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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第121話 魯粛、煽る

(この男は狂人か!?)


 孫権(そんけん)魯粛(ろしゅく)という男に対して持った第一印象はそれだった。

 自分が発した問いに対して予想外の過激発言を繰り返すその男は、孫権の眼には狂人としか映らなかったのだ。


 最初に孫権が発した問いは次のようなものである。


「現在天下の至るところで戦乱が湧きおこり、漢朝(かんちょう)は明らかに傾き、危うい状態にあります。そのなかでわたしは父と兄の偉業を継ぎ、いにしえの(せい)桓公(かんこう)(しん)文公(ぶんこう)のような功績を残そうと考えています。わたしはそのためにあなたに会い、力を借りたいと願っている。あなたはどのようにわたしを佐けてくれるでしょうか?」


 斉の桓公や晋の文公はこの時代よりはるか8百年以上前の春秋時代の君主である。

 彼らは国を強大にして当時の中華諸国に号令し、周王(しゅうおう)から「覇者(はしゃ)」として認められた。

 覇者は王をしのぐ力を持ちながら、あくまで臣下として王を支えた特別な存在である。

 孫権は孫堅(そんけん)孫策(そんさく)が貫いた後漢王朝に対する忠義は示しつつ、あわよくば天下に号令する覇者になりたいとの願望を述べたのであった。


「漢王朝の復興などできるはずもなく、そんなことにこだわって道を間違えてはなりません!現在は曹孟徳(そうもうとく)が朝廷を牛耳っており、彼をすぐに排除することは不可能です。」


 具体性のない孫権の願望を魯粛はばっさりと切り捨てた。

 魯粛にしてみれば後漢王朝の復興などというものは夢物語であり、そのような無駄な事業に力を注ぐことなど愚かなことだ。

 魯粛は以前から言い続けている主張を繰り返したに過ぎないが、孫権にしてみれば衝撃的な内容であり、思わず呆然となってしまった。

 これまで漢王朝の復興をお題目のように唱える儒者との面会が多かっただけに、心の整理が追いつかない。

 孫権の沈黙を自分の話に対する興味や肯定のあらわれと見た魯粛は、さらに言葉をつづけた。


「今あなたが境を接するのは、司隸(しれい)豫州(よしゅう)を統べる曹孟徳と荊州(けいしゅう)を治める劉景升(りゅうけいしょう)の2人です。あなたはこの江東(こうとう)の地を(かなえ)の足のようにしっかりと踏まえ、曹孟徳の動きに気を配って乗ずる隙がないかよく目を光らせることが肝要です。もし隙が生じなかったとしても、北方の安定のためには課題が山積しており、しばらくはこの江東の地へ手を伸ばしてくることはないでしょう。その間の時間を使い、江夏(こうか)黄祖(こうそ)を排除し、さらに進んで荊州の劉表(りゅうひょう)を討つのです。そうなればあなたは長江の支配者となることができましょう。そのうえであなたは皇帝を名乗り、天下に打って出れば良いのです。これがあなたにとっての覇業となりましょう。」


 過激な漢王朝滅亡論の後は、孫権が取るべき戦略の開陳である。

 魯粛の説く戦略は孫権の「願望」とは異なり、かなり具体性のあるものだ。


 まず、魯粛は考慮すべき勢力を単純化し、孫権・曹操・劉表の三者のみに絞った。

 彼が表現に使った鼎とは祭祀用の大きな器のことであり、3本の足で自立するようになっている。

 3つの勢力が並び立つさまを鼎の3つの足に例えて表現したわけだ。

 もちろん他にも袁紹(えんしょうう)益州(えきしゅう)を支配する劉璋(りゅうしょう)涼州(りゅうしゅう)に割拠する馬騰(ばとう)韓遂(かんすい)といった勢力が独自の勢力を築いていることは言うまでもない。

 あくまで孫権の動向に直接影響を与えうる境界を接する勢力への対応をクローズアップしたのである。


 そのうえで曹操に対してはあわよくば攻め込もうと隙をうかがいつつ、よほどのチャンスがない限りは手向かいしない方針を示した。

 孫策が実施しようとしていた、曹操の本拠である(きょ)の急襲をやめ、方針を180度転換しようというのには、2つの理由がある。


 1つ目の理由は、官渡(かんと)の戦いに勝利した曹操の勢いは興隆を迎えつつあり、これと正面衝突するのはリスクが大きすぎるためだ。

 カリスマ性のあった孫策(そんさく)がいれば話は別だが、当主を継いだばかりの孫権が勢力の浮沈を賭けた攻勢に打って出た場合、現在支配している江東の地も揺らぎかねない。

 曹操との正面衝突となれば、総力を持ってかからねばならず、しかも長江を越えて攻めねばならぬために成功確率は低い。

 魯粛は曹操によほどの付け入る隙が見当たらなければ、これと戦うことの不利を説いた。


 2つ目は、曹操は今後も袁紹の勢力と対決していくことは確実であり、こちらから刺激しなければ抗争に発展する可能性は低いということだ。

 それは曹操陣営の戦略を担当している荀彧(じゅんいく)らの視野に映っているのが、主に中原(ちゅうげん)と呼ばれる黄河中下流域であることと無関係ではない。

 これまで中華において中心地域とされてきたのは中原であり、ここを押さえた者が天下を制してきたと言っても過言ではないからだ。

 荀彧らは中原を制すれば、後はほぼ自動的に天下全体を制することができると考えている。

 彼らにとって優先すべきは袁紹との抗争に決着をつけることであり、南方の諸勢力との対決は後回しということになる。

 魯粛は荀彧ら当時のスタンダードな戦略家の思考を読み切り、そのうえで曹操と早期対決する必要はないと言明しているのである。


 かわりに魯粛が対決すべきと説いているのは、荊州の劉表である。

 長江をさかのぼっていかなければならないという不利はあるが、致命的と言えるような欠点にはなり得ない。

 曹操領への侵攻の際には補給面での「泣き所」になりかねない長江の流れが、劉表領への侵攻の際には重要な侵攻路に変わるのだ。

 すでにこの戦略は一度孫策にも提示されており、それを受けて孫策の腹心であった周瑜(しゅうゆ)は水軍の整備に力を入れ、孫家の水軍力はこの戦略を実現するに足る戦力を確保しつつある。

 劉表配下で江夏太守の黄祖が抱える戦力は侮りがたいが、逆に言えば彼を破ることができれば劉表勢力の打倒は一気に現実味を帯びる。

 

 魯粛が提唱した長江流域の確保を優先する戦略は実現性が高く、実際に後の呉王朝(ごおうちょう)や結果的にその後継王朝となった南朝(なんちょう)の諸王朝はこの戦略を堅持して数百年の間江南の地に漢族による国家を存立させ続けるのだ。


「・・・ううむ。しかし、漢室の復興をはっきりと否定するのはいかがなものか・・・。」


 実現性のありそうな具体的な戦略まで提示され、孫権の心は大きく動いた様子であった。

 ただ、父と兄から続いて三代にわたって孫家は「勤皇」を旗印にしてここまで来た。

 反董卓連合軍の急先鋒であった父の孫堅や勝手に皇帝を自称した強大な袁術と手を切るという兄の孫策の思い切った決断により、孫家が漢の皇室へ忠義を貫く家であるとの評価はかなり確かなものとなっている。

 魯粛の考えを受け入れるということは、その好意的な評価を自ら覆すことになる。

 孫策は江東の地を征服する過程で揚州の名士の一部と深刻な対立を招いたが、多くの名士を孫家の勢力に組み入れることができたのは、「勤皇」の家であるからという理由も大きい。

「勤皇」の御旗を捨て去れば、江東の地の支配が揺らぐのではないかと孫権は危惧しているのだ。


「復興も何も、わずか10年ほどの間に3人の皇帝が替わり、2度も遷都が行われました。皇帝や朝廷はあっても、董卓・李傕・郭汜・曹操といった権臣たちの言いなりでしかありません!王朝はすでに滅んだも同然ではありませんか?そうですよね!?そんな価値のないものにこだわるのではなく、自らの未来について考えるべきなのです!!」


 魯粛の大胆極まりない言動は、若い孫権の心に深く突き刺さった。

 孫権には兄にも負けない大きな野心がある。

 それを魯粛が形にしてくれたような気がした。


「わかった!兄の後を継いで、初めて自分がなすべき道を見つけたような気がする。魯子敬(ろしけい)どの、ぜひわたしに力を貸してほしい。」


 孫権はやにわに魯粛の手を取り、自分に仕えてくれとはっきりと告げた。

 若者らしいひたむきさに、魯粛の心も揺れた。


(さっきまで曹孟徳のところへ行くつもりで思うさま語ったが、果たして曹孟徳はこの孫仲謀(そんちゅうぼう)という若者くらい俺のことを求めてくれるだろうか。いや、すでに曹孟徳のもとには多くの偉材が揃っているし、俺を重く用いてくれることはあまり期待できないだろう。それならば、孫家に残るのも悪くないかもしれん・・・。)


「わかしました。微力(びりょく)を尽くします。」


 こうして後の諸王朝にまで影響を与えることになる君臣のコンビが誕生することになった。

 孫権は魯粛を身近に置くことを望んだが、しばらくの間魯粛が孫家の政権のなかで重要な役職に就くことはなかった。

 張昭(ちょうしょう)儒学(じゅがく)を絶対視する名士たちにとって漢王朝への忠を否定する魯粛は危険思想の持ち主であり、追放を求める声が後を絶たなかったためだ。

 まだ権力基盤の弱い孫権は譲歩せざるを得ず、魯粛は孫権の身近な相談役のような存在のまま留め置かれることになった。

 当然ながら魯粛が提唱した戦略は十分に機能せず、孫権は揚州(ようしゅう)の支配を固めることには成功しつつも、対劉表戦は目立った成果を挙げることができないままであった。

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