表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
137/192

第136話 劉備、逃走す

 208年9月、荊州(けいしゅう)侵攻を企図して南陽郡(なんようぐん)宛県(えんけん)に進んでいた曹操(そうそう)のもとへ使者が訪れた。

 まさにこれから攻撃しようとしている劉表(りゅうひょう)陣営からの使者であったため、曹操は何事かといぶかりながらもただちにこれを引見した。


(しん)(そう)、だと!?どういうことだ?なぜ劉表ではなく、その子が書簡を送ってきたのだ?」


 うやうやしく使者から捧げられた文書を一瞥した曹操は、不審を示した。

 劉表陣営からの使者であるにも関わらず、その差出人は劉表ではなく子の劉琮(りゅうそう)となっていたからだ。

 それに対し、使者は静かに答えた。


「劉表はかねてから病篤く臥せっておりましたが、先月ついに亡くなりました。無官の身ではありますが、劉琮が後事を取り仕切り、群臣の意見を取りまとめ、わたくしを使者として丞相(じょうしょう)閣下に降伏を申し入れた次第でございます。」


劉景升(りゅうけいしょう)がなくなった?そうか・・・理解した。それにしても、若年ながら素早く朝廷への忠義を明らかにした琮君は殊勝である。いずこかの州の刺史に任じ、また列侯に封ぜられるよう上奏することを約束しよう。帰って主君に報告し、安心させて差し上げるがいい。」


 曹操は使者の労苦を労い、降伏を申し出た劉琮の命を保障するだけでなく官職と爵位が与えられるよう朝廷に上奏することを約束した。

 独裁者の曹操が約束したということは、決定事項に等しい。

 肩の荷が下りた様子の使者は、明らかに安堵した様子になって退出していった。


 使者が退出すると、曹操は傍らに立つ荀彧(じゅんいく)に顔を向けた。

 その面上には満面の笑みが浮かんでいた。


「文若よ。これで天下は成ったも同然だな。」


「左様でございますな。これで荊州への道は開かれたと言えましょう。ただ、油断は禁物です。劉琮が後を継いだと申しておりましたが、元々後継ぎと目されていたのは長男の劉琦(りゅうき)であったはず。また、新野(しんや)を捨てて去った劉玄徳(りゅうげんとく)の動きも気になります。劉琮が家臣をすべて取りまとめたと申していることについては、疑問を持たざるを得ません。」


 荀彧は劉琮が伝えてきた内容を多少割り引いてとらえる必要があると感じていた。

 そもそも劉琮は劉表の後継者として盤石な地位を築いていたわけではない。

 劉琮は生母の身分が低いうえに長男でもなく、むしろ劉表の前妻が生んだ長兄の劉琦が後継者として長く認知されてきた。

 劉琮は劉表の後妻である蔡氏(さいし)の姪を娶ることで蔡瑁(さいぼう)ら蔡一族の支持を得、ここ数年で急激に後継者としての地位を固めたのである。

 劉表はほぼ身一つで荊州入りし、蔡氏など襄陽付近の豪族たちの支持を受けて荊州牧(けいしゅうぼく)としての地位を固めた経緯があり、蔡氏の支持を得た劉琮が台頭するとこれを無視できなくなったのだった。


 後継者争いに敗れた劉琦は、現在は太守として東の江夏郡(こうかぐん)に赴いており、今までのいきさつを考えれば彼がすんなり弟の指揮下に入るとは思えない。

 さらに、先日まで新野県に駐屯して対曹操最前線を担っていた劉備(りゅうび)の存在を忘れてはならない。

 彼が最初から降伏するつもりならば新野でとっくに降伏しているはずであり、劉琮が劉備を説得したかどうかは怪しいところだ。


 こう考えていくと、劉表勢力のすべてが曹操に降伏することを受け入れるとは考えにくい。

 ただ、彼らが一枚岩でなくなり、その少なくない数が降伏してくることは曹操軍にとってプラス以外の何物でもない。

 劉琮に肩入れして荊州支配を進めればいいだけの話だった。


「まあ、よいわ。諸将に告げよ。準備が整い次第、襄陽(じょうよう)へ向けて進発する。」


 曹操の号令により、宛城はにわかに慌ただしくなった。


 一方その頃、誰からも忘れられたような男が樊城(はんじょう)で忙しく動き回っていた。

 劉表陣営において、自他共に認める対曹操の急先鋒となっていた劉備である。

 彼は樊城の守りさえ固まれば、長期間曹操軍の猛攻を支えきる自信があった。

 限られた時間を有効に使い、城の防衛強化に余念がなかったのである。


 しかし、彼にとって気がかりなのは、対岸の襄陽城である。

 文字通り「対岸の火事」と思っているのか、防衛準備を進めている様子があまり見受けられない。

 劉備は不信感を持ち、使者を襄陽へと派遣した。

 曹操が宛城まで来たことを改めて伝え、自分が樊城の守りを固めるから襄陽城の守備強化を促そうとしたのだ。


 ところが、その使者が慌てて戻ってきてとんでもないことを知らせた。


「何だと!?襄陽は曹孟徳(そうもうとく)の前に城を開くことに決めただと?そんな馬鹿な!」


 何と、前線の司令官である劉備には一言の相談もなく、劉琮以下襄陽城内の主だった者たちは曹操への降伏を決めたと言う。

 劉備たちは驚きとともに怒りも覚えたが、何よりも困惑が大きかった。

 劉備が立てた作戦は襄陽城などと連携してこそ初めて活きてくるものだ。

 襄陽が降伏してしまったら、樊城は長江の支流である漢水(かんすい)の北岸で孤立してしまう。


「こうなったら、ここに残るのは危険だ。南へ逃げるしかない。」


 子どもでもわかる理屈である。

 劉備らはあわただしく出発の準備を整え、樊城を出た。

 一行は劉備の家族や将兵だけでなく、樊城の住民や樊城に連れてきていた新野の住民も含まれていた。

 実は、劉備は住民たちの協力を得やすくするため、徐州(じょしゅう)でかつて曹操が行った残虐行為を吹聴していた。

 それを聞いた住民たちは曹操の民となることを良しとせず、劉備に同行したいと望み、実際についてきているのであった。

 このため、劉備一行は数万を数える大集団となっていたが、戦力らしい戦力は数千人にすぎないという、何ともアンバランスな状態となった。


 さて、当然ながら南へ行くということは漢水を渡るということだ。

 そして数万が川を渡るためには、渡し場が整備されている襄陽近郊を通るのが現実的なルートである。

 だが、これまで味方であった襄陽は、今や敵に降伏している。

 襲撃を受けることを懸念する者は、劉備軍のなかにも少なくなかった。

 また、なかには逆に襄陽城を攻めて荊州を実効支配しようと進言する者もいた。


 そういった様々な声があるなかで、劉備が下した決断は襄陽城の劉琮を自ら説得するというものだった。

 今からでも劉琮が考え直してくれるならば、劉備は防衛に自信があったのだ。

 襄陽の近くに兵や民を上陸させながら、劉備は劉琮のもとへ使者を派遣して説得にかかった。

 ただ、劉備も半ば諦めてはいたことだが、やはり劉琮らの気持ちに変化はなかった。


 しかたなく劉備は襄陽を離れ、250キロメートルほど南にある江陵へ向かうことにした。

 江陵は長江に面する水上交通の要衝であり、元々南郡の郡治が置かれた重要都市であった。

 ここを押さえれば荊州の水軍の多くを把握でき、ろくな水軍戦力を持たない曹操に十分対抗できると考えたのだ。


 その間、襄陽城内ではようやく劉琮が曹操に降伏するつもりであることと、劉備が南へ逃走しようとしていることが知れ渡り、激しく動揺が起っていた。

 彼らもこれまで敵国であった曹操に対して言い知れぬ恐怖を抱いており、その支配に対する不安を感じていたからだ。

 また、ほとんど密室で降伏を決定したような劉琮らの行動に不信を抱き、頼りにならないと感じる者も多かった。


 そこへ劉備が民衆とともに逃げようとしていることや劉表の墓所に参詣し、その死を涙を流して悼んだことが漏れ伝わると、劉備の方が頼りになると感じる風潮が広がった。

 結果、城内を脱して劉備の集団に加わろうとする者が続出し、劉備の集団はみるみるうちに十万以上の人数と数千両の荷車を擁する巨大なものとなった。


 ただ、それと引き換えに行軍速度は1日に10キロメートルに満たなくなり、このままでは江陵に到着するまで20日以上かかることが確実となった。

 実質的な戦力は1万にはるかに満たず、曹操の大軍に追いつかれればひとたまりもない。

 現状を憂いた劉備は腹心の関羽に数百艘の船団を率いさせて長江を下らせることにし、先に江陵に入るよう命じた。


 のろのろとした歩みに劉備は焦燥感を募らせたが、自分を慕ってついてきた民衆を捨てることはできない。

 それは単なる感情によるものではなく、せっかく民に慕われる者という名声を得たのに、中途半端に見捨てればみすみすその名声を失ってしまうからであった。

 劉備は曹操の急追がないことを祈りつつ、南下を続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ