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三国志天の記  作者: 沖家室
序章 天をくつがえす者【張角伝】
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第11話 曹操という男

「それにしても、びっしりと囲まれたもんだな。」


 相変わらずの飄々(ひょうひょう)とした口調で、皇甫嵩(こうほすう)がつぶやいた。

 皇甫嵩が立つ望楼からは城外の様子がよく見えた。

 決して小さくない長社(ちょうしゃ)城であるが、今は勝ちに乗じた波才(はさい)率いる黄巾軍によってすっかり取り囲まれていた。

 皇甫嵩がしっかりと城の守りを固めていたため、すぐに落城する気づかいはない。

 だが、有力な味方がはるか北の冀州(きしゅう)にいる盧植(ろしょく)軍しかいない以上、長期の籠城戦を戦うことを覚悟せねばならないだろう。


「さて、どうしたものか。」


 言葉とは裏腹に、皇甫嵩に慌てる様子はまったくない。

 いつものように淡々としている。

 この1ヶ月あまりの間に配下の将兵にも皇甫嵩の人となりがよくわかったようで、黄巾の大軍に囲まれても城から逃亡する兵はほとんど出なかった。

 義勇兵主体の軍勢ながら、すでに指揮官としての皇甫嵩が頼もしい存在と見られていることを如実に示していた。


「ほう・・・。」


 望楼から敵陣を眺めていた皇甫嵩が、何かに気づいたように声を発した。

 その視線の先にはひときわ大規模な敵の陣地があった。

「帥」の字を染め抜いた大きな旗が折からの強風によってはためいているのが見え、おそらくは敵の総大将・波才がいる本陣と思われた。

 ただ、皇甫嵩が声をあげたのは、本陣の存在に気づいたからではなかった。


「危地に拠っていることにも気づかぬとは・・・この戦、勝ったな。」


 敵陣の様子を見て、皇甫嵩は何か必勝の策を思いついたようだ。

 その眼には絶対の自信を示すかのように強い光を放っている。

 早速、皇甫嵩は配下の諸将を集め、それぞれに指示を出した。

 城外へ気づかれぬよう、皇甫嵩軍の将兵は準備を整え、夜を待った。


 その夜、空は雲一つなく、わずかに昇ったやや黄色い月が弱々しく地を照らしていた。

 このところほとんど雨が降っていないために地面は乾きに乾き、ますます勢いを増した風が盛んに砂ぼこりを巻き上げていた。

 時は来たり、と皇甫嵩は静かに城門を開かせると、あらかじめ選抜してあった2千の兵を出撃させた。

 選ばれし者たちは精鋭の名に恥じず無駄のない動きで滑らかに進み、融けてしまったかのように続々と夜の闇へと消えていく。


(・・・そろそろだな。)


 望楼から出撃部隊が進んでいった方角を眺めていた皇甫嵩は、おもむろにバチを取った。

 目の前には軍全体に号令をかけるために使う、大きな太鼓が据えられている。


 間もなく、出撃部隊が向かった先の闇の中から何かを叫ぶ声が聞こえてきた。

 彼らの行き先にあるのは波才がいる黄巾軍の本陣である。

 肝の据わった精鋭たちは皇甫嵩の指示通り敵陣に肉薄し、今頃は「火攻めだ!!」「火をかけたぞ!」などと大声を張り上げているに違いない。


 ドーン、と大きく1つ太鼓を打った。

 すると、城壁に登っていた兵が手に手に持った()()()()に一斉に火をともし始めた。

 それは見る間に数を増し、城壁全体を焦がすような盛観となった。


「勝った・・・!」


 皇甫嵩は確信を持ってつぶやいた。

 城外のあらゆる敵陣から騒音が聞こえてくる。

 将才豊かな皇甫嵩の耳は、その音の中に多量の戸惑いと恐れを聞き取った。

 敵が浮足立っている様子がはっきりと伝わってくるようだ。

 まさに皇甫嵩の狙い通りであった。


 皇甫嵩は太鼓を連打し始めた。

 城門の内側で待機していた総勢1万近い兵が勢いよく城門を飛び出していく。

 その様子を見届けた皇甫嵩も素早く望楼を降り、親衛隊と言うべき屈強な護衛兵を率いて出撃する。

 その行手では、敵陣が早くも炎上し始めていた。


 完全に皇甫嵩が望むタイミングで始まった戦いは、一方的な展開のまま終始した。

 黄巾軍の将兵にしてみれば、真夜中に何が何だかわからぬうちに大騒ぎに巻き込まれ、気づけば敗走しているような戦いだった。


 皇甫嵩軍の数倍の兵力を持つ黄巾軍は、まさか皇甫嵩軍が出撃してくるとは考えもしていなかった。

 真夜中に突如陣前で起こった咆哮(ほうこう)のような皇甫嵩軍の喚声によって眠りを破られ、急に城壁上で一斉に点灯していった炬火(きょか)によって恐怖を呼び覚まされた。

 ようやくこの時になって初めて、彼らは自分たちの陣地が燃えやすい草地に位置していることに気づいたのだ。


 皇甫嵩はあらかじめ城外の視界を確保するため、立木を伐採し背の高い草を残らず刈り取らせていた。

 刈り取られた草木はその場に打ち捨てられたが、戦場経験に乏しい黄巾軍はそれらを始末せずに燃料として使おうとし、積み上げられた枯草や枯れ枝のそばに布陣した。

 大軍であるがゆえの燃料の不足という事情はあったにせよ、その代償は高くついたのだった。


 こうなると、所詮は戦いの素人でしかない黄巾兵は、戦士にふさわしい勇気をその場に捨ててしまった。

 火に巻かれる恐怖と敵が振りかざす刃に怯え、一目散に逃げだしたのだ。

 黄巾軍は軍としての組織を失い、総崩れとなった。

 勝ち戦ではまずまずの指導力を見せた総大将の波才も、なすすべもなく汝南郡のある南東方向へ向けて敗走していった。


「追え!天下を乱す賊どもを残らず討ち果たすのだ!!」


 陣頭指揮をとる皇甫嵩の号令に、配下の官軍は猛然と追撃を開始した。

 つい先日まで黄巾軍とほぼ同じような素人集団に近かった皇甫嵩軍は、有能な指揮官のもと短期間で勇猛な戦士へと変貌をとげ、ただひたすらに逃げる黄巾軍を追いまくった。

 戦闘において戦死者が最も多く出るのは、追撃戦においてである。

 黄巾軍を潁川郡から叩き出し、汝南郡に入る頃には皇甫嵩軍が討ち取った黄巾兵の数は万を超えていた。


 猛進というべき苛烈な追撃を続けてきた皇甫嵩軍だったが、汝南郡との郡境付近に至ったところで、にわかに停止した。

 南方にもうもうと立つ砂煙を発見し、皇甫嵩は用心のために軍を停止させたのだ。

 明らかに人によって巻き起こされたその砂煙の量は尋常ではなく、数万規模の集団によるものと思われた。

 これが黄巾軍の別動隊によるものだとすれば、自軍の側面に痛撃をくらうことになる。

 砂煙の正体を確かめるまでは用心するに越したことはない、と皇甫嵩は判断したのだった。


 皇甫嵩は偵察部隊を出しつつ、しばらく砂煙の様子を見ていた。

 しかし、やがて何かを確信したようにうなずいた。


「よし、進軍再開じゃ!あの砂煙の主が何者かはわからんが、こっちに向かってくる様子はない。恐らくは味方の援軍であろう。例え敵であっても、戦意はないはずだ。」


 皇甫嵩が言う通り、砂煙の群れは徐々に東に向かってシフトしていく。

 明らかに進行方向を逃げ続ける黄巾軍の方へと向けており、皇甫嵩軍に向かってくる気配はない。

 それを見た皇甫嵩は、煙の主が黄巾軍を攻撃しようとする官軍か、もしくは何とか波才らに合流しようとしている黄巾軍と判断したのだ。

 いずれにしても、波才軍の殲滅を優先すべきと瞬時に判断したのだった。


 皇甫嵩の判断は正しかった。

 進軍を再開して間もなく、戻ってきた偵察部隊の報告によって砂煙の正体が知れた。


騎都尉(きとい)曹孟徳(そうもうとく)か。やはり味方であったな。しかし・・・都尉にしては、いやに率いる兵の数が多いようだが・・・!?」


 疑問は残りつつも、皇甫嵩は再び猛然と黄巾軍へと向かっていった。

 すでに黄巾軍は新手の官軍の登場によって混乱の極みにあった。

 もうもうと巻き起こる砂煙が、その混乱に拍車をかけているようだ。


「ほう・・・これは珍妙な・・・。」


 常に飄々(ひょうひょう)としている皇甫嵩だが、新たな友軍の様子を間近に見て、珍しく驚きを見せた。

 無理もない、もうもうたる砂煙の正体が騎兵の尾にくくりつけた木の枝が地面をこすって起こしたものと知れたからだ。

 なるほど、確かにこの方法なら少ない人数の騎兵であっても、大勢の人間が移動しているかのような砂煙を起こすことができる。


(曹孟徳とは、このような奇策を思いつく知恵者であったのか。)


 孟徳は曹操の(あざな)(通称)である。

 そう、曹孟徳とは洛陽北部尉としての職務を忠実に果たすあまり、有力宦官・蹇碩の叔父を打ち殺したあの曹操である。

 宦官の横暴を快く思っていない皇甫嵩にとって、骨のある男として曹操は好感の持てる人物であったが、優秀かどうかについてはこれといった認識がなかった。

 三国志最大の英雄もこの時まだ29歳。

 本格的に軍を率いたのも今回が初めてという状況であり、まだまだ駆け出しの若者であった。


 このとき、曹操が率いるのは1千ほどの騎兵に過ぎない。

 都尉というまだまだ低い地位である以上しかたのないことだが、この才能あふれる若者は手持ちの軍勢を少しでも多く見せる工夫を考えついた。


 皇甫嵩が火攻めを思いついたように、このところ雨の少ない豫州一帯の地面は乾ききり、砂煙が立ちやすい環境にある。

 そのうえで騎兵に木の枝をくくりつけて走らせれば、もうもうと実際の人数以上の軍勢が起こした砂煙が立つという寸法だった。


 曹操の奇策もあり、官軍は黄巾軍に立ち直る暇を与えなかった。

 やがて軍勢を立て直した朱儁軍も合流し、完膚なきまでに叩きのめした。

 累々と戦場に横たわる屍は数万に及び、豫州の黄巾軍は再起不能に近い大打撃を受けた。

今話における曹操の奇策はフィクションです。


前回初登場した孫堅がピュアな男という印象にしたのに対抗して、今回登場した曹操については知者のイメージを演出してみました。

長社の戦いでは皇甫嵩が火攻めを考えるほど風が強く大地が乾ききっていたようですので、砂煙が起こる条件は十分にあると考え、採用いたしました。


ちなみに、元ネタはかのティムール朝を一代で築き上げた英雄ティムールの「ケシュの戦い」の逸話です。


ケシュの領主であったティムールは故郷を追われ、従うのはわずかの兵でしかありませんでした。

しかし、ティムールは大胆にもそのわずかな兵でもって故郷の奪還に乗り出します。

もちろんまともにぶつかっては勝ち目はありません。


そこでティムールは誰も考えつかないような奇計を考え出し、実行したのでした。

それは兵が乗る馬の尾に木の枝をくくりつけ、おびただしい砂煙をあげながら攻め寄せるというもの。


もうもうと立ち昇る砂煙は、弱体なティムール軍の実体を敵の目から隠す働きをしました。

それだけでなく、敵軍は巻き上がった砂塵を見てティムール軍の数を何倍にも誤認し逃走したため、ティムールは犠牲を出さずに故郷の奪還に成功したのでした。

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