壱
残酷描写があります。
大きな大国に挟まれた自然豊かな小さな国『アパタイト』。
きめ細かな美しい工芸品で小国ながらも大国と肩を並べれるほどに名を上げ、その勤勉さや真面目さに随一の信頼を置かれている国である。
我らが大国『ベリル』でもその高い技術と正確さは一目置かれている存在である。
しかし我が国とは違いまだ機械の発展がそこまでではないためそこは今後の課題の一つだろう。
アパタイトは別名で『和の国』とも呼ばれる。
それは彼らの服装や生活基盤が『和』に割り振られるのがそう呼ばせる理由の一つでもあるだろう。(因みに我々の国は西洋などと言われているらしい)
そしてなによりその人間性がそう呼ばれる一因なのだろう。
『和を以て貴しとなす』。
これが彼らの心情であり、生活基盤に基づくようだ。(意味は何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ)
そんな国だからこそ非常に平和なのだろう。
貿易国としてこれからも諍いは避けたい。
この情報は必要ないかも知れないが一応ここに記す。
アパタイトには古くから人ではない異形の者が少なくはないらしい。(我々の国にも似たような話はいくつもあるのだが何ぶん自分は見たことがないので信じる気にはなれない)
それの代表的な例の一つが『鬼』という存在らしい。
この『鬼』は見た目は人と変わらないがその能力が人とは桁違いらしく、その昔の戦では『鬼』と共に戦い勝利を掴んだという。
『鬼』といってもいくつかのものに分かれており一まとめに『鬼』というわけにはいかないらしい。
これが自分が『鬼』というものに聞き出せた情報の全てである。
以上で自分の報告を終了する。
とある報告書より抜粋。
◆
雪解けのフキノトウの色も清々しく、頬を撫ぜる風が心地いいものに変わった今。
町人たちはひどく浮かれ騒ぎで浮足立っていた。
厳しい冬を終え、ようやく来た春に浮かれるのは仕方がないことだろう。
楽しそうに歩く学生や、花見の予定を立てる者、様々な姿が見えるその町の一角に少しばかり毛色の変わった影があった。
一人は派手ではないが質のいい着物に頭にはフェルト帽という小洒落た裕福そうな老人。
それに相対するような形で立っているのは神父服を着た漆黒の髪に紫の瞳をもつ美丈夫と、同じく神父服を着た絹のように美しい金髪に碧の瞳の一見少女と見間違うような可憐な容姿をした少年だった。
老人は数秒二人を観察するように眺め、口を開いた。
「ありがとう。ここまで送ってもらって助かりましたよ」
被っていた帽子を手に持ち柔和な笑顔で白髪混じりの頭を小さく下げ、老人は笑みを絶やさずに続ける。
「それにしても、異人の神父さんがあんなに強いとは驚いた。しかもまだお若いのにねえ」
どこか探るようなその様子に少年は猫のように瞳を細め笑う。
「ありがとうございます。お恥ずかしながら僕らは昔少しばかりやんちゃをしていた時期がありまして……。ですがそれもきっと今日のような日の為にと全ては神のお導きだったのでしょう」
首に提げた十字架を片手で握り少年はそっと目を閉じ祈るような仕草をする。
それにならうように少年の横に立つ青年も目を閉じ十字架に手を添える。
老人はそんな二人をやはり観察するように眺め再び口を開く。
「成る程そうでしたか。いやはや私も若い頃は色々とやんちゃしたものでねえ。今じゃもう懐かしい思い出ですよ」
「おや、それは驚きですね。あなたのような紳士な方が……」
「はは、若い頃は誰しもそんなものですよ。親にはよく勘当されなかったもんだと今でも思っているもんです」
少年と老人はひとしきり会話を楽しみ笑いあう。
すると少年の傍らで黙っていた青年が少年に何かを呟き、少年もそれに目だけで合図し改めて老人を見る。
「それでは僕たちはこれで……」
軽く会釈して去ろうとする二人を老人は少し慌てて呼びとめ、着物の袂から小さな巾着を取り出した。
「どうぞこれを受けとってください。たいしたお礼はではありませんが……」
「いえ、そんな……」
「いいえ、どうか貰ってください。あなた方に助けられなければどうなっていたか……。これぐらいしなければ罰が当たってしまいます」
断ろうとした少年の手に無理やりその巾着を握らせ老人は更に言葉を重ねる。
「これでも呉服屋を担っていましてね。何かお困りのさいは是非うちの呉服屋に来てください。たいしたもてなしはできませんが出来る限りのことはいたしましょう」
老人の視線の先の呉服屋を確かめて二人は今度こそ老人の許を離れ人ごみの中に紛れていった。
二人の姿が完全に見えなくなったところで老人も踵を返し歩き始める。そうして老人は先程の年若い神父二人について考える。
……やんちゃをしていた?馬鹿を言うな。
先程の言葉を思い出し心の中で毒づく。
……たかだかやんちゃをしていただけで、あんな芸当できるはずがない。
そう思い自分が見た先程の光景を思い出す。
◆
老人は取引先の相手と会談をした後、少しばかり寄り道をしようと人通りの少ない道を通っていた。
そこで数人のごろつきに囲まれてしまったのだ。
運の悪いことにその日はお付きの者も連れておらず、しかも只でさえ人通りが少ない道。
自分が囲まれているのを見る者はおらず、ましてやいたとしても関わりたいと思う者はいないだろう。
せいぜい人を呼んでくるのが関の山だ。
ごろつき連中はニタニタと下卑た笑みを浮かべこちらを見て金目のものを要求する。
腹立たしいことこの上ないが金をやって去るなら安いものだ。
しかし金だけで済まず店にまで来られたら迷惑どころの話ではない。
どうしたものかと老人が思案していると場違いな声が一つ。
「すみません。道を教えてくれませんか?」
そこにいたのは年若い神父の二人だった。
この国の者ではないとわかる容姿の二人に話しかけられ一瞬怪訝そうな顔をしたごろつきはすぐにまた下卑た笑いをして今度は二人も囲んだ。
一瞬助かるかもしれないと期待した老人もすぐに落胆し、ああ厄介なことになったと益々苦い思いをする。
しかもこの二人、異国の者で見目がいい。
金目のものを払ったとしてもとてもじゃないが無事で帰されるとは思わない。可哀想にと他人事のように思い、さてどうしたものかと再び思案に暮れる。
するとごろつきは予想通り金目のものを二人に要求し始めた。
可哀想なこの子羊二人は神に仕えるものなのにその神に見放されるとはなんと皮肉なことか。
きっと怯えてすぐに何か金目のものを出すだろうとその場にいる老人を含めた全員がそう思っていた。
「悪いが。持っていたとしてもお前たちには渡すことはできない」
そう言い放ったのは年若い神父の青年の方だった。
怯えを隠した強がりからの発言ではなくただ思ったことを言ったというような淡々とした声だった。
「それより先に尋ねたのはこっちだ。答えてくれないだろうか」
本当に淡々としたその発言にその神父の二人以外全員呆気にとられ、暫しの沈黙。
ようやく青年の言うことを理解したのかごろつきたちは舐められ馬鹿にされたと思い怒りで顔を赤く染め、その内の一人が青年に殴りかかった。
なんと怖いもの知らずなことかと老人は半ば呆れ倒れる青年の姿を瞬時に頭の中に思い描きため息をつく。
しかしそこでまたもや予想外なことが起きたのだ。
倒れたのは青年ではなくそのごろつきの方だった。
それは首から止めどなく赤い血を流し、ゆっくりと地面に倒れていった。
それは本当に一瞬で老人はもちろんごろつきたちも何が起きたのか分からない。
我に返ったごろつきの一人が慌てて駆け寄り安否を確かめようとするがその首の出血量と瞳孔の開ききった目を見れば絶命しているのは明らかだった。
「道を教えてはくれないのか」
青年は先程と少しも変わらない態度で淡々と問う。
その手にはいつの間にか折りたたみ式のナイフが握られており、先端が赤い液体で濡れていた。
仲間を一人殺られた怒りか恐怖なのかごろつきたちの目の色は一様に変わる。
先程までの下卑た笑みは消え、皆目配せをしながら神父二人から間合いを取り、それぞれの得物を構える。それは刀だったり短刀だったりと様々だった。
緊張が辺りを包み自分が向けられたわけではない殺気が老人の肌にぴりぴりと刺さり、知らず汗がつうっと頬に流れた。
しかしそれを一身に浴びているはずの青年はやはり表情一つ変えず首を傾げた。
「道を教えてくれないか」
それが合図になり、ごろつきたちは一斉に青年に飛び掛かった。
刀を鞘ごとそのまま振り下ろしたそれを青年はすれすれで避けそのままさっきの男にしたように首の頸動脈を何の戸惑いもなく切る。
血を噴いて倒れる男を見て怯んだ他のごろつきたちを青年は見逃さずそのまま勢いを殺さず間合いに踏み込み同じ要領で頸動脈を切る。
その中で一人の男がもう一人の少年神父の方を人質を取ろうとしたのか一人に目で合図し二人係で少年に飛び掛かったが青年がそれを見逃さず今まで使っていたナイフを何の躊躇も無く投げ、それは見事に一人のごろつきの頭に命中し、そのままごろつきは倒れこむ。
しかしそれを見たもう一人のごろつきは躍起になって少年に飛び掛かる。
その距離は青年が追いつける距離ではなくこれで形勢逆転できると思ったごろつきは、すぐそれは間違いだったということを知る。
少年の腕を掴もうと手を伸ばしたごろつきは逆にその腕を掴まれその勢いのまま背負うようにして地面に叩きつけられた。
軽い脳震盪が起こったその頭では何が起こったのか判る筈がなく咳き込むごろつきの上に少年は圧し掛かりごろつきの落とした短刀を拾い上げ寸分の狂いなくその心臓の上に突き刺した。
動かなくなったごろつきを特に気にする様子もなく少年は立ち上がり砂埃を払いだし、青年も投げたナイフを抜き軽く血を払い畳んで服の中に仕舞った。
あまりにも一方的なそれは暴力ではなくもはや蹂躙だった。
気付けば立っているのはその二人の神父と老人しかいなくなっていた。
屍の山の中で平然としているその二人を戦慄して見ている老人に対し、少年の神父は老人に最初と全く同じことを尋ねた。
「すみません。道を教えてくれませんか?」
最初に尋ねてきたときと変わらないぞっとするほど穏やかな笑顔だった。
◆
先程の光景を思い出し老人はせせら笑う。
……人の笑顔をあんなにも恐ろしいと思ったのは初めてだ。
彼らに道を教えるとそのお礼としてここまで彼らは老人を送ってきてくれた。
その親切さは実に好青年であり、彼らの役職からして言えば自然なこととも言える。
しかし、その自然さがあまりにも不自然で老人には気味が悪くて仕方がなかった。
あれだけ簡単に人の命を散らした彼らがその行いとは全く真逆の役職に就いているという事実がその気味の悪さに拍車をかけていた。
少年が神に祈るような仕草をしたとき自分が見たあれは夢だったのではないかと錯覚するほどに、その時の少年は慈愛に満ちた表情をしていた。
……全く持って狂っている。
老人は不意に止まってもう一度彼らが紛れた人ごみを振り返り、すぐにまた歩き出す。
……ああ、それにしても全く。
老人は帽子を被り直し嗤う。
……随分とやんちゃな神の使いがいたものだ。
嗤いながら老人も雑踏の中に消えていった。