プロローグ
夜更け、ぼんやりと月明かりに照らされ、静かにそよ風が吹いていた。
その風に乗って、甘く、そしてほんのりと酸っぱい香りが、マスクをしているにも関わらずどこからか香気を放ち自分の嗅覚を優しく刺激していた。
ここはアーマレロ王国の城の庭園。
庭園とは言っても普段は誰も立ち入ることもできない場所。
なぜ自分がここにいるか、それは盗賊だからである。
警備のないここは、安全ルートだった。
とは言うが、今日初めてこの城に盗賊として忍び込んだ。
目的はもちろんお宝。でもそれはお金に困っているこの国の人達に渡し、少しでも喜んでもらえるように、と。
義賊という行為が善か悪かは分からない。しかしこうして行動をしている。
見張りの警備網をなんとか潜り抜け、そして現在たどり着いたのがここなのだ。
初めてのことなので、胸がドキドキと鼓動を打ち、緊張している。
失敗してしまえば終わり、しかし焦ってもよくない。
『少しだけ、ほんの少しだけ休憩しよう』
心でそう呟くと、すぐ近くにあった大きな木の下へと誘われるように近づき、そしてその木へと身を潜めるように背中を合あわせ、芝生の生えた地面へと腰を下ろした。
ふぅ。と小さくため息をついた。そのとき。
「だれ──?」
まるで鈴の音のような透き通った少女の声が自分の座っている木の反対側から響いた。
「え──っ」
だが、『ばれてしまった !!』と思い、焦りのあまり何も答えることができなかった。
すると、少女の立ち上がる音が聞こえ、自分の前へと歩いてやってきた。
すっかり体が固くなり、顔だけが少女を見上げていた。
逆に少女は立ち上がった状態で黄蘗色の腰まであるふわりとした長髪をたらし、白いワンピースに身を包み自分を見下ろしていた。うっすらと月明かりによって顔が照らされる。
揺れた髪の毛からはどこか甘酸っぱい香りがする。
マスク越しにゆっくりと口を開く。
「僕は──」
「あなたは盗賊なのでしょ?私はなにも見てませんよ?」
少女は自分の言葉を遮り、遠回しに、見逃してくれる(?)とでも言うような発言し優しく微笑んだ。
「えっと…なんで盗賊って?それにいったい君は」
なぜ、だれも入れないはずの場所に少女がいるのか。と疑問が頭に浮かんだ。
「私は…きっと誰も知らないでしょうが、この国の姫なのです。あなたが盗賊だってこともすぐ分かりました。あなたの心、読めちゃいますから」
「お、お姫さま…?まさかそんな──それに心が読める…?」
この国に姫がいたなんて話聞いたこともない。少し驚き動揺してしまった。そしてなぜか心を読まれたことにも。
「ごめんなさいっ。いきなりそんなこと言われても信じられませんよね…私のことを知ってる方なんて家族しかいませんし…」
涙目で両手を胸の前で組んで少女は告げる。
「ううん。今、僕が知ったよ。初めまして姫さま。ところでなんでこの国には姫がいないことに──?」
「信じて頂けるのですかっ。とても…嬉しいです。私、物心ついた頃から人の心が浅くなのですが読めるようになっていたのです。それをお父様は不気味がってしまって私に冷たく…そして存在すら──ただ、難なくこうして生活はさせていただいています」
俯いた姫の悲しげな表情に言葉が出てこない。何て言えばいいのだろう。
「あの、あなた盗賊なら何かを奪いに来たの…ですよね?」
沈黙を破るように姫は口を開いた。
「まぁ、そ、そうなるね」
そう答えると、ゴクリと、姫は唾を飲み。そして──
「あなたにお願いがあります。今回のことは誰にもバラさないという交換条件をつけます」
交換条件…と?
「分かった。そのお願い聞かせてもらうよ」
そう告げると、数秒間が空き、少しの間沈黙が続く。
姫はゆっくりと自分を見つめ口を開くと──
「どうか…私をここから奪っていただきたいのです──ッ」
なるほど。…って。ん?
『誘拐してくれ』と遠回しに言われた。
頭の中は姫の言葉を受け入れるのに時間がかかり、ポカンと口を開ける自分、そして返事を待つように自分を見つめる姫。
二人の間の沈黙を絶ちきるように、腰掛けた木から黄色いリンゴが自分の頭へと落下してきた。
その香りは姫と同じで、とても甘く、そして酸っぱいものだった。