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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雲の上でお茶会を

作者: 垂氷

 幼い頃を覚えている。産まれて間もない頃の事を覚えているなんて、おかしいと言われた事があるけれど、あれは決して夢じゃない。


 私は気が付けば山の中に居た。

 口減らしの為だったのか、理由は知らないけれど、山の中暗い木々の根元に置かれていた。

 私を見つけたのは、一匹の灰色の獣だった。

 私の匂いを嗅いで、やがて牙の生えたその口でくわえられて、山の奥へと連れていかれた。

 

 岩場の上に降ろされて、その獣が大きな声で鳴く。

 暫くすると、その獣と同じ形のでもずっと大きな獣が出て来た。


 その獣は、白銀の綺麗な毛をしていた。

 皆から父と慕われていたその獣は、私の頬を一つ舐めると、私を抱きかかえるように身体を丸めて温めてくれた。

 鼻先から目まで真っすぐに伸びた箇所で、ころころと良くあやして転がしてくれた。

 良く身体を舐めて拭いてくれた。

 群れの子供の居るメスに言い、乳を与えてくれた。

 兄弟たちの獣とよく一緒になって転がった。


 そこは酷く穏やかで、賑やかで、静かな生活だった。


 そうして私が自力で立てる位になると、麓の村への入口付近へと連れていかれ、取り残された。


 最初は待ち、夜が明けてもその姿が帰って来ないと知ると、寂しさに泣きわめいた。


 暫くすると村から人が出て来た。


 私は言葉など知らなかったから、その時なんと声を掛けられたのか知らない。


 けれど気づけば村の長の娘として、暮らすことになっていた。


 身振りで教えられて畑を耕す。草を編んで縄や籠を作る。皆の話す様子を聞き、言葉を覚える。


 そうやって村の生活に慣れていった。


 村の生活は与えられた服、同様窮屈だった。それにやたらゴワゴワと肌に擦れる。獣たちの毛並みの方がまだ肌さわりが良かった。


 何時でもあの場所へと帰りたかった。


 私が長に引き取られた理由を知ったのは、それから十年が経つ頃。

 二年不作が続いた時だった。


「この時の為に、おみゃぁを育てたんじゃ」


 そう言って、私は村の女衆の手によって磨き上げられ、板の上に乗せられ、山の中頃の開けた場所に連れていかれた。


「この不作は、大神様の祟りじゃ。おみゃぁはよっくと食べられて、大神様のご機嫌を取らにゃぁならん、分かったな」


「……分かった」


 頷いた。


 大神様が誰か知らない。とりあえず、食べられればいいらしい。出来れば食べられる前に、育ててくれた獣とまた会いたいとは思ったが、ここに来る前に踵を切られて立ち上がる事すら出来なくなっていた。

 足を巻いた布を通して沁みた自分の血が、座り込む板を温く濡らしていく。


 元々不作であまりご飯も無く、村の皆が死にそうだったのだ。私には一番ご飯が来なくて、今も既に死にかけている。


 ご機嫌取るのには生きて居なきゃダメそうなのに。


 そんな事を考えながら、去っていく村人を見送りごろりと板の上に転がった。


 いつかもこうして木々の間からこぼれる日差しを感じていた。


 ゆっくりと曖昧になって行く意識の中


「戻って来てしまったか」


そう零す、どこか懐かしい声を聞いた気がした。





 暑い日差しの下、アスファルトの道を行く。すぐ横は田んぼで辛うじてトラクターが通れる幅の舗装がされていた。時折車も通る。


「あっつ~い」


 先ほどまで電気屋で涼んでいたのだが、もう身体の芯まで茹でられている気分だった。


 背中に背負ったバックは水物が入っている分重い。


 それも神社の境内に入れば随分と落ち着いた。日陰を与えるように伸びる木々の枝葉のおかげで、日差しから逃れられ、きっと神社の人がやったのであろう砂利に撒いてある水のおかげで、涼風が通る。

 しかし


「カルキ臭い」


彼らと過ごすと、鼻が良くなるのか。このカルキというのが臭い出してから、もう何十年か。最近では少し落ち着いた気もするが、夏などになると臭いが強くなる気がする。


 年季の入った本殿の脇を通り、山の中へ続く道へと進む。


 彼の希望で伸ばした、長い髪が縛っていても首の後ろに張り付いてウザったい。


 どれくらい分け入ったのか、口笛を吹くとガサリと茂みが揺れてその巨体が急に現れる。


 見上げると、随分懐かしい顔が私を見下ろしていた。


「戻って来たのか?」


「戻って来るよ。あなたの傍が私の家だ」


 返せば呆れたような、嬉しそうなため息が頬をくすぐる。直ぐに臥せって背中を貸してくれるので、そこに乗れば、頂上まで数秒で到着した。


「ねえ、貴方たち、もう絶滅したんですって」

「そうなのか」

「うん。もう仲間いないのね、残念ね」

「そうか」

「寂しくないの?」

「……」

 

 問いかければ、大きな尻尾が私を傍に寄せる。真っすぐなふわふわの尻尾。手入れはしっかりしてくれているようだ。


「ね、大神様、私、空に行きたいわ」

「分かった。乗れ」


 軽く伏せた彼は、直ぐに私を乗せると暑い日差しの下を空へと向かう。自分で上がれない事も無いが、速さが違う。何より、彼と共に行くことに意味がある。寒さが感じる辺りで足を止めると、ここで良いかと振り返る。

 

「今度のね、お邪魔していたおばあちゃんのお家が、お茶の先生をしていたの。あなたにもご相伴させてあげるわ」

「……おちゃ?」

「そう。茶箱を形見分けに頂いたの。お湯は水筒に用意して来たわ。最近のは凄いのよ。ずっと温かいの。人の世界の流れは速いわ、だから降りるのを止められない」

「その分、私は取り残されるのだが」


 いつの間にか、同種が消えていき一人になった彼はそう言ってくるりと丸まる。


 彼と共に居たくて、彼と同じになりたくて、必死に足掻いて、ボロボロになって気づいたら人をやめていた。

 大神様は私の足の傷を治す時に力を注ぎ過ぎたのかも知れない、と耳と尻尾を垂らして言っていたけれど、それなら私は感謝してもし足りない。

 

「私が居るわ。どこへ行っても帰って来る」


「私の子供たちもそう言って、どこかで亡くなって消えていった」


「私は死なないわ、もう死ねないもの」


 私たちは人の言う、妖怪なのか化け物か。何でも良い、彼とこうしていられるのなら。


 雲を畳代わりに座って、席入りは省略してしまう。彼の顔の左側に陣取って、何度も繰り返した手順を思い出す。

 帛紗をさばき、箱の蓋を拭き、道具を取り出し、お茶入れをさばき、と手順を思い出しながら進めていく。


 数年、孫として転がり込んだ家での、優しいおばあちゃん先生の事が思い出される。稽古の時は鬼だったけど。


 古帛紗の上に茶碗を乗せて差し出すと、伏せていた彼がキョトリと瞬く。


「飲んで」

「小さすぎる」

「……飲んで」


 じっと見つめると、ため息とともに両足の間に両手を揃える座り方をして顔を下げた。


「お点前頂戴します、というのだったか?」

「良く知ってるね」


 驚けば、ふいと視線を逸らされた。


「災いが、君に来ぬように耳は澄ませていた」

「ふふ、そう」


 笑えば、鼻先に皺が寄る。可愛い。

 ベロリと一舐めで器の中を綺麗にしてしまった、彼の前から茶碗を回収し手順通りにしまっていく。建水なんて無いから、そのまま空に零す。どうせ下に着く前に霧になるだろう。それに下は山の奥。誰も居ないだろう。


「ねえ、大神様。私ずっとこうしたかったわ」

「うん?」

「この空の上、あなたと二人きりで、お茶を楽しみたかったの」


 ゆっくりと茶碗を茶巾で清め、茶巾をしまい、古帛紗を茶碗の中にしまい、そこに茶入れを戻す。大神様に道具拝見とかは無理だろうから、最初から飛ばしてしまってしまう。

 その様子をジッと見つめて来た彼を見上げて、私は笑った。


 彼が一舐めで飲んでしまった事を、済まなく思う顔をしていたから。


「先生が言ってました。お茶は型は無く、その空間を楽しませる側と楽しむ側の持て成し合いによって成り立つ、共有する時間を楽しむための作法だと」


 最後に箱の蓋をしめて、リュックの中に戻す。


「だから……」


 代わりに今度はアツアツの煎茶を入れた水筒を取り出して、彼をペしペし叩いてうつ伏せにさせてそのお腹によっこらしょと言いながら背中を付けて座る。飲むか聞くと断られた。元より私たちは食事を必要としなくなっている。時折、清水を飲み山の恵みを頂く事があればそれだけで十分なのだ。


「こうしてあたなと一緒に居れる、今私は幸せだよ。大神様は?」

「私は、君が居てくれるだけで良い」

「ふふ、それで、こうして二人でお茶を飲み合っているならきっとこれは」


 のんびりと太陽だけが空に居座る空を見上げる。


「素敵なお茶会なんだ」


 ふわふわに見える雲の上、世界は私とあなただけ。

 暑い日差しは、涼しい空の上でやり過ごし、のんびりあなたとお茶会を。


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