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三国志天の記  作者: 沖家室
3章 天を繕う者・分かつ者【荀彧・魯粛列伝】
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第106話 呂布、滅ぶ

 昨日まで頼もしく思えた堅牢な壁が、みるみる水気を吸ってもろくなり、やがて水と一体化して泥流となって下邳(かひ)城内に流れ込む。

 この破滅的な情景を見て、元々敗戦続きで衰える一方であった呂布(りょふ)軍の士気はまったく地に落ちた。


「どうする?これはいよいよ危ねぇんじゃねえか!?」


「確かに・・・そうかもしれん。」


「だよな。ものは相談だが・・・曹軍(そうぐん)に寝返るってのはどうだろうな?」


「しかし、いいのか?そなたは呂将軍の縁戚ではないか。ずいぶんと信頼されて、与えられた兵は誰よりも多いというのに。」


「だからこそじゃねぇか。俺とお前の兵を合わせれば、城の一角を簡単に占領できるだろ。そうすりゃ、曹軍を城内に引き入れるなんて朝飯前、俺たちは大手柄をあげるって寸法よ。」


 立派な甲冑・装束に身を包んだ武将が2人、こそこそと密談を交わしている。

 呂布の縁戚と言われた男が魏続(ぎぞく)、もうひとりの名を宋憲(そうけん)という。

 彼らは長年戦場をともに駆けた戦友であり、どんなことも腹蔵なく話し合える親友であった。

 両人ともに呂布から厚い信頼を受けて一軍を任され、特に呂布の縁戚である魏続に与えられた兵力は目立って大きかった。

 その2人が曹操軍への寝返りを画策しているということは、呂布の破滅の時が刻一刻と近づいているということであった。


「まあ、待て。俺たちだけではダメだ。」


「何でだよ!?」


 勢いだけの魏続に比べ、宋憲はいくらか慎重である。

 ただ、彼も呂布を裏切ることについてはもう既定事項となっているらしい。


「城門を開けるだけで終わっちゃあ、大した手柄にならんってことよ。ついでに重臣の誰かかを寝返らせるか捕らえる、うまくいけば呂将軍を捕らえることができれば、比類なき手柄ってやつになるだろうさ。」


「なぁるほど。じゃ、誰か味方に引き込むつもりなんだな。誰だ?」


「そうさな・・・俺は侯将軍がいいとにらんでるんだがな。」


 侯将軍とは、呂布軍の主力である騎兵部隊の指揮官の侯成(こうせい)のことだ。

 并州(へいしゅう)出身である呂布は同郷の者たちで固めた騎兵部隊を組織し、自軍の主力部隊としていた。

 呂布の軍事的栄光はこの騎兵部隊によって支えられており、そのような部隊の指揮官である侯成は呂布軍でも大物のひとりである。


「侯将軍かぁ・・・。あの堅物(かたぶつ)が裏切るとは思えんがなぁ。」


「何を言っている。呂将軍の縁戚であるそなたが裏切ろうとしてるんだろう?世の中に絶対なんてねぇんだよ。ほら、侯将軍は以前に呂将軍へ酒や肴を献上して怒鳴りつけられたことがあったろう?あれ以来いつ自分が御手討ちにあうかとビクビクしているらしいぞ。」


「ああ、その話は聞いている。呂将軍がちょうど禁酒中だったもんだからその当てつけかと激怒されて、しまいには謀叛を企んでるんじゃねぇかって話にまでなったってんだろ?まったく、無茶苦茶な話だよな。」


「そうよ。だから、今の侯将軍なら俺たちの誘いにも乗ってくるんじゃねぇかって思うんだ。」


「そうかもな。ま、当たって砕けろだ。やってみるか。」


 こういう連中は行動力のかたまりで人間ができているのではないかと思われるくらい、すぐに行動に移す。

 そのまま侯成のもとを訪ね、いきなり裏切りを持ちかけた。

 駆け引きも何もあったものではない。


「な、なに、呂将軍を裏切れと申すのか。ち、ちょっと考えさせてくれ。」


 魏続や宋憲に比べれば、侯成の態度は煮え切らなかった。

 それだけ知恵の量が多いとも言える。

 ただ、陰謀にはこのようなためらいは致命的な失敗の原因となりうる。


 宋憲は侯成の態度を見て、魏続の方へ視線を移した。

 魏続も同じことを考えていたのか、腰に佩いた剣に手をのばした。

 彼らはこの場で回答をもらわない限り、そのまま切り捨てるつもりであった。

 悠長に考える時間を与えては、かえって失敗する可能性が高くなるのである。


「・・・わかった。汝らに協力しよう。」


 2人の害意に気づいたのか、侯成はあっさりと決断をくだした。

 呂布に怒鳴りつけられ、謀叛を疑われる発言をされてからというもの、侯成の心は鬱々(うつうつ)として楽しまなかった。

 そんな主君に忠義を尽くすことに対し、気持ちが揺れ動いていたのである。

 また、宋憲と魏続に自分が加われば、呂布軍の半分に届くかという勢力になる。

 謀叛が成功しそうだという素早い計算が、侯成の背中を押す形となった。

 

「まずは陳公台をとらえるべきだ。」


 そのまま作戦会議となると、あとは侯成の独壇場となった。

 侯成の方が年上であるし、地位も高い。

 また、知恵という面でも侯成のそれは他の2人を凌駕していた。


 侯成の策は、まず陳宮(ちんきゅう)を捕らえることからはじまる。

 彼こそ呂布陣営一番の謀臣であり、彼を呂布からいち早く切り離すことが成功への近道との考えだった。

 また、陳宮の陣営は3人のそれと隣接しており、手を出しやすいという側面もあった。


 侯成の「作戦」の滑り出しは上々だった。

 陳宮軍の抵抗はほとんどなく、陳宮はあっけなく捕らえられた。

 陳宮の兵たちもすでに下邳城の運命を悟っているかのようであり、主人を見捨てたのであった。


 そして急に起こった内紛に混乱する他の呂布軍を尻目に、侯成たちは城門を開けて曹操軍を城内へ導き入れた。

 さらに矛を逆さまにして曹操軍の先陣を切り、呂布や高順など主だった呂布軍の将を生け捕りにしてしまった。


 呂布の最期は有名を馳せた猛将にしては哀れなものであった。


「縛り方がきつすぎる!少しゆるめてくれないか!?」 


 がんじがらめに縛りあげられた呂布は、曹操の前に引き出されると何とも情けない声をあげた。

 戦場では死をも恐れない蛮勇を発揮するというのに、縄の痛みは耐え難いのだろうか。


「虎を縛ろうかというのに、きつく縛らずにおられんだろうが。」


 呂布の哀願を聞いた曹操は、ふんと鼻を鳴らした。

 虎かどうかは別として、剛勇で知られる呂布を自由にさせかねない縛り方など論外である。


「まあ、聞いてくれ。今この呂布以上にあなたの恐怖となる者はいないだろう?こうしてわしが服従したからには、もはやあなたが天下に恐れる存在はなくなったのだ。あなたが歩兵を率い、わしに騎兵の指揮を任せてもらえれば、天下平定も簡単に成るであろう!」


 呂布必死の命乞いである。

 天下に勇名をとどろかせた猛将にしては見苦しい限りであるが、そういった感情を抜きにしてその言葉を聞いてみれば、確かに一理ある。

 個人的武勇だけでなく騎兵指揮官としての能力も呂布は一級品であり、まだまだ利用価値はあるとも言える。

 曹操の顔には明らかに迷いの色が浮かんだ。


「なりませんぞ。」


 そこへ横合いから制止の言を挙げながら進み出てきた者がある。

 小柄ながら戦場で鍛えたよく通る声だ。

 やたらと腕や耳が長く、妙に存在感のある男。

 豫州牧(よしゅうぼく)劉備(りゅうび)である。


「曹閣下はこの呂布が丁建陽(ていけんよう)どのや董仲頴(とうちゅうえい)にした事を聞かれませんでしたか!?」


 曹操は点頭した。

 呂布の悪行を語るには、その2人の名を挙げるだけで足りるであろう。

 彼らはいずれも呂布を義理の息子として優遇したにも関わらず、最期は呂布に裏切られて殺されたのだ。

 軍才を惜しんでその性質に目をつぶれば、やがて曹操も身の破滅を招くことになる。

 それを思い出させるのに、短いながら劉備の言葉は十分な説得力があった。


「この小僧が一番信用できない奴なのだ!」


 呂布は顔を真っ赤にして劉備をにらみつけ、なおもわめいたが、もう曹操の心が動くことはなかった。

 曹操は傍らの刑吏に顔を向け、あごをしゃくった。

 彼らの手には縄がにぎられている。

 刑吏たちが呂布に近づいて手早く処置をすると、呂布の罵声はつぶれた蛙のようにくぐもったものに変わり、やがてバタバタとやかましく動いていた手足も静かになった。


 己の欲望をむき出しにして思う存分生き続けた稀代の猛将は、こうして己の意にそまぬ哀れな最期をとげた。

 呂布の剛勇は天下に響いていたのだが、最期の時に見せたまったく真逆の小心さがその武名を台無しにした。

 最期の最期で名声が悪名に染め抜かれたと言ってもいい。


 呂布の首は陳宮や高順のそれとともに許へと運ばれ、そこでさらされた。

 わずかに救いといえば、首だけとなった部下とともに許に墓を許されたことだったのかもしれない。

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