その三 軋む
「お父さんてば、お客様の前でも構わずお母さんにべったりだから、私が恥ずかしくて。それにお母さんもお母さんで満更じゃなさそうですし」
「そんなに?」
「そんなになんです、無駄に仲良しなんですよ! いい年した大人がー、って思うんですけど、二人とも見た目がいいから『目の保養だわ』なんて許されてて、そのせいで一向にやめる気配もなくて!」
「あー、なるほど。でもほんとに珍しいね。普通、もっとギスギスしたりすると思うんだけど」
「んー、確かに仲がいいのは素敵ですけど、良すぎてもなぁって」
「娘ならではの悩みだね」
「そうですねー」
戸惑いながらも遠井の誘いに乗った雅雪は、気付けば随分と打ち解けていた。というのも遠井は聞き上手で、話していてとても気持ちがいいからだ。二人が自己紹介を済ませ早数十分、会話は途切れることなく続いている。
「あ、そういえば遠井さん。なんで木の根元にいたんですか?」
ベンチもあったのに、と不思議に思っていたことを尋ねると、遠井は「んー」と声を漏らして、一拍間を置いてから話し始めた。
「俺ね、日向ぼっこが好きなんだよ。で、寝るのも大好きなんだ。それでー、えっと。今日、すごくいい天気だろう? そしたら丁度、公園にいーい感じの昼寝スペースがあるじゃないか、と」
自分でも、なんであそこにいたのかは詳しく覚えてないんだよ、と苦笑しながら話す遠井に、雅雪は思わずぽかんとした。
最初は「優しい人」。その次は「怖い人」。そして今は
「遠井さんて、おもしろい人なんですね」
そう言ってから、思わず顔の筋肉が緩む。しっかりしてる人なのかなとか、怒らせないようにしようとか、考えていたことは沢山あるはずなのに、今では「一緒にいて楽しい人」になっている。それがなんだかおかしくて、雅雪はクスクスと、さっきの遠井のように笑い始めた。
「でもさ、雅雪ちゃんだってお昼寝は好きだろう?」
「大好きですよー! 休みにもよくしてますし、学校用に槍梅柄のミニ枕だって用意してます!」
「学校用?」
驚いたように声をあげる遠井に、雅雪はにこにこと上機嫌に説明する。
「はい! お昼休みによく活躍してますね」
「へぇ。……ねえ、槍梅柄って?」
「あ。あのですね、こういう模様なんですけど」
そう言うと、雅雪は携帯を取り出し画像フォルダを探し始めた。
「えーと、あ。これです。真っ直ぐ伸びた枝に、丸っこい梅の花とか蕾があるのがかわいくて」
指差された画像を見た遠井は「ああ」と納得したように頷く。
「見たことあるよ。かわいいよね」
「そうですよね。枕のほかにも巾着とかお弁当の箱とか、いろいろ持ってるんですよ。枕もなー、見ててうっかり眠くなっちゃった、て時も安心ですし。こないだも授業中……」
「……寝たの?」
「……悪気は、なかったんですけど」
話の流れでうっかり自分の成績がよろしくないことを話してしまった雅雪は、遠井の「勉強会やる?」という誘いに、喜んで返事をした。今思えば図々しかったな、とも思うが、遠井も嫌ならハッキリ言うだろうと自分を納得させることで解決した。
そして迎えた勉強会当日は、苦手な教科を相手にしても楽しかったと言えるほど充実したものだった。
遠井の教え方は非常にわかりやすく、また途中で入る雑学もおもしろいものだったのだ。
彼が高校三年生だと分かった時は焦ったが、それでも話が楽しいことに変わりはない。
(これはあれだな。遠井さんのことが気になったのは、いきなり謝られたからだ。んで、その原因がすっきりしなかったからあんなに考えちゃったんだな)
自分の中の問題も無事解決し、雅雪は跳ねるように家への道を進む。
「ん? って、あ」
あと五分も歩けば着くだろう、と歩いていると、雅雪の前にきらりと輝く何かが目に入った。それはつい最近も見た武田で、しかし公園の時と違い、彼は背中を向けているため雅雪には気付いていない。
ということは、彼の進行方向も雅雪と同じということだ。
フラれたと認められず、復讐に……?
まさかとは思うけれど、あり得ないわけではない。止めようと慌てて近づき声をかけると、バチリ、と目が合った。
お母さんに迷惑かけないでよ。怒鳴るつもりで口を開くが、彼は「またてめえか」とこぼすだけである。
嫌そうに顔を歪めてはいるが、そこに憎悪の色は見えない。むしろ「なんで話しかけて来た」と言いたそうで、なんだか毒気が抜かれてしまい、出てくるはずだった言葉はしゅるしゅると喉の奥へ沈んでいく。
「なんで、お母さんを好きになったの?」
気付けば、自分でもいきなりだと思う質問が口を出ていた。武田は「はぁ?」と聞き返すが、聞いたのにびっくりしている雅雪の様子を見て、怒る気が失せたらしい。
「怪我をしたとき、心配してくれたのが桜子さんだった」
と簡潔ではあるが答えてくれた。
普通に返してくれるなんてと思いつつ、けれどその答えを聞いてもう一つ知りたいことができる。
「そんなことで好きになったの?」
それには無言で頷くことで肯定する。その感覚はうまくは理解でいないが、なんとなく、思っていたよりいい人であるらしい、とはわかる。
「なんか意外。でも、あなたとも仲良くなれそうで嬉しいな」
それは素直に嬉しくて、雅雪はにっこりと微笑んだ。しかし、武田はそうは思っていないようだ。眉間の皺を更に深くさせ、けれど怖いだけではない、もっといろいろな感情が混ざったなんともいえない表情を浮かべた。
「もういいだろ。それに、オレは殴ってきた奴と仲良くする気はねぇよ。――まぁ。桜子さんには、謝っといてくれ」
そう言い、雅雪が歩いてきた道へと足を進める。帰りもそっけない、というか仲良くする気はないとまで言われたけど、進歩したことに変わりはない。
遠井にも武田とのことを報告すると、「よかったね」と自分のように喜んでくれた。それがまた嬉しくて、雅雪は寝るまで笑みを抑えられなかった。
「たけちゃんだー!」
「うるっせぇな、騒ぐんじゃねぇよ」
あれから遠井、そして熱烈なアプローチ(という名の質問攻め)のおかげもあって武田とも距離を縮めた雅雪は、公園でよく会うようになっていた。基本遠井と二人だが、たまに来る武田とも親しく会話――といっても雅雪が一方的に話しかけている感は否めない――できるようになり、ハラハナでのバイトも合わせ毎日がキラキラしているように見えた。
あれだけ悩んでいたにも関わらず現金なものだ、と雅雪は自分でもおもしろいと思うのだが、それでも嬉しいことに変わりはない。
「こんにちは、雅雪ちゃん」
「遠井さんもこんにちは!」
遠井との挨拶も慣れたものだ。戸惑いはなく、「なんで悩んでいたんだろう」と不思議に思うほどである。
あの一件で桜子は雅雪に、ハラハナのバイト時間を減らすよう提案した。最初は反発した雅雪だが、仕事ぶりのことを指摘されると何も言えなかった。自分でも今の状態の方が動けるのは自覚しているので、「とりあえず、しばらくは様子見で」の言葉に渋々ではあるが納得したのだ。
「そういえばですね、私気になることがあるんですよ」
「はぁ? そんなん今言うことじゃないだろ」
「だって、今じゃなきゃ聞けないんだもん」
武田が眉間に皺を寄せる。遠井が笑ってそれを制し、質問はなに? と尋ねた。
「二人の恋愛経験を聞きたくて」
一瞬の静寂。
「ケンカ売ってるだろ。買うぜ?」
あ、と思ったときには遅かった。武田の顔は一人くらい“やっちゃった”人のようで、それはもうすごい迫力だ。
「いやっ、違うから! お母さんがね」
「……桜子さん」
慌てて桜子の名前を出すと、武田はパッと元の顔に戻る。
その様子に思わず「うわぁ」と反応してしまったものの、遠井の促しの力を借りて話を続けた。
「そう、お母さんがね、『雅雪も恋しなさいよ』ってしつこいの。でも、いきなり恋愛しろって言われても。だったら身近な人に聞けばいいんじゃないかなー、と思って」
説明された二人の表情は正反対だ。武田は嫌だが断れないというような複雑な顔をしているが、逆に遠井は「おもしろそうだね」とにこやかである。
「話すのは構わないけど、どうしてそんな流れになったの?」
遠井の疑問は確かに気になるところだろう。雅雪はそう思い、恋の経験がないこと、それを桜子に「おかしい」と言われたことを説明した。
珍しそうに雅雪を見る遠井もだが、武田の哀れみを含んだ視線はなかなか居心地が悪い。
「じゃあ、たけちゃんからどうぞ!」
この空気をどうにかしようと声をあげる。最初に指名された武田は嫌そうに、けれど桜子が関係しているため渋々と口を開いた。
「ちっせぇ頃に一回と、桜子さんに一回。これでいいだろ」
言われてみれば当たり前だが、武田も二回は恋の経験があるのだ。おお、と思わず声がもれる。
桜子の話はわかるから平気だが、「ちっせぇ頃」というのがとてつもなく気になる。それは初恋であるはずで、どんなエピソードがありどんな結末を迎えたのか是非聞きたいところ……ではあるが、これ以上は喋らないというように、武田は口を固く閉ざしてしまった。
それもしょうがないか、と雅雪は思った。
「じゃあ、遠井さんはどうなんです? 今までにどんな人に、こう、ふわぁ~っとなりましたか?」
「雅雪ちゃんはおもしろい表現を使うよね」
『好き』という単語を隠したことを言っているのには、雅雪だってすぐに気付いた。けれどそういう単語を恥ずかしく思ってしまうのは今に始まったことではない。それは自分でもわかっているので、小さく口を尖らせるのみで留め続きを促す。
「俺かー。俺の恋……いつだっただろう」
悩み始めた遠井に、雅雪の心臓が微かに早くなる。その感覚は初めて経験するもので、なんだろうと小さく思う。けれどここで話を中断させたくない、と相槌を打ち、遠井の言葉を待った。
「初恋は幼稚園だったかな。なんかね、すごい好きな子がいたんだよ。で、あの頃はその子に毎日ひっついてたし、離されると泣くもんだからいろんな人にしょっちゅう迷惑かけてたな。まぁ今では理由も覚えてないんだけど……」
思い出すように語られる可愛らしいエピソードに、思わず笑みが浮かんでしまう。
「いいですね、すごい可愛いと思います」
「女の子に可愛いって言われてもねー。……でも、最近、俺も恋してるんだよ」
――え、
視界が、一瞬真っ黒に染まった。
「あ、そう、なんですか?」
「うん。その子とはしばらく会えてなかったんだけど、この間偶然再会できて。前から好きだったからすっごい嬉しいよ。ちなみに、片思い暦三年目に突入しました」
にこにこと笑う遠井はいつもと同じように穏やかだが、その表情は今までにないくらい幸せそうなものだった。それは見ているだけで本当にその子のことが好きなんだ、とわかるほどで、素敵な笑顔と思う。
なのに、この胸に広がるもやもやはなんなのだろう。
「わ、わぁ。遠井さんて一途なんですね」
「ありがとう。でも、そんなことないよ。その子以外にいい人がいたら乗り換えるだろうし」
「え、でも三年も好きなんですよね。十分すごいですよ」
なんだろうこれは、と必死に気付かないフリをする。
自分から聞いたのに、私が嫌がってどうするの。
キリキリ、とどこかが鳴る音がする。けれど、それはきっと気のせいだろう。
……気のせいでなくては、いけない。