変な感覚
パーティーが終わり、冷たく細い雨が降る翌日。宏明は昼間でバイトを終えて、家でウトウトしていた。
急に宏明のケ―タイが鳴った。
「もしもし?」
少し眠たそうな声を出す宏明。
「二葉君か? 今から出てこられるか?」
電話の相手は、谷崎警部だ。
「あ、うん、大丈夫だけど…どうしたんだ?」
「大山財閥の社長が殺害されたよ」
谷崎警部の言葉に、息を飲む宏明。
「場所は?」
「大山財閥の社長室でだ。詳しくは後で話すよ」
「あ、大山財閥ってどこにあるんだ?」
「北区だよ。近くまで来たら大体わかるよ」
「わかった。今からそっちに向かう」
宏明はケ―タイを切ると、カバンにバイクの鍵を持ち、カッパを着用すると、大山財閥がある北区に向かった。
――なんでだ? なんで、昨日のパーティーじゃなくて今日なんだ?
宏明には最大の疑問点であった。
三十分後、北区に到着した。現場では野次馬が群がっている。宏明は近くにバイクを止めて近付く。野次馬を押しのけ前へと出た。
「谷崎警部!」
若い刑事と何か話している谷崎警部を見つけ呼んだ。
「二葉君、来てくれたのか。通してやってくれ」
立ち入り禁止の黄色いテ―プをくぐり抜け、現場へと向かった。
大山財閥のビルはそんなに高くない三階建てのビルで、一階が受付、二階が社員がいるオフィス、三階が社長室と接客室である。
宏明と谷崎警部は、エレベーターで三階の社長室に向かった。社長室は広くはなく、社長専用のテ―ブルとイス、来客用のテ―ブルとイス、会社用のファイルなどが入っている棚が三つほど置いてあるだけだ。
床には純が倒れていたと思われる場所に、形作られている。
「死亡推定時刻は?」
宏明は現場となった社長室を見回してから聞いた。
「午後二時から三時までの間だ。凶器はナイフ。刺される前に薬を飲んでいることがわかったんだ」
警察手帳を見て伝えた谷崎警部。
「薬…?」
「精神安定剤だ。なんでも純氏はうつ状態だったそうだ」
「うつ状態、かぁ…」
――昨日、会った時はそんな風には見えなかったけどな。
「二葉さん!」
女性の声が背後からして振り向く宏明。
すると、百合花、和美、真吾が立っていた。
「あぁ…百合花さん」
百合花は泣いていたのか、目が赤い。そして、百合花は宏明に抱きついた。
「あ、あの…っ」
戸惑う宏明は、和美と真吾のほうを見た。
「百合花さん、二葉さんが困っています」
和美は注意する。
「だって…」
ぐずる百合花。
「あなた方のアリバイをお聞きしたいので、向かいの接客室に…」
谷崎警部は困っている宏明に助け船をだした。
「こちらに…」
和美は接客室に宏明と谷崎警部を案内した。
接客室では百合花と和美と真吾の向かいに、宏明と谷崎警部は座った。
「では、午後二時から三時は何をしていましたか?」
「私はオフィスで仕事をしていました」
最初に和美が答えた。
「会社内で物音はしませんでしたか?」
「いいえ、特には…」
「そうですか。高杉さんは?」
「僕は外回りに行っていました」
「外回りですか。どこですか?」
「駅前の会社です」
「日曜日まで仕事とは熱心なんですな」
谷崎警部は手帳に書きながら言った。
「高杉さんが外回りに行きますので、私もやらなきゃいけない仕事があったので…」
和美は谷崎警部をしっかり見て答えた。
「社長はやっていいって承諾したんですか?」
「はい。その代わり、明日を代休にしようってことになったんです」
「そうだったんですか。では、次に百合花さんは犯行時刻、何をしていましたか?」
「私は家にいました」
「誰かアリバイを証明してくれる人は?」
宏明が聞く。
「お手伝いさんです」
「お手伝いさん…ね」
手帳に書き込んでから、谷崎警部は考え込んだ。
「今のところ、ちゃんとしたアリバイがないのは、百合花さんと吉岡さんですね」
谷崎警部は手帳から目を話して言った。
「ヒ、ヒドイわ。私、お父さんを殺してなんかいないわ。それに、和美さんだって…」
ハンカチで目を押さえる百合花。
「百合花さん、警察の方が言ってることが妥当だと思うわ。私だってオフィスで一人で仕事してたわけだし、アリバイがないのには等しいわよ」
和美は百合花を慰めつつ冷静な口調で言った。
「でも、ヒドすぎるわ。いくらなんでも私と和美さんを疑うなんて…」
百合花は声を震わせている。
「身内の犯行だということもありますからね」
「だから私じゃないわよ」
「別にあなたが犯人だとは言っていません」
ため息まじりで言った谷崎警部。
「この会社の社員は二人だけですか?」
宏明は和美に聞いた。
「本社は中区にあるんです。そこには何十人もの社員がいますよ」
和美はテキパキとした口調で答えた。
「じゃあ、ここは…?」
「社長が静かな場所で仕事をしたいと言っていたので、ビルを建てたんです」
和美の説明に、宏明は考え込んだ表情になる。
――静かな場所で仕事。別に本社でもいいんじゃないか? 探せば中区でも静かな場所はあるだろうし…。
「高杉さんはなんでここに…?」
次は谷崎警部が聞く。
「高杉さんは有能な社員ってことで、社長に抜擢されたんです」
「そうなんですか?」
「はい、そうです。今月から来たばっかりなんです」
真吾は頷く。
「そうですか。では、一つ質問ですが、純氏を恨んでいた人とかはいませんでしたか?」
「さぁ…」
三人は首を振る。
「トラブルとかは…?」
「あ、僕は社長と言い争いになりました」
真吾は正直に名乗り出た。
「いつ頃ですか?」
谷崎警部は調べる手間が省けたと言わんばかりに、真吾に食い付いた。
「十日ぐらい前です」
「理由は?」
「言わなくてはいけませんか?」
真吾は逆に聞いた。
「念のため、言っていただいたほうがありがたいのですが…。事件と関係あるかどうかはわかりませんがね」
谷崎警部は何がなんでも本人に言ってもらおうという心境だ。
真吾は少しためらった様子で言いにくそうにしている。
やがて、観念したように口を開いた。
「実は、百合花さんに片想いしているんです。そのことについて、社長に呼び出されたんです」
真吾はゆっくりとした口調で口論になった理由を話始めた。
横で和美は驚いた表情をしている。きっと初めて聞いたのだろう。
「社長に“百合花に自分の気持ちを告白したみたいたが、どういうつもりだ”と言われました。うちの娘とお前を付き合わせる気はない。もううちの娘に告白しないでくれ、と僕の気持ちを否定されたんです。それで、少し口論を…」
真吾はその日、純に言われたことを思い出したのか、悲しそうな表情をした。
「それで、純氏を恨んでいた、と?」
「いや、それはないです」
真吾はキッパリと言い切った。
「高杉さんに好かれていたことは百合花さんは…?」
「当然、知ってます。何度も告白されていましたから…」
赤い目を谷崎警部に向けて答えた百合花。
「何度も…って、そんなしょっちゅう自分の気持ちを告げておられたんですか?」
谷崎警部は唖然としながら真吾に聞いた。
「何度もっていうか…五回程度です。その都度、断られてましたけどね」
真吾はバツが悪そうな表情をする。
「では、パーティーの日は…?」
谷崎警部は手帳に書き込みながら聞く。
宏明は内心ギクリとした。心の中で詳しいことを聞いてみたいと思っていたが、ついに自分の口から出てしまったのか、と思ってしまったのだ。
「あの日も伝えました」
「で、断られた、ということですね?」
「えぇ、そうです」
「高杉さん、やけに正直に話すんですね」
宏明は感心していた。
「後で調べたらわかることですからね」
真吾は早口で言った。
宏明には少しイラついたような感じで言っている口調に聞こえた。
「まぁ、そうですけど…」
言葉を失う宏明。
――なんだろう? この嫉妬されてるような感じは…。
宏明は妙な感覚に教われていた。
「そうですか。他に何かありませんか?」
谷崎警部は三人を見て聞いた。
「特に私は何も…」
和美は答える。
他の二人も同じように頷く。
「では、今日はこの辺で…。何かあればおっしゃって下さい」
そう言うと、谷崎警部は立ち上がった。
「二葉さんはどうするの?」
百合花が聞く。
「オレはもう少し残るつもりでいます」
宏明は笑顔で答えた。
三人が帰った後、宏明は再び社長室へと向かった。
谷崎警部は二回のオフィスで、部下達と何か探し物をしている。
宏明は昨日のパーティーを思い出していた。
――昨日の高杉さんの気持ちを伝えた事と百合花さんの激しい口調と好きな人がいるという事。一本の線に繋がっているけど、なんかおかしい。高杉さんが気持ちを伝えてんのに、あんなに激しい口調になるんだ? 五回も告白されていたから? それにしたってあんなに激しい口調はどうかと思うけど…。
百合花の激しい口調に疑問に思う。
「二葉君」
「あ、警部…」
谷崎警部はさっきより疲れた表情をして、社長室に入ってくる。
「凶器のナイフは見つかったのか?」
「いや、まだだ」
首を横に振る谷崎警部。
「そっか。そういえば、第一発見者って誰?」
「吉岡さんだ。オフィスでの仕事が一段落ついたので、純氏にお茶を持っていった時に発見したそうだ」
「日曜日に仕事なんてよくやるよな」
「まぁな」
「高杉さんが外回りしてた会社はわざわざ開けてくれたのか?」
「いや、会社は駅前だが近くの喫茶店で相手方の会社の人と打ち合わせをしていたみたいだ」
谷崎警部は白い手袋をし、棚に並んでいるファイルに手を伸ばした。
帰り際に真吾から聞いたのだ。「昨日の今日だから余計に疲れるよな」
宏明は独り言をぼやく。
「こういうこともあるもんだ。仕方ないさ」
一冊目のファイルを簡単に見終えると、二冊目のファイルへと移りながら話す谷崎警部。
「そうだな。でも、なんで昨日のパーティーじゃなくて今日なんだろ?」
宏明はさっきこの会社に着く前に、バイクを走らせながら思っていたことをポツリと口にした。
「恐らく、パーティーでは警察に言ってるかもしれないって思っていたからじゃないのか」
「そういう理由で…? 昨日のパーティーでも何か予兆は起こってもいいはずなのに…」
谷崎警部の答えにしっくりこないでいる宏明。
「それはそうかもしれないな。パーティーで警戒してるが、次の日には警戒が解けているところをついたんだろうな」
ファイルを見終わり、宏明に背を向けていた谷崎警部は前を向き直した。
「とにかく何か分かり次第、こっちから連絡するよ」
「わかった」
宏明は返事すると、谷崎警部と共に社長室を出た。
「えっ? 社長が?」
紀美がフォークを持った手を止めた。
翌日の昼休み、学食で昼食をする宏明達。宏明は昨日の出来事を一部を除いて話した。
「犯人は誰なんだよ?」
茂は宏明に聞く。
「さぁな。今のところ、三人が強力だ」
「三人って…百合花さんと吉岡さんと高杉さんってこと?」
京子は全員の名前を思い出すように言った。
「そうだ」
「百合花先輩が犯人なわけない」
紀美はキッパリと言い切る。
「まだわからね―って…。完全にシロと言うわけじゃないんだって」
「実の父娘だよ? そんなことないもん」
「いくら父娘でもわかんないって…」
宏明は困った声を出す。
「そうよ。今は実の親を殺害する時代なんだから…」
京子も宏明と同意見のようだ。
「そんなの…そういう時代だからって決めつけるのって勝手すぎるよ。宏君は完全にシロと違うって言うけど、宏君に百合花先輩の何がわかるの?」
紀美は怒りながら一気に言ってしまう。
「紀美…」
宏明は初めて紀美が怒りながら言ったので、何も言い返せないでいる。
「ノンちゃんの言い分が妥当だと思うぜ」
茂が中に割って入る。
「オレらは数回しか会ってないわけだし、なんとも言えない。ノンちゃん、ヒロにとって百合花さんは犯人の一人だけど、完全に疑ってはいないって考えとけよ。なっ?」
茂は優しく紀美に言う。
紀美はコクリを頷く。
「そういうことだ」
茂は紀美が頷いたのと同時に言った。
――少し言い過ぎたかな…。
そう思いつつ、宏明は紀美の顔を窺う。
紀美は泣きそうな表情をしている。
「ノンちゃん、ごめんね」
「ううん、いいの」
ゆっくりと首を振る紀美。
「それにしても、昨日なんだよ? パーティーでも良かったのにな」
茂は一口、水を飲んでから言った。
「オレもそう思ったぜ」
「脅迫文まで出してたのに…」
「そうなんだよな。脅迫文まで出しておきながら、何もしない。何か理由があるはずなんだけどな」
「理由ねぇ…」
茂は呟く。
「警察の仕事だし後は任せる」
宏明はせきを切ったように言って立ち上がる。
「あれ? ヒロ、ここまで首突っ込んで何もしないの?」
京子は驚いた声を出す。
「するよ。あんまり深入りするのはよくないし…。さっ、行こうぜ。授業のガイダンス始まるぜ」
宏明は三人を催促する。
「事件は程々に…ってことか。ヒロらしいな」
茂も立ち上がり言った。
「ノンちゃん、私達も行こうよ」
「私、まだ食べてるから後ですぐに追いかける」
紀美は今にも泣き出してしまいそうな声で言う。
「うん、わかった。すぐに、よ」
そう言うと、京子は二人の後について行った。