表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

臼杵鑑速による佐伯惟教の調略

作者: 蓑籤

永禄十年(1567年)春、伊予国西園寺領黒瀬城城下にて。

佐伯惟教 元大友家家臣 伊予西園寺領に亡命中 四十代前後

臼杵鑑速 大友家老中 四十代半ば


大友家中で外政を司る臼杵鑑速が、伊予に亡命中の同僚佐伯惟教を訪問する。そして、今一度大友家に仕えるよう情勢に通じた理を説いて勧誘する。一方、説かれる惟教も、大友家に対する情熱を捨ててはいない。


・伊予及び豊後の事情について


鑑速

「永禄五年(1562年)にお会いして以来。お久しぶりです。ご健勝でなにより。」

惟教

「あなた様は義鎮殿のために、西へ東へ使者として存分のお働き、ご苦労な事です。近年この伊予では騒乱が続き、介入の機会を虎視と狙う者に溢れています。戦役は継続中というのに、堂々と敵中にあなたを派遣した豊後の大殿もその一人。相変わらずのご様子ですな。片や黒瀬殿はどちらかと言えば今や獲物の側、はてさて、臼杵殿は当方の元へは何の御用で参られたのですかな。」

鑑速

「単刀直入に申します。惟教殿、貴殿に大友家へ復帰して頂きたく、そのお願いに参りました。」

惟教

「なんですって、御冗談ではなく?」

鑑速

「はい、臼杵の大殿の御意思によりその御意をお伝えするべく、私は参上しました。」

惟教

「これは驚きました。なにせ全く予想だにしていなかったので、本当に。一条殿ご提示の条件を、黒瀬殿へお伝えにいらしたのだと伺っておりましたし、この時期、それ以外には考えられないご歴訪だとばかり。」

鑑速

「無論それもありますが、今回、大殿の命で伊予に赴いたのは、惟教殿、あなたと面会するのが主たる目的です。腹蔵無く申し上げると、今の大友家は毛利家との筑前豊前を巡る戦いを有利に進めるために、優れた武者を必要としています。あなたが率いる佐伯氏の復帰は大殿も強く期待されている所です。いかがでしょう、過去のいきさつはそれとして、大友家に復帰をしてはみませんか。」

惟教

「鑑速殿、今更そのような事が承知できるとお考えですか。かつて私は一方的かつ強制的に大友氏を追放された身です。佐伯一族の名誉は、十年前に損なわれたまま。今は黒瀬殿のご厚意で、我らこの伊予にてなんとか命脈を保っているに過ぎないのです。」 

鑑速

「私見を申せば、十年前のあなたと佐伯氏への処置は正しくないものであったと考えます。今となっては家中の者ども多くがそのように考えているでしょう。ですがあの時は、あなたも良くご存じの通り、大殿に対する謀反が頻発していた時期です。豊後国主として、大殿には他に選択肢がなかったのも事実。つまり怪しげな風聞が伝われば先手を打って対処をするのが治安を維持する上で最良の手段であったという事です。大殿が背負っていたこの事実にもどうぞ思いを致して頂きたい。そして、少なくとも佐伯殿に対しては、あのような事はもう起きないともお考えください。」

惟教

「果たしてそうでしょうか。この伊予にも、大友領内では高橋殿、立花殿を中心に秋月、原田、筑紫と謀反ばかりが相続いていると伝わってきております。仮に私が復帰をしたとして、同様の羽目に陥らぬとは言えないでしょう。」

鑑速

「その点は心配ご無用です。現在起きている謀反騒ぎは、毛利の調略が激しい筑前、豊前に限定されています。これらの国々に所領や所縁を持たない惟教殿に毛利の誘いはありますまい。我々、この点については確信をもっております。」

惟教

「高橋殿は大殿の御舎弟ご自害の件で、大殿に恨みを抱いていたかもしれません。毛利の調略とは別にそれが謀反という形になったのだとしたら、我が佐伯の者も、似たような結果を招くかもしれませんぞ。そもそもが堪え難き恨みを抱いていれば。」

鑑速

「しかし、寄る辺なく反逆を企てる者はおりません。もはや豊後国内であなたを反逆に誘い得る者は皆無。かつて謀反を起こした小原殿に加担した豊後の連中はみな力を失いました。ただ、彼らがあまりに逼塞しているのではそれも軍事の観点から問題で、佐伯殿に彼らの精神的よりどころとしてお働き頂く事について、大殿は特に期待しておられます。これはすなわち、究極的には佐伯氏の旧領は全て返還されるということ及びあなたを老中の一員として遇するということでもあります。この条件、いかがでしょうか。よもや不足があるとは思えませんが。」

惟教

「私を老中の一員に、とは驚きの条件です。佐伯氏の者では先例がない。」

鑑速

「さらに、大友氏の力はかつてなく強大で、その中での老中職です。天下にも大いに面目施す事できるでしょう。堪え難き恨みも、過去のかなたへ押しやる事、条件次第と言えるのではないでしょうか。」

惟教

「それはあまりに人が好過ぎるのではありませんか。それで力を蓄えた私が謀反を起こすかもしれない、と風聞が流れるのは必至ではないでしょうか。」

鑑速

「十年前、無罪であった貴殿のこと。実際、謀反など考えてもおられないでしょう。この点は大殿及び老中一同にあって揺るぎ無く共通している考えです。」

惟教

「なるほど、その点、疑義無き事はなによりです。鑑速殿の口からその言葉を頂いたのであれば、確かに間違いない事なのでしょう。ですが他方の心配があります。今から七年も前になりますが、私は伊予に進出した大友方に対峙する西園寺方に協力しておりましたが、時の寄せ手の大将は高橋殿でした。今は謀反を疑われ大友家中から離れているとはいえ、残されたご親族一万田氏の人々は私の復帰を快く思わないかもしれない。一万田氏に限らず、大友家中が最も大変であったその時に、大友方にいないばかりか敵に加担することもあった私を彼らは許せるでしょうか。そういった反対あるやもしれません。これについてどうお考えですか。」

鑑速

「まず、当初大殿より諮問を頂戴した吉岡、吉弘、私の三名は賛成。無論、田原親賢殿も同じです。筑前の戸次殿、肥後の志賀殿も恐らく賛成されるはずです。他の重臣について、一万田殿は、叔父の高橋殿が今の有様ですし、人格優れた方ですから、恨み言等言わないでしょう。朽網殿も、噂の是非は別として、兄の入田殿の敗亡について、もはや水に流しているはずです。石宗殿も心中どうお考えかはわかりませんが、賛意を示されました。」

惟教

「ははは、角隈殿は心から反対しているに違いないが、あの方は実に聡い戦略家だ。老中衆の空気を読んで同調するつもりになったのでしょう。肥後隈本攻めの時にくだらぬことから起こした諍い、ずっと尾を引いていましたよ。私が追放された時、その計略に賛成していたはずですからな。あの時の実に見事な手腕、角隈殿が無関係であるはずがない。しかし、彼の時のお人が賛成されているのならば、我が身もしばらくは安泰なのでしょう。」

鑑速

「角隈殿を大分お疑いですな。しかし、あの方の心は確かに奥深くも、故無く他者を貶める性質ではありますまい。そこが、家中の尊敬弛まぬ所以でしょうから。」

惟教

「では、田原常陸殿、田北殿はいかがか。また実際のところ、角隈殿と親しい戸次殿、この方はどうお考えでしょうか。気になるところです。」

鑑速

「臼杵の大殿が本件について、特に現在も戦陣在中の御三方へ重ねて諮問する事はないでしょうが、結果として大友軍の強化にこそなるのですから、戸次殿も反対はいたされますまい。」

惟教

「臼杵の大殿のご配慮にはありがたいことですが、大殿が私を、対毛利を想定して戦場で用いる場合、豊前、伊予が主たる方面になるでしょう。功績を横取りされる、と田北殿は良い顔をしないかもしれません。また伊予について言えば、私は黒瀬殿にすでに十年も世話になっているのです。果たして私に西園寺家の諸将へ刃をむける事ができるかどうか。そして戸次殿について言えば、隈本城攻めの時、私と相性が良いとは言えませんでした。角隈殿と口論になった時のことですが。」

鑑速

「これは大したご自信ですな。とはいえ、貴殿の言われる通り、豊前では田北殿存分のお働きなので、現段階では出番はないでしょう。となるとこの伊予についてです。この時点で、とりあえず戸次殿については熟慮の必要はなくなりますが、五年前、高橋殿が毛利へ寝返った折に、大殿は伊予の経営を断念しました。筑前豊前を毛利と争いながら、渡海して伊予を監督する余裕がないためです。そのため、今後伊予攻めがあるならば、恒久的な支配ではなく、毛利への牽制としての軍事活動が目標になるでしょう。その為には、伊予の国情を知り、豊後の同盟国土佐の一条殿及びこの国の敵方とも交渉が可能であり、無暗な戦を避けつつ目標を達成する事ができる人物像が求められます。現在、大友氏の戦線は拡大を続け、人材は常に不足しているのです。特に、大将を満足に務め得る武者には。」

惟教

「なるほど、ここ宇和郡のすぐ対岸に地縁を持つ確かに私は適任でしょうが、さぞや黒瀬殿に恨まれることになりそうだ。道具は徹底的に使い倒す、大殿の、というよりあなたがた老中衆の酷薄ぶりは相変わらずですな。」

鑑速

「思うところは尽きないとは思います。ですがどうぞ前向きにお考えになり、戦略の冴えとして飲み込んで頂きたいところです。大殿とて、京とも密接な西園寺家に酷な仕打ちを為せば将軍家から恨み言ある事ご承知です。現在も、わざわざ京の御所へ手間と資金を費やしているのですから、惨めな結末は避ける事ができるはずです。ご安心ください。むしろ、佐伯殿以外の者がこの事業を務めることになれば、黒瀬殿の未来は闇に沈む事必定ですぞ。大友が西園寺を攻め勝って和睦をするとして、貴殿の他いったい誰が事を穏便に収める事ができましょうか。そして黒瀬殿を大友方とすることができなければ、惟教殿、大友氏におけるあなたの将来もまた同様です。よろしいか、これは唯一の好機なのですよ。」

惟教

「大恩ある黒瀬殿のためにこそ、当の恩人に刃をむけなければならない、ということか。誠、あなた様方は相変わらずですな。ですが、鑑速殿、このお話、ありがたく戴かなくては臼杵の大殿にも礼を失することになりますな。」

鑑速

「惟教殿が豊後へ復帰するにあたり、その他ご不信なる事はありますか。」

惟教

「私の無実が認められた。旧領も返還される。あまつさえ老中に任命するという。前例のない大変な厚遇の代わりに恩人に刃を向けるべしという事ですが、我が家人どもは罠の可能性を考えるべきである、と必ず言う事でしょう。」

鑑速

「つまり、この際は破格の条件である事がむしろ信に置けない、ということですね。」

惟教

「鑑速殿、我が佐伯一族は四十年前にも大友宗家より罰せられた過去があります。そしてあの時、佐伯の家督であった私の大叔父を詐術によって討ち滅ぼしたのは、思えば貴方のお父上だ。今また、臼杵殿が同じように振る舞っている、と必ず考える者は必ずいるでしょう。歴史は繰り返すのだと。」

鑑速

「それでは誰か別の人物を表立った使者として立てましょうか。吉弘殿かあるいは志賀民部殿などはいかがでしょうか。」

惟教

「いや、こと大友の外政に関してあなた以外の人を指名する事など考えられますまい。一つにあなた以上に優れた人はおらず。さらに、要求のために人を替えよ、など言った日には、大殿の心証は大いに害されてしまう。そのようなことをすれば、それこそ我ら佐伯氏は豊後では生きていけなくなるでしょう。」

鑑速

「だが、佐伯家中の人々を納得させる必要があるのも確かです。臼杵氏の者が全面にでしゃばると、おっしゃるとおり禍根が燃え上がるかもしれません。ならば、惟教殿、貴殿から大友氏復帰を願う活動をする他ありますまい。そうすれば、汐が変わったのだと、家中の反感を買う事はないと思いますが。繰り返しますが、これは好機なのです。」

惟教

「そう、その通りです。私が大殿に文書を送り、大殿の指示に従って大殿が指名する人物に会い、段階を踏んでいくしかない。このやり方ならば、なにより大殿の面目もたつでしょう。私が小さな屈辱に耐えれば良いだけのことです。」

鑑速

「貴殿にはご苦労をおかけする。まずは大殿に代わり私が御礼を申し上げる。」

惟教

「とんでもない。今回の話を持ち込んでくれた鑑速殿への感謝は尽きないところ。そして旧領も安堵されるのであれば、必定惜しむことはなし。黒瀬殿については、私が誠意の限りを尽くすしかありますまい。今日まで先祖の因果から、我が佐伯氏は臼杵氏とは疎遠であったが、以後は親しくして参りたいものです。佐伯と臼杵は近いのだし、間柄が深まれば、大殿の為にも良い事がいくらも為せるでしょう。大殿へのお取り計らい、よろしくお願い申し上げる。」

鑑速

「お任せください。必ずや上手くいくことでしょう。」



・文書について


惟教

「さて、文書をしたためるとして、どのような内容が良いでしょうか。私は戦場の振る舞いなら存じておりますが、文書の形式や作法の知識を欠くのでご指導頂けるとありがたいのですが。」

鑑速

「復帰を乞う内容であれば、簡潔なものより多少冗長でも誠意を尽くした文章がよろしいでしょう。この場合の書状は、まず大殿の目に入り、それから下々への諮問とされると想定されることから、大殿の慈悲に訴える内容であれば裁量は受け手次第ということで大いに面目を施すことができます。さて、そこで文の校正にあたり、惟教殿にお願い事があるのです。」

惟教

「なんなりと。」

鑑速

「文書は大殿個人への私信という形にして、他国から見た大友家の今を正面きって記して頂きたいのです。それこそ遠慮なしに。」

惟教

「大殿へそのような文書を送る事にどのような意味があるのか、私には良く分かりません。」

鑑速

「では、この伊予に住まう貴殿の目からは、今の大友家がどのように見えているか、それを教えてください。」

惟教

「そうですね。大友家の現況をこの伊予から見た場合、誰もが毛利との争いについて注目せねばなりますまい。なにせ、この伊予の動乱も、結局は大友と毛利の代理戦争と言えるからです。戦も長引き、伊予勢は争いの余波に巻き込まれまいとする人、これを機会と領地を得ようとする者様々ですが、どちらにせよ、現在は大友側が不利です。なぜなら、毛利との戦は、常に毛利勢が先手を得ているように万人に見えるためです。毛利側が伊予の守護たる河野殿を擁している事もその要因でしょうが、あるいはここ黒瀬城はどちらかと言えば毛利方で、厳島での大勝利が元就殿へ与えた神々しいまでに輝く武名武威が未だに眩い為、そんな知らせばかり届くのかもしれません。一方で、丹生島城におられる大殿には元就殿のように鮮烈な印象は無く、むしろ昏い印象すらあります。戦場の人ではないと言ってしまえばそれまでですが、家督相続時の紛争、立て続く家臣の謀反がそのような印象を与えているはずです。権勢のほぼ全てを自ら構築してきた叩き上げの元就殿には勢いがあるため、政治や軍事の失敗が許容され得るのかもしれませんが、名門の継承者である大殿はそれこそ慎重な領国経営、戦争指揮が求められているはずです。」

鑑速

「紛れもなく、大殿は大友軍の総帥であらせられますが、これは全ての権限を持っていることは意味しても、同時にそれを全て駆使できるわけではありません。そもそも豊後は山深い国で中央の指示が隅々までいきわたるという事が困難です。それはすなわち内治のため、総帥たる大殿が丹生島城から離れ前線に出る事が危険を伴うという事でもあります。まして、大殿は名門中の名門大友氏の棟梁です。そもそもが前線に出て戦う経験に不足しており、戦術面ではともかく、戦略を合理的に遂行するためには、これは不適格と言えるでしょう。言い換えればこれは、交渉による落としどころを見つけるのが不得手ということ。豊前門司を巡る毛利との争いがこれほどまでに長引いているのはその証拠です。確かに毛利軍が強兵かつ名将揃いなのは事実。ですが、それは我が大友も同じことで、そのためお互い手詰まりになる事も多い。この戦はつまるところ大内氏が遺した遺産の相続争いと言ってもよく、筑前諸将の裏切りが相次いでいるのも、いい加減この戦争に飽いて終結を願う者が多いためだと考えられます。門司を確保して毛利と和平を締結する決定的な材料は吉岡殿が秘して温めています。が、これは武士の道に背く手法でもあり、実行する機会には注意を要します。前線の武将たちはこのような手段をとることを良しとしないでしょう。そして前線の事は前線に任せたがる大殿の考えを、戸次殿と同じく前線の人であった惟教殿の文章をもって改めるよう説得したいのです。結果、全ての権限を大殿が駆使できるようになれば、九州にて最も優れた権力と権威を持つに至り、その領国は繁栄を維持することができるでしょう。」

惟教

「つまり私信によって、現在筑前筑後の軍権を掌握している戸次殿を批判せよ、という事ですか。」

鑑速

「戸次殿は軍神と誉めそやされる実績実力人望すべてお持ちの方です。ですが大友家の現状にあって、外交に権限を持たない戸次殿がいくら勝利を積み重ねても、毛利との戦争の決着ははるか彼方。大友家にあって、軍事と外交を統括するべき人物は大殿以外にはおりませんが、大殿と戸次殿の方針は必ずしも合致しないのです。毛利軍相手に百戦して百勝するのが不可能な以上、筑前筑後豊前は常に謀反の危険性があります。ですが門司を抑えた上で毛利との和平が為れば、大友領はさらに盤石かつ強大なものとなり得るでしょう。ようやく行政に注力できるこの路線は、吉岡殿や私の考える方針です。この方針について大殿もご承知ですが、戸次殿にご遠慮あそばされているというわけです。」

惟教

「その方針についてですが、門司を抑えるということは豊前筑前方面から毛利軍を追い払うという事でしょう。果たして可能でしょうか。毛利は旧大内領分割の約束も平気で反故にできる手ごわい相手です。また、秋月、筑紫勢が幾度も反逆するのは、毛利の後援が期待できるためです。将軍家を挟み両家が交わしたあの三年前の和睦の条件、確か婚儀についてと聞き及んでおりますが、果たされたとは未だ聞こえておりません。先方は騙す相手には決して不足しないという困った人物。大殿とは役者が違うというところ。無論、戸次殿よりもはるか格上でしょう。御二方ともそんなことは承知しているでしょうから、身に掛る批判には強く抵抗され、むしろむきになってしまうのでは。まあ、私などの意見など嘲弄されるでしょうが。」

鑑速

「いいえ。先ほど申し上げた通り、大殿と戸次殿は必ずしも全面一致をしているわけではありません。他方からであっても、あくまで大殿にとって都合のよい客観的な意見であれば、きっとそれを利用なさるはずです。その意見を述べ得る適任者は、惟教殿、貴殿を置いておりません。」

惟教

「ただ、大殿は戸次殿に対しては随分ご遠慮があるように思えます。物事はより複雑で、戸次殿を批判すれば、余計なことをしてくれるな、というご気分になるかもしれません。」

鑑速

「公の書状であればそうでしょうが、今回はそうならないためにも、私信という形が最良だと考えられます。そして戸次殿は臼杵から遠く離れた筑前におられます。吉岡殿の策が多少強引に実行されても、戸次殿にその妨害は困難です。」

惟教

「私が考える大殿の戸次殿への遠慮とはその程度の類の物ではなく、大殿が現在の地位を占めるに至るまで大きな困難があったはずですが、それを打破する為に戸次殿と命運を共になされているはず、ということです。御両者の結束は部外者には知れようもないほど固いはず。そんな大殿が戸次殿をある一方で貶める策をお認めになるでしょうか。私が見るに、それをご承知でいるからこそ、あなた様方老中衆とてそこまでの直言は為されていないのでは。それを私にさせようとは、お言葉ですが随分と虫の良い話ではないですか。そう、そうとも、火中の栗を私に拾わせて、あなた様方は身の保身を図る・・・これまで大殿に反逆した連中も、そのように扱われて梯子を外され引くに引けなくなったとみる事もできる。鑑速殿、私がこのように考えたとして、誰がそれを非難できましょうや。」

鑑速

「惟教殿、吉岡殿とて戸次殿と同じだけ大殿に対して責任を負っている、ということもお忘れなく。」

惟教

「なるほど、それはあなた様も同じということなのですね。」

鑑速

「私はその責任を果たすために、この地に参上しました。正直に申せば、あの大殿に戸次殿の如く近づいた者は数えるほどしかおりません。容易に他人の接近を許さぬお人ですから、その許しなく大殿の御側に侍り、意を誤解した者はこれまでみな遠ざけられてきたことはあなたもご存じのとおりです。その大殿が、今回一度は無残に扱ったあなたに心を寄せようとしている。伊予におけるこの年月を見て惟教殿にその資格あり、とご判断されたからでしょう。」



・戸次鑑連について


惟教

「本件に関して大殿、そしてあなた様の謀については理解できましたが、その通り事を導けたとして、戸次殿は御不快に思われるでしょうね。まして、あの方は数多くの勝利を大友家にもたらしているのに筑前筑後では裏切り謀反が絶えない。毛利の調略があるとしても、まるできりがない。この事実についてはどうお考えなのでしょう。」

鑑速

「それは他国を軍事のみで支配するという事が如何に非効率的であるか、という議論に行きつくので、実りある話は期待できません。」

惟教

「これは失礼を申しました。確かにおっしゃる通りです。謀反の発生はなにも戸次殿のせいではないし、筑後はともかく筑前豊前は大友家の領国ではないのですから。いや、そもそも大友家と特に所縁のある国ではなかったのに、今やそれを併呑しようとしている。つまり豊後の将を扶植し、その所領としている。その土地の者の好悪に関わらず。機会を狙って謀反が起こるのは必定なのでしょう。これを防ぐには、やはり圧倒的な軍事力で粉砕し粘り強く屈服させ続けるしかない。我ら佐伯がされたように。軍事のみでは叶わなくとも、それはやはり必須。では平定に必要な他の理とはなにか。すなわち畏怖と敬意です。この点において、大殿はご先代に及びません。その理由は主に内紛の勝利者でしかないからです。公方より探題に補任されたとはいえ、先例に沿った物ではなく、これには敬意が不足しています。では敬意を得るには如何にして。競争者と戦い、勝つ。これしかない。毛利は陶を討ち、尼子を滅ぼし今日の隆盛を迎えています。この毛利に打ち勝つ事ができなければ、大友家の領国が安定する事はないでしょう。であるならば、吉岡殿秘中必殺の策は用いられてしかるべきでしょう。和睦をするにしても勝利を得なければならず、勝利無き和睦は降参するということ。すでに毛利との戦いは秋月文種の反乱から数えれば十年に及び、これは大乱と言ってよい。これに降参するような事があれば、大殿及び老中はみな破滅。なるほど、考えてみれば、今の大友家はただならぬ危機にあるようだ。この危機感、大殿とご老中衆は等しく心にお持ちのようだが、さて、戸次殿はどうなのでしょう。ご自身だけは戦場で後れをとらない、と確信を持っておられるのか。」

鑑速

「これは寡黙な貴殿にしては誠に雄弁な事。ですがそれはすなわち、貴殿もその危機感を等しく我らと共にしているということです。といって、前線にお出にならない大殿だけでなく、時に前線にも馳せ参じる吉岡殿や私のような老中が表立って戸次殿の手綱を引けば、大友家に内紛ありと毛利方が妙に積極的になる事も考えられます。」

惟教

「どうも戸次殿については鑑速殿すらご遠慮がちのようですな。前の公方様のご指示により執り行われた豊芸の和議は、京の騒乱で公方様亡き後、空文と化しました。これに最も喜んでいるのは、当時和議に強硬なまでに反対しておられた戸次殿ではありますまいか。我ら武士は戦の勝敗によって豊かになるという現実をみなが思い起こすべきです。すでに無数の勝報を豊後に届けた戸次殿の所領は肥後・筑後・筑前にまたがっていますが、恐らくまだ戸次殿の欲望を満たすには足りていないのでしょう。これらの事は、ここ伊予にいてさえわかる事です。」

鑑速

「はてさて、戸次殿を卑しきが者に貶める意見には同意いたしかねます。戸次殿はそのような人物ではありません。かつて肥後討伐の時、惟教殿は戸次殿の指揮下で存分のご活躍だったではありませんか。諍いがあったとしてもそれはそれ。惟教殿はなにか誤解なさっているのか。」

惟教

「これは実に穿った見方ですが、家中に戸次殿をこのように見なす者どももいるはずです。御同紋であり、大殿の信頼は比類なく、自ら隊を率いて戦えば敵なし。そして公方の指示すら蔑ろにできるそのご気性、田北殿や田原殿など伝統に則った生き方を旨とする府内の人々からすれば戸次殿のご活躍は全く面白くないでしょう。私もどちらかと言えば田北殿などに近い者です。鑑速殿、先ほど我々は危機意識は共通しているとの事でしたが、その先にある平時にどのように生きるか、という生き方の点では恐らく立場が異なるはずです。とするならば、私は吉岡殿やあなた様の助けにはならないかもしれません。」

鑑速

「惟教殿は気鬱なお方ですな。しかし、そこまでは私も吉弘殿も責任を負いません。あなたの懸念された事、それは大友氏の棟梁たる大殿がご自身でお決めになる事ですから。戸次殿のご活躍を面白からず思う者、嫉み深き武士であれば必ずおりましょうが、今までそれで事はある程度上首尾に進んでおります。だからそのような者どもにへつらうことなく、大殿により高みに達して頂く、我らの目標はここにあって、戸次殿の惟教殿への好悪はこの際、考慮の外で良いのです。」

惟教

「これは、一刀両断にされてしまいましたな。」



・大友宗麟について


鑑速

「話を戻しましょう。大殿が前線へ拠点を移す、例えば立花山城や岩屋城へ移動なされば、筑後筑前の衆は豊後のやり方に従わざるを得なくなるでしょう。領国はさらに安定を増すというわけです。」

惟教

「今、大友家は緩やかに西国北部を纏めているが、それに対する密かな反発もあるやもしれません。また、本国豊後の諸侯がご動座に反対する事もあるのでは。」

鑑速

「反発を潰すのはそれこそ戸次殿の御役目。本国に対しては、御曹司が豊後に残ればまず問題はありますまい。そして御曹司家督相続の後は、大殿は豊後で容易に隠居生活が楽しめるでしょう。まあ、ここまで考えるのは早計ですが、吉岡殿も私も、大殿にはなるべく早く臼杵から出て筑後・筑前・豊前を見知っていただかなくてはならないと考えております。その必要を促すために、惟教殿の文書は必須になるという事です。」

惟教

「しかし、あの大殿が容易に重い腰を上げるでしょうか。」

鑑速

「先ほども申したように、大殿には戦場での栄誉が欠けています。それを得る機会があれば必ずご動座なさるでしょう。」

惟教

「それを大殿が望んでいればそうでしょうが、私は確信をもって申し上げるのですが、大殿は戦場での名誉に関して無関心な方です。いえ、否定なさらず聞いてください。もしもこの種の名誉に貪欲な方であれば、すでに筑前へご出陣のはずです。豊後がすでに安定しているのであれば、吉岡殿やそれこそ鑑速殿に府内をお任せになり、戸次殿と戦場を縦横に駆け巡ってもよさそうですが、全くその気配すらなく、絶海の岬に城をお建てになりそこで日々をお過ごしだ。誰もが羨む甘い生活の中、ひたすら我が世の春を楽しんでおられるのではないか。また、あの南蛮人の坊主をこよなくお引き立てだ。あの連中がいくら鉄砲火薬を持ち込んでくるからといって、大友家中の良心はあの連中に不信を抱いているはずでしょう。だがその懸念すらも一顧だにされない。私の思うに大殿は既存の現実を大いに軽蔑なさっており、それらを侮蔑する事で溜飲を下げておられるのではないか。恐らくそれが最大の楽しみなのですよ。」

鑑速

「しかし、京の公方様へのご支援は続けられております。他者に良く思われたい、という気持ちがなければできぬことではありませんか。それに、南蛮人たちは京の織田信長や公方様からも認められた者たちです。奇を衒っているだけではありますまい。」

惟教

「この伊予でも湯築城下に南蛮人の教えを拝む者たちがいると、仏僧たちが不機嫌に話しているのを聞いたことがあります。心の広さをお示しになるのも良いですが、それに不満を持つ者たちの存在を、念頭に置いておくべきでしょう。これは南蛮人の事だけでなく、戦場に駆り出されるだけで放られている武士らにも当然言える事です。」

鑑速

「大殿のご動座については、これまでその必要がなかったというのもあります。戦いの度に、国主が右往左往するのも見栄の良いものではありません。家臣に然るべき人材がいれば、前線に出張るのも無用な事でしょう。これまではそれで万事よろしかったが、今敵対している毛利は大敵です。大殿ならきっとこの必要に応じて、正しいご判断をなさるでしょう。」

惟教

「そうあるのならば望むべくもありません。」

鑑速

「最後に申し上げれば、立花殿、高橋殿の裏切りにより、宗家と家臣が対立している、と内外から疑われてしまう事で、大友家中の揺らぎが大きくなり破滅に繋がる恐れも一方ではありえます。武者としての信望高い貴殿の復帰は、この疑惑を払うための格好の材料となるというわけです。」

惟教

「なるほど。やはり、吉岡殿やあなた様は怜悧な方だ。大殿が臼杵にこもっている上は大友の顔はあなた様方ということになりますが、あまりに理に適っていて反論を許さないその姿勢は、筑後や筑前だけでなく、所領経営や相続問題で果てしない矛盾を抱える多くの人々の反感を買うでしょう。よろしい、もはや何も申しますまい。私のような者の判が加わることで大友領の安定に一役買えるのであれば、吉岡殿やあなた様の意に従いましょう。」

鑑速

「大殿への書状について、取次に適した人選の心当たりがあります。そちらがこの事業を共に進める意思があるか、これを確認した上で、改めて段取りを詰める事にしましょう。そして必ず、佐伯家中が信頼を置ける人物を選びだします。惟教殿、ご高配感謝します。毛利との戦が芳しからざるこの時に、大殿へ良い報告ができるという事は誠に喜ばしい限りです。」

惟教

「そこまで高く買っていただけるとは願ってもない事。以後は命がけで励みます。」



・丹生島城にて


鑑速

「伊予よりただいま臼杵に戻りました。佐伯との交渉、上首尾でございます。こちらの条件を受け入れるとの事です。佐伯が翻意する事を防ぐために、大殿との間に私信を持たせる件、誠にお見事でした。以後も交渉を継続する事で、毛利勢が佐伯を用いて豊後を攻撃する事態は必ず避ける事ができるはず。なによりもこれが肝心、あの毛利が、こちらと同じ戦術を念頭に置いていないはずがありませんからな。すでに佐伯との取次は薬師寺に命じております。以後、あの者から、吉岡様へ経過の報告が入る手はずです。無論、私の下へも同様の報告が入ります。伊予からの毛利勢侵攻が無くなった事で、私も安心して立花殿、吉弘殿支援のため筑前へ赴く事ができます。とはいえ、我らの軍勢がこちらへ集中しているしばらくの間、用心は欠かせません。豊後の守り、よろしくお願いいたします。」


(了)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ