彼は勇者だから、
魔王城はだだっ広くて、小さい家で父と弟と三人で暮らしていたのが懐かしくなった。
魔王の部屋には私のサイズに合ったドレスや宝石が溢れていて、食事や掃除は何かしらの魔法がいつも自動でやってくれた。
謁見の間にある魔王のための玉座は重厚感があるのに、なぜか寂しげに見えた。
私はドレスもシンプルなものを着て、宝石はつけずにただ、黒いマントだけを羽織った。
神からの餞別に見えたその豪華なドレスやアクセサリーには手を付ける気がしなかった。
他の彼らの部屋も同じらしく、彼らも豪華な装飾は身に着ける気になれないと言ってシンプルなものを好んで着た。
魔王側の彼らは気さくな人ばかりだった。
予言者、魔物使い、大魔術師などの職業に彼らは転職して、そして、理を知った。
彼らも自分たちの役目を受け入れていた。
それは私と同じ理由だからだろう。
私は後、長くても数年しか過ごせない彼らと仲良くなっていった。
私は魔王城で勇者を待った。
魔王として、軍や魔物を動かしたり、人間を襲った。
魔王側の人たちには魔物を操ることができる人がいる。
魔王である私と、魔物使いの少女だ。
私たちは魔物を使って、魔王領を広げると言う面目を立てて人間の村を襲った。
時には私自ら出向いて村を破壊し、燃やした。
生き物が焼けるにおいは仮面越しでも私の鼻を刺して、何度もえずいた。
犠牲があることで、希望である勇者は輝いていく。
亡くなった彼らも私と同じ生贄であった。
最低限にしたけれど、それでも私が手を下したことによってなくなった命は、初日だけでも既に両手両足の指の数を優に超えている。
それから、勇者を襲ったり、奇襲をさせたりした。
結構ピンチまで追いやったけど、やっぱり彼は倒れなかった。
最初のころは結界がなくて、彼の勇士を覗いていた。
でも、最近は彼の仲間の結界のせいで、全く見えなくなってしまった。
仲間の中に女の子がいるのはちょっぴり寂しかった。
勇者を思うたびに彼の無事を願っちゃう私は、命を懸けて戦っている仲間に申し訳なくて、私は世界で一番魔王に相応しくないなって思って、仮面の下で何度も自嘲気に笑った。
最初は魔王の存在を知らしめるために、私が出向くことが多かったけれど、半年経つと、配下の人たちに任せるようになった。
私は役目はあと、勇者がここに来るのを待って、倒されるだけだ。
彼の様子も見れなくなり、暇を持て余した私は忙しさにかまけて知ろうとしなかった魔王城の探索をした。
そこで私は見つけた。
それは魔王城の地下にひっそりと並べられていた。
下から光の魔法でライトアップされたその石板は寂しげで、私はその石板の主のことを思い出して、目の奥が熱くなった。
魔王城の地下は、歴代魔王とその配下たちの墓だった。
墓と言っても、遺骨も遺灰もない。
一人一人のために建てられているわけでもない。
ただ、私が28代魔王だから、27代までの石碑が並べられているだけだ。
一代の魔王と配下たちにつき、一枚の石碑だ。
そこは閑散としていて、墓参りに来る人なんて、魔王が復活したときくらいだけだろう。
石碑に目をやると、そこには十個の金の腕輪と王冠が埋め込まれている。
それらの輪の中にはそれぞれ違う言葉が書かれていた。
私は指をつーっと辿らせて、それを読む。
―――24代魔王 愛する人を守りし者也 クラウス・アーベントロート
―――24代予言者 魔王を愛し、支え続けた者也 パウリーネ
―――24代魔物使い 獣を愛し、獣と散りし者也 アダルブレヒト
腕輪は傷だらけで、血がついているものもあった。
そして、王冠は私の頭の上に載っているのと似たようなものだ。
デザインは私に合わせてか少し違う。
魔王城に着いて、謁見の間についた時、それらは並べられていた。
部屋の中央に王冠と腕輪が丁重に置かれていて、私たちは迷わずそれを付けた。
重さを感じない頭上のそれは私が魔王である証で、いずれ私の墓碑になるのだろう。
理を見た時、私たちは同時に彼らの想いも見た。
頭の中を流れる歴代魔王、そして、その配下たちの想いは強く、私が魔王であることを受け入れる後押しをした。
ある魔王は戦争のせいで飢餓に苦しむ妻子のために死んだ。
ある魔王は戦場に行かなくてはならない恋人のために人間の戦争をやめさせるべく死んだ。
ある魔王は戦争に負けて、奴隷に落とされそうになった孤児院の姉弟たちを救うために死んだ。
人間は愚かだった。
何度も何度も何度も何度も戦争をした。
その度にこの理が適応され、魔王と勇者が生み出されたのだ。
私は村にいたから知らなかった。
隣国がずっと戦争をしていたことを。
私のいた国が巻き込まれそうだったことを。
そうなったら、彼も父も戦争に行かなければならなくなったことを。
あの村にいた私は知りようがなかった。
魔王になってやっと知ったことだった。
どうやって勇者と魔王が選ばれるかわからないけど、たぶん、神からの運命を受け入れられる人が選ばれるのだと思う。
愛する人がいて、その愛する人のためなら自分の死を受け入れられる人、そんな人が選ばれるのだ。
これは歴代魔王を見た私の勝手な推測だけれど。
私が魔王になった理由はきっと、両者とも半分は当てはまる。
現に私は神からの運命を受け入れられた。
愛する人のためなら死を受け入れられた。
でも、理を見た私の半分は諦めだったのだと思う。
自分の変えようのない運命への。
だから頑張って、神が与えたものだからと、彼が殺してくれるなら、と自分にいいように考えた。
私が死ぬことは変わりようがないのに。
豪華な調度やドレス、宝石や食事、そして、お墓。
これらはきっと神からの選別なのだろう。
世界に恨まれて死ぬ、私たちへの。
勇者は魔王城にだんだん近づいてきた。
逆に、同じ魔王側の仲間たちも一人、また一人、と減っていった。
そして、私たちのために作られた石碑には腕輪がどんどん並んでいった。
最初の人が亡くなって知ったことだけれど、私たちが死んでも死体は残らなかった。
辱めや晒し者にならないためか、私たちの身体は光となって散り、そして、腕輪だけが勝手に転移して、この石碑に組み込まれた。
一昨日死んだ魔物使いの少女の腕輪の中の文字に指を滑らす。
―――28代魔物使い 家族を愛し、民を愛し、友を愛した者也
そう、簡潔に書かれた文の下には彼女の名前があった。
―――テレーゼ・ベーデカー
彼女は貴族の次女で、とても優しい家族と領民に囲まれて育ったそうだ。
彼女は自分が死ぬことで戦争に行くはずだった領民を守れたら、と言っていた。
とても優しい、私と同い年の少女だった。
彼女の石碑の、友の中に、私も入っているだろうか。
入っていたら嬉しいのにな。
また一人、そして、また一人、と魔王側の仲間たちは消えていった。
そして、彼が魔王城につく頃には予言者と私だけになってしまった。
彼は私が村にいたことを見つけてくれた人だった。
それだけじゃない。
みんなが集まるようにしてくれた人だった。
彼は優しくて、よく予言者に転職する前のことを面白おかしく話してくれた。
そして、彼は私たちが知ることができない未来についても、話してくれた。
私はみんなの気持ちを和らげてくれた予言者の彼が兄みたいで、大好きだった。
予言者は彼のもとに行く前に私に言った。
未来は一つじゃないよ、と。
私はそれを否定したくって、でもできなくて、ただ、またね、とだけ返した。
その予言者もまた、彼に倒された。
勇者は予言者を魔王城の前で倒すと、少しの休憩をしてから、魔王城に足を踏み入れた。
私が幼馴染と別れてから、もう、三年がたっていた。
彼はついに三年の時を経て、仲間とともに魔王城の謁見の間――玉座のある部屋まで来た。
傷一つない彼は修羅場をくぐってきたことがわかる、きつい目つきで私を睨んだ。
私は顔を隠す仮面の奥から笑って言った。
待っていたわ、と。
でも、彼は言った。
お前とは会いたくもなかった、と。
私はあんなにくるくる動いた彼の顔には感情がほとんどなくて、ちょっぴり悲しかったけれど、これで全部終わるんだって思って、勇者たちと全力で戦った。
魔王の私は六人を相手にしているのに、やっぱり強くって、努力して強くなった彼に少しだけ申し訳なくなった。
勇者たちも強かった。
彼らはこの三年間、私たちが送った魔物を倒したり、私の仲間だった人たちと戦ってきたのだ。
それに、昔からあんなに頑張ってきた彼がいる。
弱いはずがなかった。
彼は仲間の槍使いや魔術師の女の子と連携を取っていて、今更だけどちょっぴり嫉妬がわく。
最初は私の実力が押していた。
けれど、最後は拮抗状態になって、魔力がほとんどなくなった私が勇者である彼に綺麗な白い剣で刺されて終わった。
彼らは奮闘の末、魔王を倒すことができた。
理通り、魔王は倒された。
私は、彼がこれで幸せになれると思って嬉しかった。
彼に終わらせてもらえて嬉しかった。
予言者は言っていた。
勇者は癒術士の姫と結ばれるだろう、と。
彼とお姫様はお互い思いあって、幸せに暮らすそうだ。
私の役目を取られた気分で悔しかったけど、彼が幸せになれる橋渡しになれるなら、いいかなってその時は自分を必死に納得させた。
意識が遠ざかる中、彼は冷たく私を見下ろしていたけど、それでも、三年ぶりに直接見れた傷だらけの私の幼馴染はかっこよかった。
背も高くなっていたし、声も低くなっていた。
それに、顔つきもずっと凛々しくなった。
だから、私は笑った。
かっこいい彼がまた見れてうれしかったから。
ちゃんと会いに来てくれたのがうれしかったから。
これで、彼が幸せになれるのがうれしかったから。
私は最後の力を振り絞って、彼の傷を癒した。
小さいときみたいに、怪我している彼を少しでも治せればいいなって思って。
淡い緑の光が彼を包んだ。
彼は唖然としながら私に駆け寄ってきたけど、流れ過ぎた血のせいで私の意識はもうほとんどなくて、彼は私の仮面を外すと泣いていて、その情けない顔はかっこ悪いけど、その顔はみんなの勇者じゃなくて、私の勇者だなって思った。
それがお姫様のものになるかもしれないのは悔しくて、悔しくてたまらないけど、今だけは私の勇者なのが無性にうれしかった。
ぼやける視界の中、彼は頑張って私の傷を癒そうとしてくれていたみたいだけれど、もう彼の声は聞こえなくて、かすかに見える父と弟が作ってくれた仮面のリコリスは相変わらず花言葉通りに私の心を映し出していて、彼もまだ同じ気持ちならいいなって思った。
だから、前みたいに言ってほしくって、好きだって一言がほしくって、私は泣き顔の彼に手を伸ばした。
彼は勇者だから、私は魔王だから、お姫様に彼を譲りたかったけど、やっぱり私はそんなに大人じゃなかったみたいだ。
だから、彼に楔を打ちたくなっちゃった。
予言者が言ったとおり、未来は一つじゃないから。
「好きよ。待っていたわ。私の勇者」
彼女編は以上です。
次は彼編。