第104話 荀彧、呂布排除を進言する
劉備からの救援要請が届いたとき、曹操はちょうど南陽郡に進出して宛城を根城とする張繍と戦っているところだった。
曹操にしてみれば張繍は息子や甥、信頼する部下の仇であり、袁術に大勝してその脅威が減じた今、南陽攻めは何より優先すべきことであったのだ。
「宛を攻めるのはよろしいでしょう。しかし、許に相応の兵を残しておくべきかと。」
荀彧は今度は止めなかった。
4人の将軍と多くの兵を失った袁術が盛り返してくるにはしばらく時間が必要なはずで、曹操の周囲の敵性勢力は張繍とその背後にいる劉表くらいのものだったからだ。
ただ、何かあったときのことを考え、相当な数の兵力を許周辺など豫州の各地に残しておくべきとの付帯条件を付けていた。
「なぜだ?それでは兵が十分でなく、敵を圧倒できぬ。袁術はほうほうの体で逃げ帰り、しばらくこちらへは手出しができまい。今のうちに全力をあげて張繍めを滅ぼしてしまうべきではないのか。」
曹操としては、この機に張繍を滅ぼしてしまいたい。
何しろ張繍が拠る宛城と都の許はほんの数日の距離しか離れていないのだ。
喉元に刺さった小さな骨のような存在ではあるが、かえって気になって仕方がない。
袁術以外周囲が味方である今のうちに全力で片づけておきたいのだ。
だが、荀彧の考えは少しちがう。
その根底には曹操が徐州へ遠征に出ている間に兗州の大部分を失ってしまった過去の体験がある。
彼の眼は現在は味方である冀州の袁紹、豫州の劉備、徐州の呂布へ向けられていた。
それらがいつ敵に回るかは不透明である。
戦力の大部分を張繍らとの戦いにつぎ込んでいるさなかに背中を撃たれてはたまらない。
「宛城を簡単に抜くことができればそれにこしたことはありませんが、残念ながらそれは難しいでしょう。張繡は劉景升と手を結んでおります。援軍を当てにできるのですから、頑強に抵抗するに違いありません。わたしは南陽に我が軍が足止めされている間に都などに変事が起きるかもしれないと憂いているのです。」
速戦即決で張繍を倒すことができれば良いが、劉表の支援を頼みとする張繍は防御に徹して容易に倒せないとみるべきだ。
ある程度の戦力を後方に残し、不測の事態に対応すべきなのだ。
ただ、荀彧の思惑はそれだけではない。
「それに・・・変事は都だけで起きるとは限りません。」
「どういうことだ?」
「おそらく東で再び乱が起りましょう。」
「東・・・徐州か。」
「さようにございます。呂奉先や劉玄徳は詔勅を受け入れ、袁術への敵対を明確にいたしました。しかし、かの者たちの仲はこじれすぎております。朝廷への忠義を示したことを賞して呂奉先には徐州牧、劉玄徳には豫州牧を与えましたが、これがまた彼らの溝をさらに深めているはずです。」
「そうよな。劉玄徳にしてみれば、呂奉先に対して徐州を奪われた恨みがあろうし、呂奉先にしてみれば劉玄徳が自分とほぼ同格の地位を占めたことに不満があろう。いずれ決裂することは考えられよう。」
「変事を起こすとすれば、おそらく呂奉先でしょう。劉玄徳は急速に兵を集め始めていると聞きますが、独力で呂奉先を討つ力はありません。よほどのことがない限り、劉玄徳から行動を起こすことはないでしょう。ただ、不快に感じた呂奉先が劉玄徳を放逐したいと考えていても不思議はありません。閣下が南陽へ兵を進めたと聞けば、これ幸いと兵を挙げるかもしれません。あるいはひそかに袁術と手を結ぶこともありえます。」
「なるほど。卿の考えはわかった。つまり張繍を攻めると見せて隙をつくり、不忠者をあぶりだすというわけだな。それならば許にある程度の兵を残しておかねば、危急の際に対処ができまい。よし、それでいこう。」
曹操は荀彧の戦略を受け入れた。
許周辺に全軍の1万あまりの兵力を残し、荀彧と夏侯惇を指揮官として残した。
荀彧が都の防衛責任者であり、夏侯惇は何かあったときに出撃する部隊の指揮官という位置づけである。
そのうえで、曹操は2万近い兵を率いて南陽郡へと侵攻していった。
作戦通り、曹操軍は深入りをしなかった。
張繍は野戦を望まず、劉表の援軍をあてにした籠城戦に徹していたので曹操も無理攻めを避けたのだ。
呂布が豫州へ兵を入れ、劉備を沛国から追いだしたとの報告が届いたのはそんなときであった。
「文若の言う通りになったわ。よし、南陽攻めは取りやめだ。許へ還るぞ。」
曹操軍の撤退は早かった。
張繡・劉表軍が追撃に消極的であったこともあいまって、大きな支障なく許へと戻ることができた。
許で曹操を出迎えたのは荀彧であった。
「徐州へはすでに夏侯将軍の軍が発っております。妻子こそとらわれたものの劉玄徳どのは無事に沛国を落ち延びられ、現在は夏侯将軍の軍に加わっておいでです。」
「敵の将は誰だ?」
「はっきりとはわかりませんが、「高」の旗が確認できたとのことです。」
呂布軍で「高」の軍旗を掲げる有力部将と言えば、高順である。
「陥陣営」という異名をとるほどの戦上手であるだけでなく、清廉潔白な人柄で忠義に厚い。
なぜ己の欲望のままに動く呂布のような男に従っているのか不思議な好人物であるが、曹操軍にとっては手ごわい敵将である。
「すると、呂奉先自ら軍を率いてきたわけではないということか。」
「はい。ただ、敵の本軍が後続していることはおおいに考えられます。夏侯将軍だけでは不利かと。」
「うむ。元譲を見殺しにはせぬ。1日休息をとったら、すぐ東へ向かう。文若よ、留守は卿に預ける。南陽から攻めのぼってくることはないとは思うが・・・十分に警戒してくれ。」
「うけたまわりました。」
夏侯惇が出撃した今、曹操にとって安心して留守を任せられる者は荀彧しかいない。
それくらい荀彧に寄せられる信頼は絶大である。
荀彧は情報収集と分析に優れ、それに基づいた戦略の構築にも長けている。
首都の防衛司令官としてこれ以上の適材もいないであろう。
とは言え、今のところ冀州の袁紹とは同盟関係にあり、張繍や劉表には対外的な積極性に乏しいため、荀彧の主な仕事は許を策源とする補給・輸送の担当者としてのものである。
曹操は全軍に1日の休息だけを与えると、すぐさま豫州へと向かった。
曹操が沛国に近づくと、西進してくる味方と出会った。
劉備の救援に向かった夏侯惇の軍である。
「申し訳ございませぬ。」
曹操の前にあらわれた夏侯惇は、頭を地面にこすりつけんばかりに謝罪を繰り返した。
劉備の敗残兵とともに呂布軍の高順と一戦に及んだが、あえなく敗れてしまったのだと言う。
「よいのだ、元譲。勝敗は兵家の常と言うではないか。今日負けたなら、明日勝てばよい。それより、敵の動きはどうだ?」
「呂奉先の本軍も沛国に向かっているとの情報を得ております。それを聞き、我らはいったん兵を退いて本軍を待つことにしたのです。」
「正しい判断だ。倍の兵を擁する呂奉先の軍に挑めば、そなたはもっと手痛い敗北を喫していただろう。無事に合流してくれたことで、今度は敵より多い兵で戦うことができる。感謝するぞ。」
夏侯惇は戦術の才に優れた武将ではない。
ただ、自分の能力の限界を知り、決して無謀な冒険をしないという美点がある。
今回も高順には敗れたが、血気にはやることなく引き際を見極めた。
劉備を無事に保護するという最低限の目的は達している点を曹操は評価したのだった。
夏侯惇が軍を温存した結果、合流を果たした曹操軍は2万を超える大軍となり、今度は単純に呂布軍の倍の兵力を擁することになった。
「今度はこちらが押す番だ。沛を取り戻すぞ!」
戦争とは所詮数の暴力である。
いくら剛勇の呂布が奮戦しようとも、数では劣勢の呂布軍は曹操軍に正面切って対抗することなどできない。
三戦していずれも敗れてしまった。
こうなると武力でのし上がった徐州牧であるだけに、呂布勢力の瓦解は早かった。
陳珪・陳登父子をはじめとする名士たちは「朝敵」呂布の支配を拒絶し、あれほど曹操への恨みが深かったはずの徐州各城は次々と曹操軍の前に城門を開いた。
呂布は徐州の州治である下邳に逃れ、籠城を強いられた。
下邳はもはや孤城と言ってよく、その命運は風前の灯火のようであった。