若返っても爺なので怠けたい
はじめての投稿です
よろしくお願いします
思ったよりも長く生きることが出来たと思う。
後悔があるとすれば、最後まで意地や見栄を張り続けてしまったことだった。
家督を継げず、領地の端に来た時はこれで重圧から逃れられるなんて甘い考えを持っていた。けれどそんな場所、貴族として、人として生きるならどこにもないのだ。
そんなことに気が付くのに、随分掛かってしまった。
それがただ、心残りで。
「お爺さま…」
昔の自分と同じ色を持った子どもが、宝石のような涙を零す。
自分は彼らに愛情を持って接することが出来ただろうか。
自分は貰えなかったものを彼らに与えることが出来たのだろうか。
それを確かめる術はないと思っていたけれど、この涙がそれを証明してくれた気がした。
不甲斐ない自分を愛してくれて、愛させてくれて
「ありがとう…」
ヴィルグラム・ティルノーグ、齢90歳。
家族に看取られながらの大往生だった。
----
「ヴィルグラム様、おはようございます」
シャッとカーテンを引かれる音で目が覚めた。
確か、娘や孫に囲まれて自分は深く眠りに就いたと記憶している。目が覚めたということはどうやら自分はまだ死んでいないらしい。
なんともまあ、生き汚いことよな、と自分ながらに自嘲して身体を起こした。
軽い。
まるで猫になったかのような身体の軽さに目を見張る。
自分は長く生きたために、もう身体がボロボロだろうと思っていたが思い違いだったらしい。やはり自分は心から怠け癖というのが抜けないなとため息を吐いてベッドから起き上がった。
「さあ、今日は大奥様とのお茶会の日ですよ」
そう言ってメイドに手を引かれ化粧鏡の前に立たされた瞬間、思わず絶叫した。
「儂、若くなっとるんじゃがッ!?!?!?!?!」
---
現状把握をすると、自分はどうやら時戻りをしてしまったらしい。
それも自分に孫がいた年齢から、自分が孫だった年齢まで。
そして今日は週に何度目かのお婆様とのお茶会の日だった。
朝絶叫したヴィルグラムを心配してメイドたちは熱があるのではないかとか体調が良くないのではと心配していたが、ヴィルグラムにはどうしても確かめたいことがあったのでこのお茶会を欠席するわけにはいかなかった。
夢であれなんであれ、確かめなければならないことがある。ずっと心に引っかかっていたことだ。
ヴィルグラムは幼少のころ、母親や父親には中々会えず、祖母に育てられていた。
祖母は後々自身の犯した過ちから父親たちによって幽閉されることになるが、ヴィルグラムにとって祖母はずっと幼少期に唯一愛情をくれた肉親だったのである。
勿論、母親や父親たちとも少ない時間ではあるが会えていた。
けれど弟や妹たちは母親から作法や勉強についてのことを習い、自分はずっと他人任せにされていた。
それが貴族の長子たるものの勤めだと祖母や周りから言われていたが、ヴィルグラムを叱ることすらない日々は、ヴィルグラムをダメな人間へと成長させた。
辛かった記憶はない。
それが辛い記憶だと思うようになったのは自分の子どもを育てた時だった。
育てるというのはただ甘やかすばかりが愛するということではない。
相手を思えば思うほど心配し、口を出してしまう。
叱られた記憶がないヴィルグラムは子どもを叱る妻の声を聞くたびに、何故だか無性に泣きたくなるような心持ちになったものだった。
ずっとだれかにそうされたかった。
そして気が付いた。
もしや幼い頃の自分はまるで、祖母の飼い犬のようだったのではないかと。
のちに聖女と呼ばれるようになった少女が我が家門に養子に来て以来、祖母と引き離され、代わりに母親や父親たちから愛情をもらったと思う。
けれどそれは聖女たる少女によって齎されたものだということがずっと心に引っかかっていた。
祖母の過ちを正した聖女を恨んでいたわけでは、勿論ない。
祖母のしたことは許されないことだった。
けれどじゃあ、可愛がってくれていた祖母以外にあの幼い頃の自分を愛してくれた人間はいたのだろうか。
聖女が居なければそれを示そうとする人間は一人も居なかった。
母親や父親も聖女の『指導』のもと、ヴィルグラムに愛情のような情けをくれただけに過ぎないとヴィルグラムは思っていた。
何故ならヴィルグラムは別に祖母に監禁されていた訳ではなかった。
同じ領主邸の離れと母家に住み、鍵をかけているわけでもない。
行こうと思えばすぐ会いに来られる距離なのである。
しかし父や母はヴィルグラムに会いに離れに訪れることなかった。会えるのは本邸に時々呼び出された日だけ。
昔はそれをお忙しいから仕方がないのだと思っていたけれど、自身が子供や孫を育てた時は何かと理由をつけては仕事をサボって会いにいったものである。
つまりは、ヴィルグラムは父と母にすらあの時点でどこか見捨てられていたのだろう。
だからヴィルグラムは祖母は愛情をくれたが、それはどういったものだったのか。
それをハッキリとさせたいのだ。
もし祖母がただ愛情の示し方を甘やかすことでしか知らないのなら、自分は祖母を守ろうと。
しかしそうでないのなら…自分は神殿に行こうと決めていた。
家督を継ぐのは前世でも無理だったし、今世もうまく今の知識を活用すれば領主になれるかもしれない。
けれど端とはいえ、領地を持った今なら言える。
ただ『継ぐ』だけなら誰でも出来るのだ。
発展できる未来を後世に託すことが領主としての務めである。過去の妹たち以上の功績をヴィルグラムが遺せるかと問われれば否だった。
ヴィルグラムは自分が凡夫であることを知っている。
そしてどうしようもなく情けない人間だということも。
努力をしらず、ただただ自身の不幸を嘆くだけの人間が領主になどなれるはずもない。
だから自分は領主にはならない。
そして過去に起こった自分と妹たちどちらを領主として据えるのかという周りが勝手に騒いだ問題も面倒だった。
ヴィルグラムは過去の世界では本当に愚か者だった。
唆され、祖母の罪を冤罪だと叫び祖母の牢獄の扉を開いた。
脱獄は一瞬で祖母は大した距離を歩いてなど居ない。
それでも、領主である父が裁いた人間を逃すなどあってはならないことである。
ヴィルグラムにはそういった常識を教えてくれる人間も、間違ったことを窘める人間も近くには居なかった。
それはすぐに癇癪を起こすせいもあったし、自身を一番正しいのだと思っていたための居丈高な態度のせいもあったし、努力をしない、怠け者なために見捨てられたせいでもあった。
だからそんな愚か者を操ってやろうと側に侍り擦り寄ってくる人間の多いこと。
そして過去の自分はそれに気付かないほどに愚か者だった。
領主になるための資質がないのは勿論、そんな事件を起こした人間が領主になろうとすれば普通の神経のものであれば反対する。
しかしいつの間にかヴィルグラムはそういった普通ではない神経の人間たちの集まりである新興貴族と祖母たちの残った勢力に取り込まれ、妹たちと反目する立場になっていた。
そして勿論、烏合の衆が集まったところで一枚岩である重臣たちには叶うはずもなく、ヴィルグラムは辺境の地で小さく厳しい地を治めることになっていたのだった。
そういった人間に煩わされるくらいなら、争いには絶対巻き込まれないところに行くことがベストである。
しかしそれには多少の問題があった。
魔力である。
ヴィルグラムには脈々と受け継ぐ貴族としての魔力があった。
魔力を高めることは悪くないことなので、時を戻ってきていることに気がついてからはずっと聖女が開発し、未来で更に発展を遂げた魔力増幅方法で貯めている。
しかしこれがあると神殿に入ることは出来ない。
基本的にそこに入れるのは魔術学院には入れない程度の少ない魔力しかない人間や孤児たちなのだ。
さてどうするかと考えを巡らせていると部屋の扉をノックする音がする。
「ヴィルグラム様、そろそろお時間です」
「分かった、すぐ行く」
外は麗かな春の日差しの暖かい穏やかな日だった。