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5話(2/2)「なんだかんだの佐々木くん。」

 ぼくには二人の腐れ縁がいる。


 両思いのくせにちっとも進展しない困った二人だが、今日、ようやっと進展を見せた。

 アシストしまくって実現した帰宅デート。どうなっているのか経過が気になるところではあるけど、あとは二人の成り行きに任せることにして、ぼくは最近顔を出していなかった美術部へ足を向けた。


 行ったところで家ですることと何ら変わりはないけど、普段とは違った環境で描くことで効率は上がったりするものだ。それに自室だとテレビとかゲームとかマンガとか、作業を妨害する誘惑が転がっているのに対し、美術室のシンプルさと言ったらもう。


 集中したいときは非常にありがたい空間なわけだ。


「失礼します」


 言いながらドアを開ける。


 放課後になった瞬間、腐れ縁の二人から逃げるように美術室へ向かったから、まだ誰もいなかった。


「…………」


 誰もいない静かな美術室で深呼吸。


 ほのかに香る木と絵の具の匂いが混ざった独特な香り。長年の使用で傷だらけになった床と机。その傷を誤魔化すように丁寧に塗られたワックスも、古びた校舎を彩る要素のひとつ。


 ぼくは誰もいないことに味を占めて、特に意味もなくこっそりと準備室に入る。


 ここには美術に使う様々な道具が雑多に置いてある。布の張られた木枠はキャンバスと言ったかな。それを乗せる木の脚立みたいなのとかが所狭しと並べられ、棚にはテコだかパテだかよくわからない金属のヘラもある。


 こんな道具で絵なんか描けるのか疑問だ。


「けほっ——埃っぽ」


 色々あさっていたら埃を巻き上げてしまったらしく、窓から差し込む光に照らされてキラキラと宙を漂っていた。


 効果があるのかわからないが手を振って埃を払いつつ窓を開けるために窓際へ。


「おっとっと……セーフ」


 窓を開けようとして袖のボタンに違和感を感じ見てみれば、近くに置いてあった布のほつれが引っ掛かっていた。その布は、キャンバスに覆いかぶさるように置いてある。

 このまま気づかずに窓を開けていたら、キャンバスを倒してしまっていたかもしれない。もしそうなったら、キャンバスはそこそこの大きさがあるからさらに埃が舞い上がっていたことだろうし、それに床も埃で白く濁って汚いから、絵が汚れてしまうところだった。


 ズレた布を元の位置に戻そうとして、手が止まる。

 隙間から、キレイな青と緑の絵が見えてしまったからだ。


 危うくこの絵を台無しにしてしまうところだったと反省しつつも、湧き上がる好奇心がぼくの手を動かし、キャンバスの絵を隠す布を取り払っていた。


「へぇ……」


 感嘆の吐息が漏れる。綺麗な色使いをした油絵だった。


 油絵と言えば色を重ねて描いていくから、暗くて重い色になりがちな印象がある。でもこの絵はそれを微塵も感じさせないどころか、夢のように鮮やかな彩りが軽やかに表現されていた。でもどこか不安定で、ぼんやりとしているところもある。そんなところもまさに、夢のようだった。


金田かねだ絵美えみ……ああ、金田ちゃんか」


 キャンバスの裏面を覗き込み、隅っこで遠慮がちに書き込まれた名前を見て納得する。


 この絵は唯一と言ってもいい美術部員である金田ちゃんが描いたものだったか。ぼく自身あまり部活に参加するほうじゃないからよく知らないけど、気弱で夢見がちな少女が描きそうな絵だと思ったら、そのまんまだった。

 誰がどんな絵を描こうが自由だが、ここまで上手いとは正直思わなかった。失礼なのは承知で言うが、絵しか友達がいなかったかのような上手さである。


 いや、ほんと失礼だなこの言いかた。


 金田ちゃんは、第一印象からなんとなくわかってしまうくらいの内気な性格をしている。こちらの顔色を伺って、波風を立てないように陰に隠れながら生きている。話したことはあまりないけど、チワワのように臆病でビクビクしながらも、誰かに甘えたい人懐っこさを持っている。そんな子なんじゃないかと思った。


 ぼくのこの印象がどこまで合ってるかは責任持てないけど。


「ぼくも絵を描きますかね」


 金田ちゃんの絵にわかりやすく影響されて、フツフツと絵を描きたい欲求が湧き上がってくる。


 こういうのを創作意欲と言うのだろう。モチベーションを維持するにはとても大切なことだから、まだ来てないけど勝手に感謝しておこう。


 布を被せ、可能な限り元の状態に戻してからぼくは美術室に戻り、自分のカバンからタブレットとスタイラスペンを取り出す。


 これがぼくの絵を描く環境。これだけあれば充分だ。というか、これだけじゃないと絵を描いていることが周りにバレてしまうからこのコンパクトさはとても重要なのだ。

 いつもは学校にこんなもの持ち込まないから正直ドキドキものだったけど、いい刺激も得られたし、美術室の環境は集中して作業するにはうってつけ。

 これからは定期的にこうしてここで描くのも良いかもしれないな。


 お絵かきアプリを起動して、新規作成。真っさらな画面が表示され、ぼくは画面にペンを走らせた。


 脳裏に浮かぶシルエットを浮き彫りにするように、ザックリとアタリを描いて構図を決め、レイヤーや選択変形などデジタルならではの機能を駆使してラフを仕上げていく。


 そうこうしているうちに名前だけの美術部員である三年どもがやってきたがこれを無視。向こうもそうしているから問題ない。

 楽しそうな話し声も雑音でしかないので集中力でカットして、全力を傾ける。


 それでも不思議と耳に入ってきたのは、控え目なノックの音からのガラガラと扉が開く音。


「……失礼します」


 荒立つ大地にシトシトと雨が降るような、遠慮がちな、それでいて確かに潤いを与える声が転がり込んできた。


 見なくてもわかる。金田ちゃんだ。


「ひう」


 突然息を引き攣らせたような声が聞こえてきた。


 何事かと思い見てみると、口元を隠すように手で抑えて、固まっていた。


「ひゃっくりなら限界までゆっくり息を吸ってから数秒止めて、限界までゆっくり吐き出せば止まるよ」


 確かテレビでそのように止め方が紹介されていた。僕自身で実践済みだから、効果のほどはある程度保障しよう。


 急に訳もわからず出てくるときってあるよね、ひゃっくり。


「あ、は、はい。やってみます!」


 素直に頷いて、金田ちゃんは僕が言った通りに深呼吸をし始めた。


「すぅー…………」


 肩と胸を持ち上げるように大きく息を吸って、ムッと唇を噤んでそのまま数秒。


「はぁー…………」


 慣れない仕事に疲れ果てたOLが家の玄関でつくようなため息っぽく、肺にある空気を全力でゆっくりと吐き出していく。


「どう?」


 吐き切ってから、呼吸が落ち着いたタイミングを見計らって感想を聞いてみる。この方法が他の人にも効果があるのかは知らないから、ちょうどいい機会だ。


「あ、はい、落ち着きました。ありがとうございます佐々木(ささき)先輩。……こんにちは」


「んー」


 効果は上々と言ったところか。それが確かめたかっただけだから、返事は適当に。


 金田ちゃんが来て気づいたが、絵を描き始めてそこそこの時間が経っていた。珍しく結構集中できていたようだけど、この疲労感はあまり好きじゃないんだよな。家ではのんびり描いてるし、所詮は趣味絵だから、ここまで真剣になって描かなくてもいいんだけどね、ま、たまにはいいか。


 昔馴染みの二人が今どんな状況なのか少し気になるけど、そういえばスマホはカバンの中に入れっぱなしだったっけ。もしかしたら助けを求める声とか受信してて、それで向こうの状況も多少は掴めるかもしれない。


 そんな連絡ないに越したことはないけど。


「よしっと……」


 金田ちゃんは準備室からキャンバスとそれを立てかけるやつを小脇に抱え、ぼくから近くもなく遠くもなく、微妙な位置にそれを置くと早速絵を描き始めた。準備室で見てしまったあの夢のような絵だろう。


 キャンバスの背がこちらを向いているためどんな感じに仕上がっているのか伺うことはできないが、代わりに彼女の顔が見える。というか——、


「…………」


 めっちゃ見てる。チラチラと視線がこっちに移っているのがよくわかる。


 あれで気づかれてないとでも思っているのだろうか……。


 しばらくは気づいてないフリをしてイラストの続きを描いていたけど、さすがに我慢できなくなってしまった。ついでにスマホのチェックも兼ねて休憩にしよう。


「金田ちゃん」


「〜〜〜?!」


 まさか名前を呼ばれるとは思っていなかったのか、肩を跳ね上げ首を引っ込めて、ものすごい勢いで起立した。ガッチガチに固まっていて、まるでロボットみたいだった。


「そこのカバンからスマホ取ってもらえる? チャックのポケットの中」


「ハイ゛ッ!」


 返事まで喉が固まったように硬くて、大丈夫なのかと心配してしまうほどだ。


 ……いや、大丈夫ではなさそうだ。スマホを取りに行く動きがロボットそのもののような動きだった。特技はロボットダンスです、とか言い出しても納得できるレベルだ。


 金田ロボットがぼくのカバンからスマホを取り出し、画面を見てほんの少しフリーズ。すぐに動き出して、しっかりと届けてくれた。


 未来もこんな感じで、ロボットとかに介護される未来が来るのだろうな。


「ありがとう」


「イ゛エ゛……」


 油が抜けたようにギクシャクと会釈した。いまの声どこから出てるんだろう。


 それはともかく、昔馴染みの二人から連絡が来てたりしていないかだけ確認して、スマホの出番は終わり。


 連絡は入ってなかった。うまくやっているのか、逆にうまくやれていなくて助けを呼ぶ余裕すらもないのか。

 結果のほどは家に帰ってから本人にでも聞けばいいとして、とにかく今は作業を続けることに意識を集中させよう。


 せっかくわざわざ美術室に顔を出したんだ、今日は稀に見る集中力を発揮しているから、この感覚が残っているうちに進められるだけ進めておきたい。

 せめてキリよくラフを仕上げてから家でゆっくりと仕上げたいところだ。


 息抜きは早々に切り上げ、カッカッカッカ——とペンが画面を叩く音が美術室に静かに響く。


 というか、お喋りしている三年生は別として、静か過ぎるのが逆に気になった。


「あまり見られると気が散っちゃうんだけど」


 スマホを届けてくれてから電池が切れたオモチャのようにその場から動かない金田ちゃん。その視線の先は、ぼくのタブレットに熱く注がれている。


 さっきからロボットとかオモチャとか、金田ちゃんが人間ではない説がぼくのなかで密かに浮上中。


「あっ! ご、ごめんなさい!!」


 金田ちゃんはものすごい勢いで頭を下げて謝った。そのスピードと美しいフォームに、頭の降りる先にスイカでも置いたら爆散するんじゃないかとどうでもいい想像を巡らせた。


 時間があるときに、そういうネタ絵を描いてみてもいいかもしれない。いい練習になりそうだ。


「そんなに気になるならもっと近くに来て描けば? さっきからずっと気にしてたでしょ」


 チラチラとこちらを気にして、金田ちゃんが描き進めている絵の進みが悪いんじゃ、なんだか申し訳なくなってしまう。

 だったら気になっていることはさっさと解消して、金田ちゃんも自分の絵に集中してもらったほうが、お互いのためになるだろう。


「ぁぅ……」


 イタズラのバレた仔犬のように小さくなって、バツが悪そうにモゴモゴとなにごとか呟く。


 あれで気づかれてないとでも思っていたのだろうか。視界の端で新聞を読めるくらいにならないと、ぼくの目は誤魔化せない。


 諦めがついたのか、金田ちゃんの表情に決意のような色が浮かぶ。


「で、では失礼しまして……」


 遠慮がちに、しかし素早く手早く道具を持ってぼくの隣へと場所を移す。が、まだちょっと距離を保とうとしているのは、ぼくが先輩だから遠慮でもしているのか、少し気が引けているような感じがする。


 いや、違うか。間違ってはいないけど、違う感情が混ざってる。


 それは身近にあったけど、でもぼくには縁遠いと思っていたものだ。


 少し、確かめてみよう。


「金田ちゃんは偉いよね」


 微妙な間を置いてから、


「ヘェッ?! そそそそそそそんあことはないれす!!!!」


 ……うん、もういいか。顔をゆでダコみたいに真っ赤にさせて大いに慌てて、でもすごい嬉しそうで、なんとわかりやすい反応だろう。


 あとはもう話の流れに身を任せるとしよう。


「だってちゃんと部活動してるの金田ちゃんだけだよ」


 第一印象だけで金田ちゃんは真面目な子だとすぐにわかる。ちゃんと毎日、放課後は美術室に顔を出して部活動をしているはずだ。


「そ、それなら佐々木先輩だって……」


「ぼくのはこんなだよ? 美術とは違うでしょ」


 タブレットに描きかけのラフイラストを見せつけて、美術とは方向性が違うことを訴える。


「それにぼくは毎日顔を出してるわけじゃないしね。あそこの連中と違って」


 アゴでこっそりと三年連中を指して、ちょっと皮肉る。


 金田ちゃんは不思議と話しやすくて、普段は溜め込んでいる感情も吐き出せた。ぼくの話をしっかりと聞いてくれるし、誰にも言わないという確信があったからだ。

 じゃなかったらチクられる可能性があるこんな話は言い出せない。


 誰にだって一人くらいはいると思う。話しやすい存在というものは。大抵は家族とかだと思うが、どうやらぼくにとっては金田ちゃんがそうらしい。


「その…………あの先輩たちは、どうしていつもお喋りを?」


 声を潜め、三年連中から見えないように手で口を隠して様子を伺いながら聞いてきた。


 そうか、金田ちゃんは知らないのか。


「顧問の先生が言うには、廃部を阻止するために名前だけ貸してもらったんだってさ。名義上は美術部員だから、ここにいてもおかしくない。放課後に堂々と居残れるし、人も少ないから都合がいいんでしょ」


 別にやかましくなるほどうるさいわけでもないし、ぼくの邪魔にならなければどうでもいい。

 たぶん、向こうも同じように思っている。だからお互いに不干渉を保つのがここでは暗黙の了解になっている。


「他にはいないんですか?」


「いないよ。これで全員」


 だと思う。ぼくのように幽霊部員がいないとも限らないし。いてもいなくてもきっと今と変わらないからどうでもいい。


「それにしても——」


 ぼくは意図して話を切り替えるためにわざとらしく前置きして言った。


「金田ちゃん絵うまいよね」


 キャンバスを覗き込み、例の絵を改めて鑑賞する。


 準備室で見たときよりも幾分か進んでいて、主に雲などが描き足されていた。


 最初見たときは夢のような絵だな、と思ったものだけど、より夢のようなメルヘン感が増し増しになっていた。


「わ、わ、わ! あんまり見ないでくださいっ! 人様に見せられるようなものでは……!」


 キャンバスを庇うように両腕を広げてバタバタさせて、コミカルな動きを見せる金田ちゃん。顔を真っ赤にさせて、見られまいとする必死さがよく伝わってくる。


 こういう人にはちょっと意地悪したくなってくるのは、必然と言えよう。


「わかった、あんまりは見ない。よ〜く見る」


 体からはみ出しているキャンバスをさらに凝視して煽る。


「そういうことじゃないです! 揚げ足取らないでくださいよ〜!」


 小さな女子の体では大きなキャンバスはとてもじゃないが隠し切れない。金田ちゃんがいくら絵を隠そうとしても、丸見えだ。


「ま、金田ちゃんが来る前に見させてもらったからいいけど」


 偶然見てしまったものだが、見てしまったんだからどうしようもない。


「わたしの努力が水の泡?!」


 目を白黒させて大いにテンパる後輩をいじるのは結構楽しい。また新たな発見をしてしまった。


 しかし、ふと金田ちゃんの動きが止まる。脳がオーバーフローでも起こしたかと思ったが、違った。


「佐々木先輩勝手に見たんですか? わたし布被せてましたよね?!」


 前のめりに詰め寄ってくる金田ちゃん。一瞬止まったのは、前回の光景を思い返していたからだったようだ。


「わざとじゃないよ。埃っぽいから空気を入れ替えようとしたら、布のほつれが袖のボタンに引っかかったんだよ」


 ぼくは努めて平坦な口調でそう返す。嘘は言っていない。


「それ、本当ですかぁ……?」


 ものすごく疑われているようなことを言われた。心外だな。


「本当です」


 とだけ言っておくが、これ以上追求されると面倒なことになりそうなので、無理矢理にでも話題を変えることにした。


 金田ちゃんの絵を凝視してから、思ったことをつぶやく。


「油絵ってことは厚塗りってやつだよね。上から重ねて塗ってくのって本当なんだね」


 少し見させてもらったが、絵の具の上に絵の具が重なっているのはあまり見たことがなかったから、なんだか珍しく感じてしまう。というか、これって本当に意味があることなんだろうな? と、そういう風に疑問に感じてしまう人はぼくだけじゃないはずだ。


 金田ちゃんは自分の絵を見られることに慣れたのか、それとも諦めたのかは知らないが、今度は必死こいて隠すようなことはしなかった。


「あ、はい。乾かしながら描いたりするので完成には随分と時間かかっちゃいますね。アトリエとかある人なら複数の絵を同時進行で描くって聞いたことあります」


 へぇ、それは知らなかった。油絵ってそんな面倒なことをやっているのか。だったらぼくはデジタルで充分だな。いくつもの絵を同時進行で描くって……想像しただけで嫌気が差してくる。


 と、今度は金田ちゃんがぼくのタブレットを覗き込んできた。


「さ、佐々木先輩はデジタルですよね。どんな感じなんですか? わたし機械音痴で……」


 機械音痴とな。なるほどそれっぽい。金田ちゃんは特に機械音痴っぽい。スマホすらまともに使いこなせない部類の人間のように感じる。


 さすがに今時の女子高生がそれはないか?


「どんな感じって言われても……触ってみたほうが早いんじゃないかな」


 それを確かめるためにも、実際にやらせてみたほうが話が早い。機械音痴の人がなんで機械音痴なのか純粋に気になるし。


「いいいやいや! 爆発させちゃったら大変ですし!」


 タブレットとペンを差し出してみるが、ものすごい勢いで拒否られてしまった。そこまで遠ざけようとすると、こっちとしては逆に近づけたくなってくる。


「爆発かそれは大変だ。——はい」


「えぇえぇえ?!」


 爆発するわけがないので、強制的に金田ちゃんに渡して、ペンを握らせてみた。たったそれだけで、金田ちゃんは汗だくになってきて、まるで本当に爆弾を持っているかのようだった。


 うんうん、なかなかにいい反応をしてくれる。


 ビクビクしながらも、金田ちゃんはゆっくりと、正確には恐る恐る、画面にペンを走らせる。いや、歩かせる。


「お、おぉ、どうして……?」


 ただ一本のヘニャヘニャな線を描いただけなのに、感嘆の声を上げる金田ちゃん。


「お店にあるやつは線も引けなかったのに」


 機械音痴というよりは、単に使いかたをわかっていないだけってパターンが多いが、金田ちゃんもその部類かな。ちょっとでも取っつきにくい部分があると、原因を解明せずすぐに投げてしまう傾向がある人だ。

 とは言え、ぼくも初心者の頃はわからないことだらけで、それこそ金田ちゃんが言っていたように線すら引けなかったこともある。


 大抵は、


「消しゴムにでもなってたんじゃない?」


 他には色の設定が白になっていた、とかもある。あとは接触不良とか、そういった物理的な問題。


 なんにせよ、線も引けなかったのはタイミングが悪かっただけなんだよ。


「けしごむ……?」


 まるで初めて聞く単語のように首をかしげる金田ちゃん。おいおい嘘でしょ、本当に何もわからないのか。


「右上の、消しゴムみたいなマークをタッチしてから描いた線をなぞってみて」


「は、はい」


 言われた通り消しゴムのマークをタッチしてから描いた線をなぞっていくと、当然だが描いた線が消えていく。


 たったそれだけなのに、


「未来です……!」


 と、うっとりしたような表情で感動していた。


「現代に生きてるよー帰ってきてー」


 たったこれだけで未来を感じられるなんて、心の底からアナログな人生を送ってきたんだろうな……。アナログは衰退の一途を辿る一方なんだから、ここいらで金田ちゃんにはもっとデジタルに触れてもらったほうが今後の人生のためになるんじゃないだろうか。


「でもやっぱり、なんか不安になっちゃいますね」


 うっとりした表情から一転、曇った顔になる。不安というよりは、不満、のほうが近いかもしれない。デジタルのなにかが気がかりになっているみたいだ。


 金田ちゃんからタブレットとペンを受け取る。


「ぼくからしたらアナログのほうが不安になっちゃうけどね。背景とか苦手だし」


 線の数とか、色の数とか、全体のバランスとか、とにかく視野を広く意識して描かなければいけない。そもそもぼくが描きたいのはキャラだから、ぼくの中で背景はさほど重要ではない。


「そ、そうなんですか……?」


 意外そうな反応をされてしまった。絵を描いている人の誰もが金田ちゃんのように風景描くのが得意だったり好きだったりするわけじゃないんだよ。


「下書きの段階ならまだしも、アンドゥ——えっと、やり直せないじゃない」


 わかりやすいように言い直す。


 結局のところ、ぼくがデジタルで絵を描いているのはこれが全てだ。簡単にやり直せるし、簡単に消せる。他にもいろいろ理由はあれど、大部分をこれが占めていた。


「確かに絵の具を乗せちゃったらそれまでですけど、戻れないからこそ方向修正で手を加えているうちに思わぬ出来になったりするんですよ。いい意味で」


 なるほどな、そういう考えかたもあるのか。


 同じ絵の道でもまるで別々の道を歩いてきたからこその意見に、ぼくは納得した。


 すると唐突に金田ちゃんが「あ……」とつぶやきをこぼす。何かに気がついてしまったかのような反応だ。


「なに? 何かミスでも見つかった?」


 やっぱりデジタルのほうがいいだろう、とか、生で方向修正とやらを見られるのかとちょっと期待したんだけど、そういうことではないらしい。


「そ、そうじゃなくって……あの、えと……」


 金田ちゃんは言い淀む。


 いちおう先輩ではあるけど、ぼくなんかに気を遣わなくてもいいのに。


「言いたいことがあるなら遠慮せず、どうぞ」


 手のひらを見せるようにして、続きを促す。こうでもして助け舟を出さないと、いつまで経っても切り出してくれそうにない。


 団欒する先輩方の話し声は度外視して、静寂が舞い降りる。


 ぼくは言葉を整理させる時間を与えて、金田ちゃんはその時間を使いしっかりと考えてから、ようやく口を開く。


「夏に絵画コンクールがあるじゃないですか」


「あるんだ」


 初耳。


「あるんです。そ、それに出す絵を………………わたしと合作しませんか?!」


 自らの全てを絞る出すような勧誘の言葉。内気な金田ちゃんのことだから、この言葉を言うのに相当の勇気が必要だったことだろう。


 その頑張りを買ってあげたいところだが、まだ足りない。


「理由を聞いても?」


 それ次第では、考えなくもない。


 いままではずっと趣味の範囲で絵を描いてきたが、どこかに応募してみるのも悪くはないと思える。そういう意味ではいい機会か。


「理由……は」


 金田ちゃんは何かを言いかけて、しかし止めてから、また改めて口を開く。


「佐々木先輩は、背景が苦手と言いましたよね」


「言ったんだ」


「言ってました」


 なんと。どうやらぼくは金田ちゃんの前では口か軽くなってしまうらしい。自分から自分の弱点を晒してしまうなんて、ぼくらしくもない。今日一番の反省点だ。


「それでわたしは、人物を描くのが苦手です」


 そうだったのか。だから金田ちゃんが描いている絵には人物が描かれていなかったんだな。


「なるほどね。それで合作、と」


 合点がいった。手を打つような思いだ。


 ぼくと金田ちゃんであればお互いの苦手な部分を補い合える。


 だが、誰でもわかる大きな壁が立ちふさがっている。


「アナログとデジタルの壁はどうするの」


「それ、は……」


 また口ごもってしまう金田ちゃん。言い出しづらいことなんだろうが、ぼくには金田ちゃんが考えていることがなんとなくわかった。


 というか、この壁を越えるためには他の方法など思いつかない。


「まさか、ぼくがアナログ——というか油絵の練習をすればいい、とか考えてる?」


「…………」


 無言で頷いた。図星らしい。


 でも、そのあとに俯いてしまった。イタズラをしました、悪いことをしましたと正直に告白している子供のようだ。


 ぼくは天を仰いでからため息をひとつついて「やれやれ」と首を振る。


 どうしてそんなに後ろ向きに物事を捉えるのだろうか。


 だって、


「わかった。別にいいよ」


 はなから断るつもりなんてないのだから。


「…………え?」


 金田ちゃんは鳩が豆鉄砲を食らったかのようにキョトンとしている。鳩が豆鉄砲食らったら本当にキョトンとするのかは置いておいて、


「別にいいよって言ったの。これからはもうちょっと顔出せそうだしね」


 いつも一緒につるんでいるふたりをくっつけるためにも、お邪魔虫であるぼくは離れたところにいなければいけない。必然的に時間もできるので、余った時間は絵に費やそうと最初から考えていた。

 絵を描くのに必要な感性を磨くためにも、何事にもチャレンジ精神は必要だ。


「ほ、本当ですか?」


「本当です」


「嘘じゃないですか?」


「嘘じゃな——っていうかぼくってそんなに信用なかったの?」


 さっきからやけに疑り深いというか……金田ちゃんの中でぼくは信用するに値する先輩ではないのかもしれない。そもそもまともに会話したこともあまりないから、先輩感が感じられないのも当然か?


「いいいいえいえ! そんなことないです!」


 ブンブンと両手と首を振って否定してくれるのが、ちょっぴり嬉しかったりもするのだが、ならばちょっとくらいは先輩風を吹かせてもバチは当たるまい。


 人差し指を立てて見せる。


「ただし、ひとつ条件がある」


「ぅ……な、なんでしょう……?」


 身を抱き寄せて怯えるような金田ちゃん。待て待て、それじゃまるでぼくが悪者のようじゃないか。


 変な勘違いをしてしまう前に切り出す。


「ぼくだけが油絵の練習をするっていうのは、フェアじゃないよね」


「…………ま、まさか?」


 ここまで言えばさすがにわかったのか、金田ちゃんは頬をひきつらせる。

 世の中はギブアンドテイクが基本なんだよ。


「そのまさか。金田ちゃんにもデジタル絵の練習をしてもらうよ。表彰されるのは油絵だけじゃないってことをお忘れなく」


 ついでに金田ちゃんの機械音痴と言うのか、食わず嫌いを直せたらいいな。これは自分に課したサブミッションとしよう。


「は、はい……」


 よし、本人からの了承も取れたことだし、忙しくなってきそうだな。


「めんどくさいけど後輩の頼みだし、これからは暇な時間も増えそうだし、ちょうどいいかな」


 基本的にめんどくさいことはしない主義だが、めんどくさいことでもやってみたい気持ちはあったし、このチャンスを逃したらズルズルと引きずって結局最後までやらない結末が見える。

 金田ちゃんに感謝かな。


 その金田ちゃんは、嬉しそうに顔を綻ばせている。


 なんで嬉しそうだってわかるのかって? そんなのは簡単だ。金田ちゃんはわかりやすすぎる。


 ぼくが金田ちゃんのお願いを了承したから——ではない。


 金田ちゃんが——














 ぼくのことを、好きだからだろうな。


 ………………。


 はてさて、どうなることやら……。

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