第119話 官渡の戦い(後編)
「この許攸、儒学だけでなく、兵法についても深く学んでおる。そのことは孟徳も良く知っているだろう?そのわしの見識に照らせば、物事には何にでも急所というものがある。それは兵法においても同じよ。袁軍の泣きどころ、それは大軍でありすぎるということだ。そこをつけば孟徳、君の勝利は火を見るよりも明らかだ。なぜなら・・・」
曹操に促されて話し始めた許攸であったが、なかなか核心をつくような話を言わない。
やたらとパフォーマンス好きな男である。
場は緊張で張りつめていると言うより、どちらかというと険悪な雰囲気が流れている。
曹操配下の者たちは最初から許攸へ良い印象を持たない者が多かったが、許攸のねっとりとした言い回しを聞いてさらに不快に感じているようである。
許攸へ露骨に差すような視線を向けている者もいた。
「なぜだ?」
曹操も許攸の話しぶりにいくらか不快感を感じていたが、さすがに表情や声色に出すことはなかった。
そのかわり、許攸の話の続きをやんわりと促した。
行き詰った戦況を打開する術を誰よりも欲しているのは、他ならぬ曹操自身だったからだ。
「備蓄した糧食を失えば、一気に全軍崩壊となるからさ。」
ようやく許攸はズバリと言い放った。
ただ、何やら重々しい許攸の口調ではあるが、言っていること自体はごく普通のことに過ぎない。
袁紹軍の物資補給が今後困難になっていくだろうということは、すでに荀彧らが指摘している。
だが、曹操は自信たっぷりの許攸の態度から、彼が袁紹軍の糧食を一気に失わせる策を持っているのだろうと敏感に察した。
「どうやら君は袁軍の糧食を失わせる策を知っているようだな。違うか?」
「さすがは孟徳だ。そう、袁軍は毎日莫大な糧食を必要とするが、それはすべて後方から運んで来なければならない。いくつもの河を越え、何日もかけて運ぶため、どうしても途中に中継地を設る必要があるのだ。孟徳、もし君がその中継地を襲い、糧食を焼き尽くすことができれば・・・」
「袁軍は飢え、退かざるを得ないな。」
「そうだ。君が目指すべき中継地は烏巣というところにある。そして、烏巣にはちょうど冀州から車輛を連ねて多量の糧食などが運ばれてきたところだ。いま軍を出し、烏巣の糧食をすべて焼き払うことができれば、もはや袁軍は糧食を得る術がない。どうだ?」
烏巣は官渡の北60キロメートルほどのところにある地だ。
敵に発見されないよう迂回したり、途中河を渡るなどしなければならないが、半日あればたどり着くことができる。
「それが本当なら、我らの勝利は疑いないな。」
「本当さ。烏巣に送られてくる輸送部隊の将は君もよく知る淳于瓊だ。彼は勇猛果敢ではあるが、細心さは持ち合わせていない。油断しきって夜は眠り込んでいることだろうさ。」
許攸の策を聞き、曹操の顔に赤みが差した。
勝利の展望が開け、興奮してきたようだ。
淳于瓊はかつて霊帝が設置した「西園八校尉」のひとりであった男であり、そのときは袁紹や曹操と同僚であった。
武勇に優れてはいるが、それを誇るあまりに慎重さに欠ける男だ。
彼ならば、急襲に成功さえすれば十分に戦果が期待できる。
「お待ちください!この話、本当であるとの確証はありません。」
「そうです。我が軍をおびき出すためのはかりごとかもしれません。」
しかし、曹操の反応とは裏腹に周囲からは許攸の策について疑う声が次々に挙がった。
彼らの反応も無理はない。
袁紹軍にしてみても戦局は膠着しているわけで、曹操をだまして出撃させ、野戦で撃破したり手薄になった官渡城を強攻するという策を練ってきたとしても仕方がない。
それに許攸という男も胡散臭い。
疑う声が続出するのも、ある意味当然であった。
「いや、許子遠どのの言葉は本当でしょう。子遠どのが語られた話は、こちらが事前につかんでいる情報と何ら矛盾しません。」
反対意見をさえぎったのは、豪胆さと智謀で知られる荀攸であった。
許攸は自分が投降を決意するに至った経緯についても述べており、袁紹陣営の内情や各人物の性格などについて精力的に情報収集してきた荀攸は、許攸が投降してきたことに不審を抱かなかったのである。
荀攸は許攸の話が本当であると考え、従ってその策を受け入れることに賛意を示したのであった。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、と言いますぞ。我が軍が勝利を収めるかどうかは、この策を取るかどうかにかかっています。烏巣を急襲し、淳于瓊らを討って糧食を焼き払うべきです。」
荀攸だけでなく、賈詡も烏巣急襲を主張した。
彼も袁紹陣営の内情についてはある程度通じているが、それ以上にここが勝利の分かれ目だという気持ちが強いようだ。
彼らの進言は常に的確で、これまでもおおいに曹操の判断の助けとなってきたのだ。
その2人が許攸の策をとるべきだとの主張を展開するのを見て、曹操は完全に覚悟を決めたようだった。
「烏巣へは俺自ら向かう。官渡の守りは子廉に任せる。荀公達を残していくから、万事相談してよく城を守るように。」
いったん決断すれば、曹操の動きは素早い。
ただちに楽進ら子飼いの勇将と歩騎5千の精強な兵を選びだし、自ら烏巣襲撃の指揮を執ることを宣言した。
後の守りは一族の曹洪に託し、念のために荀攸を補佐として残した。
出撃する将兵にはそれぞれに3食分の兵糧だけを持たせ、夕闇が辺りを覆うのを待ちかねるようにして出発した。
途中で敵に見つかっては、奇襲の成功はない。
曹操は全員に一切言葉を発するなと厳命し、馬の口には枚という木切れを含ませて物音を立てないよう細心の注意を払った。
袁紹軍が陣取る地域を通らないよう大きく東に迂回し、夜通し移動し続けた。
(ちゃんと烏巣にたどり着けるだろうか。)
烏巣へと真っ暗な中をひたすら進むうち、何度不安に襲われたかわからない。
元々自分の支配地域であるとは言え、道を間違えたりして時間がかかればそれだけ作戦の成功確率は低くなる。
そうなると、また終わりの見えない持久戦に戻らなければならないのだ。
明け方、烏巣の袁紹軍陣地が見えたとき、最も安心したのは曹操であったかもしれない。
「よし、ここまで来れば我慢する必要もない。みな、大きな声を出せ。敵の度肝を抜いてやるのだ!」
曹操はこれまでの隠密行動をかなぐり捨て、配下の将兵に喚声をあげさせた。
味方の戦意を高めるとともに、敵を驚かせて混乱させる効果を期待してのものだった。
しかし、味方の戦意はともかく、敵の混乱については思ったほどの効果は得られなかった。
「曹軍の奇襲だと?奇襲してくるということは、敵の数はこちらより少ないに決まっている。返り討ちにしてくれるわ!」
さすがに勇猛さを謳われただけあり、守将の淳于瓊は守備や逃亡といった行動に出ることなく、陣を出て果敢に曹操軍と交戦することを選んだ。
たしかに彼の指揮下には1万以上の兵がおり、曹操軍の倍以上の兵力を持っていた。
しかし、将が勇猛だからといって必ずしも兵も勇猛な者ばかりとは限らない。
また、寝起きの兵たちは規律の回復に時間がかかり、陣外に出た淳于瓊軍はバラバラに出撃するかたちになってしまった。
戦闘経験豊富な曹操がそれを見逃すはずもなく、激しくこれを攻め立てて撃破してしまった。
緒戦で敗れた淳于瓊だったが、彼にはまだ勝算があった。
官渡にいる袁紹に急使は派遣しており、半日でも守り抜けば援軍を寄越してくれるはずなのだ。
「退くな、逃げる奴は許さんぞ!援軍が来るまで持ちこたえるのだ。」
淳于瓊が守りを固めはじめたのを見て、曹操は大声で自軍を叱咤し続けた。
「押せ、押しつぶせ!弩の部隊は火矢をつがえ、敵の陣を焼き討ちせよ!!」
一番の目的は烏巣の陣地内に貯めこまれている糧食を焼き払うことなのだ。
陣地ごと焼き払っても何の問題もない。
文字通り火が出るほど激しく攻め立てた。
が、なかなか烏巣の陣地を抜くことができない。
敵の方が数が多いうえに、夜通しの行軍の疲れがじわじわと出てきている。
辺りは少しずつ明るさを増していった。
その頃、官渡の袁紹の本陣に頻々と使者が到着していた。
むろん烏巣の淳于瓊からの急使である。
烏巣が急襲されていることを知った袁紹は、難しい決断を迫られることになった。
烏巣に援軍を送るか、それとも手薄になった敵の官渡城に攻め寄せるか。
迷った末に袁紹が出した結論は、烏巣に快速の軽騎兵部隊を派遣し、歩兵を中心とした大軍で官渡城を攻めるというものだった。
数の利を活かして一挙両得をねらったわけだ。
ただ、今回は裏目に出た。
すでに襲撃を受けている烏巣に騎兵を派遣するのは間違っていない。
ただ、「騎兵だけ」を送ったのは間違いだった。
いくら全体の数が多い袁紹軍と言えど、騎兵の数は数千でしかない。
淳于瓊の兵と合わせれば曹操軍を圧倒できるとの判断だったのかもしれないが、すでに劣勢に陥っている淳于瓊軍に数千の援軍だけでは焼け石に水だ。
曹操がなかなか烏巣を制圧できないうちに、袁紹の騎兵が接近していることが明らかになった。
ただ、曹操は騎兵が接近するギリギリまでそちらへの対処よりも烏巣攻撃を継続した。
結果、淳于瓊はついに支えきることができず、烏巣の集積物資はすべて焼き払われてしまった。
やがて袁紹の騎兵が烏巣に到着したが、すでに守るべきものはそこになく、後続の味方もいない状況では小競り合いの末の撤退を選ぶしかなかった。
もし後ろに歩兵が続いていれば、曹操軍に一矢を報いることができただろう。
官渡を攻めた袁紹軍の歩兵部隊も戦果は得られなかった。
曹洪は曹操の言いつけにしたがって固く城を守り、袁紹軍の張郃や高覧らは攻めあぐねた。
そこへ烏巣が焼き討ちにあったとの報が入ったのだから、たまらない。
早くも逃げ出す兵が出る始末だった。
「だから、わたしは烏巣を早く救うべきだと言ったのだ!これで我が軍の勝ちはなくなった!!」
袁紹に対して全力で烏巣を救援すべきと進言していた張郃は悔しがったが、あとの祭りである。
彼は高覧と相談のうえで官渡城内に降伏を申し入れた。
曹洪は当初疑っていたが、荀攸が強く勧めたため降伏を受け入れた。
こうして、一夜にして戦場のパワーバランスは崩れた。
袁紹軍は食糧のほとんどを失い、戦争どころではなくなった。
そのことを知った袁紹軍の将兵は我先にと逃げ出し、袁紹もそれを止めるどころか誰よりも先に駆け出した。
官渡の勝利者は天下の多くが予想しなかった曹操となった。
依然として袁紹の勢力は強大であったが、もはや開戦前にあった曹操との圧倒的な戦力差はなくなった。
曹操は袁紹によって占領されていた兗州の各地を取り戻すとともに、豫州や徐州の支配をも回復することに成功した。
袁紹にかわって曹操が、中原最大の勢力へと成長しようとしていた。