできぬ運命であって、劉備自らが諦めたためではないということになる。


 大ウソである。


 実際のところ、才能はともかく劉備が本当に皇族に連なる家の出であるかは不明だし、現状では彼の「義」とやらに共感して味方する者はごくわずかでしかない。

 強大な曹操の前に逃げ回っている現実は、他ならぬ諸葛亮が先ほど認めているところだ。


 諸葛亮がこんな言い方をしたのは、孫権に対する挑発である。

 思えば、今は亡き孫堅といい、孫策といい、孫家は気性の激しい男ばかりであった。

 諸葛亮は孫権も同じように熱い心を持っていると見抜き、あえてその闘争心に火をつけたのだ。


 案の定、若く短気な孫権は挑発に乗ってしまった。


「わたしは江東の地で10万にのぼる軍勢を集められる身だ。どうして曹操ごときの制約を受けることなどできよう。我が軍の方針はここに定まったぞ!!」


 すでに開戦自体は政権内部で決定していたとはいえ、劉備らの要請によって出兵するのと孫権が自主的に出兵を決定するのでは同盟関係に変化が生じてくる。

 もし追い詰められた状態の劉備らの求めに応じて出兵となると、イニシアティブは孫権にある。

 劉備らは対等な同盟相手というよりも従属関係に置かれる可能性が高くなる。


 しかし、孫権が自分から兵を出すということになれば、劉備らとの関係は対等の同盟関係になり得る。

 もちろん、諸葛亮のねらいはこちらの形であり、主君の劉備が孫権の下風に立たないですむようにあえて孫権を怒らせて自分から出兵を明言させたのだ。


「それはそうと、玄徳どのは曹軍に敗れて間もないと聞く。果たして今後、難局を乗り切るだけの力はおありか?」


 孫権としては、同盟軍の現状は気になるところだ。

 特に劉備軍は手痛い敗戦を喫したばかりであるので、実際の戦力を把握しておきたいのは当然のことだろう。


「我が軍は長坂で敗れたものの、生き残った者と戦闘に参加していなかった関羽の水軍は合わせて万を数え、劉琦さまの江夏郡の兵も1万人以上おります。」


 孫権の問いに対し、諸葛亮は劉備・劉琦軍ともに1万人ずつはおり、十分な戦力を有していると即答した。

 これも幾分かは誇張が混じっているが、諸葛亮にしてみればある程度話を盛らないとせっかくの同盟が壊れかねない。

 これはやむをえないウソというべきであろう。


「さらに曹操の軍勢は遠くからやって来たために疲弊しており、聞くところによれば長坂で我が軍を攻撃してきた軽騎兵たちは一昼夜で三百余里(150キロメートル以上)を行軍してきたそうです。これは弓矢に例えると、最初は勢いはあるものの最期には薄い衣すら射貫くことができないようなもの。これは兵法において総大将が死ぬか捕虜になる可能性があるとして避けるべきだとされている長大な行軍に当たります。しかも曹軍の多くを占める北方の人々は水戦に慣れておらず、水戦に慣れている荊州の兵は曹軍の数の多さを恐れてくっついているだけで、心服しているわけではありません。孫将軍は猛将に数万の兵を率いさせる力をお持ちですから、我が軍と協力すれば曹軍を破る事は確実です。敗れた曹軍は北へ還るしかなく、そうなれば我が荊州と孫将軍の勢いはより強くまとまることになり、天下は鼎の足のように分立する状況となりましょう。これらを実現するのは今をおいてほかにありません!」


 自軍の戦力についてさらっと紹介した後、諸葛亮が熱弁したのは曹操軍の弱点と曹操軍を破った後の展望であった。

 その分析はおおむね先に周瑜が述べたものと同じであり、孫権は対曹操戦への自信を深めることにつながった。


「よし、我が軍は間もなく出陣するであろう!3万の水軍をもって、江夏へ向かう!!」


 そう力強く宣言した孫権の顔に、もはや逡巡の色は欠片も見当たらなかった。

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