彼女は幼馴染だから、
彼編スタート。
俺には幼馴染がいる。
俺が覚えている一番古い彼女の記憶は、暗い物陰で静かに自分の膝を抱えて涙を流している姿だった。
彼女は小さく嗚咽を漏らしながらうずくまり、何度も何度も流れる涙を袖でごしごしとぬぐっていた。
泣いている彼女はとても弱々しくて、今にもその闇の中に溶け込んでしまいそうだった。
その日は彼女の母親のお葬式だった。
俺はその彼女を眺めていることしかできなくて、少しの間彼女を呆然と立ち尽くしてみた後、身を翻して母の元に戻った。
俺は本当に何もできないガキだった。
でも、それから少し後に彼女をまたみることになった。
俺が見た彼女はさっきの様子などまるで嘘のようにふるまっていた。
自分の目元が真っ赤に腫れているのに、静かに涙を流す父親を慰め、そして、幼い弟をあやしていた。
近所の人たちに残念だったね、と慰められても、大丈夫です、と笑っていた。
そんな彼女は傍から見れば強く見えたけど、小さい俺にはその背中がやっぱり弱々しく思えた。
母親に連れられて、彼女に自己紹介をした時、俺は驚いた。
やっぱり彼女は笑っていたから。
その日は驚いただけで終わった気がする。
それから俺は彼女の家の隣に越してきた。
俺の父は俺が二歳の時には亡くなっていて、女手一つで頑張っていた母だが、生活が苦しくなったので生まれ故郷のこの村に戻ってきたのだ。
彼女は会って数か月、何かに追われるようにずっと弟の面倒を見ていた。
井戸に水を汲みに行っているとき。買い物に行くとき。洗濯物を干しているとき。
どれも彼女は弟を背負いながら一心不乱、みたいに頑張っていて、眼の下に隈があるのに休むことはなかった。
俺は家事の合間に彼女と話すだけだった。
でもある日、彼女の父親と話すことがあった。
彼女の父親は鍛冶師で、寡黙な人だった。
何度かすれ違ったことはあるけど、話したことはない。
そんな彼女の父親と急に話すことになった。
彼女の父親は言った。
娘がどう見えるか、と。
だから俺は言った。
すごい弱いのに、すごい強い子だ、と。
そしたら、彼女の父親は俺の頭を慣れない手つきで撫でで、今度娘と遊びに出かけてくれないか、と言った。
俺は記憶にない父親もこんな感じだったのかなって感慨深くなったけど、何も言わずに頷いた。
家に帰ると、俺は母に彼女と遊ぶために彼女の弟を預かってくれないか、と言った。
母は笑って承諾してくれた。
優しく笑いながら頭を撫でてくれる母はやっぱりあの人の子ね、って嬉しそうだった。
母の協力のお陰で、彼女を森へ連れ出すことができた。
俺は彼女に何を言おうかずっと迷ってて、行きは何も話せなかった。
小川につくと、川の流れる澄んだ音が聞こえて、あの時言えなかったことを言おう、って思えた。
だから、俺は言った。
もう我慢しなくていいんだ、と。
そして、いつも俺の母が俺を慰めてくれるみたいに彼女を抱きしめた。
ここの周りに人はいないから、もう我慢しなくていいんだ、と言って。
すると、彼女は堰き止めていたダムが溢れ出すように涙を流し、彼女の弟のようにワンワンと泣いた。
彼女はあの日、本当に消えてしまいそうだった。
流れる涙を必死に必死に袖で拭って、それでも流れてくる涙を耐えるように嗚咽を漏らして、何にも関わりたくないかのように顔を丸めて小さくして、震えていた。
なのに、父親の前では自分も眼の下が腫れているのに強がって慰めて、泣く弟を慣れない手つきで抱きしめてあやして、みんなの前では必死に笑っていた。
なんであんなに弱々しいのに、本当のことを触れられたら、ガラスが崩れ落ちるかのようにパリンと砕けそうなのに、彼女が強くあろうとするのかわからなかった。
俺も彼女もまだ甘えていいじゃないか。
強くなくて、泣いて、怒って、笑って、我慢せずに前に出してもいいじゃないか。
でも、彼女にそれは当てはまらないのだろう。
周りは彼女を強い子だって思ってる。
一人でも大丈夫だって思ってる。
そんなことなんて絶対にないのに。
だから俺は思った。
俺だけは彼女の弱さを知っていたい、と。
彼女は弱いのに強い子だから。
俺はそれが悲しくて、嬉しくて、子供の様に泣く彼女を抱きしめながら、俺もひっそり泣いた。
ほとんど同じ身長のその身体は温かくて、俺が抱きしめる彼女の黒い髪はサラサラで、母とは違う、女の子のいい香りがした。
帰りは目の下が赤いのを見られるのが恥ずかしくて、顔を逸らしながら彼女の手を引いた。
その日は久しぶりに森で道に迷わなかった。
それから俺と彼女は少しだけ話す関係ではなくなった。
彼女が母に弟を預けるときは、彼女と一緒に森で遊び、村を駆け、小川で泳いだ。
彼女は最初は弟を預けるのを渋っていたが、最近はよろしくお願いしますってすんなり預ける。
俺の母も新しい息子ができたみたいで嬉しそうだった。
幼馴染との生活の中で、俺は彼女を知っていった。
彼女は実は野性的だったこと。
彼女は森に行くと、直ぐに木に登りだす。
木から木に伝うのなんて、お手の物だ。
それから、川では入って数分で魚を捕まえている。
俺は魚を見つけるのでさえ大変なのに。
あとは、木の実を見つけるのが得意だ。
すぐに見つけて、するすると木に登って、俺に投げてくれる。
たまに酸っぱいのをわざと渡してくるけど、彼女が選ぶ木の実にはずれはない。
彼女は結構不器用だってこと。
彼女は俺に何度も料理を作ってくれたけど、いつも味が違った。
それどころか、野菜の大きさもバラバラだった。
俺は何も言わずに食べたけど、たしかに美味しいのに、微妙なときとの振れ幅がすごかった。
それから、縫物も得意じゃなかった。
彼女は弟の服を作るって言って、腕が抜ける場所がないシャツを何枚か作った。
ボタンを縫い合わせるときも一緒に自分の服も縫ってしまったこともあった。
彼女の顔がくるくる変わるってこと。
あの日以来、彼女は泣かなかったけど、でも、よく笑ったし、よく照れたし、よく怒った。
俺は彼女が笑うと一緒に笑ったし、涙もろいから泣かない彼女の横で泣いたし、恥ずかしがって照れたし、彼女との喧嘩で怒ると一緒に怒った。
彼女は泣いてる俺は慰めてくれて、照れる俺はからかった。
そんな彼女はとても可愛かった。
俺は幼馴染と毎日顔を合わせられるのが幸せだった。
七歳になる少し手前、職業を何にしようかという話になった。
彼女は迷っていたけど、あんまり関心がなさそうで、でも、職業系を選ぶんだなってことは分かった。
俺はもちろん戦闘系だった。
俺の父が戦闘系だった、っていう理由もあるけど、やっぱり一番は彼女を守りたかったからだ。
数年前まで都にいた母が言っていた。
段々魔物が増えてきている、と。
それはこの村も変わらないらしい。
年々少しずつだけれど、魔物が増えている。
魔王の復活が示唆されてるらしい。
だから俺は、この村に残って、魔物を狩って、村を、彼女を守りたかった。
職業系じゃあ、彼女を守れないからって思って、でも、それを言ったら無性に照れてしまって、誤魔化したくって、彼女には職業系をかっこ悪いって言ってしまったけど。
俺はその日、神殿で適性を見た。
職業系も戦闘系もあったけど、俺がなりたかった職業はなかった。
だから、選ばずに終わった。
彼女は癒術士になった。
村にいる癒術士のおばあちゃんが高齢だから丁度いい、って言ってたけど、神殿を出てから真っ先に俺が昨日転んで作った傷を癒してくれたから、嬉しかった。
淡い緑の優しい光に包まれながら、俺は彼女に今日は職業を選ばなかった、と言った。
そしたら彼女はほっとしていて、俺の傷を癒しながら笑ってくれたその顔は可愛かった。
それから彼女は治療院で癒術士の修行をし、俺は適性を増やすために森で毎日剣や魔法の練習をした。
木に丸太を吊るして剣で捌いたり、的を作って魔法の練習をしたり、失敗を何度もして怪我をした。
彼女は治療院に行くのは二日に一回だから、四日に一回は彼女の弟を伴って一緒に森に付き添ってくれた。
そして、練習が終わった後は彼女の家で傷を癒してくれた。
傷を癒してくれる彼女はいつも暗い顔をしていて、早く鍛えて傷を作らないようにしなくてはって思った。
でも、俺は彼女の癒しの淡い光に包まれるのが結構好きだったから、この優しい光にまだ頼っててもいいかなって思ってしまう俺もいた。
彼女の家から出ると、俺は隣にある自分の家に名残惜しくなりながらもいそいそと帰る。
すぐに部屋にこもると、彼女に癒してもらった傷があった場所に指をあてた。
彼女の指は柔らかくて、温かくて、優しかった。
俺は照れて顔が赤くならないようにするのに必死で、今日も近くに会った彼女の可愛い顔をちゃんと見れなかったのがちょっと悔しかった。
十歳になって、俺はやっと職業を選んだ。
ずっとなりたかった魔剣士になった。
父がこの職業だったので、ずっとなりたいと思っていた。
俺は早く報告したくて、彼女を守る第一歩をやっと踏み出せるって思って、走って彼女がいる治療院へ向かった。
小さな村にある治療院だ。
そこは癒術士のおばあちゃんの家と兼用していて、俺はそこにつくとノックもせずに扉を開けて、彼女の下へ向かった。
俺は嬉しい気持ちを隠さずに言った。
魔剣士になった、と。
でも彼女は素っ気なく、そう、としか返してくれなかった。
俺はなぜだかわからなくて、彼女が喜んでくれなかったのが悲しくて、気付いたらポロリと涙を流していた。
あれ、って思ったけど、涙は止まらなくて、魔剣士になれて嬉しいのに、応援してくれていると思っていた彼女がそうではなかったようで、訳が分からなくなって、頭がごちゃごちゃしていた。
彼女は一瞬びっくりしていたけど、そのあとなぜか俺をキッと睨んだ。
その時、誰も患者さんがいなかったから、癒術士のおばあちゃんが二人で話してきなって言って、俺と彼女は外に追い出された。
外に出された俺は彼女の手を引いて、誰もいない森へ向かった。
森への道で、俺は彼女の手を強く握って言った。
最近は魔物が増えている。
だから、俺は村を守るために魔剣士になった、と。
そしたら、彼女は足を止めた。
驚いて俺を見上げていて、さっきと同じく、そう、って言った。
でも、その顔は笑っていて、さっきみたいな素っ気なさは全くなくて、俺は嬉しくなった。
だから、言った。
君を守るよ、って。
少し恥ずかしくて、また照れてしまったけど、彼女は嬉しそうに笑って、柔らかい手を握り返してくれた。
それから、俺は毎日魔物を狩るようになった。
職業を手に入れたことで、上達率は凄く上がった。
毎日数体魔物を狩るけれど、結界の外に出ただけで遭遇率が高くなるから、魔王の復活が本当に近いのではないかと勝手に実感した。
魔物は強くって、俺は毎日のように傷をこさえて帰った。
でも、彼女は前とは裏腹に悲しそうな顔ではなく、優しい表情で俺の傷を癒してくれた。
治療してくれる彼女は包帯の巻き方が不器用だったりして、たまに間違えて強く消毒液を傷に当ててしまったりして、ちょっと涙目になった俺は大丈夫だっていうと、彼女はそっか、って笑ってた。
その顔の彼女は可愛くって、可愛くって仕方がなかった。
俺は日に日に可愛くなる彼女を近くで見れるのが嬉しくてたまらなかった。
将来は彼女と結婚して、穏やかに暮らせればいいな、って思った。
俺か十五歳になったとき、異変が起きた。
その時はもう魔物を狩るのに手馴れていて、油断をしたことはないけど、増えすぎた魔物をできるだけ多く狩っていた。
ひと段落した、って思って、魔物の素材だけはぎ取って、あとは燃やして、帰ろうって思った時だった。
森の結界に入った瞬間、俺の頭の中に何かが駆け巡った。
目の前がくらり揺れて、膝をついてしまう。
身体がすごく重くなったけれど、俺はそんなことは気に留める余裕もなかった。
だって、俺は理を見たから。
この世界の理。
この世界を覆っている魔力が突然変異を起こすことがあること。
その魔力の突然変異のせいで魔物の中から魔王が生まれてしまうこと。
魔王は配下を作って、魔物を操って、人間を滅ぼそうとすること。
そして、その魔王には神が勇者と言う職業を与えた者だけが使える聖なる剣でしか倒せないこと。
神が定めた絶対的な理。
俺はその理の一部だった。
俺は嘆いた。
彼女と離れなければいけないことを。
でも、俺が行かなければ、俺が魔王を倒さなければ、きっと魔王による被害が広がって、最後にはこの村も巻き込まれてしまうだろう。
それに、彼女は自分の役目は全うする主義だ。
娘と言う役目、姉と言う役目、そして、幼馴染と言う役目。
きっと、恋人になったら、彼女は彼女なりに恋人として頑張ってくれるだろう。
俺はそんな彼女が愛しくてたまらないけど、勇者と言う役目を全うするために送り出すであろう彼女が少し恨めしかった。
俺の傷は勇者の力のお陰で平静を戻した時にはいつの間にか消えていた。
俺は悩んだせいで、理を見たせいで、いつもより遅くなった帰り道を歩いた。
すると、門の前で彼女が待っていた。
普段はそういうことはあまりなかったから嬉しかったけれど、これからの彼女に伝えることを思うと微妙な表情を浮かべるしかなかった。
彼女は笑顔で俺に駆け寄ってくれた。
ここ数年で女性らしくなった彼女はまとめた長い髪を揺らし、可愛げに笑っていた。
俺はそんな彼女が大事で大事で、離れたくなくって、自分が勇者になったことが悔しかった。
俺は彼女の家に着くと、二人で話がしたい、と言った。
すると、彼女は弟に大事な話をするから部屋に入らないように言って、俺を自分の部屋に招いた。
そこまで信頼されてるのか、それとも、異性として見られていないのか、嬉しいのか悲しいのかわからなかった。
久しぶりに入った彼女の部屋を見回してしまったけど、煩悩を頑張ってはらって、俺は言った。
自分は転職した、と。
彼女は驚いた顔をしていて、俺は次の言葉は言いたくなかったけど、続けた。
自分は勇者になった、と。
すると、彼女は何かを悟ったかのような少し寂しい表情をした。
俺はそんな彼女の顔は見たくなかったから、言った。
君が好きなんだ。
君が好きなんだけれど、魔王を倒しに行かなければならない。
これは神の決めたことだから。
復活した魔王は勇者にしか倒せないから、と。
拳を握って、涙を耐える。
でも、彼女は喜んでいた。
心の底から、笑っていた。
彼女は言った。
私も好きよ、と。
それが嬉しくって、彼女はきっと俺と彼女が同じ気持ちだから笑ったんだと思えて、優しく彼女を抱きしめた。
彼女は大人しく俺の腕の中にいた。
だけれど、彼女は俺の胸に手を当てて、肘を伸ばして少し距離を置いた。
そして、彼女は笑って言った。
貴方が勇者で私は嬉しいわ、と。
―――ああ、俺は知っていた。
彼女は幼馴染だから、俺は彼女のことをよく知っているからわかっていた。
彼女がこう言うってことを。
だって、彼女は弱いのに強い子だから。
俺はやっぱり彼女が少し恨めしくなって、顔を一瞬歪めてしまったけれども、彼女はきっと勇者になったのに勇者をしない俺をよく思わない。
彼女はいい意味でも悪い意味でもまじめだから。
だから、俺は覚悟を決めた。
これは彼女と長い間別れるための覚悟だ。
俺は強く彼女の手を握って、彼女と約束をした。
勇者をやり遂げる、と。
握った彼女の手は細くて、柔らかかった。
それから数日で、俺は王都へ発つことになった。
早く王都謁見して、仲間と会って、魔王を倒して彼女に会いに戻らなければならない。
俺が旅立つ日、見送りに来た門の前で俺は言った。
好きだ、絶対にまた君に会いに行く、と。
そしたら、彼女は笑って言った。
好きよ、待ってる、私の勇者、と。
その一言で彼女の独占欲が少し見えたのが嬉しくて、彼女も俺と同じで独占欲があるってわかってニヤけてしまった。
それを誤魔化すために、俺は用意していた白いリコリスを彼女に渡した。
白いリコリスの花言葉は『想うはあなた一人』。
俺が思うのは君だけだから、そう思って、俺の顔を見上げた可愛い彼女に軽くキスをする。
彼女の唇は柔らかくて、俺には甘い気がした。
名残惜しかったけど、顔を離して彼女の顔をまたみると、無性に照れてしまって、顔を逸らした。
そして、俺は旅立った。
勇者として。
彼女にぞっこんの彼。