その六 導く槍梅
「は、はぁ~……?」
「ごめんね、びっくりさせちゃったよね」
しばらく混乱していた雅雪だが、少し踏み込んだ説明をもらいなんとか気を持ち直していた。
「まだ信じられないですけど、本当に男の子なんですね?」
「そうだよー」
「オカマ、とかではなく」
「うん。女の心を持っている、てわけじゃないしね。ボクはただ、自分に似合う服を着てるだけ」
ほら、ボクってかわいい顔してるでしょ。そう言い切る鈴悧は、雅雪の質問に気を悪くするでもなく、淀みなく答えてくれる。
それでも完全に理解できたわけではないが、雅雪も鈴悧が女ではなく男である、ということはわかった。
と、同時に、自分がとんでもない勘違いをしていたことにも、だ。
「あ、次は伊達締めをして……こう、前の中心で合わせたら後ろで交差させて、そうです。最後に帯板をつけて完成です」
会話をしながらも作業の手は止めなかったため、予想外のタイムロスはあったものの、時間がかかりすぎたということはなかった。
「すっごい可愛いですよ」
浴衣を着た鈴悧は驚くほど可愛かった。しかし喜びはしゃぐ雅雪に対し、鈴悧は不満そうに唇を尖らせた。
「これ、地味じゃない? もっとピンクとか、かわいい色とか柄とかのほうがさ」
「そんなことないです」
鈴悧の一言をきっかけに、雅雪は今まで抑えていたものを吐き出すかのように喋り始めた。
「その柄は花喰鳥といって、ササン朝ペルシャでの文様が原型になっているんです。花や樹枝をくわえてはばたく鳥が描かれていて、〝鳥が幸せを運ぶ〟という意味から縁起がいいと言われ、吉祥文様として用いられているんですよ。
確かに薔薇や牡丹といった華やかな柄に比べると地味に見えますが、この鳥の周り……この小さく散りばめられた花や蔦の表現は、一般的に出回っている大きな花などに勝るとも劣りません。
それに、れいちゃん自身がとても可愛いので、浴衣はこれくらいの色で抑えたほうが引き立つんです。ほら、薔薇に薔薇を加えても、主役がどれかはわかりにくいでしょう」
今までにない勢いで語る雅雪に鈴悧は目をぱちくりとさせ、それから小さく吹き出した。
「ふふ、本当に好きなんだね。でも、確かにそう言われるとかわいいかも」
「でしょう? 本当に似合ってるよ」
気がつけばすっかり敬語がはずれ、友達と話すように鈴悧と会話をする雅雪。久しぶりに好きなことを語れることが嬉しくて、遠井がいることも頭から抜け落ちてしまうほどだ。
「ちょっと雅雪? 今日はないはずだけど、なにして」
そこへ教室の確認に来たのだろうか、桜子が顔を出した。
「あっ、桜子さん。お邪魔しています」
「おおっ、美人さんだ」
二人の挨拶を聞いても桜子は動かない。ビシリと固まり、視線は浴衣姿の鈴悧にまっすぐ向けられている。
鈴悧も当たり前だがそれに気付き、小さく首を傾げると――
「かっわいい。なにこの子、お人形さんみたい」
桜子は勢いよく鈴悧に近付き、それはもう上機嫌に話しかけはじめた。
「はじめまして、私はこの着付け教室『ハラハナ』の店主、夕陽坂桜子です。あなたは? 雅雪のお友達?」
「はじめまして、ボクは花幸鈴悧。雅雪ちゃんとは兄貴を通して知り合いました」
「やーん、本当にかわいい。浴衣姿がここまで似合う子は初めてよ。どうせなら髪結いたくない? ついでに巾着とか下駄とかも用意したくない?」
思わず誰これ、と呟いてしまうほど、桜子は鈴悧にデレデレだった。雪太郎の前だとこんな感じだが、それを別の人にやっているのを見るのはこれが初めてである。
きゃっきゃとはしゃぐ桜子と鈴悧は、どうやら相性抜群らしい。あっという間に意気投合し、気付けば「新しく入れる着物の柄を一緒に選びに行こう」とハラハナを後にしていた。
嵐のように去っていった桜子と鈴悧にぽかんとするが、そこで雅雪はあることを思い出す。
今自分は大事な、それでいて大変な状況にいるのではないだろうか。
「雅雪ちゃん」
「わぁっ!」
後ろからかかった声に思わず肩が跳ねる。いくら一方的とはいえ気まずくても、自分には謝らなくてはいけないことがあるだろう! と心の中で喝をいれ、雅雪は遠井に向き直った。
「遠井さん、この間はすみませんでした」
「へ」
いきなり頭を下げられた遠井は間抜けな声を漏らしたものの、土曜日のことを言っているとわかると微笑み、「気にしてないよ」と答えた。それでも、と言い募ろうとする雅雪を制し、遠井はゆっくり口を開いた。
「俺ね、片思いしてるんだ」
突然語り始めた遠井。その言葉に雅雪の心はじくりと痛んだが、それでも止めるべきではないと無言で続きを促す。
「好きになったのは三年前。俺ね、これでも昔はやんちゃしてたから、怪我することも多かったんだ。その子と初めて会った日も怪我してたよ」
懐かしむように話す遠井。そこでふ、と雅雪から視線が外れる。
「すれ違う人皆が見て見ぬふりをしてる中、一人だけ声をかけてきた女の子がいた。肩くらいまでの黒髪で、すっごいハキハキと喋る子でね。大丈夫ですか、って聞かれて、でも無視してたら『これ使ってください』ってハンカチを渡された。押し付けるに近い形だったけどね。その子はすぐに帰っちゃった。……どこの誰かもわからない、そんな女の子に俺は恋をしたんだ。叶わないだろうな、と思ってたけど、やっと、三年ぶりに見つけた。会うことができた」
そしてまた雅雪と目を合わせ、にっこり笑う。その笑顔はいつになく穏やかで思わずどきりとするものの、何故そんな話をされたのかはわからない。
「その様子だと、わかってないよね。――これ、なーんだ?」
笑顔に呆れと、それ以上に嬉しそうななにかが加わる。
遠井はポケットからくたびれたハンカチを取り出した。雅雪の目の前まで持っていくと、その模様が目に入る。
――それは槍梅柄だった。くたびれていて、そしてそれは紛れもなく
「それ……」
かつて雅雪が大切にしていたものだったのだ。
瞬間、脳裏にいつかの記憶が蘇る。誕生日プレゼントの一つとして買ってもらったハンカチ。目の前にふらふらとする少年。それから、自分は……。
「わかったかな」
そうか、と思う。
私はこの人と会ったことがあるのだ、と。
呆然とする雅雪を見て、遠井は静かに笑っていた。