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第三十章:哀しい抱擁

火星コロニー創立記念祭前夜のモーゼズはいつもと違って見えた。あいつは“こんなに弱い”人間だったのか……



 とうとう明日か……

 朝目が覚めてぼんやりした頭でまず考えたのは明日のことだった。勤務先の防衛施設に向かう間、そこから仕事着(パイロットスーツ)に着替えて格納庫(ハンガー)に移動する間、隙があればそのことが脳裡にちらつく。零号機に搭乗すると強制的にそのことを排除して頭を切り換えたが、勤務が終了して寮の自室に戻ると妙に落ち着かない気分に襲われた。とうとう火星コロニー創立記念祭を明日に控えた日の晩になってしまった。ここ数日間の出来事など霞んでしまってほとんど記憶に残っていない。一週間が二日で終わってしまったみたいだった。

 オレが零号士になって今日で五日目。M-4PNX(機銃を装備しているが巡回用のMECA)との違いは、装備(攻撃力の高い機銃やロケット)とボディが頑丈な装甲になっていることぐらいで操作方法もすぐに慣れてしまったが、まだ隕石の爆破処理など零号士らしい危険業務は任されていない。それというのもマネージャーがチームから抜けることを許してくれず、仕事は彼女が先にスケジュールを組んで危険が最小限で済むような仕事ばかり任されていた。これではなんのために零号士(ゼロ)になったのかと首を傾げる日々が続いている。

 モーゼズがオレを零号士(ゼロ)にして物資輸送メンバーとして地球に連れて行くと言っていた話もまだ実行されないままだ。オレが零号士(ゼロ)にしてもらいに行った日以来あいつとは一度も会っていない。部屋にも戻って来ないし、一体どこで何をしているのか。

 時刻はすでに夕飯が始まっている時間だったので、オレは部屋を出て地下の食堂に向かった。そこで夕飯とついでに大浴場にも寄って入浴を済ませ自室に戻った。今日もまたモーゼズの姿を見かけることはなかった。あいつを探しているわけではなかったが少し気にかかっていた。ふと初めてモーゼズと出会った日のことを思い出す。あいつは最初から良い印象がなかった。人を不快にさせる発言をするし、不可解な行動をとる。豹変して突然襲ってきたり……。何を考えているのかさっぱりわからない奴だ。そんなあいつと出会った日、向かい合って食堂で夕飯を食べた。心安く付き合える友人同士にはなれる気がしなかったが、そうすることがそんなに嫌ではなかった。大浴場に行き、背中を流し合いっこした。浴槽に洗面器を浮かべ、その下に潜って潜水艦ごっこをするあいつをオレは冷たい目で眺め――

 なんでこんなことを急に思い出したんだオレは? いい思い出でもなんでもないのに。あいつのことなんか……っ。むしゃくしゃしてきてオレは舌打ちした。

 明日の創立記念祭であいつが仲間と何かとんでもないことをやらかそうとしているからって、今日会えなかったからって、どうでもいいじゃないか。会っても別に話すことなんかない。言いたいことなんか……何を言えばいいのかわからない! 

 オレは自棄になり、冷蔵庫を開けて中から高純度ろ過水(ミネラルウォーター)の入ったペットボトルを取り出してがぶ飲みした。零れて口の端から滴り落ちた水を手の甲で拭う。

「Honey」

 とそこに戸口のほうから声がして、オレはそちらに顔を向けた。

「Hi〜」と陽気に片手を上げて笑顔のモーゼズが部屋に入ってきた。

「I wanted to meet you!(会いたかった)」と言ってオレにぎゅっと熱い抱擁をした後、手を緩めてオレの顔を覗き込む。オレはむすーっとした顔で睨み返してやった。その顔をモーゼズが男のでかい手で包み込む。

「ずっと会えなかったから怒ってるのか?」

「別に」

「Sorry」

「ギャッ、わっ、ちょッ、おぃ!?」

 オレは体をのけ反らせて、激しく取り乱してしまった。それもそのはず。モーゼズに今、どさくさにまぎれてキスをくらわされたのだ。唇にかなり近かったぞ、このやろう! とオレはぶち切れてモーゼズを突き飛ばした(ほぼびくともしなかったが)。

「ただいまの挨拶だろ」と言い訳するモーゼズを憎悪を込めてオレは睨む。すっかり機嫌を損ねたオレに柔らかく微笑みかけるモーゼズ。う゛……!? 普段見せたことのない貴公子みたいな微笑に焦るオレ。モーゼズが容姿自体は端麗だったことを再確認させられる。やばい。

「な、んだよ……」

 不覚にもドキッとしてしまった。頬が一瞬熱くなった自分に烈しく嫌悪する。ばつが悪くなった。

「寝る」

 亭主関白な夫みたいに言ってオレはベッドに向かった。

「Waite」

 するとモーゼズに腕を掴まれて足止めされ

「何だ?」と奴を睨む。

「今日はお前とゆっくり話がしたい」

「明日早いんだぞ」

 面倒臭そうにオレが言うとモーゼズは

「少しだけ」とオレの背中を押して誘導させた。

「ここで話そう」

「なんでここなんだ!」

 立ち止まったのは二段ベッドの前だった。その下段に座るよう促されてオレは訝る眼差しでモーゼズを見遣る。

「お前と座って話したいだけだ」

 モーゼズが先に腰を下ろし、お前も座れとオレの手を引く。オレは身の危険を感じ、踏ん張って抵抗した。

「それならあっちでもいいだろ!」とベッドの反対側に向かって顎をしゃくる。

「お前は今、ベッドで寝ようとしてたんだからここが丁度良いだろ。眠くなったらそのまま寝ればいい」

 寝たらお前に何されるかわからないだろ……とオレが目で訴えると

「わかった」

 モーゼズは静かに言って口を噤んだ。ん?――やけに素直だな、と思っていると

「心配ならオレの腕を縛ってもいい」と両手を揃えて前に突き出した。

「……」

 これは“罠”か? 今まで何度もこいつには脅されてきた。出会った初日から部屋に忍び込んでひやりとさせられ、普通に会話していたと思ったら突然背後に回って腕を捻られ。ベッドに引きずり込まれたこともある。なら、縛るか? 何か丁度良いものはなかったかと室内をぐるっと見渡していると

「そんなに警戒するな」

「わっ!?」

 ぐいっとモーゼズに腕を引っぱられてオレは体勢を崩し

「Sit」

 そう迎えられてモーゼズの膝の上にきちんと“着地(おすわり)”。

「安心しろ。オレは嫌がる相手を無理矢理犯したりはしない」

 と言いながらちゃっかりオレの腰に腕を回しているモーゼズ。この腕に説得力がない! 煩わしそうにその腕の束縛を解いてオレは横に座り直す。

「眠くなったら寝るからな」

「OK」

 ツンとした顔で吐き捨てるように言ったオレにモーゼズは嬉しそうに笑った。

「離れすぎだ。もう少しこっちへ来い」

 オレがそろそろっと警戒しながら少し寄ると、さっと抱き寄せられてびくっとした。それを横から見てモーゼズがクスッと笑う。

「なんだよ?」

「別に」

 てオレの真似か? 目を細めて穏やかに笑うモーゼズ。なんでそんな優しい目で笑うんだ。こいつ本当にあのモーゼズか? 今日のモーゼズはなんだかいつもと違う表情を見せるのでいちいち調子が狂う。

「響」

「ん?」

 目付きが真剣なものに変わった。二つ並んだ碧の宝石に意識が縫い止められる。

「お前は“生きてて良かった”と、心から思ったことがあるか?」

 いきなり重みのある問いを投げかけられて困惑し、答えが浮かばなかった。

「わからない」としか言えない。

「本当に死にそうになってみないとわからないかもしれないな。“生きてて良かった”ってのは……」

 穏やかな表情で話すモーゼズをオレは仰いだ。

「お前はそう思ったことがあるのか?」

「ある」と答えてモーゼズは遠い目をした。

「十二の時オレはレイプされた」

 ズンと重たい打撃のようなものがオレの胸に響いた。

「オレが生まれ育った仮設地区は時給率が低く、いつも物に飢えていた。それで毎週コロニーのほうから輸送車が食料やその他の物資を運んでくると、オレ達住民は大人も子供も関係なく配給の列に並んだ。配っていたのはコロニーから来たボランティアか防衛組織の制服を着た人間で、皆首から名札をぶら下げていた。その中にいつもオレに笑いかけてくる中年の男がいた。ガキだったオレはそうやって自分にいつも笑いかけてくるその男がだんだん優しい人に見えてきた。


「また来るからな」


 見かける度にその男は声をかけてきた。


「お前、名前は?」

「モーゼズ」


 ある日オレがまた配給の列に並んでいるとその男に肩を叩かれ、“いいもの”をあげるから後でまた来いと言われた。それで言われたとおりに行ってみるとその男が待っていて、オレを輸送用のジープに乗せてくれた。


「うまいもん食わせてやる」


 そう言ってその男は車を出し――

 その時オレは初めてゲートの外に出た。そのままジープでコロニーの領域(テリトリー)に入り、男のIDカードで難なくゲートを通過したはいいが、自分がNO ID'sだとばれて捕まったらどうしよう。そう思うと恐くて仕方なかった。だからジープを降りてからずっとその男にしがみついて歩いた。後でそれが一時的に滞在を許可される仮発行の通行許可証(仮パス)を使ったからだとわかったが」

 モーゼズはさらに続けた。

「男はオレをいろんな所に連れて行ってくれた。ファミレスとか、アイスクリーム屋とか、デパートとか。おもちゃも買ってくれて、オレはそいつのことをなんていい人なんだと思った。そう“思い込んでいた”。だがそれはみんなオレを騙す餌だった。すっかり心を許して懐いたオレをその男は「じゃあ、帰るぞ」と言ってジープに押し込んだ後――

「お前、綺麗な顔してるな」

 そう言い、無理矢理押さえ付けてレイプした。それが“一回目”。その後、そいつの仲間に廻された」

「!?」

「ふふ、色気のない初体験だろ? オレの相手は四十過ぎのおっさんなんだからな」

「……」

 一緒に笑ってくれと言うようにモーゼズは声高らかに笑いかけてきた。そんな話を笑い話になどできるわけがないのに。

「それから精神的に壊れちまって野郎相手に売春(ウリ)もやった。昔のオレは女の子みたいに痩せて貧弱で、そういうガキが好きな野郎が結構いて、オレはそういう奴らを相手にしていた。もらった金は煙草や酒や博打に使い、身も心もボロボロになりながら。丁度お前ぐらいの歳の頃のオレは、そんなことをやっていた」

 ふっふっと壊れてしまったようにモーゼズは肩を揺らして笑声を漏らした。

「せっかくこんな面に生まれたんだ。ありがたく活用(つか)わせてもらってたよ」とにんまりする。その皮肉の痛ましさに哀れみと嫌悪を覚えて、オレは表情を曇らせた。

「何故わざわざそんな自分で自分の傷口を抉るようなことを……」

 てっきり昔から不節操な男だったとばかり思っていた。それが過去に受けた損傷が反動になって形成されたものだったとは……。いつも飄々としていて楽観的でふてぶてしいモーゼズ。この時彼が初めて弱い人間に見えた。

「オレは誰かに必要とされたことがない。それがたとえ不純な動機でも、自分を求める人間と接することで自分の存在意義を持つことができた。そうやって犯られる度、惨めさで“死にたい”と思い、だが求められる度“生きる価値”をそこに見出し――無意識にそうやって自分を洗脳していた」

「なんでオレにこんな話を……」

「こんな人生を送ってきたオレでも、この世に存在したってことを誰かの記憶に残したかったからだ」

「……?」

 問いを促そうとしてモーゼズを仰ぎ見ると、横から抱きしめられた。

「なかなか悲惨な生い立ち(エピソード)だっただろ? これでお前の記憶のなかにオレって人間がどんな奴だったかがくっきり残ったはずだ」

「残したかったって、お前何を考えてる!? やっぱり明日死ぬつもりなんじゃ……!」

 モーゼズはその問いに答えず抱擁も解こうとしない。

「言っただろ。それは“サプライズ”だって」

「何がサプライズだ! おかしなことを考えてるなら……」

 ――っ? 抱擁が解かれ顔と顔が向き合った。そう思った次の瞬間、モーゼズが顔を寄せてきた。鼻と鼻がぶつかる。

「これ以上喚くとキスするぞ?」

「……っ!」

 モーゼズの唇から洩れた吐息がオレの唇に弱く吹きかかり、思考を止めた。

「心配してくれてありがとう。響、お前はやっぱりいい奴だ」

 鼻の頭に軽く触れるだけのキスを一つ落として顔が離れていく。

「“お前も”オレを救おうとしてくれる」

「オレも?」

 他にも誰かいたと匂わせるような言葉。エメラルドグリーンの瞳を弓形に細めてモーゼズは微笑した。正面を向いて視線を虚空に放つ。

「オレが“ウリ”を止めるきっかけを与えてくれたのは、お前の父親の“遠山雄二(とおやま ゆうじ)”だ」

「!?」

 また父の名が――。オレは覗き込むようにモーゼズの端麗な横顔を見詰めた。

「堕ちるところまで堕ちて、もうあとはどこまでも腐っていくしかないと諦めていたオレに、初めて希望を与えてくれたのが彼だった。彼がオレに人間として生きる道標を示してくれたから、オレは堕落した生活から抜け出すことができた。それまでのオレは生きていることが惨めになって、なにもかもどうでもよくなって狂ってしまいそうな自分を自分で騙して、いつのまにか何も感じない“生きた屍”になっていた。そんなオレと真摯に向き合って更生させようとしてくれた彼に心動かされ、初めてオレは“生きていて良かった”――そう思えた。初めて自分を裏切らない人間に逢えて、それまでオレには一生見れないと思っていた“希望”が見えた。そして今度は息子のお前が、オレのような奴のことを心配してくれたり、涙まで流してくれたりする。それだけでもオレは、ここまで生きてきた甲斐があったと思う」

 モーゼズの手がオレの頭にポンと置かれる。

「こんな話に付き合ってくれてありがとう」

 と言ってモーゼズは腰を上げた。

「待て!」

 梯子に手をかけてベッドの上段に上がろうとしたモーゼズの手首を掴んでオレは引き止めた。

「もっと詳しく聞かせてくれ。父と出逢った時のことを」

 振り向くモーゼズ。

「長くなるけどいいのか?」

「いい」

 少し思案してからモーゼズが言う。

「じゃあ、横になりながら」

「話の途中で寝るなよ?」

 とオレが睨みを利かせるとモーゼズはニヤリ。あ、いつもの。とちょっと安心するオレ。

「やけに我が儘だな、今夜は」

「……」

 オレはツンとした顔で無返答。それからベッドの上に仰向けに寝る。

「それはまたそれで可愛いけどな」と隣に寝転んで来るモーゼズ。

「なんだこの手は?」

 オレが上掛けの上に置いていた手の上にモーゼズが手を重ねてきた。体を捩ってオレの方を向く。

「誘ってるんじゃないのか?」

「誘ってない」

「難しい奴だな、お前は。隣に寝かせてくれるのに、手を握るのも駄目なのか?」

「“駄目だ”。そう言わないとお前はどんどん調子に乗る」

「わかったよ」とモーゼズは素直に手を退けた。

「響?」

「手までだ」

 退けられた手をオレの手が捕まえた。クスッと笑ってモーゼズはその手を握り返してきた。そして静かなトーンで語り始めた。

「オレと遠山雄二が出逢ったのはそれから二年後の、オレが十四の時だった」

 オレはベッドに身を沈めながら、彼の低い声に意識を傾ける。

「すっかりウリが常習(いた)に付いていたオレは、影の売春街(スポット)で見付けた男に声をかけ、交渉に入ろうとしていた。


「離せよ!」


 いきなりオレの腕を掴んで、それを邪魔してきた奴がいた。まっすぐな強い眼差しと地面に垂直に立つ凛とした姿は正義感溢れる真面目な青年そのもので、まるでこんな所には場違いな人間に見えた。それが遠山雄二だ。


「事情は知らないが、金が必要なんだろ?」


 意外にも雄二はずばりそう訊いてきた。こんなことをするのは善くないとか、もっと遠回しに言ってくると思っていたのに……直球(ストレート)だったことにオレは少し困惑してしまった。だが、こんな所に居る時点で最初から言い訳などする気はなかったオレは正論のようにこう言った。


「ああ、そうだよ。金がないと飯が食えないからな!」


 何か文句あるか? なんならてめえがオレに貢いでくれんのか? そう訴えるように睨み。そしたら雄二はこう言ってきた。


「君は便利な道具に成り下がって「生きたい」か? それとも人間として食いっぱぐれて「死にたい」か?」


「はあ? 何言ってんだこいつ」


 臭いこと言いやがって、格好付けてんのか? そう思ってオレは冷ややかな目で睨み返してやった。それでも雄二の両目はまっすぐにオレを見ていて、まったく怯む様子もなかった。そしてこう続けた。


「このまま金が手に入らなかったら君は、食いっぱぐれて餓死するだろう。だがここで僕が君に金をあげれば食い繋げる。でも僕は君に金はやらない」


「だったらほっとけよ!」


 オレは抗って雄二の手を振り払おうとした。だが思っていた以上に彼の腕力は強く、ひょろいガキの力ではびくともしなかった。顔をしかめて舌打ちし、悪態を吐くオレに


「僕は君を人間として扱う」


 そう言って雄二は飲食店に連れ出した。そして別れ際――


「君がもしまだ道具でいたいと思うなら、僕に会いたくないと願ったほうがいい。道具になろうとしている君を見付けたら、僕はまた君を捕まえてしまうから」


 そう言った。真面目な顔でそんなことを言われ、オレはその時もまた馬鹿にした顔で失笑した。


「あんたは正義の味方(ヒーロー)か? それならオレが腹が減ったから来いって言ったら来てくれんのか?」


 そうおちょくってみると雄二はこう答えた。


「僕はヒーローじゃないし、呼ばれてもすぐに駆け付けることはできない。だがもし会った時、君一人に食事を奢ってやることぐらいならできる」と。


「じゃあまたここに来るから奢れよ? あんたをオレの“便利な道具”にしてやるからさ」


 さあ、次はどう返す? 挑発に乗って来るか試してみるが


「僕は道具になるつもりはない。君が人間として生きるための手助けをしたいだけだ」


 返って来たのはいかにも善人面した奴が言いそうな答えだったからオレはなんだか拍子抜けした。こいつ馬鹿なんじゃないのかって思ったよ。一体何の得があってこんなことをするんだって。結局返って来る言葉は同じだろうからそれ以上は訊かなかったが。

 それから馬鹿なおっかけっこが始まった。オレは懲りずにウリを繰り返し、それを偶然見付けた雄二が捕まえる。オレは飯を奢ってもらったら別れる。そしてまた……。だが会えないことのほうが多かった。それでもオレは雄二にまた見付けてほしくて、いつのまにか雄二に会うためにウリをやるようになっていた。そんなオレにずっと理由を聞こうとしなかった雄二がある日とうとう問い質してきた。


「何でやめないんだ?」


 あんなに凛としていた男が声を震わせて。ここでオレが絶望的な言葉を吐いたら、もう完全に見捨てられてしまう。そんな気がしてオレは悲鳴のようにこう吐き出した。


「オレはコロニー住民じゃないからあんたに連絡する手段もなくて、こうしないとあんたに会えないからだよ!」


 そしたら雄二は何も言わずにオレを抱きしめてくれた。ほっとしたオレは溢れる感情を抑え切れず、ちっちゃいガキみたいにわんわん泣きじゃくった。


 それからオレは雄二を悲しませないためにウリをやめ、金がないから仮パスも手に入れられなくなり、コロニーに行くこともできなくなった。これでよかったんだよな? でもいつかまた……。そんな思いを捨てられずにいたある日だった。いつものように物資の配給が来た日、それに紛れて現れた怪しい黒服を着た奴に声をかけられた。そいつが前に話した闇仲買人(ブローカー)だ。そいつはオレに“死んだ零号士のICチップをやるからそれを使ってコロニーに入り、零号士になって改革の手助けをしろ”と言ってきた。それが犯罪だとわかっていてもオレは断らなかった。見ず知らずのガキだったオレに救いの手を差し延べてくれたあの遠山雄二にまた逢いたい――その思いのほうが強かったからだ。

 もともと絶望の蟻地獄にいたオレに自己を証明できるものはなく、雄二と出逢うまでは亡霊同然だった。彼と出逢って初めて生きた人間になれたんだ。だから彼に会うためにコロニー住民になるという偽造(つみ)を犯すことに躊躇いはなかった。

 それからオレは雄二との再開を夢見て零号士(ゼロ)になり、やがてそれは実現した……」

 モーゼズはそこで話を終えるとオレの顔を覗き込み、額にかかった髪をそっと掻き分けた。そこにキスが降りてくる。

「……」

 それが優しくて、オレを心地好い眠りに誘う。体が睡魔の泉に浸かり、意識が溶けていく瞬間――


 苦し……ぃ。

 モーゼズの腕が上掛けごとオレの体を包み込んだ。しっかりと、強く。

「I love you」

 意識の片隅でオレはその声を聴いた。


 苦しい。声を出さずに唇がその言葉を紡ぐ。


 それは胸の奥が締め付けられるような哀しい抱擁だった。




ここまで読んでくれてありがとうございました。次回はいよいよ創立記念祭当日の話です。

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