愛情に飢える
桐生郁は一人っ子で幼い頃は両親からの愛情を独り占めしていた。一緒に笑い、遊び、食事をし、幸せな家庭だった。
とある新聞の広告に『子役募集中』のチラシが入っているのを幼い桐生は見つける。じーっとそれを見つめる娘に気づいた母親は微笑み、優しく言った。
「郁、応募してみる?お母さんもね、子役から芸能界に入ったのよ。」
桐生の母親はテレビで彼女の姿を見ない日などないくらい有名な女優だった。幼い桐生は笑顔で「うん!わたし、おうぼする!」と答えた。
オーディションの結果は合格だった。
桐生の才能は母親譲りなのかすぐに開花した。娘が出演しているドラマを家族で見て、両親から褒められる桐生は心の底から笑顔で笑っていた。
ーーしかし、そんな平和な日々は突如壊された。
父親が出勤途中、信号無視した自動車跳ねられて死亡したのだ。
母親はその日からおかしくなった。仕事をしなくなり、ずっと夜中まで泣いていた。そんな母親をドアの影からずっと見ていた桐生は母親を心配していて、ある日、小さな手でおにぎりを作った。数週間、何も食べていない母親の顔はやつれていた。そんな母親を元気付けようと桐生は形がぐしゃぐしゃのおにぎりを母親に差し出した。
「おかーさん、いく、おにぎりつくったの。たべて。」
すると、母親は「……郁。」と顔を上げた。桐生がホッとしたのも束の間、突如母親は娘の髪を無理矢理掴んだ。
「なんで!!なんで死んだのがお前じゃないんだ!!!」
突然の母親の怒号に幼い桐生は震えながら「…おかーさん……?」と呟いた。
桐生には何故、母親がこうなってしまったのか今でも分からない。しかし、母親は夫の死を幼い桐生のせいした。
「アンタがいるから、お父さんがいなくなったのよ!どう責任とってくれるのよ!!」
それからというもの、母親はまだ立ち直れていないものの周りから心配されつつも芸能界に復帰した。
しかし、桐生に対する態度はどんどん酷くなる一方だった。ご飯は生ゴミを与え、衣類は買ってくれずいつもボロボロの服を着ていた。寝ている時は必ず蹴り飛ばし無理矢理起こす。
そんな日々が続き、桐生郁から笑顔が消えた。
桐生も同様に芸能界で幼いながらも一生懸命働き世間に名前を轟かせていた。そうすれば、母親はきっと元に戻ってくれる、また幸せな家庭になれるはず…!と願っていた。
そして、小学6年になった桐生は雑誌の専属モデルに選ばれたことを母親に報告した。
「お母さん、見て!私、雑誌の「だから、何。」……え、」
しかし、母親の目は黒くくすんでいて桐生を睨みつけた。持っていた酒の缶をダンッと机の上に置いた。
「そんなものどうでもいい!お前なんかいらない!!どっかいけ!!」
母親は夫が死んだ日から何も変わっていなかった。それを理解した桐生は何も言わず暗い公園のブランコに座り、一人で泣き始めた。
……もうあの幸せな日々は返ってこない。
そう確信した桐生は中学受験することにした。寮のある学校を虱潰しに探し、なるべくこの家から離れたところを探した。
出てきたのは全寮制の私立カルミヤ女子学院。
もう母親と私は赤の他人になろう。
そう決心した桐生は受験が終わった後、逃げる様に荷物をまとめて学院に入学した。
入学すると芸能界で有名なこともあってすぐに人気者になった。
何度も女子生徒の告白を芸能活動が忙しいという理由で何度も断った。
あの壮絶な過去を知っているものは誰一人としていない。
何故なら、生徒達の憧れの的になっている自分にあんな過去があると知ったら失望してしまうと思っていたからだ。
その上、もう思い出したくないとも思っていた。
「ダメダメ〜郁ちゃん。もっと笑顔で先輩に話しかけないと。」
「は、はい!」
今はドラマの撮影中。後輩役の桐生が大好きな先輩に話しかけるシーンだ。
しかし、何度も同じ場面をするが、監督は首を横に振るばかりで流石の桐生も冷や汗が流れる。
「郁ちゃん、どうしたの〜?もっと心を軽やかに!自由に!しなきゃ〜。」
「は、はい!分かりました!」
そして、時間がきてしまい、結局その日はこの場面が出来る事はなく、桐生は監督や他の出演者に謝り帰っていった。
どうしたら…どうしたら…心の底から笑顔になれるんだ…と桐生は悔しくてたまらなかった。
思わず涙が出てしまう。きっと母親が優しければ…と人のせいにしてしまう桐生は、誰か…私に愛情を下さい…と愛情に飢えていた。
すると、桐生はベットから立ち上がり、部屋を出た。
まだ起きているかな…と、とある部屋をノックした。キイ…と音を立てて開いて出てきたのは一ノ宮だった。
「ふあ〜、郁ちゃんこんな時間にどうし」
どうしたの?と言い終わる前に桐生は一ノ宮に抱きついた。一ノ宮はすぐに彼女に何かあったのか察して手を離さず部屋の中に入れた。
暫くの間、桐生は一ノ宮を抱きしめていると口を開いた。
「……杏。」
「どうしたの?郁ちゃん。」
一ノ宮はてっきりこの後、桐生がこうなってしまった原因を言ってくれると思っていたが、違った。
「私と付き合ってくれないか。」
その言葉に一ノ宮は目を見開いて、手を離さず桐生から離れた。桐生の目元には泣いた痕があった。
一ノ宮は優しく微笑んで「何かあったの?」と聞いた。
「……私と付き合ってくれ。」
「どうして?」
「…杏は私のことが嫌いなのか?」
「そんなことない。好きだよ。」
「…なら、付き合ってくれ……。」
しかし、一ノ宮は「今はダメだよ…。」と静かに言った。すると一滴の涙が桐生の頬を伝う。桐生は一ノ宮と付き合えば過去のトラウマから脱出出来ると思っていた。いや、忘れようとしていた。
「何があったか分からないけど、私いつでも郁ちゃんの味方だよ。」
と今度は一ノ宮から抱きしめられる。
「聞いてくれるか…?」
そして、桐生は昔の話を初めて一ノ宮に話した。