暇つぶしの玩具
次の日、朝、寮から学院に向かう途中、一ノ宮は桐生を見つけるなり笑顔で手を振りながら駆け足で向かった。
「郁ちゃん、おはよー!」
「ああ、おはよう、杏。」
「昨日はちゃんと眠れたかい?」と桐生が言うと勿論!と一ノ宮は答える。
周りの生徒達は桐生を見るなり遠く「桐生せんぱーい!おはようございますー!」と話しかけ、桐生は手を振るときゃー!と黄色い歓声が上がる。その様子を見ていた一ノ宮はきょとんとしながら言った。
「郁ちゃんって人気者だねー。どうやったらそんなに人気者になれるの?」
「ん?杏は人気者になりたいのかい?」
「ううん、ちょっと不思議に思っただけ。だって、郁ちゃんだって普通の人間なんだよ?こんなに人気者で大変じゃないかな?」
その言葉に桐生は考えたこともなかったな…と思った。
幼い頃から子役として舞台に立っていた桐生は、その才能を開花させて、その名は瞬く間に広がって人気者だった。
だから、人気者という立場に違和感や大変を感じたことはなかった。
しかし、そんな桐生の心情を知らない一ノ宮は続ける。
「人気者になるのは凄いことだけど、郁ちゃん気使ってばかりで疲れないかなって。」
「そんなことないよ。この姿は私本来の姿だからね。」
「そっか!」
と一ノ宮は桐生の腕を組む。ボッと顔を赤くする桐生を他所に一ノ宮は楽しそうだった。周り再びきゃー!羨ましいー!と声を上げる。
「あ、杏、あまりこういうことはしない方が…。」
「どうして?女の子同士なんだから気にすることないよ?」
アメリカの血が流れている一ノ宮にとって昨日チークキスといいスキンシップが多いのは当たり前のことなのだ。
いや、女の子しかいないこの環境では、こうやってじゃれ合うのは普通のことであるのかもしれない。
桐生様、とちやほやされている彼女のファンは本人にスキンシップを取ることは恥ずかしくて出来ないことだった。だからこそ一ノ宮のスキンシップの耐性が無かった。
「郁ちゃん?」
「…ん、ああいや、何でもないよ。」
考え過ぎか、と桐生は思う。
「…郁ちゃん、キスってしたことある?」
「……え?ああ、ドラマで何回かはあるよ。」
「そうじゃなくて、本当のキスだよ。」
「?」
すると一ノ宮は桐生を抱きしめた。そして、桐生の耳に囁いた。
「…私なら郁ちゃんにキスだって何だって出来るよ。」
甘くとろけるような声色に桐生は真っ赤になった。全身の力を込めて目を逸らしながら一ノ宮を離す。だからこそ、一ノ宮が怪しく微笑んでいたのを気づくことができなかった。
「はいはい、おはよーさん、二人共。」
ぽん、と一ノ宮の頭に鞄を乗せる信楽を見つけるなり「莉子ちゃん、おはよー!」と一ノ宮は信楽に抱きついた。
その様子を見た桐生は目を逸らして目を伏せた。
少しショックを受けた桐生を一ノ宮はちらりと見る。
「(…ちょろい人。)」
*
「モデルの撮影の見学?」
放課後、一ノ宮は桐生と遊びたいと誘ったが、桐生にはモデルの撮影があり断ろうとした。しかし、折角杏といられるんだ、と見学を誘った。一ノ宮はうーん、と悩み「莉子ちゃんも誘っていい?一人で見学は緊張しちゃうかも。」と言った。
「…あまり見学者が多いのは、現場の人達に良くないからね…出来れば杏だけで来て欲しいんだ。」
「分かった!ごめんね?じゃあ、私だけで見学するよ!」
「いや、謝るのは私の方だ。」と桐生は言う。
撮影は近くの公園ですることになっている。トレンドを取り入れたファッションに身を包んだ桐生はポーズをとって撮影される。
一ノ宮はそんな桐生をにこやかに見守る。
撮影が終わると私服に着替えた桐生と合流する。
「お疲れ様!ジュース買っておいたの!良かったら飲んで?」
「ああ、ありがとう。」
と桐生は一ノ宮からジュースを受け取る。
「そろそろ門限だね。寮に帰らないと寮母さんに怒られてしまう。」と桐生が言うので二人は寮に戻った。
本当は見学者が二人でも構わなかったのだ。しかし、桐生は一ノ宮と一緒にいたかった。
何故だか分からない、でも少しでも長く自分の側に置いておきたかったのだ。
この花のような笑顔をいつまでも見ていたかったのだ。
桐生にはないこの笑顔を…。
*
「で、どうだった?撮影の見学は?」
夜、就寝時間前の自由時間、一ノ宮の部屋に信楽が訪れていた。信楽は持ってきたポッキーを食べながら漫画を読んでいた。
「んー、つまらなかったね。」
「お!はっきり言うねー。」
一ノ宮は学校での可愛らしい雰囲気を捨て、だらだらとお菓子を食べていた。
一ノ宮からしてみればただ椅子に座って興味のない女の用事に付き合っていたに過ぎなかった。
「人気者だからちょっと遊んでみたけど、ちょろ過ぎてつまらない。」
「会長、なんだかんだで誰とも付き合ったことないからねー。」
「へえー、詳しいじゃん、莉子。」
「いやいや、転校したばっかの杏が知らないだけだよ。…で、どうするの?会長が本気で杏のこと好きになったら。」
信楽はポキンとポッキーを折って、漫画から一ノ宮に視界を移す。
一ノ宮はニヤリとして答えた。
「私の目的は惚れさせることだからね。」
ちょろい奴程遊び甲斐があるって言うじゃん、と一ノ宮は笑いながら言った。