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燕がえし

作者: 平なつしお

 季節は初秋。薄紫色をした着物の武芸者が一人、街道を行く。

 見た目からすると十代の終わり頃。幼さの残る顔立ちだが、反面にその上背は成人のそれをやや上回る。かといって、肉付きが良いとは決して言えない。むしろ痩せすぎである。

 顔立ちそのものは一見すると女性のようにも見受けられ、細い体躯と相まってどうにも頼りなさそうな印象が強い。あるいはその印象を強めているのはひょうひょうと捕らえ所のない表情のせいかもしれない。

 しかし、仮にも武芸者を名乗るのか腰にはキチンと一振りの脇差しをいている。武装、としては少々と頼りないがこれも立派な武器だ。

 何より、男本来の得物は腰にはない。

 右手で柄の頭を抑え、担ぐようにして持つ太刀が一振り。

 漆塗りの鞘に納まるそれは、刃文や銘はわからない。だが少なくとも、三尺超過の腰反りだと言うことはにわかにでも剣に携わったものならば看破できた。

 分類としては大太刀、ないし野太刀。目に見える手荷物はそれだけ。後は幾ばくかの金銭が懐に。

 急ぐ旅ではないのかふらふらと視線をあたりの景色に向けて、男はゆったりとした足取りで道を南下する。

 ふと、周囲を彷徨っていた男の目線が一カ所で固定された。

 十歩ほど行ったところ。そこに一人の男の姿がある。

 小休止を取っているのか、大きめの石に腰掛けて微動だにしない。

 背丈のほどは座っているので知れないが、体付きだけで論ずれば間違いなく旅の男よりは力強そうだ。

「なぁ、お前さん。まさかと思うが、佐々木小次郎って名じゃないかい?」

「いや。某、親から貰った名は別のもの。人違いでしょう」

「そいつはすまねぇな。どうにも、お前さんが担いでる太刀が小次郎って武芸者の物にそっくりだったんでな」

「これはまた奇縁な。とはいえ、名工の打った太刀は皆が欲しがるものですからなぁ。似た物を使う輩もいるのでは?」

 やにわに手を顎に添えて、旅の男は素知らぬ顔で答える。

「似た太刀ねえ。だがよ、お前さん。俺にはどうも、こいつが本物に見えるんだが?」

「御主、なかなかの慧眼けいがん。これなるは備前国の長船が打った名刀よ。鑑定書付きの真作に相違ないぞ」

 かんらかんらと笑い、旅の男は担いだ大太刀を座る男に良く見える位置へと持っていく。

「そういう意味じゃねえ。いや、とぼけるのも対外にしろよ佐々木小次郎。近代、大太刀担いだ手ぶらの武芸者なんざぁ、国広しと言えども貴様くらいよ」

 立ち上がり、憤怒の表情で男は旅の男――佐々木小次郎に詰めよった。その剣幕はさながら親の敵を見つけたかのごとく。

 しかし、小次郎はひょうひょうとした表情のままに答える。

「御主も人が悪い。私が誰だか、知っていて話に乗ったのか?」

「戯れるのも一興かと思うた故にな。ふん、余計な時間を取るだけだったがな」

「して、私に何用か。見ての通り着の身着のままの気楽な一人旅。金子なら、さして持ち合わせていないが」

「知れたこと。貴様が持つ、天下一の称号を頂戴しに参ったのよ」

 やはり、と小次郎は初めて表情を変えた。

 聞き飽きた。そう言いたげに。

「天下一などとたいそれた渾名、名乗った覚えはないのですがね」

「貴様になくとも、市井の者は誰しもが口を揃えて言う。佐々木小次郎こそが天下一の剣客だとな」

 忌々しいと、男は吐き捨てた。

「欲しいならあげますが?」

「ああ、頂く。貴様を倒してな」

 男は抜刀して刀身を小次郎へと向ける。

「止めませんか? 死ぬと痛いらしいですよ」

「痛む間も与えぬわ。それとも、天下一ともあろう者が臆したか」

「ああ、はい。そうですね。私は怖いんで、できれば仕合たくはないのですが」

「聞く耳持たぬわ。大方、そのように油断させて背中から斬る腹づもりであろう」

「いえいえ、そんなことはしませんよ。私は見た目通りに善良で通ってるんですから」

 最後までを聞いたかどうかは、小次郎には判別がつかなかった。男が抜刀し、その剣先を向けてきたが故に。

「さぁ、貴様も抜け。貴様が誇る魔剣、燕返し。我こそが打ち破ってみせようぞ」

 しびれを切らしたのか、それとも小次郎のとぼけた態度に腹を立てたのか。いまいちと判断がつかない真っ赤な顔で男は早口でまくしたてた。

 もはや対処はない。そう判じたのか、小次郎は渋々と言いたげに大太刀を鞘から抜き払う。

 丁子乱刃の刃文を持つ、三尺と七寸ばかりの大太刀。反り深く、重ねも厚く。

 備前長船の特徴を捉えた一振りが、日差しを反射させる。

「……七人目」

 邪魔になる鞘を投げ捨てた小次郎がぼそりと、つぶやく。

 燕がえしを打ち破る。そう言ってきた武芸者の数を、ぽつりとつぶやいたのだ。

 男の名を赤中志郎と言う。

 武者修行と称して道場破りを行う武芸者で、腕はたつ。そのことは対峙する小次郎が良く理解していた。

 小次郎の構えは八相、やや独自の工夫あり。旅の途中にあった担ぐような持ち方。見た目はそのままに、手の握りと肩からやや刀身が浮くくらいの違いしかない。

 左足を半歩ほど前に出し、左肩に刀を構える。

 志郎は脇構え。左足を半歩引き、腰だめに太刀を持つ。刃先は小次郎を向かずに自身の体に隠すようにした。

 距離はお互いに言葉を交わした状態から変わらず十歩。

 間合い、という点で見れば長い得物を持つ小次郎が有利だが、もの干し竿などと揶揄される大太刀であっても、十も歩かなければ埋められない距離を無視することはできない。

 それは志郎も同じ。いや、小次郎よりも短い太刀を使う彼に取ってはことさらに頭を悩ませる問題だ。

 日本刀に分類される武器は、物打ちと呼ばれる剣先三寸ばかりの部位が最も破壊力を持つ。

 これは太刀を振るった時に生じる遠心力、その力が最も乗るのがそのあたりであるからだ。物理法則の影響から抜け出せぬ以上、この定理は小次郎と志郎の両名に適応される。

 一撃を狙うならばやはり、物打ちで斬る。これが最上。

 しかしてまず、十歩の距離。これをどう埋めるかだ。

 よしんば埋めたとしても、志郎よりも先に小次郎の間合いが入る。上段から振り下ろされる必殺の刃。それを避けるのは至難の技だ。

 仮に避けられたとして、しかしそれが何になるという。小次郎には魔剣がある。

 燕がえし。

 一刀にして二太刀。

 一度地に落ちた大太刀が天へと昇る斬り返しの妙技。

 形を真似る。それだけならば志郎にもできた。必殺足り得るか、そう問われれば首を横に振るが。

 大前提として、この技は一刀目を外したその瞬間には既に斬り返しを終えていなければならない。でなければ間に合わない。敵は案山子ではなく生きた人間。のんびりと悠長に構えてくれるはずもないからだ。

(しかし、打倒する)

 志郎は胸中に、小次郎が担う燕がえしの動きを描き出す。

 何度も見た。

 この数週間。旅の最中、偶然に小次郎の姿を認めてから延々と彼が燕がえしを行使するその時を脳裏に焼き付けるまで。

 赤中志郎の戦い方は、まず相手の動きを知るところから始まる。だからこそ幾多の道場を容易く打ち破ることができた。

 知るが故に、対処も用意できる。

 今回も同様。素振りであったり、あるいは他の武芸者との戦いのおりに繰り出す魔剣を見続けて、反芻することで対処法を編み出したのだ。

 魔剣、燕返し。

 後の世、剣術を知らぬ者でも名を聞いたことがあるほどに有名な魔剣の構造はそう難しい物でもない。

 志郎の胸中にて動くそれは、確かに何でもない動きだ。

 構えは現在、小次郎が取る八相。この状況からまず、縦に斬る。

 この時、体重を移動させるべき右足を大概の剣術家は大きく踏み込む。必然、勢いも乗り、それだけ破壊力も増す。なまじ刀身で受けられてもそれごと斬り裂けるようにだ。

 反して小次郎はその踏み込みを小さく、歩くのとほぼ変わらぬ程度で行う。確かに、二の太刀で必殺とするならば一の太刀は牽制程度の勢いで良い。志郎はそう見て取った。

 振るわれた刃を武芸者は左右、あるいは後ろに体を反らすことで回避する。そして、完全に避けきったと判断すると同時に攻勢に転ずるのだ。

 しかし、その道理を魔剣はねじ曲げる

 地に向かって落ちるはずだった小次郎の刃は、その場で空へと翔る。

 理は手の中。

 剣の握りは普通、相手側に拳が向くようにする。理由も何も、その方が持ちやすいからだ。小次郎もそれは変わらず、八相に構えている時は、そうやって持つ。

 工夫は振り下ろした直後。相手が己の剣をかわしたその瞬間にある。

 柄の頭、その周辺を握る左手を反転させるのだ。

 必然、刃は刃先を地から空へと向ける。

 後は無理なく、その刃で敵を斬れば良い。

 動きを理解した時、志郎はなるほどと舌を巻いた物だ。燕がえしは単純だが、良くできていると。

 まず手の動き。

 普通に斬った手の内のままに斬り返そうとすると、どうしてもある一点から上には上がらない。それは努力や鍛錬ではどうにもならない、人間の身体構造上の問題だ。故に、解決は不可能。

 小次郎はそれを、手の中の動きだけで解消した。

 手を返せば刃を敵にわざわざ向ける必要もなく、ただ持ち上げるだけで斬る動作が完成する。

 しかし、それだけでは腕の動きのみに依存し、十分な威力が生まれない。やはり太刀の基本は重心の移動であり、要点もそこだからだ。

 小次郎の備えはむろん、足にも及ぶ。

 初手を半歩の踏み出しとすることで遊びを作り、対敵の動きにあわせて足運びを決める。

 左右に逃げれば軸足を引き、後ろに上体を逃がすことで重心の移動を作る。後ろへと逃げるならば右でさらに踏み込み距離をのばす。

 考えうる限り、燕がえしを凌ぐ方法はない。避けても致死、受けても致死。

 勝機は単一。先手、燕がえしを使わせずに小次郎を打つことだ。

 これまでの剣客はそうしてきた。

 だが、志郎は違う。彼は、後手を狙う。

 それこそが志郎の見いだした必勝、その手札であるがために。

 浅く呼吸を繰り返し、志郎は機を見る。彼の視界に入る小次郎は微動だにせず、ただただ構えを維持し続けている。

 一瞬の隙を狙い合う両者にとって、わずかな挙動が同時に隙になる場合がままある。例えば、構えを維持し続けるために姿勢を固定している両腕などがその最もたるものだ。

 疲れたからといって姿勢を崩せば、即座にその隙を狙って斬り込んでくるのは剣術を知らぬ者でも理解できること。視線を相手から外す、ただそれだけでも対敵の一瞬の挙動を見逃す要因になりうる。

 だから、片時も目を離さずに動かない。

 動く。それは、どのような理由であれ明暗を分けるのだ。

「――――」

「――――」

 にわかに冷たい風が、二人の間を通り抜ける。

 実力が拮抗していた場合、長丁場になると両者諸共に引き、後日に再戦というのが暗黙の了解だ。

 さらにこの場は道場でなく街道。今でこそ人の往来もないが、誰かしらが通れば彼らの決闘は良い迷惑である。

(攻めて来ぬか)

 後手を狙う志郎からすると、まず小次郎に攻めてもらいたい。燕がえしが一の太刀を避けてこそに、彼の策は意味を持つ。

 しばしの間を思考し、志郎はわずかに体を迫り出す。注視していなければわからない程度だが、見ていれば動いたとわかる。そんな動きだ。

 釣り技。自分が後手を取りたいときに行う、相手に先手を取らせる技術。

 しかし、小次郎は動かない。

(動く気がないのか……あるいは、こちらの意図を読まれたか)

 ここに至り、志郎には選択肢ができる。

 待つか、攻めるか。

 邪魔が入る可能性を考慮すると、待つのは得策とは言えない。かといって無闇に攻めれば志郎は一刀にて斬り伏せられる。

 結論が出ぬままに、時間は流れていく。

「――――」

 不意に、小次郎が動きを見せた。

 構えがぶれて、体勢がわずかに揺れる。

 勝機か、釣りか。

 悩み、結論を下すその前に志郎の体は動いた。

 志郎の全身が獣のように駈ける。距離は十歩分。瞬きをする間に消え失せる間合い。

 合わせ、小次郎も動く。

 右足は半歩前に、志郎が駈けるに合わせて大太刀を振るう。

 すなわち釣り技である。まんまと志郎は乗せられ、今まさに振り下ろされる大太刀にて斬られんとして――


 必然を打ち破った。


(打倒した)

 滑るように前に跳びながら、志郎は横目で振り下ろされた大太刀を見る。

 剣速はとく、鋭かった。牽制などではない、間違いなく一撃にて斬るという意思の込められたまさしく必殺の一刀。それを避けることができたのは幸運以外の何物でもない。

 小次郎の大太刀は、走り込んでくる志郎に合わせて振るわれた。

 大前提として、そのままの速度で走り込んでくることを見越して。

 つまり、直前で減速ないし加速されれば空を斬る公算だ。

(俺は、打倒したのだ)

 志郎はその二つを利用する。

 まず、小次郎の間合いぎりぎり外で減速。完全に止まるのでなく、わずかにだ。小次郎が振るう大太刀が顔先をかすめるのを確認するように、次の動き。

 前に踏み出した足先に力を込めて、飛び込む。

 これこそが志郎が見出した必勝の策なり。

 日本刀の構造上、物打ちで斬らなければ殺傷能力に期待はできない。この前提を持って見れば、燕がえしの弱点は明瞭。

 物打ちである剣先三寸を飛び越せば良い。斬り返そうとも、威力のほどはたかが知れている。一撃にて死に至らなければ、志郎が有利なのだから。

(俺の勝ちだ)

 片足がようやく地面につく。小次郎から見て右。大太刀は志郎の左手側。

 志郎の立ち位置はちょうど大太刀の真ん中。このあたりであれば斬れ味はもはや無いに等しく、いかに籠釣瓶の名刀であろうとも、人を断つには足りない。

 体重の移動は十分。後はただ、勢いをのせて小次郎を斬る。それだけで志郎の勝利は確定する。

 だから、彼は最後に小次郎の顔を見た。天下一にまで上り詰めた剣客の最後の姿を脳裏に焼き付けようとして――それを見た。

 無表情。言葉にするならば、おそらくはそれが最も近い。

 自身の刃が避けられたことに対する驚愕も、かといって志郎が策にはまったことをあざ笑う嘲笑もない。

 ただただ、無。

 一つ、これに似た表情を志郎は知っている。

 目的もなく、ただ歩いている時だ。

 思考の中に何もない。その状態に陥った人間の表情はなくなる。

 今の小次郎のように。

 見ていない。小次郎は始めから、志郎のことを障害として捉えていないのだ。道を歩いていて、路肩に少し大きめの石だあったから避けて通ろうと言う、その程度の認識。

 その考えは、今まさに斬られんとする直後であっても変わらない。

 侮られていることを知り、いくらかに志郎の心に細波がたつもそれはもはや意味をなさない。

(最後の抵抗か)

 志郎の勝利は揺るがない。故に、苦し紛れの表情だろうと動きながら思う。

 もはや振るわれんとしている刃を止めることは、志郎の意思以外にはあり得ない。彼に止める気がない以上、小次郎が両断されることは必定。

 赤い、花が咲く。

 肺腑から吐息がこぼれ、それが声のような音となって大気をほんの少しだけ揺らす。

 志郎の手から太刀がこぼれ、その手は震えながら胸の辺りをなぞる。

 斬られていた。

 真一文字に。

 左脇からまっすぐに侵入した刃は、肺と心の臓を傷つけて右脇から抜けている。

 足に力が抜けて、志郎の体が沈んでいく。

 倒れふし、二度と起き上がれぬ奈落の底へと沈んでいく――だから、その前に志郎は見た。彼を殺戮せしめた技を。

 大太刀は未だに地を向いている。両手で構えていたはずなのに今は左手だけで支えていて、いつの間にやら引き抜かれた脇差しが真横に構えられていた。

 それを最後に彼の意識は消えていった。眠りに落ちるようにゆっくりと。

「燕がえしを、破れるわけがない」

 そんな声を、最後に志郎は聞いた。




 燕がえし。志郎が倒れたのはこの技により斬られたからだ。

 だがそれでは理屈が合わない。志郎を斬ったのは脇差し。大太刀にて振るう燕がえしならば、とどめも大太刀になるのが常のはずだ。

 だが、ここで一つ志郎の思い違いを正せばその理屈は通ることとなる。

 大太刀にて振るわれる斬り返しの妙技、魔剣燕がえしは正しくは燕帰しと書く。そして、志郎を斬った技は燕返しである。

 燕返しと燕帰し。音の上では同じであっても、その意味するところは大きく違う。

 まず、燕帰し。志郎の見立て通りの技である。少々の訂正を加えるとするならば、一刀目から必殺を狙うと言うことか。

 斬り返し。その様を燕が空に帰る様子に真似て燕帰しと名付けた。

 次いで燕返し。この技は燕帰しと同じく、一刀目を避けられた瞬間にこそ意味をなす。

 今回の志郎のように、前へと回避行動を取る者は稀だ。しかし、完全にいなかったと言い切ることはできない。

 対処として、まず小次郎が考えたのは体を後ろへと移動させること。そうすれば大太刀もまた移動し、物打ちにて敵を斬れる。

 しかし、この方法は燕帰しから俊敏さを奪う。踏み込まれる位置にもよるだろうが、相手がほぼ小次郎の懐近くにまで踏み込んでいるのならば、下がるのは一歩では足りない。それだけの距離を移動するまで対敵が待ってくれる理由もまた、ない。

 であればどうするか。

 その考えに対する回答は脇差しにあった。

 懐近くでの組合であれば、間合いの短い刀の方が殺傷能力は高い。物打ちはいかなる種類の刀であろうとも、剣先にあることに変わりはないのだから。

 だが、ここで一つの問題が発生する。いや、それは問題とも言えぬ当たり前の事実だ。

 人の手は二本しかない。両手で大太刀を構えているのに、どうして脇差しを抜くことができようか。

 仮に、始めから両手で構えると言ういわゆる二刀流にした場合はどうか。これは考えるまでもなく否。片手で大太刀は扱いきれず、振るう速度もまた両手でのそれに劣る。

 一刀目は必殺でなければならない。牽制のそれでは容易く見切られ、余裕を持って必殺の二の太刀をかわされる恐れがあるからだ。

 やはり、一刀目の形を崩すことはできない。ならばと、小次郎は工夫を重ねる。

 そして至ったのは、手を切り返ると言う答え。

 振り下ろした大太刀はそのまま左手で支え、右手は即座に腰の脇差しを掴む。構え直す暇はない、だから鞘から抜き放つ居合いと言う技につなげる。

 即、抜刀。

 結果は志郎を見れば一目瞭然。来るはずのない刃、ゆえに警戒もなく無防備に斬られた。

 斬り返す燕帰し。

 切り替える燕返し。

 二種にして単一の魔剣、燕がえし。これがある限り、小次郎は無敵である。

 路肩に志郎の死体をどかし、道を進む小次郎を遠くから見るものがいた。

 ボサボサの黒髪に無精髭。お世辞にも武士には見えないが、腰に佩いた二本が彼の身分を証明する。

「……燕がえし」

 つぶやき、男は太刀を抜く。

 一閃。

 手を切り替えし、脇差しを一閃。

 燕返しだ。

「さて、どう破る」

 納刀して、男は自問を言葉にのせる。技を真似たのは、そうすることで何か弱点が見えないかと試みたがゆえにだ。

「離れれば返す刀、近づけば替えす刀」

 しばらくを考えて、男は一つ大きくうなずいた。

「破れぬな」

 ヒュルリと、馬鹿にしたように秋風が吹く。

 だが、事実として男には破る手段は思いつかなかった。

 燕がえしはどちらか一つならば、破る手段はいくつかある。だが、この二種をほぼ同時に破らねばならないとすると、途端に難易度が跳ね上がる。

 何よりも恐ろしいのは、小次郎の判断力。いずれの魔剣も、避けられたその瞬間に次の動きに移っていなければ間に合わない。

 しかし、小次郎は間に合わせてきた。今までも、そしておそらくはこれからも。

「やはり使わせないことか…いっそう、銃か矢でも用いるか」

 ただ小次郎を殺す。そのことに限定すれば、それも一つの手ではある。空を悠然と飛ぶ燕を落とすには、刀では短すぎるのだ。

「まぁいい、しばらくは付いて回るとしよう」

 ある程度の距離を置いてから、男は小次郎の後を追う。

 男の名を宮本武蔵。後に、佐々木小次郎を打倒する剣客である。

 二人の男は未だに出会うことなく、しかし同じ道を行く。

 一人は目的もなく、ただふらふらと。

 一人は天下一と言う、ただ一人だけが座れる椅子を目指して。

 燕、未だ落ちずに空を舞う。

 剣術と言うか『刃●散らす』にハマった直後に書いたので、色々とパクりすぎてる気がする一作。

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