第二十四話 轢き逃げ
元の世界の方で、鷹丸はいつものように目を覚ました。そこは異世界でもなければ、怪獣の姿でもない。見慣れた彼の私室のベッドの上で、鷹丸はごく普通の小柄な人間の少年の姿である。
窓のカーテンの隙間から、僅かに洩れた日光が部屋内にさしており、近くに夜の内にかけたラジカセが、電源が入ったまま沈黙している。
何の変わりもない、いつもの朝だった。
目覚める前に見た世界は、いつもとかなり違っていた。ベッドから起き上がり、頭をかきながら、半ば寝ぼけた目で、今日の夢を思い返す。
(今日の夢はいつも以上に変だったな。夢の中で夢じゃないって言われるとは思わなかったよ・・・・・・。やっぱりあれか? 今日ガルゴをもう一度見ようと思っていたから、また弾んだ夢を見たのか?)
彼が前に行った、ガルゴの映画は、あと数日で上映が終了する。その前にもう一度、その映画を鑑賞しようと思っていた。
一度見た映画を、ディスクが出る前に、もう一度映画館で見ようと考えるのは、彼にとって初めてのことだった。最近たまに見る不思議な夢のせいで、ガルゴへの執着心が高まっているのかも知れない。
鷹丸は毛布を払い、ベッドから完全に起き上がって、部屋の床に足をつける。
(うん?)
その時に、妙な感覚が彼の首筋から感じられた。少量の水が数滴、自分の肌の上を流れる感覚だ。寝てる間に首元が濡れるなど、普通はない。下半身の方ならば、あり得るだろうが。
不思議に思って、鷹丸は自分の首を右手で拭ってみる。首についた液体の感覚が、右手の親指付近にも付着する。
「ぬえっ!? 血っ!?」
その右手を見た瞬間、鷹丸は思わず声を上げた。拭った手に付着した液体は、明らかにただの水ではない、鉄くさい真っ赤な液体=血であったのだ。
首を曲げて自分の首元を見てみると、来ている寝間着の襟の部分が、首筋から流れ出る血で、赤く染まっているのが見えた。これは首から流血が起こっているということに他ならない。
(何なんだよ!? どうすればこんなことが起きるんだ!?)
大慌てで、部屋にあったティッシュ箱に手を伸ばし、そこから何枚もの紙を引き抜いて、自身の首に寄せる。そのティッシュも、すぐに赤く染まっていった。
ティッシュ箱を丸ごと持ちこみ、何度も紙を使い捨てて首から流れ出る血を拭う。出血量は微量だったが、それでも僅かずつに首から流れ出て、何度拭ってもなくならない。
これは首に傷がついて、出血を起こしているということだ。何度も拭いながら、鷹丸は一階へ降りて、トイレの近くにある洗面所の前に出る。そしてその鏡の前でティッシュを取り、自分の首筋をよく見た。
(何でだよ!? あれは夢だろ!?)
その首筋についているそれを見て、鷹丸は驚愕と困惑で頭がいっぱいになる。
鏡に映る首には、二つの小さな穴が空いていた。箸の先っちょぐらいの小さな穴だが、確かにそれが彼の皮膚を破り、内部の血管にまで届いて、出血を起こさせている。
その二つの穴状に傷口は、かなり近い距離があり、まるで吸血鬼に噛まれた後のようだ。
この傷に鷹丸は覚えがあった。だがそれは現実世界での覚えではない。夢の中で戦った、巨大な蛇に、首を噛まれた事があるのだ。
それと酷似した傷だ。あの時はかなり痛かったが、それでも何とか痛みを堪え、敵をやっつけたのだ。
(・・・・・・いや、待てよ? よく考えたら、夢の中で痛みを感じたり、それを目覚めても覚えてることのほうが変じゃね?)
普通ならばすぐに思いつきそうな疑問を、今になってようやく気づく鷹丸。冷めた思考は、こういう常識的な発想さえ失わせるのだろうか?
以前にも夢の中の世界で、傷を負ったことがあった。巨大ザリガニと戦った後で、夢の中で殴られた所と同じ部分に、痣が出来たりしていた。
あの時は脛の部分だったため、寝返りをうって、どこかにぶつけたのだと、勝手に解釈していたが、今回はそうはいかない。どんな寝相を抱えれば、首筋に刺し傷が出来るというのか?
(とにかくこの傷をどうしよう? とりあえず病院に行くか? でもそれだと今日の映画が・・・・・・あれ?)
こんな状況でありながら、今日の映画の予定を気に変える鷹丸。だが途中で鏡を見たとき、おかしな点に気づいた。
首筋の二つの刺し傷から、血が止まっているのだ。首にもう一度つけたティッシュが、あるときからいつまで経っても赤く染まらなくなり、試しにそれを外してみた所、それが判った。
刺し傷は未だに健在だが、出血は既に止まっている。これならば包帯も絆創膏も必要ないだろう。
(自然での止血って、こんな早く終わるもんなのか? そういえば前についた痣も、えらく早く治ってたが・・・・・・)
ともかくこれで、病院に行く必要もなさそうだ。変に騒ぐと、世話してくれている叔父夫婦にも、迷惑をかけてしまう。一先ずこのことは話さないでおくことにした。
寝間着から着替えて、朝食をとる前に、今にあるテレビをつける。特に見たい番組があったわけではない。とりあえず気を落ち着かせようと、何となくつけてみたのだ。
そこに朝のニュースが流れる。画面に映る、今日のニュースアナウンサーは、何故だかいつになく切迫した表情で話し始めている。
『世界各地で起きている、謎の集団失踪・石像出現事件について、新たな情報が入りました! 〇〇国の監視カメラに、衝撃的な映像が発見され、公開されました!』
(またこのニュースかよ? もしかしてマジなのか?)
最近になって頻繁に報道される、現実離れしたこのニュース。初期はネット上でも、話題作りの虚偽報道だと言う者が多かったが、ここまで長続きすると、だんだん皆の反応が変わってくる。
画面には、外国っぽい作りの家が建っている、住宅地の路上の映像が流れている。
ニュース映像ではその一カ所をズームアップし、歩道を歩いている一人の男性と、彼の足下に注目するようアナウンサーが指示する。
そこには白い蛇がいた。歩道の上を、何とも珍しい色合いの爬虫類である。その不思議な姿に、画面上の男性も注目し、すぐ足下にまでその蛇に近寄っていく。
その時だった、画面上で蛇の顔の辺りから、カメラのフラッシュのような赤い光が発せられた。まるでビームでも撃ったかのような、白蛇の不思議な異変。
その直後に、男性の動きが止まった。驚いて硬直したのではない。そもそもただ動きが止まっただけではない。彼の身体が一瞬のうちに、瞬き一つで見落としそうな速さで、全身が灰色一色に染まったのだ。
その姿は、これまでに大量に発見された、あの石像と酷似している。そうこの映像は、人間が石になる瞬間を、克明にとらえているのだ。
「ちょっと待てよ!? これって!?」
あまりにものトンデモ映像に、鷹丸は驚愕しきって、石化とは別の理由で硬直した。確かに信じられない映像だが、彼が驚いた理由はそれだけではない。
白蛇。赤い光。石化。
というキーワードに、鷹丸はつい最近になって覚えがあった。この現象はついさっき夢で見た、あの巨大白蛇の力にそっくりだったのだ。
地方都市・弘後市の商業区にある、ガラス作りの壁で覆われた、駅から鷹丸が外行きの服装で姿を現す。
以前あの夢を見るようになる直前のあの日と、全く同じ光景である。この街に来た目的も、以前と同じで、映画を見るためだ。
色々と不思議なことがあって、気が滅入っていたのだが、それでも当初の予定を変える気はなかった。しかしこんな心境で映画を見て、果たして楽しめるのか疑問な所だが。
ちなみに彼はまだ気づいていないが、彼の首筋についていた二つの刺し傷は、既に完全に消えていた。今の彼の首は、傷一つない綺麗な肌である。
彼が傷に気づいてから、まだ数時間しか経っていない。異常なほどの治りの速さである。今日のこの日の街の様子も、以前と全く変わらない・・・・・・と最初に思われたが、途中でそれは違うことに鷹丸が気づいた。
(何だ? デパートの方が騒がしいな・・・・・・)
映画館へと向かう道中で、付近のデパートへと続くの道路の方から、大勢の人の声が聞こえてくる。それは困惑と悲鳴が混じり合った、何だか妙な複数の声だった。
それに気づいた人々が、鷹丸と同様に、その交差点のその一方の道を見る。その道路の歩道の先から、何人もの人々が、必死な形相でこちらの方向へと逃げてくるのが見えた。
もしかして何か事件でも起こったのだろうか?
「大変だ! 蛇だ! 石にされるぞ!?」
その人々がこちらを通り過ぎる瞬間、鷹丸含めた人々に向かってそう叫んだ。
「蛇?」
「何言ってんだあいつ?」
こちらを通り過ぎていく人々を、後ろ向きで見送りながら、一同は首の向きを直し、もう一度彼らが逃げた先の歩道を見る。
その歩道の地面には、複数の白いロープのような長い物体が、身体をくねらせながら真っ直ぐにこちらに近づいてくる。
(あの蛇は!?)
その動く物体が蛇だと認識した瞬間、視界が一瞬赤い光で覆われた。その現象は前にも見たことがある。
夢の中で、あの巨大な白蛇と対峙したときだ。視界を覆った赤い光は一瞬で消え、元通りの昼間の太陽が差し込む、普通の街の風景に戻る。だが異変は起きていた。
「うえっ!?」
光が収まると、急に周りに静かになったと思い見渡して見る。するとさっきまで自分の周りにいた、共に異変の様子を見学していた人々が、一人残らず消えていた。
否、正確に言えば、人々が全員石になっているのだ。不思議な物を見るような表情で、周りにいた人々が、灰色になって固まってしまっている。
それは夢やテレビで見た、ありえないくらい精巧にできた石像だった。そしてその中でただ一人、鷹丸だけが石にならず健在である。
「「ジャジャジャッーーーー!」」
光が放たれた先を見ると、歩道の地面に、あのニュースに映されたのと、同じ姿の白蛇たちが数匹、鷹丸に向かって威嚇の声を上げていた。
怒りを感じられる鳴き声で、「何故お前だけ石にならないんだ!?」と、そんな風に叫んでいるような気がする。
(やばいだろこれ!?)
明らかな危機に、鷹丸は即座に背を向けて逃げ出した。
20メートル程先には、交差点の一線の横断歩道がある。幸い信号は青だ。とにかく今はそこを通って逃げるしかない。
鷹丸は全力で走り出した。学校の体育でも、ここまでがむしゃらに走ったことはない。横断歩道の上を通ったとき、鷹丸の横から、近いエンジン音が聞こえ、大きな影が自身を覆った。
何故? 信号は青なのに? そう思って彼がそっちに振り向いたほんの一瞬の内に、鷹丸が見た光景。
それはフロントガラスの向こうで運転手が石化しているのが見えて、ボンネットの上にあの白い蛇が乗っかっている、一台の乗用車が、こちらに向かって真っ直ぐ突っ込んでくる光景であった。
ドオン!
ブレーキなど一切かけていない、時速数十キロの速度で走る鉄の塊が、鷹丸の小さな身体に激突する。
(・・・・・・うそ・・・・・・だろ?)
道路の上で、まるでボールのように、鷹丸の小さな身体がその衝撃で押しつぶされ、衝撃と共にその車の天井を転がり、後方へと落とされる。
今まで生きてきた上で一番の激痛を、全身に味わいながら、鷹丸の意識はそこで途絶え、視界は真っ黒に塗りつぶされた。
「ぐはぁ!?」
交通事故に遭って数時間ほどして、鷹丸の意識は急に覚醒した。目覚める共に、彼の頭の中に、意識を失う直前の記憶が一気に流れ込む。
その痛みの記憶に、鷹丸は鳴き声で飛び退いた。
「いてえっ、いてえっ・・・・・・あれ、痛くねえ?」
痛いのは記憶の中だけで、現在の彼の身体には、すでに痛みが完全に引いていた。何とも不思議な感覚に、鷹丸しばし呆然と座り込んでいる。
とりあえず現状を確認してみる。自分が車に撥ねられたのは覚えている。では自分は搬送されて病院にいるのかと言うと、そういうわけではない。というか自分がいる位置は、さっきと変わっていなかった。
周りにはさっきの記憶にあった街の風景があり、今自分は横断歩道の上で座り込んでいる。道路の向こう側を見ると、少し離れた所に、さっき自分を撥ねた車が、別の車と接触して、左側のガードレールにめり込んでいた。
こんな風に道路から外れたり、道路の外に乗り上げている自動車は他にもある。中には未だにエンジンが始動したままになっているものもあった。
次に鷹丸は自分の身体を見てみた。自身が来ている私服は、見る影もなくボロボロだ。特に車と接触した左脇部分が、酷く破れている。
そして露出した肌には、大量の血が付着していた。何とも妙な気持ちで、その血を手で拭いてみる鷹丸。血の臭いが彼の手にもつく。
だが触った脇の部分には、特に痛みなど感じない。見ると彼の身体は、血で汚れてはいるが、傷など一つもついていないのに気づく。
記憶と現状から、自分が来るまで撥ねられたのは事実の筈。しかも常識では即死するほどの衝撃だった。だが現在、彼は何故か、無傷でここにいる。
「・・・・・・俺、どうして死なないんだ?」
困惑しきった鷹丸の言葉を、その場で応えてくれる者はいなかった。というかそれを聞く者さえいない。
後から鷹丸も気づくのだが、今この弘後市は、ほとんどの住民が、あの白蛇たちによって石にされていたから




