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もしもその幸せな日々が続いたなら、(Aコース・前編)

思ったよりも長くなりました。


R15入る、かな?

 私が転移した先は、少し肌寒い森の中だった。

 今の季節がいつかはわからないけれど、ここが寒い国であることは木の種類からわかった。

 前に襲撃した北の村の周りが、こんな感じだった。

 濡れている頬を冷たい風が凍らす。


 何をしているのだろう、と思う。

 彼から逃げて、何になるというのだろうか。

 だって、私には、逃げる場所さえないというのに。


 ああ、なぜ私は生き返ってしまったのだろう。


 彼の幸せを願ったはずなのに、それでも彼が少しでも自分のものであればと最期に思ってしまったあの心の醜さのせいだろうか。

 彼はもう、私のではないというのに。


 ああ、冷たい風でせっかく乾いたというのに頬がまた濡れる。

 魔王になってから、私は泣き虫になってしまった。

 いつからかこれは勝手に流れるようになってしまった。


 ―――なぜ、私は生き返ってしまったのだろう。












 それから数日、私は森の中を一人で歩いていた。

 お腹が空いたときは、近くで見つけた小川で魚をとっては食べた。

 魔王の力は転移したことで分かってはいたが、未だ変わらず残っていて、私はその力を駆使してこの数日を過ごした。

 夜は寒いし、獣もでる。

 私が魔王であることは変えようもない事実だからと使ってしまうのが、何をしているのだろうと何度も自分の心を抉った。

 だって、生き続けたいわけではなかった。

 沢山の罪を犯しているし、居場所も、ない。


 きっと村に戻れば父や弟が喜んで出迎えてくれるだろう。

 だけど、そうじゃないのだ。

 私は出ると決めたときにもう、彼らの家族でいられることを手放したのだ。

 父に誇れる娘であろうと、弟に恥じない姉であろうとずっと頑張ってきた。

 けれど魔王になって、そんなこと、思えるわけがない。

 あの血の海を、つんざくような悲鳴溢れる光景を、絶望に暮れた表情を作ったのは、ほかならぬ私なのだから。


 (ことわり)に与えられた使命だから。


 それは免罪符にならない。

 ただの言い訳だ。

 だって、結局は私が魔王になると選んだのだから。

 彼を、父を、弟を戦争に送らないために。

 ああ、これだって言い訳だ。

 結局私は犯した罪は全て自分の高尚な望みのためだからと言いたいだけなのだ。


 ―――なんて、浅ましい。





 そう、何度も思いながら毎日を過ごした。

 私は確かに生き続けたい訳ではなかったけれど、死にたくはなかったから。

 母に貰った大事な命だ。


 母は病気で寝込んでいるときに言っていた。

 あなた達を強く産んであげられてよかった、と。


 母は昔から体が強いほうではなく、行商の際に体調を崩して村に滞在することになったのが父と出会ったきっかけだったらしい。

 だから、生まれた私と弟の頭を撫でてはよかったと呟くことが多かった。

 それは思い出すことができる数少ない母の記憶。

 今でも母のあの泣きそうなくしゃりと笑う姿が朧気ながらも思い出すことができるから、自分の命を自ら捨てるようなことをしたくなかった。


 だからと言って、何かすることがあるわけでもない。

 罪を償いたいと思う。

 けれど、それをする方法も私は思いつきもしなかった。

 ただ、周辺にいる魔物だけを狩ることにした。






 そしてその日も魔物を狩って、手を洗っていた。

 汚れたわけではなかったけれど、この小川はなんとなくだが私の故郷の森の小川に似ている気がして何度か訪れていた。

 周りの木は全く違うし、採れる魚だって様子だって全然違うというのに。

 恋しい、のだろうか。


 そう、思った時だった。


 ―――名前を、呼ばれた。


 私の、名前。

 母からもらった大切なそれ。

 私の名前は母が行商で行った先の国の古い言葉だと聞いた。

 それは綺麗な響きだけれど、私たちの国の言葉では少し発音しにくくて、きちんと呼べる人は少ない。

 村の人たちや父でさえ、発音が簡単な愛称で呼んでいた。


 けれど、彼は違った。

 最初は何度も噛んでは顔を真っ赤にしていたというのに、いつの間にかちゃんと呼べるようになっていた。

 いや、いつの間にかではない。

 実は家の裏や森の中で練習していたのを彼の母から聞いたり、見かけたりして知っている。

 母が逝ってしまってからは彼だけが、嬉しそうに笑った顔で、恥ずかしそうに照れた顔で、悔しそうに怒った顔で、何度も何度も私の名前を呼んでくれた。

 私は彼に名を呼ばれるのが、好きだった。



 振り返ると、そこには彼がいた。

 その表情はホッとした時に自然と口を緩めてしまうもの。

 だからこそ私は驚いた。


 なん、で?


 彼が、ここにいる理由が、分からない。

 分からないから怖かった。

 彼に、どう思われているか、現実を突きつけられるのが。

 彼はすぐに距離を詰めて、私の手をつかんで探したんだといったけれど、それはどういう意味だか考えるのが怖くて、泣きたくなって、逃げるように転移した。


 ―――私は、何をしているのだろう。












 逃げた先もどこかの森だった。

 そこで私は嗚咽を漏らした。


 だって、彼が私の腕をつかんだ時の表情、―――あの笑顔はもう、私のじゃない。


 きっと彼は恋人の、いや、前の恋人だった私が生き返ったから、その様子を見に来ただけだ。

 彼は、優しいから。


 胸が苦しい。

 なぜ、こんなに苦しいのだろう。

 私が、望んだことであるはずなのに。


 ―――彼の、幸せのはずなのに。


 手にはまだ彼が掴んだ感触が残っていた。

 それが段々と消えてゆくのが名残惜しくて、自分が一人だと実感させられて怖くて、自分でその手首を強くつかんだ。

 勝手に、膝が崩れていく。


 ―――なんて、弱いのだろう。




 気が付くと、うずくまる私の後ろに魔物がいた。

 普通の獣に見えても、その巨体と紅い瞳の色がただの獣ではないと主張している。

 魔力が高い者だけが分かる、不自然な魔力の揺らめきを調律することがこの子たちを操るすべなのだが、それができるのは私と私の最後の友人だけだろう。


 けれど、ごめんね。

 私はそう思ってその魔物を一思いに殺した。


 友人がこの子たちには動物のように意思があると言っていた。

 もういないあの子たちは、確かに懐いてきたように思うから、きっとこの子も調律してあげれば大人しくなる。

 でも、居場所はない。


 魔物は危険な存在。

 それはどこでも変わらない認識だ。

 それに私が調律しなければ人を襲ってしまう。

 そんな危険な獣をのさばらせることは世界は許さない。

 この子もいつかは誰かに討伐されてしまうのだろう。

 ならばいっそ、苦しまないように。


 ―――ああ、この子が少し羨ましい。


 だって、この子は私と同じだ。

 生きているのに、生きていることが世界に許されない存在。

 いるべき場所が、ない。

 ああ、死ねるこの子が、羨ましい。




 今度も数日森に滞在した後に、彼が追いかけてきたけれど、私は彼の姿を見て、すぐにまた逃げてしまった。









 そうして、何度も、何度も、私は逃げた。


 私が逃げる場所はいつも森の中で、そこであの子(魔物)たちを心の中で謝って殺した。

 ごめんね、本当は普通の優しい子たちなのにね。

 魔物になってしまったら、魔物として生まれてしまったら、もう獣には戻れないの。


 魔物は世界に渦巻く魔力の淀みのせいで体内の魔力に異常をきたした獣の成れの果てだ。

 実は人は職業(ジョブ)という神からの贈り物(ギフト)のお陰でその淀みに影響されることはないが、それらを持たない獣たちは違う。

 不自然な魔力に体内の魔力も煽られてしまう。

 そうして、魔物たちは生まれたのだ。


 だから、心の中でごめんねという。

 何もできなくて、ごめんね。



 そうやって、今日も魔物を倒した時だった。

 近くに人がいた。

 その親子は私がこの子(魔物)を倒したのを見ると、目を輝かせて言った。

 ありがとう、と。


 父よりも少し年下のその人と小さな息子は死ぬかと思ったと涙を流して、何度も何度も私に感謝を述べた。

 そして礼をしたいと、家に誘った。

 彼らは私を戦闘系の職業(ジョブ)を使って魔物を狩ることを生業に旅をしていると勘違いしたようで、宿を探しているならば是非にと言われたのだ。

 本当は勝手な贖罪と、弔いだから断りたいけれど、こうも勧められては拒むこともできない。

 ありがたく一晩泊めてもらった。


 そして、私は知った。

 お姫様が自国の貴族と結婚した、と。


 え、と口を開いて閉じられない。

 驚きすぎて、何も言えない。

 でも、信じられなかったのだ。

 予言者の予言は間違ったことがなかった。

 なのに、なのに、―――なぜ?


 だって、私は彼が幸せになれると思えたから魔王を成し遂げられた。

 だというのに、なんで、なんで彼はお姫様と結ばれていないの?

 私がどれだけ悔しい思いをして、嫉妬を殺して、唇を噛んで、胸の痛みをなかったことにしたと思うの?


 彼は勇者だった。

 魔王を倒した勇者だ。

 この世界を救った。


 彼が一番幸せになれるべきなのに。

 一番頑張っていた、彼が。


 なんでなの?

 なんで?


 私の努力は、―――無駄だったの?


 心が(から)になった気分だった。

 今までの努力が踏みにじられた気分だった。


 私は、何のために―――?







 いつの間にか私はベッドの上にいた。

 突然倒れたと、助けた男性の奥さんが教えてくれた。

 気を使ってくれる彼女は優しくて、濡らした布を額に当てて頬を撫でてくれる手はあたたかくて、私は勝手な、意味のなかった努力のためにこんな人たちをたくさん殺してしまったのだと胸が張り裂けそうだった。


 彼女にこれを言っても何も変わらないと分かっている。

 けれど、私はその言葉を口にせずにはいられなかった。


 ―――ごめんなさい。


 奥さんは首を傾げて、夫と息子を助けてもらったのに謝られることはないわと言って、私の涙を拭ってくれた。

 私は自分だけだった。

 いつも自分のことしか考えていない。

 彼のこと、と言っても、結局魔王に転職した事実から目を背けるだけだった。

 彼のためだからと正当化していた。


 ―――なんて、醜いのだろう。


 お姫様と結ばれていないと聞いて、心の隅で私は喜びを感じていた。

 けれど、こんな私では、私では―――……


 もう、彼とはいられない。










 起きた時にはもう朝だったから、私は引き止める家族に礼を言って、その家を離れた。











 そして、行きついた先は魔王城。

 半月ほど前までここで暮らしていた記憶があるのに、なぜか懐かしく感じた。


 彼を迎えるために一度座ったきりだった玉座は相変わらず大きくて立派で、もう一度座ってみると心地いいのに心は満たされずに寂しさだけが詰まった。

 肘掛けに凭れ掛かると、また、涙があふれ出てくる。


 この城は、本当は、心地いいところだった。

 兄のような予言者がいて、友人の魔物使いがいて、他のみんなも優しかった。

 私は(ことわり)の役目をやり遂げようと距離を置いてしまったけれど、本当はみんな、―――大好きだった。

 あんな辛いことを強いたのに、みんな凄惨な光景に涙を呑んで嗚咽を零していたのに、私を嫌うことはなかった。

 積極的に話しかけてくれて、料理を作ってくれたり、刺繍のハンカチをくれたり、おススメの本を教えてくれたりした。

 なのに私は彼らと向き合うのが怖くて、避けてさえいた。


 ああ、みんな、死を命じた私を恨んでいるだろう。







 ―――そんなこと、ないよ。


 返事が、した。

 いつの間にか私の言葉は口に出てしまっていたようで、それでも小さな声だったのに、返事があった。

 それは、私の、知っている声で、目を見開いて、ゆっくりと顔を上げると、そこに、いた。

 予言者が。


 なんで、と思ったけれど、予言者は私の手をつかんですぐに立たせて、そして、言った。

 わたしの妹は優しいなぁ、と。


 予言者は未だに驚いている私をまっすぐ見て、わたしも生き返ったんだ、とにっこりと笑った。

 そして浮かんだ疑問が分かっているかのように言った。

 神が生き返らせてくれたこと。

 望んだものだけ生き返ったこと。


 予言者は私の手を優しく包み込んで、目を細めて笑って続けた。

 わたしは無数に分かれた未来が見えるんだ。

 けれどね、過去も見えるんだよ。

 変わらぬ一筋の過去が。


 過去は変わらない、と。


 人好きする笑みでそう言われて、頭を撫でてもらい、涙を拭ってもらった。

 その表情が私は本当は好きで、彼が妹と言ってくれるように私も兄のような人だと感じていた。

 私がこうやって甘えられる人は実際に少なくて、母以外に思いっきり甘えた人がいた記憶がなくて、父は支えるべき人で、彼には甘えきるってことがなくて、頼れる人がいることがこんなに嬉しいだなんて改めて知った。


 予言者は続けた。

 だから、折り合いをつけないといけないんだ、と。


 彼は過去を見たから私の状況を知っているようだった。

 逃げたことも、それから、思い悩んでいることも。


 君は自分が罪を犯したというけれど、それによってたくさんの人が救われたのを忘れてはいけない。

 わたしの国は戦争をしていた。

 このままでは君の国も、他の国も巻き込んでしまっていた。

 きっと、沢山の人が死んだだろう。

 けれどそうはならなかった。

 だから、そういう人たちが助かったことを知ってほしい。

 君のしたことを君が罪というのなら、私が罪ではないとすべて否定しよう。


 それは、暗闇と化していた私の心に明かりを灯した。

 確かに私は私の行動で助かった人がいただなんて、考えたこともなかった。

 その、実感がなかったから。


 そして、予言者は言った。

 未来は一つじゃなよ、と。


 それは彼から聞いた最期の言葉と同じで、あの時は胸を刺したのに、頬を撫でられる今はなぜかそう感じなかった。


 未来はね、自分で選び取れるんだ。

 君がお姫様に譲りたいと思っても、最後の最期に恋人を自分のものであれと思って未来が変わったように。

 だから、自分の幸せを選び取るんだ。


 ―――わたしの大切な妹が、幸せになる資格がないだなんて、理にも、神にも、誰にも、言わせない。


 ね? と笑ったその表情が、私の頬に当たる手の熱が、私の心を溶かしてゆく。

 いいのだろうか。

 こんな私が、幸せになって。


 ほろりと零れる涙を彼は何度も拭ってくれて、目が真っ赤になっちゃうじゃないかと少し癒しをかけてくれて、その光が温かくて、優しくて、私の口から言葉が零れた。


 ―――ありがとう、兄さん。


 それは私はこの人に死にゆくように命令する魔王だから、彼が何度も読んでもいいよと言っても呼べなかった言葉。

 彼と血の繋がりがなくても彼は確かに私の兄だ。

 大好きな、大好きな、私の家族だ。


 私の言葉を聞いて、兄は不意打ちだ、と小さく零してくしゃりと目元を細めた。

 その目からは涙が零れていて、この人が泣くのを見るのが初めてだった私は慌てて私にしてくれたように兄の目元に手を持っていった。

 けれど、兄は私のその手を自分の頬に持って行って、温かいね、とすり寄った。

 手に当たる涙は、頬と同じ温度で温かかった。


 ねぇ、と兄は私の手を頬に当てたままで言った。

 これは単純なことじゃないから、君の心の折り合いがつくまで彼から逃げていもいいんだよ。

 それこそ、君の気が済むまで。


 ね、と言われて、私はそれに深く頷いた。

 兄に心の壁を溶かしてもらっても、私の中での罪の意識が消え切ったわけではない。

 彼はもうお姫様のではないから、いや、ずっと私のであったから、これからも追いかけてくるだろう。

 けれど、ごめんなさい。

 今はまだ、私の心が納得しきれない。

 いつかは貴方のもとに帰るけれど、―――少しだけ待って。


 ごめんね。

 こう思ってしまう私はやっぱり浅ましくて、弱くて、醜い、な。






 そうして、私は兄と魔王城で分かれた。

 兄は次会うときはもう一人の妹に会えるよ、と最後に手を振っていた。


 ―――ああ、やっぱり優しい兄だ。


 私は次は自分から会いに行くと約束した。














 それから私は勝手な贖罪の旅をした。

 被害が大きかった地域を巡って傷を癒したり、魔物が跋扈する地域であの子たちを屠った。

 それに意味があるかと言ったら、きっと自己満足にしかならない。


 けれど沢山の国を巡って、沢山の人と出会って、話をすると、戦争に行かなくて済んだといった人たちもいた。

 私は勝手に心の中で安堵した。


 ―――でも、そろそろ限界かな。


 彼が、恋しい。

 最近の彼は私を見かけると好きなんだ、愛しているんだと言ってくれる。

 それは、とても、とても、嬉しい。

 だけど街中であったりするから、―――正直恥ずかしい。

 最近の私は生き返ったときみたいに好きって気持ちがまた湧き出て、伝えきれないくらい溢れている。

 いつもならこんなことなかったのに、彼への想いは穏やかなものであったはずなのに、なぜか最近は彼の言葉を聞くと、顔の熱が耳の端まで広がって、心臓が落ち着かない。

 自分の罪を忘れたわけではないけれど、半年近くたった今では最近は兄が言ってくれたように心に折り合いがつけられるようになっていた。

 だから、余計に恋しい。

 でもやっぱり心に刺さる罪の意識は消え切れないから、彼と会っても、まだ自己満足の贖罪を続けていこう。


 転移した次の日に見つかり、また転移した場所で私はそう思った。







 だから、私はとある家へ向かった。


 きっと不法侵入になるのだろうけれど、その部屋の主は待っていたかのように言った。

 初めまして、と。


 美人、と正直に感嘆できる容姿の目だけを細めてその人はああ、初めましてではないか、と訂正した。

 その表情は全く笑っていないことが分かった。

 この人はきっと私を恨んでいる。

 だって彼の仲間の一人で、友人の魔術師だから。


 私は何度か転移するうちに、なぜ彼が私のところにすぐに来られるかを不思議に思った。

 そして、魔法で調べたのだ。

 彼が、この場所に何度も何度も立ち寄っていることを。

 それからこの家が誰のものであるのか把握するのは簡単だった。

 一度戦った、魔術師の家だった。

 そして、私は知った。

 彼が私を探すために魔術師に魔法を使ってもらっている、と。


 突然ごめんなさい、というと、構わないと魔術師は薄ら寒く笑った。

 そして私をソファに促し、お茶を作ってくれた。

 少し不思議な色をしているが、私の料理もそんなものであることもあるので口に含むと、その味は、―――この上なく苦かった。

 顎の筋肉を引き締めていないと余りの苦さに口が勝手に開いてでろでろと出してしまいそうだ。


 魔術師はそれをニヤニヤと見るだけで、自分のものには手を付けようとしない。

 毒なのだろうか?

 私は毒を盛られたのだろうか?

 魔王になってから毒を含んだことはないけれど、魔王の力の一つに自己回復があるから多分大丈夫だと思うが、私は今、毒を飲んでいるのだろうか?


 どうせ大丈夫なのだから、彼の友人だからと私は頑張って喉を動かして胃に納めた。

 喉が奥までひりひりとするし、口の中は苦みと苦みが喧嘩しているかのように暴れている。

 やっぱり毒なのだろうか。


 ごくりと喉を鳴らして嚥下した私を見て、魔術師は驚いた表情をしていた。

 綺麗な瞳が見開いて揺れている。

 よく、飲めたな、と言っているけれど、中身は本当に何だったのだろうか。

 疑問が顔に出ていたからか、その人は魔力回復の新薬だといった。

 確かにここに転移するために消費した僅かな魔力が回復している気がするけれど、口に含んだ時の心労のほうが大きいから総合的にみると回復した気がしない。

 正直薬とは言え、飲み込んで驚くようなお茶を出さないでほしい。


 けれど、本来転移というのは魔力が多い人であってもその身体の半分以上のそれが持っていかれてしまうほど消費量が多い。

 それが幻の魔法と言われたゆえんでもあるのだが、私はもともと魔力が多かったうえに魔王になったことで器が広がって今ではきっと世界で一番の魔力量を誇るだろう。

 私は魔力が多すぎると落ち着かないから普段はそれを器に納めてしまっている。

 それこそ、常人よりも少し多いくらいとしかわからないように。

 だからきっと、魔術師は私を心配してくれた。

 彼の、恋人だから。


 ありがとう、と礼を言うと、恋人同士は似るものなのか、と魔術師は眉に皺を寄せて溜息を吐いていた。

 それがどういう意味なのか分からないけれど、私はこの人にはお礼を言っても足りないと思うから、もう一度ありがとう、と言った。

 そして、次が、最後だとも。


 その言葉を聞いて、魔術師は目を見開いて、あいつは今この家にいるといったけれど、私は首を振った。

 私は待っている約束をした、と言って。


 本当は彼を待たせていたのだけれど、待っていたかった。

 ちょっと意地が悪いだろうか。

 だけど、私はちょっと恥ずかしいときがあっても、本当は存外彼に追いかけられるのが好きだった。

 彼が好き、だから。

 彼は隠しているようだけど、本当は方向音痴で、よく道に迷っていた。

 けれど、私にはちゃんと辿り着く。

 それが嬉しかった。

 なんだか、喜びで涙が出そうだ。


 けれど魔術師がまだあいつを苦しめるのか、とぼそりと呟いたのが私の耳に届いた。

 ああ、彼は本当にいい友人をもった。

 あんなに人見知りで村ででさえ知り合いが少なかったというのに。


 私はまた首を振った。

 私は、彼がこのくらいで私を拒絶しないと知っているわ、と言って。


 すると、魔術師は一瞬宝石みたいな瞳が零れそうなくらい目を見開いて、そして、知っている、と拗ねたように言ってからわかったと頷いた。

 そして、私はお礼を言って、また転移した。






 景色が変わって、見えた場所は森。

 だけど、最初適当に転移した時と違って、今回は見覚えのある場所。

 故郷の村の近く。


 ―――幼馴染の彼とよく駆け回って、遊んで、転んで、迷って、修行して、怪我をして、癒してもらった思い出の森。


 そこで、私は彼を待った。








 そうして、数日。

 前は待っているのがあんなに辛かったのに、今は心待ちにしていた。

 彼が来るのを。


 彼は転移で近くに降り立つと、すぐに私の姿を見つけて、駆け寄ってきた。


 私がいる場所は村が見渡せる大樹の前。


 彼は私の手を掴んだけれど、私はすぐに転移した。

 今回はすぐそばに。

 彼の上に。


 ねぇ! と大声で呼びかけると、急に消えた私を探していた彼は上を見上げた。

 太い枝の幹に腰を掛けて手を振る私を見て、彼は一瞬泣きそうになった後、手招きする私に今行くよー! と言った。

 彼はあの時みたいに剣や防具を外して、するすると登ってくる。

 そして、登り終えると一瞬ほっとして私の横によいしょと腰を掛けた。


 眉を少し顰めて懐かしそうに村を見つめる彼の手を掴むと、私はその手をフニフニと触る。

 それは剣を始めたころの彼とは全く変わっていて、皮はずっと厚いし、大きさも随分と違うし、逞しい男の人の手だった。

 もちろん懐かしさなんかなくて、でも、こんなに時が経ったのだとわかって、私は大きくなったわね、と言った。

 すると彼は、ずっと君と並びたかったから、と言った。

 その言葉が嬉しくて、私は彼の横に並ぶ資格がないと何度も思ったけれど、そんなことないと言ってもらっているようで、心から喜びが湧き上がってくる。

 同時に涙も込み上げて頬を伝ったけれど、私はそれを無視して笑った。

 じゃあ、私も同じね、ずっと、あなたの隣に並びたかったの、と。


 それを聞いて、彼は涙を耐えるように笑って、私を抱きしめた。

 ぎゅうぎゅうと強く腕に締め付けられるけれど、今はそれが心地よくて、私も彼の背中に手を回した。

 ああ、気持ちが溢れる。


 好き。好き。大好き。


 いつの間にか私の口から言葉が零れていて、彼はそれを聞いて益々腕の力を強めて、俺もだ、俺もだ、と何度もつぶやいた。

 だけど、出会うたびに彼に何度も言われていたというのに、今の私はやっぱり言葉が欲しくって、彼からの言葉が聞きたくって、好きだって一言がほしくって、それに騒がしい心臓を悟られたくなくて、少し魔王の力を使って彼の腕から抜け出した。

 距離を置いたことで彼の表情が見えて、それは泣き顔で、私はその頬に手を伸ばした。

 それはまるで最期の時のようだけれど、私ははっきり彼をみえていて、鼻を啜る音もしっかり聞こえている。


 その些細なことが嬉しくて、私が打った楔がまだ彼の心に残っているのだと確信したかった。

 彼の胸に当てると、口を開く。


 ―――けれど、声は出なかった。


 私の唇に彼のが重なり、遮ったからだった。

 んっ…! と驚いてしまうけれど、目を開くと彼の顔が近くて、長いまつげを数えられるくらい間近で、それが新鮮で、それになんだか気持ちが良くて抵抗できなかった。

 そもそも抵抗する気もない。

 嬉しい、から。


 彼は最初は目を閉じていたけれど、私と目が合うと一度唇を放して言った。

 好きだ、愛している、と。


 聞き覚えのない低い声なのに、それはただでさえ早鐘を打つ心臓を酷使するようにもっと早くさせた。

 自分でも耳まで赤くなっているのが分かる。

 恥ずかしくて顔を逸らそうとしたけれど彼に腰をつかまれて、また唇を奪われた。


 それは優しく啄むもので、何度も何度も彼は私を味わうようにちゅっちゅと音を立てた。

 その音が聞き慣れなくて、少し淫靡なもので、私はますます顔を赤くしてしまう。

 もう彼の表情を見る余裕もなかった。

 だというのに、ただでさえいっぱいいっぱいだというのに、次は急に口の中にぬるりと何かが入り込んだ。

 びくりと体を少し引くけれど、がっしりと掴まれていて逃げられない。

 それどころか、腰に回している手と別の手が私の頭をつかんで、何かわからないそれが口の奥まで侵入してきた。

 訳が分からなくて、恥ずかしくて閉じていた目を開けると、彼が見えて、それが彼の舌だとわかるころには歯列をなぞられ、舌の裏を舐め上げられた。

 なぜか腰がぞわりとして、それが気持ちが良くて、んあっ…! と自分の声とは思えない音が響いた。


 しらない。

 こんなことはじめてで、しらない。


 いつの間にかぼんやりとしていた頭でそう考えるけれど、彼は合間に私の名前を呼びながら相変わらず私の舌で遊ぶように絡めたり、口内を犯すように動く。

 まるで、彼は慣れているかのようだ。

 ―――だって、だって、わたしはこんなのしらないもの。


 そう思うと、少しムッとして、私は魔王の力を使って彼から無理矢理離れた。

 ぷはぁっ、とつい声を出してしまって、彼を見ると余裕があるみたいに満足げに笑っていて、私はそれが気に食わなくて、私はもう一度近づいてきた彼の顔を手のひらで頬を押しのけた。

 そして、ポロリと不満が零れる。

 誰に、習ったのよ、と。


 それを聞いた彼は私の手の奥にある瞳を大きく見開いて、そして、にんまりと笑った。

 ねぇ、俺は君にしたいことをしてるだけだよ、と言って。


 その言葉を聞いて、そして、自分が言ってしまった言葉を思い出して、顔がカッと真っ赤になる。

 だって、―――嫉妬を悟られてしまった。

 それが恥ずかしくて、もう穴にでも入りたい気分になって、彼の顔が見れなくて、視線を逸らそうとした。

 けれど、ひゃうっ! という声が響く。

 他でもない私の声だ。

 だって、驚いた。

 彼が急にまだ彼の頬に押し合えてたままの私の手のひらを舐め上げるからだ。


 咄嗟に手を引っ込めるけれど、彼はそうはさせてくれなくて、手首を捕まえると、また私の手を舐めた。

 次は何度も舌を押し付けるように。

 彼は私の反応を見るように上目遣いで私を見ていた。

 それはくすぐったくて、だけど、背筋がぞわぞわするように気持ちよくて、私の手のひらから指同士の付け根を、人差し指と親指の間をれろりと舐め上げ、そして親指を少し加えてからちゅぱっと音を立てて離れた。

 私はその間、やめてとも、汚いとも言ったけれど、彼は私に汚いところなどないと言って続けた。


 彼は彼のに濡れる私の手のひらを見つめ、満足そうに頷くと、また私に顔を近づけてくる。

 けれど、私すぐにそれを遮るように、ねえ、といった。

 すぐに手も引っ込める。


 彼は私の声が真剣だったからか、腰を引き寄せはしたけれど、瞳を見つめて話を聞いてくれる表情になった。

 こんなことを聞くのは今更だと思う。

 けれど、私は、弱いから、確かなものが、言葉が、欲しい。


 私は、罪を犯した。

 沢山の人を殺した。

 人に人を殺させた。

 そして、貴方に私を殺させた。


 それでも、ずっと前に思ったことは叶うだろうか。

 それはいつの日かこの木の上で、思ったこと。

 ずっと信じていたのに、あっけなく崩れ去ってしまった私の望み。





 ―――こんな日がずっと続く?


 ぽつりと呟かれた言葉に、彼はくしゃりと笑って、涙を流して、言った。










 ―――もちろんだ。









 また、唇が重なった。











※プロローグ参照


いちゃいちゃ。



こんばんは。

天野改め、千羊です。

どのコースになったかは見ての通りでした!

ですが、まだ続くのでお楽しみに。


次はまた書きあがり次第投稿します。

うーん、まだ数話あるのでまとめてからのほうがいいのか悩みどころですね。


蛇足。

彼から逃げてもいいと言ったときの予言者の気持ち。

『一度でも妹じゃないお姫様を選ぶ未来があったんだから、少しは苦しめ』

お茶(ゲロ苦)を飲ませたときの魔術師の気持ち。

『俺の(唯一の)友人を苦しめたんだから、これでも飲んで少しは苦しめ』


いつも通り、感想返しは全て終わってからにします。

※一部感想返しました。

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