第12話 董卓という男
張角の本軍が盧植率いる官軍に敗れ、豫州で猛威を振るっていた波才軍が大敗し、黄巾軍の勢威は当初に比べて明らかに陰り始めた。
勢いに乗った官軍は攻勢に転じ、「黄巾の乱」は新たな局面を迎えた。
黄巾軍の本拠である冀州の広宗では、盧植軍が攻撃準備を着々と進め、これを落とそうとしていた。
広宗の黄巾軍にとって絶体絶命の状況であったが、思わぬ形で官軍にほころびが生じようとしていた。
「小黄門の左豊が監軍の勅使だと?」
盧植は首をひねった。
意味がわからない、と言わんばかりにその顔には不審と戸惑いが浮かんでいる。
皇帝の代わりに軍を視察するとして、勅使(皇帝の使者)がやって来るとの知らせは事前に受けていた。
それはまだわかる。
むしろ盧植にとっては望むところである。
盧植は黄巾軍に連戦連勝し、ついには張角率いる本軍まで撃破してこれを広宗城に追い詰めている。
これまでにあげた成果をしっかり見てもらい、部下の労苦に報いてやりたい。
また、これから行う広宗攻撃のプランについても十分に説明し、作戦完了までにある程度の時間がかかることを理解してもらいたかった。
敗れたと言っても黄巾軍はまだ十万規模の兵力を持っており、広宗城を中心に守りを固められてしまうと苦戦をまぬがれない。
半数ほどでしかない盧植軍としては少しずつ敵部隊を排除し、最終的に広宗城を包囲する形に持っていきたかった。
また、現在盧植は総攻撃に備えて「雲梯」という名の攻城兵器をつくらせていた。
これは高い城壁に囲まれた都市を攻めるためのもので、城壁とほぼ同じ高さの移動式の塔である。
中に大勢の兵士が入って動かし、敵城の城壁に近づけ、上から矢を放ったり橋をかけて城壁に攻め込んだりする。
巨大な兵器であるため、ある程度の数を作ろうと思えば膨大な資材と時間がかかるのだ。
いずれにしても野戦の勝利と違って地味な攻防であり、敵の抵抗を排除しつつ進めていくために時間もかかる。
これまでのような鮮やかな勝利を望みにくくなることをぜひとも知っておいてほしいのだ。
ところが、やって来るのは小黄門の左豊であるという。
小黄門とは皇帝の秘書官というべき官職だが、問題は現在の後漢王朝ではその地位につくのが宦官ばかりであるということだ。
当然のことながら、左豊も宦官である。
軍の監察という観察眼や公平性が求められる役目に、軍事経験どころかまともな行政経験もない宦官を任命するというのはどうであろう。
霊帝からの信頼は抜群なのかもしれないが、そんな「素人」が何の役に立つというのか。
盧植が心に宿した不信感は、周囲の幕僚たちにも何となく伝わったようだ。
そのことに気づいたがゆえに、彼らは盧植の先行きに対する不安も同時に抱いた。
短い者ではまだ数ヶ月ほどの付き合いだが、盧植に対する周囲の信頼は厚い。
盧植は儒学者として高名だが、実践を重んじ、ただ議論をもてあそぶだけの学者ではない。
身の丈190cmを超える長身で、声も割れ鐘のように大きい。
堂々としたそのたたずまいは一般兵や義勇兵たちからの畏敬を集めたし、その厳粛さは武官たちの信頼を勝ち取り、盧植軍はこれが本当に寄せ集めの軍かと思うほど規律ある精強な軍隊となっていた。
ただ、盧植は乱れた世を救わんとする志が高いがために、曲がったことが大嫌いであった。
それは美質ではあるのだが、融通が利かないということでもある。
今回の左豊に対する悪感情はそのあらわれであり、周囲の者たちは何かトラブルが起こらないかと心配したのだ。
彼らのうち特に鉅鹿太守郭典の心配は切実だった。
広宗県をはじめとする鉅鹿郡は彼が管轄すべき任地であるが、現状では黄巾軍が跳梁するところとなっている。
せっかく黄巾軍に対して攻勢に出られるようになったのに、ここで司令官の身に何かあってはたまらない。
郭典は意を決し、盧植にあるアドバイスを行った。
「左豊に十分な贈り物をなさいませ。」
左豊が強欲な宦官であることは、天下の誰もが知っている。
そのような人物ににらまれなどしたら、どんな扱いを受けるかわかったものではない。
何しろ、盧植は「党錮の禁」で朝廷から追放された過去があり、最初から印象が悪い。
郭典らはそのことを憂い、ここはワイロを贈るなどして左豊の機嫌をとり、指揮官の地位を守るべきだと説いたのである。
しかし、曲がったことが嫌いな盧植が受け入れるはずもない。
そのような話は聞きたくないとばかり、言い終わる前に怒声を浴びせ、黙らせた。
郭典らは盧植の正しさを認めつつも、起こりうる暗い未来を予想せずにはいられなかった。
そして、それはまさに的中した。
左豊を迎えた盧植は、状況と今後の展望についてクソ真面目に説明した。
盧植らしく簡潔で実に分かりやすい説明だったが、聞き続ける左豊の顔面は徐々に朱くなっていった。
(そうではない!この男、何もわかっておらん!!)
郭典らが危惧した通り、左豊がこの視察旅行で楽しみにしていたのは行く先々で受ける接待とワイロであった。
そもそも皇帝の軍が負けるなどとはつゆほども思わない宦官たちにとって、盧植が熱弁する戦果など至極当然のことであった。
左豊の関心は盧植がどんな献上品を出してくるかにしかなく、それが一向に出てこないことに立腹し始めたのだった。
(どこまでもとぼけるつもりか?そうはいかんぞ!!ようし・・・!)
「よくわかった、ご苦労であった。ところで、陛下へは何を献上なさるつもりじゃ?」
「陛下へ献上?はて・・・陛下におかれましては、喜んでいただける戦果のご報告ができたと自負しておりますが・・・?」
(この男、さては鈍いのか?はっきりと言わねばわからんのか・・・。)
左豊は呆れ顔になった。
彼にしてみれば、これまでは言われる前に献上品を差し出す者ばかりであったため、目の前の盧植の振る舞いが信じられなかった。
「いやいや、そのようなものではない。陛下への忠誠を示すため、何かしら献上すべきであろうが!?」
「・・・ない!そのようなものなど、あるものか!!」
吠えるような大声が響いた。
その声は陣幕の外にまで届き、警備の兵が何事かと様子を見に来たほどだ。
盧植が勅使に対する礼もかなぐり捨て、満面を朱に染めて怒鳴ったのだ。
臆面もなく露骨にワイロを要求してくる左豊に、一瞬にしてキレてしまったのだった。
「陣中には軍を保つための糧秣や財貨しかない。それすら不足気味だと言うのに、何でお前のような者に差し出すものがあろうか!」
「無礼者め!陛下への献上の品だと申しておるではないか!!」
「やかましいわ!どうせおおかたはお前が着服し、陛下には申し訳程度にわずかを差し出すつもりであろうが!!」
「ぐっ・・・!」
図星だった。
もちろん、皇帝への献上品などと言ってはいるが、左豊がその多くを自分のふところに入れるつもりであるのは言うまでもない。
霊帝には一部を盧植からの献上品として披露し、盧植の「軍功」を口利きしてやろうという心づもりなのである。
「悪事」を大勢の前で指摘され、怒りのあまり言葉もでない左豊であった。
「勅使に向かってあらぬことをほざくなど、無礼千万!後でほえ面かくなよ!!」
先ほどまでの勅使としてのすました態度もどこへやら、醜い本性をあらわにして左豊は盧植へ悪態をつく。
すでにその心の中はどのように盧植を抹殺してやろうかと、どす黒い想念が渦巻いていた。
「ふん、この不忠者が!陛下の威を借り、国の柱石たらんとする将を脅すとは何事か!!」
捨て台詞を吐いて帰っていく左豊に対し、負けずに盧植も言い返す。
(ああ、やっぱりこうなってしまったか・・・。)
顔面蒼白となったのは、盧植配下の諸将や幕僚たちである。
元々水と油のような両者であり、何かしらのトラブルが起きることは予想していたが、最悪の展開であった。
(このままでは済むまい。良くて解任、あるいは・・・。)
周囲の者たちの恐れは、やがて現実となった。
飛ぶように洛陽へと帰った左豊は、すぐさま霊帝に盧植の罪を言上した。
いつでも張角らを討ち取れる状況にあるにも関わらず、意図的に軍事行動をサボタージュし、不穏な動きをしているというのである。
まるで冀州周辺の支配を固め、反乱を企てていると言わんばかりであった。
悲しいことに、霊帝の信任は十数年ぶりに官界へ復帰した盧植にはなく、常に近侍している左豊にあった。
霊帝は左豊の報告を疑いもなく信じ、盧植の解任と召喚を命令した。
洛陽において取り調べが行われるのだが、死罪が既定のコースであった。
すぐさま、広宗へ「檻車(罪人を収監する車)」が差し向けられた。
檻車とともにやって来た役人は、罪状を読み上げると問答無用で盧植を檻車に押し込み、洛陽へと連れて行った。
盧植は投獄され、やがて処刑される日を待つばかりとなった。
主を失った盧植軍には、新たな指揮官が派遣されることに決まった。
もちろん、盧植のもとで進められていた攻撃準備は保留である。
盧植が解任された数日後、その新たな指揮官がやって来た。
「ほーん、これが広宗城かい。たいした城じゃあねぇな。さっさと片づけて、ガッポリ恩賞をいただくとするか!」
どっしりとした体格の新指揮官は、不敵な視線を広宗城へと向けた。
実力は未知数ながら、その自信は盧植をもしのぐかのようであった。
この新指揮官の名は董卓、字を仲穎という。
この後、後漢王朝を極度の混乱に叩き込む怪物の、これが全国レベルでのデビュー戦であった。
さて、三国志屈指の怪物である董卓が登場となりました。
ただ暴君として描かれることが多い董卓ですが、今作ではなるべく一面的ではない董卓像を描いていこうと思っています。
その人となりについては、次話で詳しくご紹介させていただくことになります。
ご期待くださいませ。