落つる涙
お姫様視点。
どうして、どうしてなの?
わたくしは泣いていました。
どこかともわからない場所で、ただただ一人で泣いていました。
だって、どうしてかわかりませんでした。
わたくしの勇者様なのに、邪魔な恋人はもう死んだのに、どうしてわたくしのもとを去ってしまったか。
わたくしはどこともわからない空間で蹲ってどうしてと呟きながら泣きました。
そこには何もなくて、いつも慰めてくれるお父様も、お母様も、お兄様たちも、侍女たちも、槍使いもいなくて、わたくしは一人では消化しきれないこの感情を持て余しながら泣き続けました。
ふと、肩に誰かが触りました。
優しい手つきでした。
わたくしは誰かが来てくれたと思いました。
わたくしが怖くなって泣いた日に誰も来てくれなかったことなんてありませんでした。
だから、わたくしは胸に少し期待を抱きながら振り向いたのです。
しかし、そこにいたのは見覚えのない人でした。
彼はにこりと爽やかに笑って、わたくしの頬の涙を拭い、手を取って、いつの間にかあった椅子に掛けるように促しました。
わたくしは一度その方を見て、座ります。
だって、見上げた時のこのお方の表情が優しかったので、きっと心も優しい人なのでしょう。
期待は間違えではなかった気がしました。
わたくしと少し距離を置いた場所に座った彼は言いました。
わたしの妹は、どうだったかい、と。
わたくしはその言葉に首を傾げました。
てっきり大丈夫と言って、わたくしの話を聞いてくれるのだとばかり思っていました。
彼はわたくしが疑問に思っているのが分かったのか、目を少し細めます。
そして、薄ら寒く笑ったのです。
ぞわりと寒気が走ります。
最初はそれが何からかわかりませんでしたが、すぐにわたくしの耳元でそれが囁いたことで気が付きました。
これが魔王の配下であった、と。
君はわたしの妹である魔王には勝てなかっただろう、と低い声を耳元で響かせたそれは確かに魔王城の前で聞いたもので、その意味が分かりたくなくてわたくしは耳を塞ぎました。
ですが、それは耳に押し当てていた手を力づくで剥がしたのです。
今までそんな力技をわたくしにしてきた人はいませんでした。
わたくしが驚いて顔を上げると、それは笑っていたのです。
それも、嘲るように。
わたくしの反応を見たからか、それは愉快そうにあははと笑いながら言いました。
お前がわたしの妹に勝てるわけないだろう、と。
先ほどこれは魔王が妹だと言っていました。
つまり、すでに魔王を打ち倒して勝っているはずのわたくしが勝てるわけないというのは、わたくしの勇者様のことでしょうか。
考えるわたくしに、それは言い聞かせるように優しく言いました。
妹は、お前のことを知っていた。
そして、予言者であるわたしが一度お前と勇者が結ばれる未来があったと予言したとも。
だけどね、それでも、お前は妹の眼中になかったんだよ、と。
予言者だったというそれの言葉にわたくしは歓喜しました。
わたくしとわたくしの勇者様が結ばれる未来。
やはりわたくしたちは結ばれる運命だったのです。
勇者様は、戻ってきてくれるのです。
物語の帰結は決まっているのです。
―――ですが、それはそのわたくしの喜びを砕いたのです。
そんな未来、もうないけどね、と言って。
酷いです。
そんなの嘘です。
そもそも、これはもう死んでいるはずです。
未来のことなんかわかるはずがありません。
この化け物たちの言うことなんか真実であるわけがありません。
いつの間にか止まっていた涙がまた流れ出します。
正面に座っているそれは、ただその様子を見ているだけで、何もせず、せせら笑っていました。
お前のおかげで妹が自分の幸せを願えるきっかけになれたから一度は拭ってやるけど、もうしないよ、と言って、肘掛けを使い頬杖をついています。
あの優しい表情が嘘のようです。
お前は妹に殺されそうになったことはあるか、と涙を流すわたくしを気にせずにそれは話を続けました。
何に対する問いなのかはわかりませんでしたが、わたくしは魔王と戦った最後の決戦を思い出します。
確かに、わたくしは一度も狙われなかった気がします。
思い当たったことにそれはニヤリと笑って言いました。
回復役を先に始末するのは戦いにおいて基本だというのになんで妹がお前を攻撃しなかったと思うか?
それは、勇者の幸せのためだったんだ。
本当はいつでもお前を殺せた。
油断しやすいお前をわたしの仲間たちも殺す機会はいつでもあった。
だがそうしなかったのは、みな妹のためだった。
勇者の幸せを願う、わたしたちの妹の、と。
そして、またわたくしのもとまで近づいてきて言ったのです。
お前は妹に、魔王に生かされてるだけの存在なんだよ、と。
ピシャリと鞭を打たれたような気分でした。
わたくしが、あれに生かされているだけの存在…?
わたくしは、大国の姫で、勇者の仲間の癒術士で、それから、わたくしの勇者様の、勇者様の、なに……?
分からない。
分からない。
どうして、分からないの?
わたくしはあのお方の何だったというのでしょう。
あれは確かに、確かにわたくしの勇者様の恋人で、待っている人で、一番だったというのに、わたくしは……?
分からない。
どうしても、分からないのです。
わたくしは、わたくしは―――……
ハッと目が覚めました。
視界に移ったのは見慣れたベッドの天蓋でした。
わたくしの瞳はなぜか濡れていて、心がぎしぎしと痛みました。
ですが、なぜそうなったか分からないのです。
寝ていたようなので、怖い夢でも見たのでしょうか。
でもその夢を思い出そうとしても、誰かが、顔がはっきりしない誰かが少し満足げに笑っていた表情がぼやっと浮かんだだけでした。
誰ともわからないその人の笑みはわたくしの心に爪を立てます。
ほろり、と涙が、出てきました。
でも、分からないのです。
なにも、かもが。
ただただ、悲しくて、悔しいのです。
鼻を啜ると、寝ずの番をしていた侍女が駆け寄ってくれました。
彼女は乳母の娘で、一緒に育ってきました。
抱きしめて、大丈夫だと頭をなでてくれます。
それが、何よりも心を温めてくれたのです。
―――ああ、あったかい。
あったかもしれないはなし。
予言者は過去の影響で結構な王族貴族嫌い。
昔の上司は恨みはないって言っても、実はそこそこ無残に殺していたりします。
テレーゼは妹なので、該当しません。
お姫様は相変わらずだけど、少しだけ溜飲が下がった。




