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あのお方は勇者様で、

 勇者物語。

 初代勇者から先代勇者まで全ての話が載っているそれは子供のころ、誰もが心を躍らせ、その話を読み進めたでしょう。

 わたくしもその一人で、寝物語として乳母に聞かせてもらったときは早く続きを読んでとせがんでよく困らせました。

 その話の中でもわたくしが大好きで、何度も読み返したのは数代前の勇者の話です。


 その勇者は騎士でした。

 騎士は勇者として選ばれ、仲間と協力し、苦難を乗り越えて魔王を打ち倒しました。

 そして、最後には一緒に旅をした仲間の一人である姫と結ばれるのです。


 そんな、とっても素敵な話です。

 数ある勇者の話の中で一番ロマンティックで女の子からも人気のこの話。

 小さかったわたくしは自分も姫という身分だからかそのお姫様と自分を重ねていつかそのかっこいい騎士のような方が現れると夢見ました。

 職業(ジョブ)に癒術士を選んだのもその影響です。

 かのお姫様も癒術士でした。

 その時のわたくしはそんな素敵な物語が自分に訪れるだろうと目を輝かせていたのです。







 そして、その夢は叶いました。

 わたくしが勇者の仲間に選ばれたのです。

 こんな素晴らしいことがあるでしょうか。


 勇者の仲間とは、魔王復活が神殿により告げられた後、胸に『神花のしるし』が刻まれたもののことを言います。

 胸の間、鎖骨と鎖骨のつなぎ目あたりに黒々と刻み込むように咲く五枚の花弁のその花は、神が一番最初に想像した生き物だと言われています。

 神花が体に咲くということは神に選ばれたということです。


 わたくしは、晴れて神に選ばれて勇者の仲間になったのです。






 そして、一目見て思ったのです。

 想像とは違う年の割には幼い容姿と高すぎない身長。

 しかし、確信したのです。

 このお方がわたくしの勇者様だわ、と。









 城を出て旅をする中あのお方を見ていますと、わたくしの勇者様は想像していた人とは違いました。


 勇者様は思っていたよりも幼い方でした。

 物語に出てくる騎士はもう成人して何年かたった男性だったそうです。

 しかし、わたくしの勇者様は違いました。

 成人したばかりという顔つきで、年はわたくしよりも一つ下でした。


 勇者様は思っていたよりも頼りない方でした。

 物語に出てくる騎士は困っている人をみんな助けてしまうような、なんでも受け止めてくれるような方だったそうです。

 しかし、わたくしの勇者様は違いました。

 なぜか何もないところで転びますし、通り道の村の小さな女の子に頑張ってと花を渡されたときはどうしようとおどおどしていました。


 勇者様は思っていたよりも世間知らずでした。

 物語に出てくる騎士は知識も深く、物知りだったそうです。

 しかし、わたくしの勇者様は違いました。

 地理に疎く、世界情勢も知りませんでした。


 例を挙げてもきりがありません。

 ですが、その違いを見つけるたびになぜかもっとわたくしの勇者様だと思えるようになってきました。

 幼くても、人によっては可愛いといえるその顔立ちで笑う姿にわたくしまで頬が緩みました。

 頼りなくても、困っている人がいたら必ず手を差し伸べ、魔物から私たちを守る姿に心を打たれました。

 世間知らずでも、自分を卑下することなく新しいことを吸収しようと目を輝かせている姿に目を奪われました。

 あの物語の勇者とは全く違います。

 けれど、それでいいのです。

 だって、わたくしの勇者様はそのままでもかっこいいのですから。


 わたくしの勇者様、ですから。










 旅を始めてひと月と少し、わたくしたちは聖なる山の中腹にいました。

 聖なる山とは神が初めて降り立った地と言われています。

 そこには神を祀る神殿があり、その中には魔王を倒すための唯一の武器、聖なる剣があるそうです。

 その場所は遠く、険しい道のりでしたが、わたくしたちはめげずに前へと進んでいました。


 その日、わたくしたちは陽が沈む少し前に平地を見つけると野宿の用意を始めました。

 最初はわたくしも野宿に抵抗感がありましたが、今では慣れつつありました。


 一緒に旅をしている勇者の仲間たちはとても気さくですぐに打ち解けることができました。

 その中には先日まで敵国同士だったものもいます。

 悲しいことだけれど、親兄弟、親せきが戦争で死んでしまったかもしれません。

 しかし、今は魔王討伐という大きな、一つの目標があります。

 魔王復活が神殿より告げられてからは魔物の被害は一層ひどくなっています。

 わたくしの国は土地が広いので魔王城に近い地域で何か所かの村がなくなったと聞きました。

 きっと魔王城に近い国の出身者ほどそういった話を聞いているでしょう。

 ですが、だからこそ、今はわたくしたちしかできない魔王討伐に目を向けられるのです。




 わたくしたちはその夜、いつも通り一緒に火を囲んで食事をしていました。

 今日はわたくしの勇者様が作った食事でした。

 わたくしたち仲間の中で料理ができたものはほとんどいませんでした。

 わたくしは身分上厨房に行くことなどありませんでしたし、騎士や戦士が作る料理は時折焦げた肉だけでしたし、魔術師は不用意に薬草や得体のしれない薬をいれます。

 ですから、もう結婚もしているという槍使いの女性とわたくしの勇者様だけでした。

 槍使いは見た目こそわたくしよりも少し上に見えますが、実際の年齢は10近く上でした。

 面倒見のいい方で、わたくしたちのお姉さんのような存在でした。

 そんな彼女が料理を作ってくれることがほとんどですが、いつも任せるのはすまないとたまにわたくしの勇者様が作ってくれるのです。

 今日の料理は簡単な野菜のスープと干し肉を味付けて焼いたものでした。

 もちろん王宮で食べていた料理には劣りますが、シンプルで食べやすい優しい味でした。


 食事の間、わたくしたちは大抵くだらないことを話します。

 話の中心はいつも槍使いと戦士でした。

 二人ともとても親しみやす性格なので、話も弾みます。

 戦士は肉を頬張りながら、うまいうまいとまた次の肉を口に運びます。

 食べ方はあまりきれいではありませんが、もう慣れたものです。


 戦士はがつがつと夕食を食べ終えると茶化すように言いました。

 料理は恋人にでも習ったのか、と。


 平民では料理は母親や女性がすることが多く、こういう風に上手にできる男性はあまりいないそうです。

 だから、出た言葉なのでしょう。

 皆から顔を向けられた勇者は一度目を下に向かせると視線を彷徨わせ、そしてぼそりと言いました。

 そうだ、と。


 その照れた笑みに、わたくしは、驚きました。

 もう一月以上一緒に暮らしているのに、旅をしているのに、見たことのないその表情。


 若いなと豪快に笑う戦士の声が遠くに聞こえました。

 次は槍使いが揶揄いながら恋人はどんな娘であるか聞きます。

 わたくしの勇者様はまた頬を赤く染めると、小さく呟くように語りました。

 優しくて、可愛くて、強くて、しっかり者で、でも変なところで不器用で、と。

 途切れることのないその言葉は恋人への想いに溢れていました。

 わたくしはお酒が入っているわけでもないのに飽くことなくわたくしの勇者様をいじり倒すその声をぼんやりと聞いてよくわからない胸の痛みを凌いだのでした。


 だって、わたくしの勇者様なのに、どうして?






 夜。

 わたくしは眠れなくて起きていました。

 聖なる山には魔物は一匹もいませんし、魔術師が念のために結界を張ってくれるので誰かが見張りとして起きていることはありません。

 槍使いと共同で使っている天幕から出ると、わたくしは結界が出ない程度離れた場所にいい岩を見つけて腰を掛けました。

 山だからか暑い季節だというのに空気はひんやりとしていました。

 一人ぼんやりと月を見つめていると、後ろから声がしました。

 眠れないのか、という問いかけでした。


 振り向くとそこには魔術師がいました。

 何か含みのある笑みでわたくしを見ています。

 魔術師はわたくしが何も答えなかったのを気にせずに勝手に近寄り、隣へと座りました。

 そして、また言いました。

 眠れないのか、と。


 わたくしの気分は沈んでいて、振り返る気にもならず、こくりと頷きます。

 すると、魔術師は突然笑い出しました。

 それは静寂に包まれていたこの場所によく響き渡りました。

 どうしたのか聞いても彼は笑うばかりで答えてくれません。

 それどころか、急に笑いをぴたりと止めると言いました。

 寝不足は明日に響く、と。


 トン、と額に指をあてられ、何かを唱えられます。

 きっと眠れるように魔法をかけてくれているのでしょう。

 それは、気持ちがよくて、わたくしは身を任せました。

 眠り、という逃げ道が今は救いに思えました。

 これからに期待する、という魔術師の声を最後にわたくしは眠りの世界に沈み込みました。




 朝起きると、妙にすっきりしていました。

 昨日のことははっきり覚えていますが、こう思えるようになったのです。

 わたくしの勇者様がわたくしを見てくれるようにすればいい、と。

 だって、わたくしの勇者様がわたくしを見てくれないだなんてありえませんもの。


 あのお方は勇者様で、わたくしは癒術士の姫ですから。








 それから歩き続けて、わたくしたちはやっと聖なる山の頂につきました。

 そこにあった神殿はどこのものよりも荘厳で、雄大で、美しいものでした。

 大きさは前から見ただけでは把握しきれません。

 中に入ると、だれも手入れしていないというのに空気は澄み切り、神秘的な雰囲気が漂っていました。

 聖なる山自体も尊い場所で神聖な空気をまとっておりましたが、ここは比べ物になりません。

 神が昔ここにおわしたことが全身で感じ取れる場所なのです。

 わたくしたちはただただ息をのむだけでした。


 しかし、わたくしの勇者様が動き出しました。

 そして神殿の中に入り、まるで導かれるかのようにずんずんと奥に進んできます。

 わたくしは仲間たちに一言断って追いかけました。

 わたくしの勇者様の足取りは早く、わたくしは小走りをしながら声を掛けます。

 しかし、その声に反応することはありませんでした。


 ついた場所は恐らくこの神殿の最奥。

 そこにはわたくしたちの目的である聖なる剣が収められていました。

 わたくしの勇者様が目の前に立ったので、わたくしも息を整えつつ隣に立ちました。

 そして、つい、ほぅと溜息を零してしましました。

 その剣があまりにも美しすぎたのです。

 真白なる剣身と、黄金の剣格。

 美しいという言葉では足りません。

 ただただ神秘的で、神の一端を見ているようで、うっとりしてしまうのでした。


 わたくしが聖なる剣に見惚れていると、わたくしの勇者様がおもむろにそれを手に取りました。

 そして、動きを止めてしまいました。

 まるでそこだけ時間が止まっているかのようです。

 心配になって何度も呼びかけますが、わたくしの声に反応することはありませんでした。


 半刻ほど過ぎて、わたくしの勇者様ははっと意識を取り戻したかのようにわたくしのほうを見ました。

 そして、なぜか落胆します。

 大丈夫ですかと問いますと、ただ頷いて剣を腰に差し、仲間のもとへと戻ってしまいました。

 なぜかまた、胸が痛くなります。

 わたくしはその背中を見ていることしかできませんでした。










 聖なる山を降りると、わたくしたちはすぐに魔王領へと向かいました。

 魔王領近くの村々に寄ると、そこは凄惨でした。

 家は焼かれ、人は殺され、畑は魔物によって荒らされていました。

 家族を亡くし、怪我を負い、帰る場所をなくした人々が絶望に顔を染めています。

 そこはまるで世界の果ての様な気がしました。


 こんな光景初めてでした。

 見たこともありませんでした。

 癒術士として、王族として、何度か治療院で活動していたことがあります。

 その時も深い傷にあえぐ民たちをいてきましたが、この場所はその比ではありません。


 人が魔物に食い散らかされ、踏みつぶされた痕。

 何が起きたのかわかりませんが、片腕がない者。

 子供たちが両親の死を嘆き泣き叫んでいます。

 それらの声が、臭いが、光景が、体中にこびりついたかのように離れません。

 足が震えて前に進めないのです。


 横目でわたくしの勇者様が残っていた手負いの魔物にとどめを刺します。

 わたくしも助けなくては、と慌ててけが人に駆け寄り、傷を癒していきます。

 普段ならつらつらと言える呪文も今は声が震え、ところどころ飛ばしてしまったり、繰り返してしまったりとなかなか癒すことが進みません。

 傷に持っていく手が思い通りに動いてくれません。

 必死に癒して、癒して、そして―――わたくしはいつの間にか意識を失いました。


 起きた時にはわたくしはベッドに寝かされていました。

 そこは宿のようで、どうやら魔力切れを起こして倒れてしまったそうです。

 隣に槍使いがついてくれていました。

 槍使いは気づかわし気にわたくしの頭を撫でました。

 子供には凄惨だったな、大丈夫か、と。


 その優しい声に、手付きに、ぶわりと涙が流れてきました。


 だって、知らなかった。

 魔王への道のりが、こんなに、こんなに、大変だなんて。


 物語ではそんなこと書いていませんでした。

 勇者となった騎士はたくさんの村々を助け、仲間である姫は怪我人を癒し、そして魔王城へとたどり着いた。

 そうとしか書いていない中に、こんな光景があるだなんて、知らなかった。

 想像も、しなかったのです。


 ぼろぼろと流れる涙は止まることはなく、槍使いは優しく抱きしめてくれました。

 どうしてわたくしがこんなことをしなくてはならないの?

 わたくしはただ、あのお姫様になりたかっただけなのに。

 どうして?

 どうしてなの…?



 今までのわたくしは物語を見ていたのでしょうか?

 わたくしは、わたくしは―――……





 そこにノックが響きました。

 返事をすると、勇者様の入っていいか、という声がしました。

 許可を出すと、ゆっくりと扉が開き、ベッドまでやってきます。

 その顔は少しやつれて見えました。

 やはり物語の騎士とは全く違います。

 だって、その騎士はこんな弱々しそうな顔はしないはずです。


 お姫様、大丈夫か、という声はかすれていました。

 はしたなくも袖で涙を拭き、改めて声のほうへと顔を向けます。


 ああ、やっぱり、この人は―――…


 初めて彼の顔を見た気がしました。

 もう半年以上も一緒にいるのにおかしな話です。

 ですが、初めてちゃんと見た気がしたのです。

 わたくしが今まで見ていたのは、わたくしの勇者様でした。

 いえ、わたくしのだと思っていた勇者様でした。

 きっと物語のようにわたくしと結ばれる、勇者様だと。

 でも、違いました。

 彼も一人の人でした。

 物語の登場人物ではないのです。

 彼には今までの人生があって、そして、今の彼があるのです。

 今の彼にかかわることができても、わたくしが過去の彼にかかわることはもちろん出来っこありません。

 だから、過去の彼をなかったことになどできないのです。

 もう、聞こえないふり、知らないふりはしてはいけないのです。


 わたくしは決心が決まりました。

 もちろんあの光景をまた見ることになっているのはわかっています。

 まだ怖いです。

 恐ろしいです。


 しかし、現実と向き合うことにしたのです。

 もしかすればわたくしの入る余地はないかもしれません。

 それでも、わたくしの想像していた勇者の姿とは全く違う彼に確かにわたくしは惹かれたのです。

 最初は勇者様だからという理由です。

 でも、今は勇者ということを差し引いてもわたくしは、―――彼が好きだと気付いたのです。

 この、勇者らしくない勇者様が。


 まだ目が腫れたままかもしれません。

 けれど、わたくしは笑いました。

 彼は優しくて、可愛くて、強くて、しっかり者な人が好きだそうですから、にっこりと笑って、大丈夫です、と伝えたのです。


 その時、息をのんだ彼の表情は初めてわたくしにしてくれたものだったと思います。

 胸が温かくなった気がしました。









 それからの道のりはやはり辛いものでした。

 滅びた村に涙を流したこともありました。

 助けられずに無力さを噛み締めたこともありました。

 けれど、必死に、自分のできる限りのことを全うしていきました。

 それしか、わたくしにはできなかったからです。

 あれだけ物語のようにと思っていたのに、自分こそ物語の姫のように全てを救えないと自嘲気に笑いました。







 勇者様との関係はだんだんと近づいて行ったと思います。

 もちろん彼が毎晩手紙を書いて大きな街ではそれを故郷にいる恋人へと送っているのは知っています。

 ですが、それでも、今は仲間というこの関係が嬉しかったのです。


 ―――しかし、その関係は旅を始めて一年半ほどの時からどんどんと崩れていったのです。


 それは彼の故郷から届いた一通の手紙が時からでした。


 遠い故郷から届いた一通の手紙。

 わたくしたちは彼がどれだけ返事を心待ちにしていたか知っていました。

 大きな街に着くたびに役場に行って自分への手紙が届いていないか確かめていました。

 そして、必ず届けると行ってくれた騎士の帰りを心待ちにしていました。

 騎士はどこも魔物のせいで交通経路が混乱していて、彼女の手紙が届かないだけだろうですとか、戦士は彼女は照れているだけだろう、と慰めていました。

 しかし、その言葉はあまり耳に入っておらず、彼は返事を待ち続けていました。


 そして、待ちに待った手紙が届いた時、彼は破らないようにと慎重にそれを開いて、そして―――固まってしまいました。

 魔術師が横から勝手に覗き込むと、あちゃぁとわざとらしい声を上げます。

 どうやら内容は、恋人が従軍たということでした。

 彼女は随分前に発ったそうで、弟が代筆してくれたようです。

 彼はへなへなと力なく座り込み、そして、何度も呟きました。

 なぜ、と。


 彼は少しの間、自失状態に陥っていました。

 わたくしは近寄り、少しだけ彼に癒しをかけます。

 意味があるかはわかりませんが、何かしたかったのです。

 しかし、彼はそれにも気づかず、急に立ち上がって魔術師の元へと駆け寄りました。

 そして魔法を行使して恋人が無事であるかを確かめて欲しいと鬼気迫るように言います。

 魔法には遠くにいる誰かの状態を確かめるだけのものがあります。

 それはとても高度で道具も必要ですが、魔術師は文句を言いながらもやり遂げてしまいました。

 安否を聞いた時の彼の表情は安心の一言。

 ただただ、よかった、と呟いていました。







 その後の彼は前とは別人のようでした。

 何かに追い立てられるかのように魔物を倒し、魔王の配下を倒し、魔王城へと向かう。

 彼を追いかけるわたくしたちは遠回りしていた気もしますが、そんなことも言えないほど彼は切羽詰まっていました。

 前のように戦士や槍使いと軽口をたたくことはありません。

 笑うことさえ少なくなりました。

 そして何かと魔術師に安否を確認する魔法を使って欲しいと言いました。

 この魔法は高度であるため魔力を多く使います。

 恋人が心配なのはわかりますが、魔術師はいい顔をしませんでした。

 それでも彼は頼み込んだのです。

 恋人は無事か、と。


 まるでその姿は自分を責め立て、追い込んでいるかのようで、なぜかわたくしまで辛くなって、可哀想で、あまり動かなくなった彼の表情を見てわたくしは言いました。

 彼女は無事なのですから自分を押し殺さないで、と。

 それが、彼に届くことはありませんでした。


 わたくしは彼の恋人を恨めしく思いました。

 こんなにも想われているのに、どうして彼を追い詰めるのか、と。

 だって、わたくしは、こんなにも振り向いてもらえないのに。











 そして、旅を続けて二年半、わたくしたちはやっと魔王城につくことができました。

 その黒くて大きな城は、荒野の中にぽつんとたたずんでいました。

 周りは見渡しがよく、魔物も来ていませんでしたので、わたくしたちは結界を張って一度休むことにしました。

 敵城の前でしたが、体力を少しでも回復しなければ最終決戦に挑むことはできません。


 今まで倒してきた魔王の配下は八人。

 歴史書によると、魔王は常に九人の配下をその手で作るそうです。

 つまり、この先にはまだ魔王の前にもう一人配下がいるということなのです。

 今まで戦ってきた魔王の配下たちは無残に民たちを殺し、痛めつけ、蹂躙してきた化け物でした。

 形こそは人と同じでしたが、あれは絶対に人ではありません。

 所詮は魔王に作られただけの魔物なのでしょう。

 そして、あれらは全て私たちが倒すのに手を掛けなければいけないほど強いものでした。

 それに加えて魔王がいるというのですから、体力回復は必須です。


 ―――しかし、そんな時間は与えられませんでした。


 突然魔王城の門がキィと開かれました。

 門と城には距離があり、城から何かが出てきた気配はありませんでした。

 ですが、内側からそれは開かれたのです。

 現れたのは背の高い男。

 男はわたくしたちを見ると、にこりと爽やかに笑いました。

 邪気の全くないその笑みにこの旅で身についたまずは警戒するという行動を解いてしまうところでした。

 しかし、すぐに勇者様の方からガキィーーン!! と言う剣の打ち合う音がして、わたくしは気を引き締めたのでした。


 その男は幻の魔法と言われる転移を使って、わたくしたちの後ろに回り込んだり、まるで未来を知っているかのように動きました。

 剣技は勇者様が勝っていますが、それでも至る所に突然現れては消え、攻撃をしようとしても違う方向を向いているというのに避けられたり止められてしまうのですから手の打ちようがありません。

 そして戦いの最中、わたくしは夢中になったのか仲間のそばから離れてしまいました。

 相手は神出鬼没に動き回れます。

 それなのに、戦闘には役に立たないわたくしが一人になってしまったのです。

 どうなったかは想像に難くないでしょう。


 刃が首元に突きつけられました。

 杖は奪い取られ、手は後ろに拘束されているのでなすすべがありません。

 仲間たちが息を呑んでわたくしを見つめています。

 もう、終わりなのでしょうか…?


 『神花のしるし』はの花弁は五枚。

 つまりそれは勇者の仲間を表しています。

 わたくしもその一枚で、そこには名前が刻まれています。

 今までの勇者と魔王の戦いの中で、勇者が死ぬことはありませんでしたが、勇者が仲間を失うことはあったそうです。

 そして仲間が死ぬと、『神花のしるし』のその者の名前が書かれた花弁がなくなるそうです。

 命が途絶えたその時に。

 わたくしも、そうなってしまうの…?


 ブルリと背筋が凍る気分でした。

 そして、示し合わせたかのように耳元で呟かれます。

 君は魔王には勝てないよ、と。

 それはわたくしを捕まえている男の声でした。

 どうしてそんなことをいうの?

 それは、わたくしを魔王の元へと行かせないということなの…?



 ―――いや。

 それは、確かにわたくしの意思でした。


 嫌。

 怖い。

 怖いです。

 死ぬのは怖い。

 きっとわたくしごと後ろの男を刺せば魔王へと向かえるのでしょう。

 そして彼は世界の英雄となるのです。

 そう、あの何度も読んだ物語のように。

 でも、嫌。

 死にたくない。

 どうしてわたくしがこんな目に合わなくちゃいけないの?

 どうして、どうして?

 だって、わたくしはあの、お姫様なのに―――……



 恐怖に暮れる中、突然手の拘束が解けました。

 体が急に軽くなり、ぐらりと体が揺れて地面に腰をついてしまいました。

 何が起きたかわかりません。

 しかし、男はもうわたくしの後ろにはいませんでした。

 どうやら魔術師が打開策を見つけ、それを実行してくれたようでした。

 すぐに違うところで戦闘の音が聞こえ、震える足を奮い立たせて仲間たちに癒しを送ります。

 近くには魔術師がいてくれました。

 魔術師はどうやら転移を妨害しているらしく、前衛の仲間たちに時々援護を送っていました。


 そして、遂に、それは倒されたのです。


 消えていく最中、それは光に包まれながら言いました。

 魔王をよろしく、と。

 わたくしはなぜかそれが忌々しく思えてなりませんでした。






 みな、肩で息をしていました。

 これから魔王との戦いだというのに、疲労の色は濃いままでした。

 わたくしは先ほど不覚を取ってしまったことが申し訳なくなり、すぐにできる力をもって仲間たちを癒します。

 槍使い、戦士、騎士と順々に癒していきましたが、勇者様には断られてしまいました。

 いつも、そうでした。

 勇者様は余程のことがない限り、わたくしの癒しを受けることはありません。

 勇者様は大抵、勇者の力で勝手に回復するそうです。

 だから、わたくしが最後に癒したのはずいぶん前に思えます。

 それは初めて魔王の配下と戦った時以来でしょうか。

 その時に初めて癒しを施したのですが、それ以降、受けることはありませんでした。

 心が、チクリと痛んだ気がいたしました。







 それからわたくしたちは警戒しつつも休み、そして、魔王城に踏み入れました。

 二年半。

 たった半年ほどしかかからない道のりを、襲撃された村を助けに行き、強力な魔物が現れたら討伐しに行き、と遠回りしてやっとたどり着くことができました。


 魔王城に入ると、そこは閑寂としており、注意していても誰一人会うことはありませんでした。

 城の構造は単純で、わたくしたちは導かれるように魔王のいる謁見の間につきました。

 触れてもいない扉が勝手に開き、わたくしたちを招いているようでした。


 謁見の間にいたのは魔王ただ一人。

 わたくしたちよりも幾分高い場所にある豪華な玉座に見下ろすように座っていました。

 魔王は真っ白な仮面をつけ、真っ黒なマントを羽織った―――女性でした。

 ドクリと鼓動を打つ音が耳の奥で聞こえました。


 彼女は言いました。

 待っていたわ、と。


 同時に襲う魔力の圧。

 それだけでいかに魔王が圧倒的な力を思い知らされました。

 そして自分たちが戦う相手がこれなのかと恐怖します。

 他の仲間たちも身体に走った恐怖に戦慄していました。


 ―――しかし、勇者様は違ったのです。


 カツリ、と足音を立てて魔王が立ち上がります。

 その途端、あのお方は剣を抜き、地面を強く蹴って魔王に特攻を仕掛けたのです。

 普通ならば無謀に思える行動です。

 ですが、わたくしたちはその背中に勇気づけられました。

 みな、それぞれの武器を構えたのでした。


 そして、戦闘が始まったのです。


 魔王は今までの、それこそ先ほど戦った配下にも比べ物にならないほどの実力を持っていました。

 頑張ってスキをついて攻撃を繰り出しても、それを紙一重でよけては強力な魔法を放ってきます。

 わたくしは後ろで援護をしつつ、攻撃を躱していきます。


 そうしてどれだけ時がたったのか、わかりません。

 しかし、少しの時にも永遠にも思えるような時を戦い続けると、魔王はいつの間にか疲弊し、血だらけになっていました。


 そして魔王が晒した一瞬のスキ。

 本当に一瞬のことでした。

 時が止まったように見えました。

 勇者様がずっと腰にかけていた聖なる剣を抜く姿がゆっくりに見えました。

 次の瞬間には、魔王はそれに貫かれていたのです。


 ―――あのお方は勇者として選ばれ、仲間と協力し、苦難を乗り越えて魔王を打ち倒しました。


 そんな物語の最後の文章が頭の中に流れました。

 わたくしたちは、やり遂げたのです。





 勇者様は倒れた魔王を見つめていました。

 わたくしたちも行き絶え絶えながらその様子を見守っていました。

 魔王は息があるようですが、力尽き、もうほとんど動きませんでした。


 ―――しかし、その身体から突然淡い緑の光が溢れ、勇者様を包みました。


 一瞬、新手の魔法なのかと身構えましたが、違いました。

 それは優しい光。

 包み込んだ勇者様の傷を少しだけ癒しました。


 なん、で。


 あのお方の掠れた声が静寂が満ちていたこの場所に響いて聞こえました。

 慌てて危ないからと止めますが、勇者様はそれが聞こえなかったかのように足を縺れさせながらそれへと駆け寄ったのです。

 そうして、震えた手で仮面を外しました。

 きっと、予想はできていたのでしょう。

 それでも事実を突きつけられたようで、現れた朗らかな笑みを浮かべているそれを見て勇者様はぐしゃりと表情を歪めたのです。

 同時に勇者様の瞳からは止めどなく涙が流れ、慌てたように癒しの術をかけていました。

 しかし、聖なる剣で傷ついたせいで治る気配はありません。

 泣きながら、喘ぎながら、なぜ君が、いやだ、くそっ、どうして、と嗚咽が聞こえます。


 わたくしは勇者様の近くまで寄りましたが、勇者様の名前を呼んでも、何度も何度も呼びかけても気づかれることはなくて、手を伸ばせばすぐに触れられるというのにその場所があまりにも遠くてただその姿を眺めていることしかできませんでした。

 戦っている間にいつの間にか靴が脱げていたようで生ぬるい何かが傷のついた素足に沁みました。

 まるでそれは勇者様の心にも染みこんで、拭われないように最奥まで穢すようで、わたくしはそれがなぜか嫌になって、心臓がバクバクと早鐘のようになりました。

 勇者様をこの場所から連れ出したくなってまた手を伸ばしても、相変わらずその場所は遠くて、その赤い液体は止まることのなく、好きだと、逝かないでくれ、とそれの名前を何度も、何度も呼んで泣き叫ぶ彼を侵していったのです。

 ―――最後の最期まで。


「好きよ、待っていたわ、私の勇者」


 それが言った最期の言葉。

 まるで今まで縛り付けていた彼の心を、解けないように、また、縛りなおすかのように放たれた言葉。

 たった二言だというのに、わたくしは初めて会った彼女に打ちのめされる気分でした。

 負けた、と。

 その時初めて、この城に来る前に戦ったあの男の言葉の意味が分かったのです。




 勇者様の叫び声がまた遠くに聞こえました。





 わたくしは唇をかみました。

 消えてもなお彼を縛り付ける彼女へのこの感情が分かりません。

 しかし、胸の内に燻っては消えてくれないのです。



 どぉして、彼を放してはくれないの…?


 あなたは、いなくなったのに。














 それから、わたくしたちは、勇者様の国の城に戻りました。

 道中の彼は見ていられなくて、励ましても、なにを言っても俯いてばかりでした。

 魔術師のおかげで予定よりもずっと短い時間で城に戻っても変わりませんでした。


 凱旋のパレードの間も、ずっと、張り付けた笑顔でいました。


 その姿は、可愛そうでなりませんでした。







 その後、王侯貴族による祝賀パーティーが開かれました。

 もちろんわたくしたち勇者の仲間と勇者様も参加しました。

 しかし、勇者様は途中、その場から逃れるように城の庭園へと行ってしまいました。

 きっと気づいたのはわたくしたち仲間だけ。

 一瞬の出来事で、みなには消えたように見えたでしょう。


 わたくしは、追いかけるように勇者様のもとへ向かいました。


 すぐに見慣れた背中を見つけ、声を掛けます。

 手を握ると、振り返った正装の勇者様はこの数年で身長が伸び、顔つきは凛々しくなって、つい見惚れてしまいます。

 やっぱり、わたくしの勇者様だと思って。


 ですから、励ますつもりで言いました。

 過去に囚われないでください、と。


 恋人が亡くなったのは悲しいことだと思います。

 しかし、あれは魔王だったのです。

 人を殺め、配下を操り、魔物をけしかけ、わたくしたちを殺そうとしたこともありました。

 あれらは人ではありません。

 あの凄惨な光景を作り出した魔物なのです。


 だから、貴方様は正しいことをしたのです、と。

 取り戻すために、わたくしの勇者様の心を、あれの楔から解き放たれるように、と。


 わたくしは貴方が好きです。

 一緒に国に来てください、と。


 ―――しかし、勇者様は言ったのです。

 俺は、お姫様を、好きにはならない、と。




 そう言って、去ってしまったのです。

 わたくしの前から。

 この場所から。




 どうして、どうしてなの…?


 わたくしには疑問だけが残りました。













 それから、世界は平和を取り戻していきました。

 復興に向けて沢山の国が助け合います。

 わたくしも自国に戻って、勇者の仲間としてそれに協力しました。


 そして、翌年には国内の貴族と結婚したのです。

 勇者様ではない、人と。

 やがてわたくしは、その人との間に子供も儲け、国に尽くします。



 しかし、いつまで経っても分からないのです。


 物語のように英雄になったのに、あれはいなくなったのに、勇者様の憂はなくなったはずなのに、どうして、わたくしの勇者様は、去ってしまったのかを。

お久しぶりです。

本当に、書いているのが気持ち悪かったお姫様。


物語を夢見て、一人だけ物語を見ていると気付いて、そしてそれに気づいて抜け出そうと思ったけれど、人の本質はそう簡単には変わらない。

結局お姫様は一人で物語の中にいました。

彼女は純粋なんかじゃなくて、自分の嫌なものを見なかったり、避けたり、自分のいいように解釈するだけの子です。

テレーゼの垢を煎じて飲ませたい気分です。

加えて愛されて甘やかされて育ってきたので、自分を好かない人がいるっていうことを知らない。

裏設定ですが、国では『真白姫』と呼ばれていてその意味のまま汚れがないようにそういうものは見せないように育てられました。

きっと勇者の現れた時代じゃなかったら国で夢見る女の子のままでいられたはず。

その国の中では天真爛漫で済んだでしょう。


何度も書いては消して、たぶん1万字くらいはボツにしてこの話を書きましたが、本当に気分が悪いですね。



明日は魔術師を投稿したいですが、まだ描き途中なので微妙です。

申し訳ないです。

活動報告にも書いたのですが、魔術師と、もう一話超胸糞悪い戦争を仕掛けた国の王族視点を投稿して一旦完結です。

その後、ifを投稿したいと思っています。

長らくお待たせしました。

気づくともう一年経っていて天野も驚いています。

もう少しお付き合いいただけましたら幸いです。


感想返しはまた一度完結させたときにでも。


以下は参考までに↓


国A(中堅国) 勇者、魔王、父、弟

国B(大国)  お姫様

国C(大国)  預言者、テレーゼ、戦士

国D(小国)  槍使い

国E(小国)  騎士

国F(中堅国) 魔術師


国Cが国Fに戦争を仕掛ける。

隣国である国Bは警戒する。

国D、国Eともに巻き込まれる。他にも数国参戦している。(同盟を組む国もあり、世界大戦的なことが起きていた)

国Aは国Bと国Cに囲まれているので、結構微妙な立場だった。

神殿からの魔王復活の知らせ


大体こんな感じ。

ちなみに、魔王が倒されたといち早く教えてくれるのも神殿。

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