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盃月の短編集

軌跡~裏切りの勇者と善悪の少年~

作者: 盃月群青

タグにもありますがダークめの作品です。

一部過激な描写もありますので、苦手な方はご注意を。

 

 この世界で生きることは難しいことだ。


 いや、大きな街に住む、貴族様とかお金持ちの商人さんなら、実はそれほど難しくはないのかもしれない。

 でも、例えば僕が生まれたような農村では、第一に魔物の脅威がある。


 魔物とは体内に魔力を宿した自我なき生き物のことで、魔力を持たなければそれはただの動物だし、自我があればそれはヒトや亜人と呼ばれる生き物になる。

 魔物たちはいつも空腹で、ヒトも亜人も動物も見境なく襲う。

 だから僕たちは子供のころから鍛えられ、低級の魔物にやられない程度にはみんな力をつけていく。


 ここで出てくるのが、生き難い二つ目の理由。

 ヒト同士の、生まれ持った能力の違い。


 ある者は豊富な魔力を。

 ある者は剣を扱うための優れた技術を。

 他には真似できない固有のものとして既に持っている者たちがいる。


 他方、ある者は握力が少しだけ強い、あるいは魔力の気配にほんの少し敏感なだけ。

 そういった巷にありふれた能力しか持たない者も大勢いる。


 だから優れた能力を有するというだけでその人は厚遇されるし、つまりはそれだけ生き易い人生を送ることができるのだ。


 でも大多数、特に地方の農村などではそのほとんどが綱渡りの毎日だ。

 日々懸命に汗を流して畑を耕し、そうして実った穀物のほとんどは領主に税として持っていかれる。

 日照りが続けばたちまち餓えて、それが重なれば口減らしに子どもが奴隷に落とされる。

 魔物に出くわせば痛い思いをして、十中八九は命を落とすし、運が悪ければ盗賊に村を襲われて死ぬよりもっと辛い目にあったりもする。

 そんな時、僕らは思うのだ。


 自分にもっと力があれば、と。


 力があれば、怖い思いも、痛い思いもしなくて済む。

 ずっと想っていたあの子が奴隷商に連れていかれるのを、黙って見ていなくて済む。

 優しく微笑む両親が魔物に引き裂かれることもないし、大切にしていた家畜が盗賊の粗末な酒の肴になることもない。


 だけど、現実は非情なものだ。

 僕らがどんなに強く願っても、神様はちっとも聞き届けてはくれないのだ。

 巡礼の神官さんが熱心に神様のありがたさを説いて回るけど、誰もそんなもの聞きやしない。

 当たり前だ、信じるだけで救われるなら、もうとっくに僕らは救われていいはずだから。


 誰もが必死に足掻いている。

 それでも、ヒトは簡単に命を落としてしまう。

 僕らのようなろくな才能・能力を持たない人間がどれほど努力したところで、それが報われることはない。

 それが、現実。


 だから魔王が現れたと聞いても、僕はそれがどうしたと言いたかった。

 既に家族を失い、からがら逃げ込んだ大きな街のスラム。

 上等な衣服に身を包んだ市井の人々が魔王の恐怖に震える傍ら、僕らスラムの住人は誰もが達観していた。

 そんなもの、いまさらの脅威だろうと。





「このっ、クソガキが!薄汚ねぇナリで人様の視界に入りやがって――」


 だがその不安や恐怖のはけ口はいつだって社会の弱者に向かう。

 今も、一言喋るたびに蹴りを放ってくる肉付きのいい男。

 表通りから入ってすぐの所に居合わせた僕を見つけるや、ずかずかと近寄ってきてこれである。

 暴力には慣れているとはいえ、さすがにきつい。

 今日はまだ何も食べてはいないのだ。

 この分だと、今日もろくな残飯にありつけそうもない。


「分かったかこのゴミっ、能無しのクズがっ!」


 最後に苛立たし気に唾を吐きかけて、男は去っていく。

 僕は痛みからすぐには動けず、しばらく声なき叫びを発していた。


 やがて少しだけ落ち着いて体を起こすと、刺すような痛みが断続的に襲ってくる。

 それに耐えつつ、フラフラと立ち上がった。


 僕にもっと力があれば、なんてもう思わない。

 きっと僕はこのままひっそりと生きて、そう遠くないうちに死ぬ。

 誰かが助けてくれるなんて、そんな都合のいい夢ももう見飽きた。


「もう、いいかな…………」


 粘着質な汚れの付着した、ボロボロの土壁に手をつきながらよろよろと歩みを進める。

 固い地面の感触も、なんだか心地がよさそうに思えてきて、今にも倒れこみたくなる。

 それでも、無意識に僕は足を前に運び続けた。


 やがて、僕が根城にしている窪んだ一角が見えてくる。

 小さな虫の集る毛布でも、僕は早くそこに埋まりたかった。

 だけどその日、僕の寝床のすぐそばに、一人の人間が倒れていた。



「誰……?」


 たまに、こうした人間は見る。

 それはたいていが年端もいかぬ僕のような子供か、ガリガリにやせ細った女性か、もはや人とも思えぬようなボサボサの老人だった。

 だけどその人は、身なりこそぼろぼろだったけど、健康的な肌をした若い青年だった。



「……ねえ、だいじょう、ぶ?」


 元は手間のかかった立派な衣服だったのだろう、僕が見たこともないような凝った飾りがついている。

 だけど切り裂かれたように、あちこちに鋭く真っすぐ切込みが入っている。

 表面は泥と、そしてこれは多分、血だ。

 どす黒くパリパリに乾いた無数の染み。

 それでいて青年自身にはなんの傷も見当たらない。

 あくまでも、体は健康そのもののように白い。

 彼は浅い呼吸を繰り返していて、生きているのは見て取れた。



「…………」


 僕は少し迷ったあげく、恐る恐るその青年に手を伸ばす。

 生きているのなら、ここは僕の寝床である、早く退いてもらいたい。

 そうして伸ばした僕の手が、青年の真っ黒な髪に触れる寸前。


「うっ!がっ!?」


 突如跳ね上がった青年の手が、僕の手を鷲掴みにした。

 そうしてギリギリと締め上げられ、そのあまりの痛みに声が漏れた。


 薄く目を開けて、僕は恐怖した。

 青年の瞳にはギラギラとした憎悪の炎が灯っていたからだ。

 まっすぐ、僕ではない何かを、誰かをその瞳は捉えていた。

 それが分かっても、やはり僕には恐怖しかない。



「はな、せっ!はなせっ……!」


 無我夢中で暴れた。

 僕自身、まだ自分にこれほどの声が出せて、これほどの余力が残っているとは思っていなかった。

 それだけ僕は怖かったのだろう。


 その懸命の叫びが伝わったのか、青年は僕を解放した。


「っ……」


 どさりと尻もちを付き、痛みの残る手首を隠すように青年に背中を向ける。

 ちらりと覗き見ると、彼は感情のない黒の瞳で僕を睥睨していた。

 怖い。

 まるで大きな魔物を相手にしたかのような感覚に、僕の身体は動かなくなった。


「…………」


 青年は、動かなかった。

 ただ傲然と、目の前の僕という弱者を見ている。

 何を考えているのかは分からない。

 僕にできることは、何もない。



「…………――――」


 やがて、青年がぼそりと何かを言った。

 途端、僕の中からわずかに何かが抜かれた感覚。

 これは、そう。かつて一度だけ、あまりにも新鮮で、かつ非日常な体験だったから覚えている。


 ステータス。


 生まれ持ったその人の能力を開示するための特別な言葉。

 かつて巡礼の神官さんが行ってくれたそれと同じことを目の前の青年は行ったのだ。

 そうして浮かび上がる僕のステータス。


「…………」


 僕は文字が読めない。

 だから、あれから数年たった僕のステータスがどんな変化を遂げているのかは分からない。

 だけど、それを見た彼は能面のような表情のまま、それを食い入るように見つめている。


 僕は逃げることを真剣に考えた。

 とても、今の僕で逃げ切ることができるとは思えない。

 でも一刻も早くこの不気味な青年から距離を置きたかった。

 それができるなら、あのいつもねちねちと僕を甚振る肉屋の女将に会いにいってもいい。


 だけど僕のそんな考えを読んだかのように、青年はすっと視線を僕に移した。

 意図せずに肩が跳ねる。

 青年は一度空を仰ぎ見た。

 大きく、大きく息を吸った彼は、淀んだ空気と漂う腐臭に顔を顰めたのち、ゆっくりとそれらを吐き出した。


 そうして。


「……お前、俺と一緒に来るか?」


「……え?」


 彼は疲れ切った声で言った。

 そこには敵意も、憎悪も、まして覇気や親しみといった感情すらなく、ただただ淡々と彼は尋ねてくる。

 困惑する僕。

 だけど、彼はそれっきりただ僕を眺めるばかり。

 いや、違う。

 よく見れば、彼の細い腕が僅かに僕へと差し伸べられている。



「…………」


 僕は疲労と体中を襲う痛み、そして予期せぬ展開に考えるという行為ができないでいた。

 それでも目の前に差し出された手。

 気づけば、僕はその僅かに温かさの残った手に、僕の小さな手を重ねていた。






 *



「ははっ、見ろ、シド!あんなに燃えてやがる!」


 狂気に歪んだ笑みを紅に照らされながら、タカキが言い放った。

 その眼下には、燃え盛る平原。

 背の高い草木が生い茂るその場所は、いまや火炎地獄と化していた。

 その中で蠢く無数の影は、魔族と、そして人である。


 土を被せても、強力な水魔法を用いても消えないその紅の炎の海に、一つ、また一つ影が力尽きて沈んでいく。

 ヒト対魔族、互いの存亡をかけた戦いの一端は、またしても敵味方の区別なく呑み込まれてしまった。

 “裏切りの勇者”タカキ=オオサメによって。


 タカキはしばらくの間、愉悦の滲む乾いた笑い声をあげていたが、やがてぽつりと僕に尋ねてくる。


「……なあ、シド。どのくらい、いる?」


 幾度となく繰り返された問い。

 それを予期していた僕は、事前に能力を使って得ていた情報をすらすらと言う。


「たくさんいるよ。タカキが殺したいやつよりも、たくさん。たくさん」


「……そうか」


 タカキは笑った。

 先ほどとは違い、力のない笑みだった。


 改めて、僕は眼下の光景を注視する。


 紅蓮の業火。


 勇者という規格外の存在によって野に放たれ、瞬く間に人と魔族の区別なく葬る死神の炎。

 これを見るのももう何度目かも分からない。

 あの薄汚いスラムで出会ってから、僕は彼の復讐に手を貸している。


 タカキは、自分を異世界から来た存在だと言った。

 向こう・・・ではただの学生であり、それがある日突然こちらの世界へと連れてこられ、勇者の肩書と魔物・魔族と戦う使命を与えられたのだと。


 世間では、旅の途中で突如仲間たちを裏切ったとされる彼だが、事実は違う。


 勇者としてタカキが成長し、全ての元凶たる魔王が倒される直前、彼は魔王もろとも彼の仲間たちによる攻撃に晒された。

 理由は、戦後に現れる勇者という権力者を排除するため。

 彼が信を置いていた、聖女が嘲るような口調でそう言い放ったらしい。


 その攻撃で瀕死だった魔王は命を落とし、しかしタカキは命からがら逃げだすことに成功した。

 最初はきっと何かの間違いだと、優しかった仲間を信じ王城へとたどり着いた彼を待っていたのは裏切りの烙印だった。

 相思相愛かと思われた王女様はものの見事に掌を返し、貴族たちは団結して彼を遠ざけた。

 救ったはずの人々は、王城からの触れを信じ込み、彼を恐れ、嫌った。


 全てを知った彼は絶望し、そうして流れ着いたのがあのスラムだったのだ。


 そして、僕と彼は出会った。

 僕の、このなんの役にも立たないと思っていた能力を彼は欲したのだ。


 何故なのかは今もって分からない。

 でも、求められた、ただそれだけで僕は十分だった。


 だから今もここにいる。

 裏切りの勇者、史上最悪の犯罪者の共犯者として。



「……行こう、シド。ここはもういい」


「うん」


 踵を返した彼を追う。

 その先で、彼が解放したスラムの住民や奴隷たちの一団が待っている。


 誰もが彼に期待に満ちた眼差しを向けていた。

 自分たちを救ってくれたタカキが、この腐った世界を素晴らしいものに変えてくれると、そう信じて。



「…………」


 タカキは無言のまま彼らの間を歩いていく。


 やがてタカキが先頭になると、彼らは足並みを揃えその後を追いかけ始める。

 タカキの隣に立つことを許されているのは僕だけだ。

 でも、それを嬉しいと思ったことは一度もない。


「…………」


 だって、こうしているときのタカキはいつだって苦しそうな表情を浮かべている。

 みんなの中にいるときは平然としていても、彼はいつだって苦悩していた。

 期待や願望を背負わされるということに、人を殺して歩まなければならない道のりに。


 きっと、彼は根っから優しかったのだろう。

 本当の彼は正義感があって、決して強いとは言えない心を人々のためにと無理やりに奮い立たせていた。

 だけどその優しさを徹底的に痛めつけられ、正義は悪意の前に辱められた。

 後に残ったのは、暗く淀んだ恨みの感情。

 そうして彼は、己を裏切った者たちに報いを受けさせようと活動を続けている。


 けど、本当は彼も、今でも助けを待っているんじゃないかとも思う。

 スラムにいたころの僕のように。

 後ろに続く、奴隷だった彼らのように。


 でも、事実彼は強大な力を持っている。

 だから彼を助けることのできる人間は、いない。



 タカキがある一点で足を止めた。

 彼が何事かを唱えると、眼前に現れる空間の歪み。

 転移の魔法だ。


「――――――」


 タカキが後ろに向けて声を上げている。

 どうやら、終わりはもう近いらしい。そんな風なことを言っている。


 それから彼は僕を見た。

 何も言わなかったけど、頼むとその目が告げているような気がして、僕は頷いた。



 彼が僕を選んだ理由は分からない。


 僕が持っている能力とは、他人の善性と悪性を判別すること。

 何を基準にしているのかは分からないが、ありていに言えば僕は「いい人」と「悪い人」を見分けることができる。

 言ってしまえば、ただそれだけのことだ。

 だけどそのそれだけのことが、タカキの役に立っているのなら。

 いや、どうか役に立っていればいいと、僕は切実に願っている。



「…………」


 無言のまま差し出される手。


 僕はそれをぎゅっと、握り返す。





 *



 彼の威を利用し好き放題していた貴族を殺した。

 実際にその手足となっていた兵士たちも。

 でも、彼がその手にかけたのは実際に関わっていた者の一部だ。

 彼は、僕が「いい人」だと言った人々は見逃した。




 彼を召喚した国が魔族と戦う戦場に、彼は消えることのない火を放った。

 無差別で非情なそれは多くの命を奪っていった。

 全てが終わった後、彼はきまって僕に聞く。


「いい人」は、あの中にどれくらいいたのかと。


 僕はただ、たくさん、と答えた。




 彼の仲間であった亜人種の戦士は、惨いと言って余りある最期を遂げた。

 戦士はまず強大な暴力にさらされ指一本動けなくなった。

 僕が見た戦士は「悪い人」であったから、そこに一切の呵責はなかったように思う。

 それから、タカキは戦士の一族郎党と、彼と親交があった者たちを一人づつ嬲り殺していった。

 戦士の両親も、妻も、年端もいかぬ娘も、盃を交わした戦友も、ゆっくり、ゆっくり。


 やがて戦士の心が壊れるのを見届けて、彼はトドメを刺した。

 そうして、僕に訊いた。

 戦士の両親は「いい人」だったかと。妻は、娘は。戦友は。

 僕が「いい人」だと答えるたびにタカキはぎゅっと目をつぶり、静かに何かを受け止めていた。





 それからも、彼はたくさんの人を殺しては、僕に彼らが「いい人」か「悪い人」かを問うてくる。

 僕は彼が求めるままにその答えを口にし続けた。


 その頃には、タカキはやっぱり壊れているのだと僕は感じていた。

 最初にあれほど滾っていた憎悪の感情も、次第に薄くなっていく。

 でも、それに代わる感情が宿ることは決してない。

 タカキの口調も、瞳も、次第に空虚なものになっていく。


 そしてそんなことを考える僕も、きっと壊れているのだ。

 気がけつけば、そうなっていた。


 僕はただなんとなく、タカキの傍に居続けた。

 役に立って嬉しいとか、彼の傍に居たいからという理由ではない。

 本当に、ただなんとなく。それが自然のことであるように。

 きっとタカキも、そうだったんじゃないかなって思う。



 そうしてタカキと僕と、僕らに導かれた解放民たちの一団はついに王城へと迫っていた。

 ここに来るまでに、魔族はもう再起不能なまでに力を削がれている。

 そしてタカキを召喚した王国も、タカキによって政治制度も軍も機能しないまでに叩かれている。

 王城の抵抗は紙を裂くように呆気なく破られた。


 そうして、目の前に引きずり出された一人の少女。

 遠くに、彼女の両親と思わしき壮年の男女が取り押さえられている。

 口から泡を飛ばしながら罵詈雑言を吐く彼ら。

 そんな男女を横目に、タカキは這いつくばった少女に声をかけた。

 僕はそれを、黙って見ている。



「久しぶりだね、アルフィーネ」


 タカキの声は、これまで聞いたことがないくらい自然で、穏やかで、優しかった。

 僕は一瞬タカキが別人になったかと驚いて彼を見るが、決してそんなことはなかった。

 彼はあくまで彼のままだった。

 違うのは、空虚だった彼の瞳に鈍い憎しみの光が戻っていること。


「ど、どの口がッ……!この、この化け物!あなたさえ、いなかったら……!あなたさえ……!」


 常ならばきっと美しく、優し気なお姫様なのだろう。

 だけどいまやその顔は恐怖に歪み、それでいてタカキにも劣らない憎悪の感情が見て取れる。



「……君も、大変だったのかな?」


 ぽつりとタカキが問いかけた。

 それに激昂したように、お姫様は声高に主張した。


 異世界人などという不気味な者の相手をせねばならなかった自分の不幸の程を。

 タカキを使い捨てにすることでどれほど人々に栄華がもたらされるかを。

 タカキが反旗を翻した後、自分たち王族や貴族がどれほど過酷で肩身の狭い思いをしてきたか、など。



「だいたいアナタが悪いのではないですか!ノコノコと召喚されてきて、一時とはいえこの私と婚約し、英雄になるという夢まで見れたのです!それで充分では――!」


 聞きながら、僕は思う。

 ああ、これが「生き易い」世界で生きてきた者たちかと。


 彼らは今ある日常がどれほど幸せかを分かっていないのだ。

 なぜなら、その比較対象である僕らのような人々を見ようともしないから。


 だから、自分たちの日常は当然のものであり、噂に聞く平民などの自分たちより身分の低い者は、無条件に自分たち高貴な者に従うように出来ていると信じて疑わない。

 今も喚きたてるお姫様に、その両親たる王たちも、周囲で同じく取り押さえられる貴族たちも、自分たちは悪くないと一様に同調して叫び続けている。


 だけど。


 ふっと、がなり立てていた彼らを沈黙が支配した。

 それは単純な疑問ゆえだ。


 タカキは目を閉じたまま、ただ静かにそこに佇んでいるだけ。


 なぜ何も言わないのか。

 ここまで来ておいて、なぜ何もしないのか。


 静寂のまま、ただ時だけが流れた。


 そうして目を開けたタカキは――


「俺はここに来るまで、たくさんの命を奪ってきた――」


 そうして、一人ひとりの名前を挙げていく。


 彼の仲間だった戦士や魔法使い、彼を利用した貴族、高名な将軍に、時には敵対した悪魔まで。

 その内、彼の元仲間など、彼が特に強い憎しみを抱いていた者たちがどのような最期を迎えたのかも、話していく。


 話していると、誰も何も恐怖から言葉を発することができないでいた。

 なぜなら、それを口にするタカキの瞳が闇に染まっていたからだ。

 それは何よりも、お前たちにこの世の地獄を見せてやると雄弁に語っていたからだ。



「いやっ……いやあああああああああああ!」


 錯乱したようにお姫様が暴れる。

 だけど屈強な亜人の元奴隷に二人がかりで抑えられては逃げられるはずもない。

 周囲のそこかしこで同様の光景が広がっている。

 そうして全てを語り終えたタカキは。



「さあ、終わらせよう……」


 そうしてスッと、腰に挿した歪な剣を抜き放った。






 *


「…………」


 燃え盛る王城。


 僕とタカキは、それを近郊の山の中腹から眺めている。

 あの巨大な炎を篝火として、今頃は解放が成し遂げられた「いい人」たちが歓喜に大騒ぎしているだろう。

 腐った王政が終わり、これからは勇者に導かれる民主制の時代がやってくるのだと。


 あの中に「悪い人」はほとんどいない。

 誰もが苦しみを知り、それでも他者を想うことをやめなかった人だけがあの場にいることを許されている。

 タカキは、そうなるように行動を続けてきた。



「…………」


 だけどそれを見るタカキはどう思っているのだろう。

 王城の人々への仕打ちは、凄惨を超えて狂気としか言えない様だった。


 彼は、解放した奴隷の中でも「悪い人」を選んで場内に乗り込んでいた。

 お姫様はまず女性として徹底的に心を壊され、娘として両親をはじめとする大切な命を奪われた。


 王様たちも、愛する娘の死よりも辛く苦しむ姿を見て発狂したし、周りの貴族たちは、ある者は過酷な拷問を、ある者は大切な者全てを踏みにじられながらその命を落としていった。


 全てを淡々と眺めていたタカキは、やがてある時城を抜け出し王城に火を放った。

 お姫様も、タカキに付き従っていた「悪い人」も、全てを一緒くたにして。


 そうして彼はただ独り僕の手を引きながら、王都からも離れたこの山の中へとやってきた。

 やはり、何も言わない。

 けど、僕も分かっている。

 きっとこれが本当の最後だ。




 細い獣道が続いている。


 尖った葉っぱが時折肌を傷つけてくるが、それももはや気にならない。


 辺りは不思議なほど明るくて、頭上を見れば、暗い木々の間に輝く無数の星々。


 漂う空気は冷たくて、しっとりと肌に染み入るような湿気を孕んでいる。


 ざくざくと土を踏みしめる音に、がさがさ、かさかさと草木をかき分ける音。


 風に乗って運ばれてくる甘い蜜の香りに、それに群がる虫たちの羽音や鳴き声も響いてくる。


 前を歩くタカキの大きな背中。

 出会ってから一年余りが経って、僕も成長したけどタカキも成長した。

 背丈の差は、最初に会ったころとはあまり変わっていないようだった。


 握った手がじんわりと汗をかいている。


 我知らず動悸が早まっていた。


 深く息を吸い込むと、冷たい夜の空気がたちまち肺を満たした。

 ゆっくりと、それを吐く。


 飛び出た石に躓き体勢が崩れると、さっとタカキが腕に力を込めてくれた。

 でも、待ってはくれない。

 僕は必死にその手にしがみつきながら、それでも歩みを止めないタカキに追いすがる。




 ――視界が、開けた。


 さらさらと水の落ちる小さな滝。

 苔の生えた石が点々と転がり、月明かりが揺れる滝つぼに煌めいている。

 清く透明な水はどこまでも流れていくようで、僕はそっと息をついた。



「……ここは、俺が見つけた秘密の場所ってやつでさ――」


 タカキは穏やかな声で語り出す。


「訳も分からず戦えって言われて、俺なりに覚悟を決めて努力してたんだ。でも、指南役の騎士のおっさんがさ。もう、本当に容赦がないんだ。にこりとも笑わないし、治癒能力があるから大丈夫だろうって、何度も何度も斬られたんだ。そうしてボロボロになるたびにアルフィーネが励ましてくれてさ。これを乗り越えられるのは勇者様しかいない、私もそんなあなたが眩しくて誇らしいって。そうして初めて、人を斬った。その時の感触が生々しくて、いつまで経っても消えなくて。軟弱だと誹られて、一方では人々の希望と謳われて、疲れ切ったとき見つけたのがここなんだ」


 タカキは背中を見せたままゆっくりと水際に歩み寄ると、片膝をつけ、小さく掬った水を口に含んだ。



「魔力とか俺の世界にはなくてさ。炎とか、雷の魔術とか、たくさん教えられてたくさん使えるようになったけど、ここはそんな世界とは無縁な場所だった。身体に染み付いた血の臭いも、ここでなら清められるような気がして何回か足を運んでたんだ。もっとも、俺がこうなってからは一度も来たことはなかったけど――――」



 そうして立ち上がったタカキ。


 彼はしばし天を仰ぎ――そうして僕を振り返った。



「なあ、シド。俺は、どっち・・・だ?お前には、どう見える?」


 タカキは泣いていた。


 ぽろぽろとまるで子供のように、くしゃくしゃに顔を歪めながら、笑って、そして泣いている。


 その細まった目が僅かに見開かれた。



「そんなの、わかんないよ」


 僕の口から明るい声音が漏れる。

 そうして頬を伝う、温かい何か。


「いい人とか、悪い人とか、そんなのどっちでもいいじゃんか。タカキは、タカキだよ。悪い、人だけ、ど、いい人っ、なんだ。いい人だけどっ……悪い人、だから……だからっ……!」


 伝えたい。伝えたい、この感情を。

 でも、ああ、言葉ってこんなに難しい。


 喉は焼けるように熱かった。


 こみ上げる何かにより息が苦しい。


 それでも何とか言葉を紡ごうとするが、ろくな形にもならない。


 だけど――――



「――そっか」


 タカキは、満足そうに笑ってくれた。


「そう、だよ」


 だから負けじと僕も笑う。

 予感があった。

 だからせめて、最期のその時くらい、全部を呑み込んで笑っていたいと、そう思ったから。


「巻き込んじまって、済まなかったな」


「いいよ。僕は心が広いから、許してあげる」


「ははっ、そりゃどうも」


 僕らの足元を輝く魔法陣が覆った。

 それは綺麗な金色をしていて、辺りを荘厳に照らし出す。


「なあ、お互いさ。次に会ったら、今度はちゃんと友達になりたいな」


「遠慮しとく。友達だとタカキは面倒くさそう。どうせなら兄弟とかの方がいい」


「兄弟、か。それも悪くないな」


「言っとくけど、僕がお兄ちゃんだからね?」


「仕方ない。それで手を打ってやるよ」


 ニカッとタカキが笑う。

 僕も、笑った。


 魔法陣がくるくると回り出す。

 眩しくて、もうほとんど目が開けられない。



「ははっ。……ああ、疲れたな」


「うん。そうだね」


「大丈夫かな?」


「大丈夫だよ。だから、タカキが背負う必要は、ないよ」


「そっ、か」


「うん」


 僕らは目を閉じる。

 瞼の裏に、これまであった様々なことが蘇ってくる。


 どれもこれも辛いことばかりだった。

 僕は何のために生まれてきたのか。それは分からない。


 けれど生きるために、人並みに足掻いて、そうしてタカキと出会えた。

 それはほんの短い期間だったけど、僕はもう一生分の満足を手に入れた。


 多分これ以上を望めば、その時は、今まで目を背けてきたものに向き合わなければいけない。

 それはきっと、僕らには耐えられないことなのだ。


 だから。



「――シド」


「なあに、タカキ?」


「またな」


「うん、またね」


 身体を温かい何かが包んでいく。

 決して幸せな人生ではなかったかもしれない。


 でも、これもまた一つの生き方だと、僕は最期にそう強く思った。


お読みいただきありがとうございました!

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