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思わぬとこから芽は育つ  作者: 櫻乃 郷
2/8

その一 新たな生活、そして再会

「雅雪ちゃん、合格おめでとう。後で制服姿の写メ送ってね! お祝いは何がいいかな、ケーキ? クッキー? それともシャンパン? ああもう、仕事なんてしてる場合じゃない! 今すぐ会いに行くからね! あっ、今から帰るって桜子にも伝えて! じゃ!」

 ……なんて父から電話があったのが三ヶ月前。雅雪は無事志望校に合格し、新たな生活を満喫していた。

 しかし、雅雪の思う満喫は、所謂「女子高生」とは離れている。あの俳優がカッコイイ、あのドラマが素敵でね、というような女子特有の賑やかさもそこそこに、中学時代よりも深く、着物にのめりこんでいるからだ。

 というのも、着付け教室の正式なアルバイトとして動くことを、やっと許されたからである。

 雅雪は中学の頃から(遡れば産まれる前からだが)ハラハナへ顔をだし、簡単な接客やお手伝い、時には着付けを教えることもあった。しかしそれはあくまで「桜子の娘」、母のお手伝いとしての立ち位置で、だ。

 そこで提案されていたのが「自分が行きたいと思った高校をきちんと選んで、そこに合格できたら正式に雇う」というものである。雇われる形がアルバイトであっても、雅雪はその言葉を心の支えに苦手な勉強に打ち込んだ。その結果が今である。

 学校が終わればハラハナへ。それが高校生活のスタートと同時についた習慣だ。

 それは今日も変更されることなく、雅雪は急ぎ足でハラハナへと向かっていた。

 学校からもそう遠くないビルのエレベーターに乗り込み、『4』を押す。途中で乗る人もいなかったため、目的地へすぐに辿り着いた。

 扉を開け、小さく「こんにちは」と挨拶。まだ着付けを教えている時間のため、返事はない。

 雅雪は仕事着に着替えるため、できるだけ足音を忍ばせ移動する。急いで着替えを始めるが、いつもとなにかが違うことに気がつく。

「ん?」

 顔をあげるが部屋に変なところはなく、はて、と小さく首を傾げた。気のせいか、と再び手を動かす。

「桜子さん!」

 聞こえた声は、スタッフのものではない。まさかトラブル!? と慌てて立ち上がり、中途半端な状態ではあるが教室へ向かう。

 ハラハナ内では苦情や対応などのトラブルは桜子、少し強さが必要なものは雅雪、という担当になっている。すごく強い、とは言えないが、かつて通っていた空手道場での経験を活かした仕事だ。

 着付け教室ということもあり、厄介な立場の人が来ることは滅多にない。そのため、屈強な男でない限り、警察が来るまで持ちこたえられる。雅雪は特に怖がることなく声のほうへと駆けていった。

(そういえばあの声、どこかで聞いたような)

 少しの移動の間に、雅雪はふとそう思う。けれど考えたところでどうしようもない、と勢いよく扉を開ける。

 スパンッ、と引き扉特有の音が響き、それと同時に教室内の様子が飛び込んできた。

「…………あっ!」

 そこにいたのは、雅雪が中三のあの日、桜子に告白していた少年だった。

 雅雪は思わず声をあげるが、少年は気にせず、視線は桜子へ向けたままだ。桜子は、当たり前だが雅雪に気付き、「早くなんとかしなさいよ」と訴えている。

 言われなくても、と雅雪は小さく頷いた。あの日から、対処について勉強したのだ。ずんずんと大股で少年に近付いていく。

 お客様はぽかん、と成り行きを見守るだけだ。こんなことがなければ楽しい時間だったはずなのに、と思うと、雅雪は腹の内側がじわじわと燻られているような感覚を覚えた。

「お客様」

 しかし、いくらイヤだと思っても、最初から武力行使に出るわけにはいかない。できるだけ冷静に、と声を少年に声をかける。

 ――が、反応はナシ。

「お、お客様?」

 これは、流石に、いくらお客様だからって。

 ムッ、となるが、表情に出さないよう務めもう一度声をかける。けれど少年は気にしない。まるで聞こえていない、というような態度に、内心「なんて人だ」と悪態をつく。

「桜子、さん。もう一度、聞いてください」

 もう一度声を、と口を開いた丁度その時、少年が静かにそう言った。外見に似合わず丁寧な言い方だったため、なんとなく不思議な感じがした。

 こっちは営業中だよ! 

 とは思う。けれど手を出すのは簡単だとしても、そうなると悪いのは雅雪、ひいてはハラハナが、となってしまう。それはなんとしてでも避けなければいけない。

 それに、彼が話しかけたのは桜子だ。

 桜子は女性そのもの、という体をしており、体力も見た目の通りである。けれどそれを補いきれるほどの話術を持っていた。その上、彼女の顔はとても美しい。人は美人の言うことに耳を貸しやすく、そして桜子もそれを知っている。だからこそそこを突き、的確かつ無慈悲な言葉も平気で言えるものだから恐ろしい、と雅雪はよく考えている。

 敵意がなければ物理的な被害はないだろう、と、雅雪は桜子の方へ目をやった。

 雅雪の視線を受けた桜子は驚いたように目を丸くした。ちょっと、と焦ったように雅雪を見つめるが、彼女がなにを言いたいのかわからない。

 桜子の視線は気になるが、雅雪は少年の行動を見守ることにした。彼が手を出したとしても対応できるよう、それとなく警戒は怠らない。

「お久しぶり、ス。今日は、どうしても伝えたい、ことがあって」

 慣れていないのか、途切れ途切れに出てくる言葉たち。

 この様子なら、手をあげる心配もないだろう。

(それよりも、これは一体?)

 彼に敵意がないのはわかっているが、何故ここに来たのか、まではわからない。

 なんだろう。あの時は、こ、ここ、こくはく、しに来ていたけれど。

 静かに理由を考えていると、少年に動きがあった。手が動く。そして、向かう先は――

「え!?」

 思わず声が出てしまう。

(え、えぇ!? なんで! なんでお母さんに触ってるの!?)

 なんと、少年は桜子の手を包むように握ったのだ。

 雅雪は動揺を隠せず、激しく目線を泳がせはじめた。あっちへキョロキョロ、こっちへキョロキョロ。目の前で男女――二人は甘い関係ではないが――が手を取り合う姿は、雅雪からすれば信じられないものだった。出かければ、勿論どこかしらでこういう光景を見る。けれど、雅雪は「手をつなぐ」という行為は人前でするものではないと思っている。(雅雪の恋愛観はひどいもので、学校の友人からも呆れられるほどである、というのは余談だ)

 一人であたふたしている雅雪だが、いつまでもこのままではいられない。

「な、なにしてるんですかー!!」

 着物を扱う神聖な場所でなんてことを!

 と、勢いあまって近くに置いてあったお盆を掴み、そのまま少年の頭めがけて振りおろした。バコン、と鈍い音をたて見事狙った場所に命中すると、シン、と一瞬静寂が訪れる。

 殴られた少年の動きが止まっただけでなく、雅雪自身も「やっちまった」感でいっぱいになってしまったのも原因として挙げられるだろう。

(武力行使はいけないって思ってたよ! わざとじゃないんだよ!)

 誰に聞こえるわけでもないが、心の中で必死に言い訳を重ねる。

 ああ、これは後で説教コースだなぁと既に焦りでいっぱいだが、やってしまったのだからしょうがない。

 とにかくそれ相応の対応をしなければと、雅雪は少年の前に立つ。

「……てめぇ、今なにしたかわかってんのか?」

「あの、それに関しては申し訳ないとしか言えないのですが……。でも! 今は営業中なんです! それに、その、女性のてててて、手を! 許可なく握るのだって良くないことでしょう!」

 その言葉に少年は「は?」という顔をしたものの、すぐにぎらりと鋭い視線で雅雪を射抜いた。

「んなこと関係ないだろ! オレは今、大事なことを伝えようとしてんだよ!」

「はい!? そんなことって、これだって大事なことでしょう!」

 そう食い下がると、少年は苛立ったように腕を振り上げた。反応できないほどではないと判断し、一瞬ではあるが彼の動きに目を合わせる。

 右腕、となればかわすなら――!

 ――と。

武田(たけだ)ぁ! いい加減にしろ!」

 弾丸のような声が耳に激突した。

 相対していた二人の動きが止まる。慌てて声の方を振り向くと、あの日の青年・遠井が不機嫌な顔をしてこちらへ向かってくるのが見えた。見た目はそこまで変わっておらず、すぐに「あの人だ」とわかった。だが、纏う雰囲気があまりにも違う。「本当に?」と疑いたくなるほどだ。

 遠いはあっという間に少年――武田、と呼ばれた彼――の元へ辿りつき、雅雪から距離を置かせるように間へと入り込んだ。

 武田は何故、と強い視線を向けているが、遠井も負けてはいない。それ以上の目力で武田を睨むと、なにかを抑えるように、静かに口を開いた。

「ねぇ、武田はさ、半年前も同じことをしたよね? あのあとさ、自分がなんて言ったか覚えてる?」

 声はひどく冷静だった。けれど同時に、ひどく冷たいものでもある。

 武田は一瞬、目を泳がせたが、すぐに先程と同じような強い目線を遠井へ向けた。

「周りを見る。自分の気持ちを、押し付けない」

 噛みしめるように呟かれた言葉を聞くと、遠井の顔はより難しいものになっていく。

「覚えてるよね。だったら、これは一体、どういうことなの? ……しかも、女の子に手あげてるしさ」

 遠井がそう尋ねると、武田は先程の勢いをなくし、少しうつむきながら話し始めた。

「それ、は、言い訳もできないスけど……。どうしても」

「ふうん。もう一度想いを伝えかった、てわけね?」

 武田の言葉を遠井が引き継ぐ。その通りだったらしく、武田が小さく頷いた。

「桜子さんは覚えてないだろうスけど、俺にとって、かけがえのないものを貰ったんだ。好きだ、って思って、でもあれくらいで諦められるわけないッスよ! しかも邪魔されるなんて……遠井さんだってわかるだろ!?」

 自由になった桜子は、彼らから一歩引いた場所で成り行きを見守っている。ここで仲裁してもいいのだが、桜子本人もこの会話に興味を示しているのだろう。お客さんはどうしているのかと言えば、こちらもじっと見守るだけだ。恐怖している様子はなく、彼女達もまた、桜子のようにどうなるのか、と少し目が輝いている。

 店の対応としては止めるべきでしょうよー、と雅雪は思うが、これ以上動いて厄介なことになるのはごめんだ。とりあえず、とすぐに動けるよう身構えつつ、どうなるかを見守るにとどめている。

「……武田さ、桜子さんがお前に迫られてたときのこと覚えてる?」

 遠井がゆっくりと訪ねたその言葉に、武田はぐっ、と唇を噛んだ。

「わかってるんだよね。俺にだってすぐに想像できるよ。なんで? とか、困惑してたでしょ。当たり前だよね、桜子さんは、武田のことを『いきなり告白してきた少年』としか覚えてないだろうし」

 続く言葉は辛辣だ。武田も言い返せず、唇を噛みしめ続けている。

 と、フッ、と遠井の周りの空気が軽くなる。

「お前は身勝手なの。いきなり告白されて、『はい付き合いましょう』なんてあり得ないだろう? お互いが好きになるっていうのは自分一人じゃできないし、一人よがりでもいけない。……はい、今の話におかしいところは?」

「…………ない、ッス……」

「しかも、だよ。邪魔されたって言ってたけど、だからといって暴力に訴えるような男と付き合いたいと思う人はいないと思うんだけど」

 しかし、出てくる言葉は随分と攻撃的だ。

「じゃ、これから何をすればいいかわかるよね」

 優しい言い方なのに威圧感を感じ、関係ないはずの雅雪の手には汗が滲んでいた。

 悔しそうに顔を歪ませ、武田は桜子に対しゆっくりと頭を下げる。あまりにもあっさりと彼が静かになるものだから、桜子もなんとなく毒気を抜かれたように見える。

 武田から弱弱しく紡がれた言葉を聞きながら、雅雪は遠井のことを見つめていた。

 初めて見たあの日は、厳しい面も見えたけど、穏やかで優しい人、という印象だった。しかし、今日の彼は荒々しく、穏やかな顔をした怖い人、という印象を受けた。会ったのはたったの二回、それだけで人を判断するのは無理だが、「わからない人だな」と雅雪は考える。

 遠井は武田を少し強めに叩いて、もう一度頭を下げた。もう帰るのか、と察した雅雪は慌てて姿勢を整える。何故そうしたかはわからないが、ぽやっとした表情で見送るのは嫌だと思ったのだ。

 彼らが出口へ顔を向ける。視線は、合わない。

 先を歩く遠井が近付いて来る。

 と。

「ねぇ、キミ」

 突然、遠井に声をかけられた。

「ハイッ!?」

 理由がわからず、変に緊張したため声が裏返ってしまった。雅雪は恥ずかしさで一杯だが、遠井は気にせず口を開いた。

「ごめんね。桜子さんは勿論だけど、キミにも怪我させちゃうところだったし、謝らせて」

 苦笑交じりにそう言った遠井は、雅雪にも丁寧に頭を下げ、「ごめんなさい」と口にした。

 一方雅雪はというと、ぽかんと口を開けて遠井を見ることしかできない。まず、遠井に謝られることは なに一つとしてない。というか武田には謝ってほしいのに、彼は眉間に皺を寄せそっぽを向いているだけだ。

「いえ、あの」

「本当にごめん。たけちゃん、いこう」

「……ウス」

 間抜けな顔を続ける雅雪をそのままに、二人の背中は見えなくなった。

(不思議な、人だ)

「優しい人」と思っていたが、今日の件で「怖い人」なのだとわかった。けれど、あの謝罪は心からのものだと思った。本当に怖い人ならあんなに丁寧に、そしてただの一従業員である雅雪にまで挨拶していかないだろう。……会って二回、なのにここまで違う印象を持つなんて。

「不思議な、人だなぁ」

 ぼんやりと呟かれた言葉は誰に届くこともなく、対応に追われる桜子の声に埋もれていった。

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